第15話 逃げ続ける意味

「それもわからない。いまわかっている情報から推理すると、その女、清美っていうんだがな。そいつは、離婚してくれない男への腹いせに、男の家の近所で自殺し、恨みを男の家族に向けた。その事件が感受性の強い由香里に影響を及ぼしたんだな。ひどく荒れたのもそのせいだろう。そして次々と災厄が続いたことに精神を病んだ恭代が失踪、とそんなところか」


こともなげに怨念などという言葉を発しているが、通常ならオカルト番組や修学旅行で楽しまれる次元の眉唾な話題だ。それを大の男が大まじめで語ってるのだから笑える。

そして、環は疑いもなく話に加わっている自分が滑稽だと感じた。気配を感じて横を見るとライがちょこんと正座していた。どこで見つけてきたか、ネイビーのパーカーに迷彩色のコットンパンツ。首から丸くてよく太った古いがま口を下げている。なんで唐草模様だよ。


「つじつまは合ってるよね。ただ、僕が思うにはたぶん違う。由香里って子の中身がさ、空っぽなんだもん。あの子の魂はどこに行ったのかな」


「空っぽ?」


「うん。お前も意識すれば見えるかもしれないよ。あの子は人間としての中身が詰まってない。入れ物が動いているだけなんだ」


「いやいやいや、見たくないし。事情はともあれ、届けて開けさせれば終わりなんでしょ。坤便によって由香里ちゃんがどうなっても、私は他人だから何もできないし関わる気もない」


環は引きこもり精神丸出しで言い放つ。

他人の家の面倒な事情に首を突っ込んでいたら、もらった料金だけじゃ足りないし、身の危険まで感じるこの案件は早々に終わりにするべきだ。

うん、それが合理的かつ常識的だ。


「今回は僕もついて行こう。何が起こるか楽しみだ」


ライは本当に気楽そうだ。その姿がしゃくに障る。


「後見は守護どのにお願いするしかありません。こんな娘ですが、ご指導をお願いいたします」


「仕方なかろう。この娘を失っては、この家系は途絶えるのだろう? どのようにせよ、育ってもらわねばならんからのう」


〈なにいってんだいこいつら。この仕事が終わったら、絶対にやめてやるから〉


勝手に決めている2人(?)を置いて、環はさっさと階下に降りた。キッチンに母はいなかった。買い物にでも行ったのだろうと、テーブルの上に坤便をそっと置くと、テレビをつけて机にたたんであった新聞を広げた。

政治家の汚職ときな臭い世界情勢、収入格差、介護難民、病苦、殺人、傷害、不倫、麻薬、そしていじめと偏見。この世は苦痛でできているといつも思っていた。楽しいことは、金がないと共有できない仕組みになっている。子どもの頃から、もてる者ともたざる者に振り分けられ、教えもしない差別意識を振りかざす。

金も地位も運もない人間は、鬱憤をためて生き続けなければならない。そのうえ妄執にとりつかれれば、死んでからも楽にもなれずに彷徨う。

生きていくことは、ほとほと面倒で割に合わない。

どうすれば楽になれるか、逃げ道はないかそればかり考えて生きてきた。大人が言うように、わざわざ苦労をする必要はないじゃないか。楽をしたことで後からしっぺ返しがくるならまだしも、そのまま一生逃げ切ったら勝ちじゃないか。どこまでも逃げてやる。

苦労や苦痛から逃げ切れるなら、そちらの道を選んで何が悪い。


つらつらと考えていたら、いつのまにかソファでうたた寝をしていたようだ。

テレビは消され、背後で人の動く気配がする。何かを煮ているようなクツクツという音と水のはねる音。

キッチンに母がいて、ご飯がもうすぐできる。安心してまどろんていられる。守られている、許されているという心地よさは大きくなっても変わらないものだ。

こういう安心を由香里は味わったことがあるのだろうか。出て行った母親との間にどんな問題があり、何が壊れたのだろうか。知りたいと思うと同時に、関わることの責任の怖さに怯えた。


「ほお、いいにおいだ。今夜は最後の春の味覚だな」


「僕、タケノコ大好きです。きれいな色の蕗もね」


2階から下りてきたらしい2人の声が聞こえる。

ん? ライのくせ食べるつもりか。


「あんた、また食べるつもり?」


環は飛び起きて叫んだ。


「そうだよ。戦の前には腹ごしらえしなきゃね。僕、澄子さんの美味しい料理が楽しみなんだよ」


「守護どの、酒もどうですか。先月新潟にいってきましてな。この酒を買ってきたんですよ。これが淡麗辛口。キレと色気があって私好みなんです」


倫太朗は冷蔵庫から【亀の翁3年熟成】と銘のある一升瓶を出してきた。ライもまんざらでもなさそうにぐい飲みを傾け始める。小学生くらいの少年がタヌキ然としたハゲオヤジと酒を飲み交わしているおかしな絵ヅラに環はしばらく時間の感覚が揺らぎそうになったが、黙って食卓についた。


この日の夕食は純然たる和食で、タケノコの穂先だけを使ったタケノコご飯に、蕗と油揚げの煮物、さわらの塩麹焼き、ゴマ豆腐、アサリの味噌汁というものだった。

ライは蕗の煮物とゴマ豆腐がいたくお気に召したらしく、おかわりを所望した。


〈食事なんていらないくせに、変なところが人間くさいモノノケなんだよね〉


モグモグと咀嚼しながら環は心の中でつぶやいた。


「今夜のことだけど、最悪の場合は僕があの中のモノを喰らう」


ライは鰆に添えてある新生姜のにおいをクンクンかぎながら話しかけてくる。


「それは、さすがにまずいんじゃないの。いちおう仕事は完遂したいし……」


「最後の手段だよ。お前の手に負えず、危害が及ぶようなら最終手段さ。久々に生まれた逸材を早々に失うわけにはいかないからね」


不本意ながら、ライが心配をしてくれているのがわかるので、断るわけにもいかない。


「環はそんなに不安がらなくてもいい。荷物の中身を見極めるつもりで構えてりゃいいんだよ」


倫太朗は豪快に笑った。

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