第26話 妹とデート(仮)

「お兄ちゃん、起きて!」


 身体を揺さぶられて重いまぶたをゆっくりと開けると、至近距離に杏子の顔があった。


「ち、近いよ……もう少し離れて」

「お兄ちゃん、顔が赤いよぉ〜?」

「黙らっしゃい!」


 夏休みに入り、ゆっくりと寝ていられる朝のはずなのだが、ある日突然杏子が僕を起こしにきた。

 何か用事でも立てていただろうか?


「お兄ちゃん、デートしよっ?」

「断る」

「ええ〜っ、なんで〜?」

「暑い日に外なんか出たくないよ」

「お兄ちゃんが引きニートになるなんて私は嫌だ」

「そんな堕落した生活なんか送らないから!」

「――まあまあ、たまには兄妹で出掛けてきなさいな」


 そう鶴の一声をかけたのは、眠そうに立っている母さんだった。

 昨日は残業で帰りが遅かったため、今朝はのんびりのようだ。

 手に握っていた諭吉さん二枚を僕に手渡しながら、


「これで映画館でもなんでも行ってきなさい」

「お母さん、太っ腹っ!」

「失礼ね、私は痩せてるわよ!」

「褒め言葉だよ⁉」


 お金を渡されてしまった以上、行かないわけにもいかない。

 せっかくの母親の好意を無下にするのは気が引けてしまうのだ。


「じゃあ出かけようか、杏子」

「お兄ちゃんもお金の誘惑には勝てなかったみたいだね」

「決して諭吉さんに負けたわけじゃないからな」

「わたしのお兄ちゃんがマザコンすぎて困っています」

「僕はマザコンじゃない!」

「えっ、違うの?」

「なんで母さんが悲しそうな目をするんだよ」

「お兄ちゃんはシスコンなんだから」

「それも違っ、ぶはっ⁉」


 否定しようとしたところ、杏子が突然僕の後頭部に手を回し、発言させまいと胸で口を塞いできた。

 柔らかな感触が顔いっぱいに広がると同時に、身動きが取れなくなる。

 呼吸が困難になり、だんだん意識が遠くなっていく。


「お兄ちゃんは誰がどうみても、シスコンなの! いつだって杏子のことを一番に考えてくれる優しいお兄ちゃんなんだから! ね、お兄ちゃ……あ」


 目の前が真っ暗になった。


☆☆☆☆☆


「着いたよ、兄さん」

「着いたって……なんでここなんだ?」


 デート(と言わないと怒られる)として杏子に連れてこられたのは、見覚えのある遊園地だった。

 そう、東城のお父さんが経営している『イーストマリンキャッスル』だ。

 世間的に夏休み真っ只中ということで、園内は賑わいを見せており、とても繁盛しているようだ。

 半年も経たないうちに、再びここに来るとは思ってもいなかった。


 肩を大胆に露出させるフリルがたくさんついたクリーム色のトップスに、黒っぽく膝ほどまでの長さのスカートを纏った杏子。

 髪はまとめることをせず、自由にしていた。


「映画は観たいものもなかったし、かといって運動もする気分にはならないですから、消去法です。妹と二人っきりでここに来るのは嫌ですか?」

「別に嫌とは言っていないだろう?」

「まあ兄さんはたくさんの彼女と一緒に来たほうがさぞかし楽しいでしょうね?」

「なんでそんなにケンカ腰なんだよ。杏子と一緒でも僕は楽しいよ」

「なっ! ひ、卑怯です……バカ」


 杏子は顔を赤らめながら、控えめな声で呟いた。

 なんでバカと言われなければならないんだ?


「……さ、行きますよ」

「お、おい待てよ、杏子!」


 そそくさと競歩並みの速さで歩く杏子を僕は必死に追いかける。

 数分して杏子が止まり、その場で斜め上を見上げていた。

 僕はなぞるように見上げると、以前乗ったことのあるアトラクションがそこにそびえ立つ。

 人気アトラクション『約束された武士の切腹』だ。

 嫌な思い出が僕の頭の中をよぎった。


「僕は乗らないよ」

「なんでですか? ジェットコースターは遊園地の鉄板です。乗らないわけにはいきません」

「でもなあ……」

「ああ、そういうことですか」

「ん? 何か察してくれたのか?」

「はい。兄さんはパンツを被らないとジェットコースターには乗れないのですよね?」

「違う! 大きな誤解だ!」

「それならそうと言ってください。脱げばいいですか?」

「脱がなくていいから! もし僕が首を縦に振っていたらどうしたんだ?」

「……脱ぎますけど?」

「よし、今すぐ乗ろうか!」


 僕は慌てて杏子を後ろから押すようにして、ジェットコースターの列へと並んだ。

 真夏の太陽の下で三十分以上も並んでいると、流石に汗をかかずにはいられない。

 カバンからタオルを取り出し、肌に浮かんだ汗の粒を拭っていく。

 すると、隣の杏子にポンポンと肩を叩かれ、胸元の汗を拭うようにジェスチャーしてきた。


「自分で拭けばいいじゃないか」

「兄さんは困っている妹を見ても助けてくれないの?」

「困っているも何も、僕は杏子のお世話係じゃないんだからな。兄を良いように使ったらダメだぞ」

「兄さんに拭いてほしいの。兄さんがすることによって私にものすご〜く、とてつもない爽快感が溢れてくるの。だから拭いて?」

「それでも嫌と言ったら?」

「ここでをして兄さんの好感度を上げる」

「むしろ下がるよ」


 これ以上拒んでしまうと、杏子が人の目がある中で暴走してしまう可能性がある。

 忘れてはいけないのは、杏子が仮にもアイドルということだ。全国的に有名ではないが、ローカルなアイドルであるからこそ、この地元では杏子をテレビで見かけたことがある人は少なからずいるはずだ。

 ここは兄として下手なことはできない。


「わかったよ。拭いてあげる」

「え、いいの? ちょっと意外かも……」


 杏子は驚いた顔で、僕のことを見た。

 僕がずっと拒否をするとタカをくくっていたのだろうか。


「い、いくぞ……」

「う、うん……」


 いくら杏子とはいえ、年頃の女の子。

 妹という覆すことのできない事実はあるのだが、どうしても恥ずかしくなってしまう。

 女子の胸元を、タオルを介して触るのだ。

 ゆっくりとタオルを持った手を伸ばしていく僕を杏子はじっと見つめる。


「は、はやくきて……」

「わかってるよ……」


 サッと拭くだけだ。勢いでいってしまえばいいのだ。よし、いくぞ!

 僕は杏子の胸元めがけて、勢いよく手を伸ばした。


「――キャッ!」


 僕の手は勢いをつけすぎたせいで、胸元どころか、服の中まで手が入ってしまった。

 杏子は短く声を上げる。

 ふんわりとした感触に僕の手は包まれ、タオルからでもわかる熱も感じた。

 胸の谷間に挟まれてしまったのだ。

 僕は急いでその手を引き出す。


「ご、ごめん!」

「うう……えっち……」


 顔を赤らめた杏子の谷間には、タオルが挟まったままだった。

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