第8話

「まったく……。まさか槍玉に挙げられるとは思わなかったよ」


 朝のホームルームが終わった後、賢治は死んだように机に突っ伏していた。


「あはは、賢治君も災難だったね。でも、クラスの男子の気持ちも分からなくはないかも。だって、神代さん、すごく美人だもん。女子の私でも綺麗って思っちゃう」


 風紀委員会の臨時招集から帰って来た心陽(こはる)が憧憬を含んだ眼差しを繭羽に向けた。


「そうは言っても、周りの男子から凄まじい敵意を感じたよ。正直、あの時は生きた心地がしなかった……。なあ、創一。僕の代わりに神代さんの校舎案内、やらないか?」


「え……僕が?」


 創一も繭羽の方を見た。


 現在、繭羽はクラスメイトからの質問責めにあっており、当分は突然の編入のことについて尋ねることは出来なさそうだ。


「代わってあげようかというか、むしろ創一に代わって欲しいくらいだ。ひょっとすると、怨みを抱いたクラスの男子に、後ろから刺されることもあるかもしれない」


「いや、賢治の代わりに僕が刺されるじゃないか。なおさら引き受けたくは……」


 創一は辞退の言葉を言い止した。


 案内役を引き受ければ、繭羽と二人きりになれる可能性もある。編入の件も含めて、繭羽には昨日の夜に聞きそびれてしまったことがいくつか残っている。


「どうしたの、創ちゃん。……あ、まさか、創ちゃんって繭羽さんみたいな子が好みなの?」


 心陽がにやりと邪推の笑みを浮かべた。


「いや、別にそんなんじゃ……。ただ、ちょっと」


「ちょと……何?」


「……いや、なんでもない。取りあえず、賢治、案内役の権利は放棄するよ。存分にクラスの男子から怨まれてくれ。ワイシャツの中に教科書を仕込んでおけば、致命傷を避けられるさ」


「なにげに現実的な助言だよね、それ……。僕、なんだか本当に背中が怖くなってきたよ。こんなに昼休みが待ち遠しくなくなったのは、生まれて初めてだな……」


 賢治の憂鬱な気持ちに反して、時計はいつも通り時間を刻んだ。


 そして、常のように、学生が待望する昼休みの時間となる。


「……さてと。じゃあ、賢治、達者でな。生きて五時限目の英語で会おう」


 創一は賢治と共に教室で昼食を済ませると、窓際の席でクラスメイトの女子数人と昼食をとっている繭羽を一瞥(いちべつ)してから、賢治を置いて教室を後にする。


 背後から賢治の「裏切り者……」とい怨み言が聞こえたが、気のせいにしておいた。


 創一は階段を降りて校舎から出ると、離れにある図書館へ向かった。入口から中に入ると、既に顔なじみになってしまった司書教諭に挨拶をした後、図書館のとある一角へと向かう。そこは、採光の為に大きな窓を取り付けられている区画であり、読書をする者の為の背もたれ付きソファーが置かれている場所だ。


 創一は去年の秋ごろから、図書館のこの場所に来て昼休みを過ごすことが日課となっている。学校の中でひとり静かに過ごせる場所を探したところ、ここに辿り着いたのだ。


 創一は大窓に向いているソファーの一つに深く腰掛けると、気持ちを落ち着ける為に大きく息を吐き出した。双眸(そうぼう)を閉じて、静寂と微かに聞こえる鳥の囀(さえず)りに耳を楽しませる。大窓から差し込む太陽光は心地好く、開け放たれている窓から入る新鮮な空気は吸うと、次第に清浄な気持ちに満たされる。


 静かに双眸を開くと、大窓から見える青空を眺めた。空高くに一群の白い雲が流れている。時間ともに形を変えるそれは、今は竜のように細くのたくった形を成していた。


 創一がしばらく空を流れる雲を眺めていると、不意に背後から声が掛かる。


「何を見上げているの?」


 創一が振り返ると、背後には繭羽が立っていた。


「なんだ、繭羽か」


「なんだ、とは心外ね。せっかく会いに来たっていうのに」


「……あれ、賢治はどうした? 確か、昼休みに簡単に校舎を案内して貰うつもりじゃなかったのか?」


「賢治……。ああ、古橋君ね。その予定だったのだけれど、あなたがどこかに行ったのを見たから、お断りしたわ。創一と以前に面識があるから、彼にお願いするって断ったの」


「つまり、僕が背中を刺されることになるかもしれないのか……」


「……なんの話?」


「こちらの話。単なる冗談……だと良いな」


「なにそれ……。そう言えば、古橋君から聞いたけれど、あなたって、昼休みはいつも図書館にいるそうね。本が好きなの?」


「いや、たいして本は好きでもないよ。たまにここで読むことはあるけれど……図書館に来る目的はこれかな」


 創一は視線を再び窓から見える空に戻した。


「ひとり静かに空を見上げる為……かな。流れる雲を眺めているのが好きなんだ」


「へえ……。なんだか詩人みたいな趣味を持っているのね。でも、私にも分かる気がする。独りきりになりたい時……よくあるから」


 繭羽はそう言うと、創一と同じようにソファーに腰掛けて、大窓から空を見上げた。


「……うん、素敵な場所だと思う。静謐(せいひつ)な空気、暖かい日差し、眺めの良い窓辺。ここに座っていると……胸が軽くなる気がする」


 創一は繭羽の方を見た。繭羽の発言は創一自身おおいに共感する所がある。


 しかし、だからこそ、創一はこう思った。


 それを感じることが出来る繭羽もまた、自分と同じように、何か心に大きな欠落や重圧を抱えているのではないか――と。


「それにしても、驚いたよ。今朝いなくなったと思ったら、いきなり学校に編入してくるんだから。いったい何をどうしたら、そんなことが実現出来るんだ?」


 繭羽は近くに創一以外の人の気配が無いことを確かめると、小声で話し始める。


「言ったでしょう? 私は攻魔師だって。攻魔師はディヴォウラーや幻魔の襲撃から人々を守る為に活動しやすいよう、表の公的機関に対して、ある程度の融通を利かせて貰えるのよ。だから、こうして急に学校へ編入することも可能なの」


「融通が利くって……そうは言っても、限度ってものがあるだろう。いくらなんでも、今回の編入は不自然過ぎるじゃないか。教師は不思議に思っていないのか?」


「当然、そう思っているのではないかしら。けれど、裏を返せば、そんな不自然なことをまかり通すことが出来るほど、五行機関の権力は社会に対して絶大ということよ。……ああ、説明していなかったけれど、五行機関というのは、攻魔師を束ねている国の公安機関のこと。勿論、公式に明かされていない裏の機関よ」


「五行機関……? そんな組織があったのか。そこに繭羽も所属しているのか?」


「……いえ、私は無所属の功魔師。本部や支部の支配下に就かず、自由に動き回って幻魔やディヴォウラーを討滅して回る存在よ。五行機関では『流れ』なんて通称で呼ばれているわ」


「……無所属でそんな特権を行使出来るものなのか?」


「五行機関の上層部に顔が利くか、余程の実績を残していて本部に名が知れていない限りは……まず無理でしょうね。ライセンスが発行して貰えないもの」


「じゃあ、何か? 繭羽は上層部に顔が利くってことか?」


「ある意味では、確かに顔は利くかもしれないわ。でも、どちらかと言えば、私個人よりも神代の名の威光の方が大きいでしょうね」


 繭羽の口振りから察するに、神代家は攻魔師にとって名門貴族のような家柄なのかもしれない。


「そう言えば、僕の後をわざわざ追って来たってことは、何か用でもあるのか? それとも護衛の為とか?」


「ああ、そうだった。あなたに話があったの。今日の放課後なのだけれど、私と一緒に街の探索に付き合って貰えないかしら。不審な男の噂の件もそうだけれど、何より深夜に起きたらしい殺人事件の方も気になるわ。何か幻魔の狙いが分かるかもしれない」


「そのことか。僕も気になっていて繭羽に言おうかと思っていたんだ。良いよ、一緒に行こう。繭羽が単独で動く訳にはいかないだろうからね」


「ありがとう。そうしてもらえると助かるわ。……ああ、でもどうしよう。下校指導しているってことは、生徒が道草を食っていないか、教師が街中を見回ることも考えられるわ。私はともかくとして、創一は厄介なことになるかもしれない」


「いやいや、そこまで深刻に考えることでもないような……。見回りするにしてもゲームセンターみたいな遊戯施設くらいだし、仮に見つかっても直帰を促されるくらいだよ」


「そうなの? それなら安心だわ。それじゃあ、放課後の予定を空けておいて頂戴」


「分かった」


 繭羽の用はそれで終わりだったらしく、ソファーから立ち上がると、図書館の中を見て回り始めた。しかし、あちらこちらを歩き回るも、ある一定以上の距離を創一から離れようとはしない。


「……なあ、繭羽」


「何かしら」


「護衛してもらえているのはありがたいけれど、四六時中さ、僕の近くにいなくても良いんだぞ。そんなことをしていたら、繭羽が息苦しくならないか?」


「いえ。別に息苦しくなるようなことはないわ。それに、これは私が個人的にやっていることだもの。お気遣いなく」


 繭羽はそう言うと、再び辺りをうろつき始めた。手近な本を手に取り、ページをめくっている。


 創一は繭羽の背中を見ながら、あることを疑問に感じた。


 繭羽は無所属の功魔師だと言っていた。無所属ということは、五行機関という組織のしがらみを受けない、自由な活動を行う攻魔師ということだ。それはつまり、一種の善意的な意志のもとに活動を行っており、幻魔やディヴォウラーの脅威から人々を守る義務を帯びていないということでもある。


 しかし、それにしては、繭羽の護衛は妙に徹底しているように感じられる。別にわざわざ編入という面倒な手続きをせずとも、学校の屋上にでも待機しているだけで十分ではなかろうか。すぐそばにいない分だけ迎撃が遅れるだろうけれど、幻魔を倒すという目的に焦点を絞るならば、全く問題ない筈だ。


 それならば、眼前の少女は、何を目的として、何を動機として……献身的な護衛を行っているのだろうか。


 創一はしばし繭羽の後ろ姿を眺めると、立ち上がって近づいた。


「繭羽、まだ昼休みの時間は残っているから、良ければ校舎を軽く案内するよ」


「え? でも、創一は図書館で……」


「特にやることはないよ。だからこそ、図書館に来ている訳だしさ。それに、どれくらいこの学校に滞在するつもりか知らないけれど、校舎の勝手が分かっていた方が良いだろう?」


 繭羽は考えるような素振りを少し見せると、開いていた本を閉じて、棚に戻した。


「創一が構わないのなら、お言葉に甘えようかしら。ひょっとすると、ここが戦場になることも十分有り得るもの。地形や校舎の構造の把握をしておきたいわ」


「ああ、そうか……。僕がここにいる以上、この学校も戦場になりかねないのか。そのことを失念していたよ。……そういうことなら、むしろ校舎を案内させて欲しいな。出来るだけ迅速に戦闘を終わらせて、被害を最小限に抑えたいからね」


 創一は繭羽を連れると、図書館の外へ出た。


「さてと。じゃあ、まずは昇降口で靴を履きかえて、学校の周りをぐるっと見て回ろうか。その後、時間が許す限り構内を回ってみよう」


「ええ、お願いするわ」


 創一は繭羽の同意を得ると、靴を履きかえる為に昇降口へ向かった。校舎に入り、長い廊下を歩いて行く。


「……ああ、そうだ。一つだけ、繭羽にお願いしなきゃいけないことがあった」


「私にお願い? 何かしら」


「うん、まあ……ちょっとした冗談だけどさ」


 創一はそう言うと、後ろに手を回して、自分の背中を親指で指し示した。


 少しおどけた調子で言う。


「もしさ、僕がクラスの男子に刺されそうになったら……ついでにそっちも護衛してくれない?」

 

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