第25話 色褪せた日常


 横浜エリアの居住区である旧横浜ランドマークタワー。その住居スペースにある自宅にて、絵真はベッドの上で膝を抱えていた。


 絵真は一ヶ月前、形見のカメラのために池袋へ行き、諸事情により管理公社から追われて逃亡し、その結果身の危険を顧みず居住区外にて一日過ごすという大冒険をした。


 しかも絵真は池袋に行くことすら両親に告げていなかったので、横浜に帰ってくるやいなや、事実を知った両親を含む多くの大人から大目玉をくらった。その影響なのか、絵真はそれ以来居住区から出ることを許されず、半ば謹慎状態であった。


 そのことに関して絵真は、不服はなかった。自分かしでかしたことに対する罰であるので、それを甘んじて受け入れた。皆血相を変えて怒っていたが、それは裏返せば絵真を心配するが故の叱責である。謹慎も絵真を思ってのことなので、絵真は深く反省しつつも安堵感を覚え、感謝していた。


 今の自分は、まるで深窓の令嬢のように大事にされている、と絵真はらしくもなくそう思った。


 大人たちに大切にされ、そのことに安堵感を覚え感謝もしているが、絵真の心にはポッカリと大穴が空いていた。そしてその穴から虚無感が間欠泉の如く湧き出てくる。その原因を、絵真は知っていた。


 翔太である。


 横浜に帰ってから翔太の姿を見ていないし、声も聞いていない。翔太は池袋に住んでおり、絵真は横浜に住んでいるので、当然といえば当然である。会うどころか連絡し合うことさえ、今の絵真の状況では難しかったのだ。


 池袋で翔太と一緒に過ごした時間は、まるでモノクロだった世界がカラフルに色付き出したかのように、鮮やかに彩られていた。しかし絵真の世界は、横浜に帰ってくるなり再び色を失ったのである。


 出発前はそんなこと思わなかった。むしろ何気ない当たり前の日常を疑いもせず送っていたが、翔太という異性と出会ってからは、その日常が色褪せて見えるようになってしまった。


 色々と大変なことはあったが、色彩に包まれたかのような数日間は、絵真にとって宝物だ。そしてそう思わせてくれる少年は、絵真にとってかけがえのない存在だった。


 絵真は擬似的にその色彩に包まれようとして、翔太との思い出の写真を現像して手の届く範囲に置いていた。現に今も、ベッドの上で膝を抱えて気落ちしている絵真は、現像した写真に囲まれていた。


 そんな状態の絵真を心配した大人たちは、絵真に事情を尋ね、絵真もありのままに答えた。すると大人たちは一様に、「恋か」「恋だな」「絵真が恋して帰ってきた」と喜色満面に反応したのであった。


 絵真はこれまで人を好きになることはあった。しかしそれは家族や友人に向けられるものであって、こうして胸を締め付けられるほど苦しく相手を想ったことはなかった。翔太は頼もしい少年であり、一緒にいると無条件で安心感を得られる。一緒にいて幸せな気分になる。それが恋だというのなら、恋なのかもしれない、と絵真は思うようになった。


 そしてその想いは、翔太と別れてからより明確化され、肥大した。


 そんな悶々とした絵真は、日がな一日写真を眺めていた。とくに別れの前夜にサンシャイン60の展望台で撮った自撮りツーショットは、細部まで思い起こせるくらいに脳内に焼きついていた。


 そして今も、そのツーショット写真を眺めていた。しかし唐突に、周囲の光が消え失せた。


「何? 停電?」


 自室の照明が消える瞬間、絵真は大きなスイッチが切れるような音を耳にした。そして室温を一定に保ち続けていた空調が運転をやめた。そのことにより、絵真は即座に停電したものだと判断した。居住区内の送電システムの誤作動で停電することは、これまでに何度かあったが、そこまで頻繁に起こることでもない。久々の停電であったので絵真は少々びっくりしたが、すぐに復旧するだろうと楽観視していた。


 そしてその通り、数十分ののち電気は復旧した。部屋に照明の光が充満し、空調も稼働し始める。


 しかしいつもとは違うことが起きた。


 電気が復旧してしばらく経つと、不意に誰かが自宅のチャイムを鳴らしたのであった。その突然の来訪者の対応をしたのは母親である。自室からでは微かに話し声は聞こえるが、どのようなやり取りをしているのかは全くもってわからなかった。


 しかしそのやり取りは短かった。そして絵真の母親はすぐさま絵真の部屋を訪れた。絵真は視線を上げて自分の母親を見つめるが、見つめた母親の表情は険しく、そして不安に彩られていたので、絵真も感染したかのように不安になった。


 そして発せられた母の言葉に、絵真は訝しんだ。


「え? 避難?」


 絵真はただただおうむ返しに聞き返すしかできなかった。


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