第23話

 六時限目。


 創一は校庭へと向かった。外靴に履き替えて校庭に出ると、既に多数の生徒が雑然と並んでいた。制服姿の学生が校庭に多数いる光景は、去年の夏以前の記憶の無い創一にとっては、妙に物珍しく感じられた。


 しばらくして、校庭は全校生徒で埋まり、集会を始めるべく綺麗に整列させられた。


 設置されたスピーカーに電源が入り、教頭が開会の言葉を告げる。次に校長がお立ち台に上がり、教頭の「気を付け、礼、休め」の号令が掛かった。


「えー、みなさん、こんにちは。とある事情で、校庭での全校集会という形になりましたが、天気に恵まれたお蔭で、つつがなく進行することが出来そうで何よりです」


 校長はマイクに向かって淡々と挨拶の言葉を述べた。続いて、日常の些細なことを始め、学業に精を出すこと、文武両道を奨励すること、万引きやイジメなどの不良行為に対することなどについて話し始めた。時には、学校に関することから離れて、日本の時事問題に話題は及んだ。それらの話題の中には、当然と言うべきか、数日前に起こった街中での殺人事件に関することも含まれていた。


 遊び盛りの生徒にとって、右の耳から左の耳へ綺麗に流れてしまうような退屈でつまらない話は、十数分に渡って校庭に響き続ける。


 大半の生徒は、校長の話に興味を示さす、退屈を紛らわせるように視線を彷徨わせたり、足を動かしたり、空想に耽るように地面に視線を落としていた。創一もその一人であり、殺人事件のことに関してだけは、リリアの動向に関する手がかりが掴めるのではないかと考えて傾聴していたが、他の話については適当に聞き流していた。


「えー、では続きまして、生徒指導担当の内田先生からお話があります。内田先生、お願いします」


 教頭が生徒指導の教師にお立ち台へ上がるように促していた。いつの間にか、校長の話は終わっていたらしい。


 お立ち台に体格の良い教師が上がった。どこの学校も共通なのかもしれないが、生徒指導担当の教師は、決まって体育教師である。生徒を指導する役割柄、生徒に舐められない威圧感を必要とするからだろう。


 全校生徒が一斉に礼をした後、体育教師が話し始める。


「みなさん、生徒指導の方から、いくつかお話があります。まず初めに……」


 体育教師は、現在行われている下校指導について、まだ殺人事件の犯人が捕まっていないことから、今後も下校指導が続けられることが宣言された。次に服装の乱れや染髪に関する注意がなされ、万引きに関する警告、夜遊びに対する自粛など、ありきたりな内容の話が続いて行く。


「えー……では次に、体育館の姿見についての話に入る」


 創一の興味は姿見に関する話に喚起された。


「知っている者もいるかもしれないが、今朝、体育館に備え付けられている大きな姿見が何者かによって割られているのが発見された。犯人は今のところ不明であるが、夜中に体育館に忍び入って割ったものと思われる。現場保存の為、ここ数日は体育館への立ち入りが制限されるかもしれないことを頭の片隅に留めておいて欲しい」


 創一はなんとなく自分の後ろの方で並んでいる繭羽の様子を窺いたくなった。姿見を割った犯人は、今どのような様子で体育教師の話を聞いているのだろうか。


 創一は繭羽が表情を強張らせながら話を聞いている所を想像すると、下を向いて忍び笑いを浮かべた。


「えー、この件については、生徒諸君の情報を求めたいと思う。もし、昨晩に学校の側を通りかかって不審な物音を聞いた者、犯人について心当たりのある者は、些細なことでも構わないので、私の」


 ところへ来るように。


 そう続くと思われた体育教師の言葉は、奇妙なことに、そこで途切れた。数秒経っても、続きの言葉が聞こえてこない。


 創一はそのことを怪訝に思い、顔を上げた。見れば、お立ち台の上に立つ体育教師は、口を半開きにしながら、蝋人形か何かのように固まっている。身じろぎ一つ見せない。


 その瞬間、創一は周囲からも物音一つ――衣擦れの音すら一つしないことに気付いた。


「……まさか!」


 創一は即座に周囲に視線を巡らせる。校庭にいる全校生徒は、全員が蝋人形になってしまったかのように、微塵も動かない。生徒を除く景色は、個々の色彩が濃くなり、全体的にセピア色に染め上げられていく。


 それらを目の当たりにして、創一は、校庭一帯が半球状のセーヌ結界に閉ざされたことをようやく理解した。


「創一!」


 繭羽が生徒の波を跳び越えて、創一の眼前――お立ち台の前にある開けた空間に着地した。既に背中には絹髪を靡かせ、瞳は蛇眼、手には大太刀が抜刀されていた。


「まさか……リリアが来たのか!?」


「……くくっ、坊やよ。妾(わらわ)の名を口にするなら、もっと甘く、柔らかく、蕩(とろ)けるような囁き声で呼んではくれまいかのう」


 創一は声の聞こえる方を仰ぎ見る。


 校舎の上方、屋上の縁に腰を下ろす形で、リリアの姿があった。その真横には、メイド服に身を包むベルの姿もある。


 リリアは何の躊躇いも無く屋上から飛び降りると、落下の途中で彼女が纏うボロの外套が翼のように広がり、真下にある校章旗や国旗を掲げる柱の頂点に舞い降りた。ベルの方は、主に追従せず、屋上から眼下を見下ろしたまま待機している。


 創一はリリアの腕に注目した。パンタレイおいて、自身の特性によって肘から先を砕かれたリリアの片腕は、何事も無かったかのように再生していた。


 創一は強い焦燥に駆られた。


 リリアが自分を狙っていること、学校で何かを為そうと企んでいることから、いつかは学校内で襲撃されるとは覚悟していたが、まさか全校生徒の揃う校庭に集う全校集会の時を狙われるとは想像していなかった。


 今ここで戦闘が起きれば、多数の死傷者を出しかねない。体を壊される分には、例の蘇生術式があるので問題ない。しかし、ディヴォウラーや幻魔が直接捕食した者は復元することが出来ない。リリアにとって、この校庭は、力を補給する為の絶好の餌場でしかない。


「昨日ぶりじゃのう、坊や……。あの時は驚かされたぞ。いかなる術を弄したかは知らぬが、片腕とはいえ、妾(わらわ))の体をあれほど損壊させた者は滅多におらぬ。天晴じゃ。油断していたとはいえ、誇るが良いぞ」


 リリアが愉悦の笑みを浮かべる。


「あなた、いったい何が目的なの!? ここにいる人達をどうするつもり!?」


 繭羽が怒気を含んだ声を張り上げた。


「ぎゃあぎゃあと騒ぐでないわ、小娘。耳に障る。……まあ、見ていれば分かるわい」


 リリアが不気味に笑う。


 突然、あちらこちらから、人の動く気配があった。この学校の生徒ではない。どこかに隠れ潜んでいたのか、校庭の端々から、何十人もの人々が姿を見せ始めていた。

サラリーマン風の男、エプロンを付けた中年の女性、警官官の姿をした青年、作業服を着た中年男、OLらしき女性、店員の恰好をした若い女性、ハーフヘルメットを被る大学生らしき青年、私服姿の少年少女。


 続々と姿を見せる部外者は、服装や性別、年齢や職業による共通点は見出せないほど多種多様であった。まるで、道ばたで見かけた人は片端から呼んできたような有り様だ。


 しかし、その人達にも、ある一点において、共通する部分を持っていた。それは――みな意識が無いかのように目が死んでいることだ。


「……まさか、あの人達は、みんな操られているのか?」


「そうじゃ。あの者たちは、みな妾(わらわ)の従僕じゃ。妾の命令に従い、妾の思うままに動く手足じゃよ」


 リリアは喜々として答えた。どうやら、繭羽とは対照的に、自分には好意的に接するようだ。


「もしかして……殺したのか? 死体にして、例の傀儡の術で、あの人たちを操っているのか?」


「いや、殺してはおらぬ。欲しい者は生きた人間じゃったからのう」


 リリアが答える間にも、操られている人たちは、整列している全校生徒を囲み込むように迫って来ている。


「何を企んでいるかは知らないけれど、好きにはさせないわ!」


 繭羽は膝を溜めると、上方へ――リリアの許へ一気に跳びこんだ。大太刀に瞋恚の焔(しんいのほむら)を滾(たぎ)らせ、リリアを焼殺せんと大太刀を薙ごうとする。


「そう急くな、小娘。お前さんの相手は、あとでたっぷりと付き合ってやる」


 リリアが足元の柱頭が青白く煌めき、瞬時に氷の柱が伸び上がり、リリアの体を屋上付近に押し上げた。


 繭羽の振るった大太刀が氷柱の側面に直撃する。撃した部分の氷が砕け散るか、さもなくば大太刀の方が跳ね返されるかと思われたが、奇妙なことに、まるで大太刀の通過した部分が削り取られたように消失した。


 繭羽は地面に着地すると、すぐに創一のそばまで跳んでくる。


「創一、私のそばから離れないで。何をしてくるか分からないわ」


「わ、分かった。……でも、他の生徒たちはどうするんだ? リリアに操られている人たちに襲われるんじゃ……」


「創一の身の安全の方が優先よ。それに、傀儡の数が多すぎる。斬り殺すにしろ手足を折って無力化するにしろ、私一人では手に余るわ」


「僕の手の特性でどうにか出来ないのか?」


「無理よ。創一の特性では、魔術を打ち消せなかった。あの人たちは、恐らくリリアの魔術によって操作されている。創一が触れたところで無意味よ。そもそも、二人でも人手が足りない。それなら、術者であるリリアを直接仕留めた方が手っ取り早いわ」


「仕留めるって言っても……」


 創一は中空を見上げた。


 リリアはボロの外套を翼のように広げ、屋上付近で空中に浮遊している。空を自在に飛行出来る者に対して、地を駆けて狙うのは、あまりにも分が悪すぎる。対抗するには、こちらも飛行魔術が使える必要がある。


「繭羽、空を飛べる魔術は使えないのか?」


「使えるなら、とっくに使っているわ」


 繭羽の答えは素っ気無いものであった。それ故に、そこに秘められた自身の魔術的技量の乏しさへの怒りや歯痒さなどを感じ取れた。


「……その様子じゃと、空を翔ける術式は構築出来ないようじゃな。まあ、見ておれ。すぐに準備は整う」


 リリアの体が風に運ばれるように空中を流れ、全校生徒の中心部の上方で静止する。その間に、繭羽は何発も瞋恚の焔(しんいのほむら)をリリアへ向けて打ち放ったが、その度にリリアが空間に生成した氷塊によって防がれていた。


「――さあ、我が従僕たちよ。今こそ、存分に役目を果たす時じゃ。存分に朽ち果てよ」


 リリアが高らかに何かの開始を宣言する。しかし、その宣言に反して、傀儡の人々は茫然と立ち尽くし、微動だにしない。校庭には、異様な静寂が漂うのみであった。


「……まさかっ!」


 突然、繭羽が驚愕の声を上げ、まるで何かから守るように、創一の前に立ち塞がった。


 創一は何があったのか繭羽に問おうとした直後、傀儡の一人から、何か濃密な光が瞬くように明暗を繰り返して発散された光景が見えた。直後に神楽鈴を鳴らすような例の清音が響き渡り、臓腑を揺さぶるような不可視の圧力波が湧き起こった。


 間を置かずして、別の傀儡が同様の光を体から発散した。連鎖するように、さらに別の傀儡も、そのまた別の傀儡も光を体から短い間だけ放ち、周囲に異様な清音と圧力波は撒き散らし続ける。


 謎の現象を起こしているのは、傀儡の人々ばかりではなかった。傀儡に囲まれている生徒たち――その間でも、触発されたように、同様の瞬くような強烈な発光現象と神楽鈴の清音、そして不可視の圧力波が起こり始めていた。初めは散発的に、次第に連鎖的な広がりを見せ、校庭一帯が異様な雰囲気に満たされる。


 不意に、ぐにゃりと校庭の景色が歪んだ。校庭の地面も、生徒や傀儡も、遠くに見える家並みや空ですら、異なる水彩絵の具が滲み合う如く、形体と色彩の秩序を乱していく。


「くくく、上等じゃ! やはり数が多いだけのことはあったか……!」


宙に浮遊するリリアの姿すら滲みぼやけていたが、その声だけは、常のように明瞭に響いて聞こえた。


「ま、繭羽! いったいリリアは何を――」


 創一が眼前で表情を強張らせる繭羽に事態の真相を尋ねようとするも、その言葉は、リリアの歓喜を孕んだ叫びに遮られる。


「さあ、共に行こうぞ! 我が望みを果たす彼方――楽園にして始まりの世界へ!」


 リリアの叫びに呼応するように、突如、校庭一帯――それどころかセーヌ結界内に眩い閃光が迸った。


 創一は思わず腕を交差して目を覆った。


 

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