即興で歌を作るならオチは頑張ってつけてほしい

 が、上手くいかないこともある。時空のはざまへ流してしまえ。








 死神の歪城は、とにかく暗い。

 人間世界とは別の場所にある、死神の仕事場であり、居住地。外装としては城っぽい形をしているのに、それが滅茶苦茶に連なっているので、歪んだ城、と死神の間では言われている。正式な名称はない。


「あーーーーーっ」


 そんな城の一角。謎の奇声を上げながら、イスカの執務室に飛び込んできたのは、アダムだ。


「なんですか、アダム。また何か、厄介事でも」

「最高に厄介事だよ。もう嫌だ」


 コーヒー片手に愚痴るアダム。彼の座ったソファの下には、イスカが地上に行って買ってきたお気に入りのぬいぐるみがあった気がするが……イスカは何も見なかったことにした。

 第三位の死神は、魂の裁きや死神同士の諍いの処分、それにギデオンのような、地上でタブーを犯した下位の者への罰などを担当する。そのほか、たまに、下位の死神がしくじった困難な処刑を任される。執行最高位、と呼ばれる所以だ。


 イスカは今、地上の罪人の裁きを終え、一息ついたところだった。それを見計らったアダムが愚痴りにきたものと見える。

 と、すると……もう一人来る。


「ま、私も混ぜてくださる?」

「……やはり来ましたか、ララベル。貴方たち、私の部屋を溜まり場にしないでほしいんですが」

「息抜きは大事でしょう? うふふ。それに情報交換は必要ですわ」

「それならアダムの部屋でやってください」

「お前の執務室が一番片付いているのだよ」

「片付けてください」

「いやよ」

「面倒だねえ」

「帰れ」


 ぴしゃりと言いきっても、二人は帰る様子がない。イスカは大きなため息をついた。


「どうせ第三位会議にするなら、ギルベルト呼んできてくださいよ」

「……」

「……」


 いやなようだ。まあ、そりゃそうだろうな、とイスカはさらなるため息。

 元より、イスカとしても、ギルベルトに来てもらいたいわけではない。


 ギルベルト・カイネスヴェークス。

 第三位最後の一人である彼を一言で表すなら、『狂信者』だ。

 創造主の言葉は絶対。そのほかの言葉には耳も貸さない。人づきあいも悪く、アダムやララベル、イスカとすら殆ど交流がない。正直、彼とはもう一週間くらい会っていない。


「あいつの話はよしてもらいたいね」

「創造主様に忠誠を誓うのはいいとして、あのよそよそしい態度はどうにかならないのかしら! 怖いわ!」

「はいはい。分かりましたよ。ギルベルトを連れてこいというのは、冗談として」


 このままでは一向に二人が帰ってくれなさそうなので、イスカは話を進めることにした。


「アダム、なんですか、厄介事というのは」

「お前んとこのレガートだよ。あいつが申請した、ギデオンの恋人――知りすぎたっていう、女だがね。処刑命令が下ってしまったらしい。しかも、執行者はレガートその人と来た」

「……申請が完全に通った形ですか。まあ、ギデオンと深く付き合っていたのであれば、知りすぎた可能性は否めないとは言え……レガートとギデオン……反目しあうことにならなければ、いいのですが」

「ふふ、私でしたら、ギデオンに命令しますわねえ」

「ララベル、貴方の趣味の話はしていません」

「イスカはお堅いこと」


 イスカはララベルを睨みつけた。この女は、ギルベルト程ではないが、付き合いにくい。とにかく性悪で、悲劇を好む。しかし彼女とアダムは特別に仲が良かった。アダムが抑えていてくれるため、イスカは彼女とはなんだかんだで付き合えている。

 そのララベルは、視線など何処吹く風で、言葉を続けた。


「ところで、アダム。それだけですの? 貴方が叫ぶほどの厄介事とは、思えませんわね」


 その通りだ。イスカも、アダムを見る。


「……ああ。最高に厄介なのは、ここからでねぇ。執行対象は――オルクス・マヴェット、クラン・クラインと一緒にいる可能性がある。そういう目撃報告を、今日、聞いた」


「……っ!?」

「あら……!!」


 イスカは硬直した。ララベルも、思わず声を上げる。

 考えなかったわけではない。ギデオンを倒せる人間など、この世にそういないというものだ。しかし、何故ギデオンはそれをイスカにすら明かさなかったのか……。そして何故、ギデオンの女が彼らと一緒なのか。辿りつく答えは、一つだ。


「ギデオンはシャーリィ・ライトを人質に取られている……とすると、まさか、オルクスは既にギデオンを味方につけている……」

「そこまでは、まだ、わからんがね。ただ、女の身柄を人質に、口止めされたのは確実とみてよかろう」


 実際は、違う。ただ一つ言えることは、ギデオンのカモフラージュ、人質という防衛線は、上手く機能したということだ。ギデオンが元から創造主への害意を持っていることは、イスカにも見ぬけなかった。


「だとすると……女の討伐は、レガートには荷が重いのでは……!!」

「ああ。私はレガートの力を完全には知らんからなんとも言えんが、大量の生気を吸収したギデオンが負けた相手となると、厳しいかもしれんのだ。創造主様はいまだにオルクスの討伐命令を出しておられん。今から掛けあって、オルクスの討伐分の増援を請えんかね」

「……」


 イスカは首を振った。


「オルクス・クラン両名の討伐令は出ていませんし、恐らくは無理でしょう。危険人物として、邪魔をした場合は如何なる状況でも討伐してよいという区分には入っていますが……」


 ララベルが、ソファに腰掛けて、息を吐いた。


「――恐らく……レガートは人柱にされましたわね」

「……ああ」


 イスカも、その考えは直ぐに思いついたことだった。ララベルがイスカの意見を代弁するように続ける。


「クラン・クラインとオルクス・マヴェット。戦闘能力だけで見れば、恐らく前者は……ギデオンを破った力をいつでも発揮できるとすれば、第五位から第四位レベル。後者も、元第十二位とはいえ、今は第九位程度の力を持っているかしらね。本来なら私たちが出るべき案件ですわ」

「だからといって、最初から第三位に依頼しては他の第四位、五位から不満が上がる。それで、第五位以上が一人でも倒れて、不満が出なくなるタイミングを、待っていると言うことですね」

「ええ。創造主様も、苦悩されておられるはずですわ。……私たちがここで出しゃばっても、下から余計な反感を買うだけですわよ。レガートが倒せればそれでよし。返り討ちにあえば私たちが出る。それで、いいのですわよ」

「……」


 アダムは、納得していないようだったが、立ちあがった。

 恐らく彼も、既にこの解答に辿りついてはいたのだろう。だからこそ、第一位のファラリス・オーバーロードに掛けあうわけでもなく、ここに愚痴を言いに来たのだ。


「はあ。嫌になるね、全く。……私はレガートを守るよ。例え勝てなくとも、死ぬ必要はない。失敗した時点で、皆を納得させるには十分なはずだ」

「アダム……貴方はとんだお人好しですね……」


 仕事の多い彼に、レガートをいちいち見守る時間は、ないはずだ。イスカは苦笑した。


「ふん、こういう性分でね。困った者を助けずにはおられんのだよ」

「……お優しいことです。それはそうとして、貴方が踏んでいた私のぬいぐるみについてなのですけれど、そちらは助けてくださるのですか?」

「は?」


 ララベルがくすくす笑って、アダムが座っていたソファを指さした。そこには、ぺちゃんこに潰れた白猫のぬいぐるみがある……。


「……わざとじゃない!」

「うふふ、アダムったら酷い男ですわー。イスカのコレクションを尻に敷くなんて」

「ララベル!!! くっ、イスカ!!! お前はさっさとこんなぬいぐるみを集めるのは卒業せんか!!!」

「そこに責任転嫁するのは流石に見苦しいですよ、アダム。何を愛でようと私の勝手でしょう」

「ぐう……!!! もういい!! 私は仕事に戻るぞ!!!」


 アダムはドアを蹴破る勢いで開けると、そのまま出ていった。ララベルは肩を震わせて、まだ笑っている。


「可愛い人。……心労で倒れないといいですけれど」

「そうですね……ララベル、貴方も戻りなさい」

「ええ、そうしますわ。イスカ、ありがとう」


 ララベルも、アダムが閉めずに出ていった扉から、戻っていく。


 イスカは二人がいなくなってから、ほうと、息を吐きだした。

 なんだかんだで、ララベルとアダムといる三人の時間は、替えの無い大切な時間だった。


「それにしても……クラン・クラインか……」


 アダムの報告では、精々下っ端を倒せる程度の人間という話だったが、第七位の中でも飛びぬけて強く“なれる”タイプの能力者であるギデオンに勝ったとなると、何かアダムには見せなかった切り札を隠し持っていたと見た方がいいだろう。

 用心しなければ。……恐らく、自分では、勝てない相手だ。

 “最弱”の第三位、イスカ・コーネルは、そう気を引き締めると、一人仕事を再開した。




***




 石造りの建物や、レンガ造りの建物が並び立つ、温泉街ドラゴノグ。火山の麓に立ち並ぶ一見重厚な街並みは、観光客には軒先を開き、露出の高いバスローブをモチーフにした制服の女店員が、そこかしこで宿への勧誘を行ったり、土産物屋へと誘導したりしている。


「ふんふふーん」


 こちら、オルクス・マヴェット。ドラゴノグ特産品の一つ、ドラゴンクッキーなるものを買って、とても上機嫌である。ちなみに金はシャーリィが払った。

 華麗なるヒモ生活。


「なー、シャーリィ。お前って金持ちなの?」


 オルクスの歌を聞きながら後ろを歩くは、クラン・クラインとシャーリィ・ライトである。


「貴方たちが素寒貧すぎるのですわ。よくそんな所持金で今まで旅をしてきましたわね」

「あー。お前が来るまでは、金がないときは野宿で済ませてたしな。あと、この年齢の男子二人がアテもなく夜うろついてると、割と親切な奴が金を置いてってくれることもあったぞ」


 るんたったーふんふふふーん。犬が歩いてーいーくよー。

 オルクスの歌が流れてくる中、二人の話は進む。


「……それはカツアゲを返り討ちにしたという意味かしら」

「良く分かったな」

「よくわかりましたわ。貴方がたの粗野さが」


 てれってれーるんたたー。犬はー龍にーであったーよー。


「粗野っていうけどギデオンも相当な野蛮人だろ。あれはいいのかよ」

「え? ギデオン様が野蛮人? 貴方、眼科に行った方がよいのではなくて?」

「お前が行けよ!!!!!」


 たりららーたったらー。龍はー犬にー魔法をーかけてー。


「ギデオン様は粗野などという適当なワードで表わせるお人ではありませんわ。その目は深淵をいつも見ていらっしゃいます。彼は私に生きる希望と、夢、そして尽くす相手を与えてくださいました」

「うん、眼科予約しとくわ」

「あらクラン……私、貴方の節穴に目玉を入れる治療には、一銭たりとも払いませんわよ」

「行くのはお前だっつってんだろ。節穴に詰まってる花畑取り除いて来い」


 てれててーふんふふーん。そして龍は言った。我が崇高なる道を知るものよ。今やこの世界に生きる伝説の末裔はお前だけ。戦うのだ犬よ。それこそが未来を切り開く道標となるであろう。


「……ところでオルの歌が超展開してますわよ」

「即興で作ってるんだろ。次どうなるかな」


 ふんーふふふーるるるーん。そして十年の月日が流れた。


「飛んだぞ」

「飛びましたわね」


 たらららーるるるー。果たして犬の運命や如何にー。


「……」

「……次回を待った方がよさそうですわよ」

「次回があるといいよな」

「ですわね……」


 そんなくだらない、他愛もないことを言いながら歩いていくと、目的の宿に辿りついた。周囲の建物より明らかに小さい、レンガ造りの二階建ての宿である。駅の案内所で、少しの間滞在して羽を休めたい、安くて綺麗なところがいい、と言ったところ、この宿が良いと紹介されたのだ。


 中に入る。ロビーには綺麗な絨毯が敷いてあり、入ってすぐに受付と、少しばかりの土産が売っている。右手に浴場と食事場所、左手には上への階段。二階が客室になっているようだ。少しオレンジ色の照明が、何処となく幻想的な雰囲気を出している。


「いらっしゃいませ。ご予約ですか?」

「ええと、駅で空き室があると伺いましたので……そちらから連絡がいっているはずですわ」

「ああ、シャーリィ様とクラン様ですね。三名様で二部屋のご利用で、宜しかったでしょうか」

「平気ですわ」

「では、部屋のご用意が出来ております。こちらの鍵をご利用ください」


 三人は受付の女性から、注意事項や朝食の時間、浴場の清掃時間などの説明を受けると、鍵を渡され、部屋へと向かった。

 借りた部屋は、二部屋。勿論シャーリィが一部屋、もう一部屋はクランとオルクスが二人で使う。シャーリィと一旦別れて中に入ると、オルクスが嬉しそうにベッドにダイブした。クランも小さな荷物を部屋の隅へ投擲し、ベッドに座り、その質を確かめる。

 ……快適な睡眠には快適なベッドから。ここの宿は中々良質だ。


「にへー。ふっかふかの布団だあ」

「最近、野宿ばっかりだったもんな。昨日は何故か三人一緒に寝たし……騒がしかった」

「シャーリィおねーさん怒ってたよねー」


 言いながら、がさごそと、オルクスはドラゴンクッキーを開け始めた。


「一つ寄こせ」

「いいよー! 黒ドラゴン白ドラゴン、どっちがいい?」

「黒」

「はい、胡麻クッキー!」

「そう呼ばれるとなんか悲しいな。最後まで黒ドラゴンって呼んでやれよ」


 受け取ったのは、一口サイズの、黒いドラゴンを模したクッキーである。目の部分に赤いジャムがついていて、中々出来がいい。名物なだけはある。食べてみると、少しの胡麻の風味に、程よい甘さ。少し口の中がぱさついたので、クランは荷物から水を取り出して飲み始めた。

 横でオルクスが箱型のテレビをつける。他愛もないニュース。死神と命がけで戦っているクラン達には、少し遠い世界の人間たちの営み。


 暫くすると、荷物を置いたシャーリィがクラン達の部屋を訪れた。だらけきった二人を見て、苦笑する。


「全く、貴方たちは……そうしていると、全然強そうには見えませんわね」

「どーも」

「ねえ、シャーリィおねーさん、お話ししよー。こういう時はねー、くつろいで皆で大暴露大会なんだよ!」

「おいオルクス、初耳だぞ」

「まずはクランから!!!」

「何故そうなった」


 言いながら、クランはちょっと考える。暴露出来ることなんてそうそうないのだが。


「……実は俺、戦闘狂なんだ……」

「知ってるよ」

「知ってますわ」


 二人が真顔になった。ばれていた。……そりゃそうだ。


「うるせえよ。俺は暴露することなんかねえの!!!」

「おねしょ経験とかありませんの? ここはそういうものを言うところですわよ」

「あっても言わねえわ」

「僕ねー。おねしょしたことある!」

「言わんでいい!!!」

「オルはお子様ですわね」

「今はしないからお子様じゃないもーん。次はシャーリィおねーさんだよ!」


 どうやら自分の番は免れたらしい。シャーリィが何を言うのだろう、と思いながら、クランは彼女を見つめた。

 陽は高く、窓から差し込む陽光が三人を照らしている。


「暴露。オル、それ私もしなくてはなりませんの……?」

「勿論! 僕も暴露するもーん。皆平等なの」

「クランはしてませんでしたわ」

「あれはもういいよ。これ以上叩いても埃しか出ないよ」

「納得しました」

「すんな二人とも!」


 クランの叫びは日差しの中へ吸い込まれて消えた。


「まあ、お互いのことを知るのは、旅をするうえでは悪くありませんわね。では、私とギデオン様の出逢いを披露しましょう」

「要らない」

「要らないよおねーさん」

「あれは、とても寒い冬の日でした。父が死んでしまい、失意のうちに、私は、父の財産を相続した兄に、僻地に追いやられ」

「クラン!!! これすっごい長い回想っぽい!!!」

「止めろ!!!! 止まれシャーリィ!!!」


 シャーリィの瞳は既に遠くを見ている。


「兄は私を疎んじていました。私は一人、軟禁されておりました。その時、ギデオン様が現れたのです」

「こいつ話聞いてねえぞ!!!」

「おねーーーーさーーーーーん」

「ギデオン様と出会ったのは、とある裏路地です。ついに兄の刺客に殺されようとする私を助けて、全てを捧げろとおっしゃいました。私はその時にギデオン様に忠誠と愛を誓ったのです」


 クランとオルクスがきゃあきゃあ喚く中、彼女の独白は止まらない。


「ギデオン様は、私の為に、禁を犯してくれました。ターゲットを間違えたと偽り、私の兄に手をかけたのです。この世界で、死神によって殺されるのは天災。誰も私と死神の関係に気づく者はおりませんでした。そして私は、兄が父から継いだ財産を、そのままそっくり受け継ぎ、それを全てギデオン様の崇高な目的のために使うと誓い……」


 仕方なしにその話を聞いていたオルクスが、あっと声を上げた。


「そっか。じゃあ、『サイス』の謎の出資者って、シャーリィおねーさん本人なの?」

「ええ。私の父は、資産家でしたので。その財産も、かなりのものでしたわ」

「なるほどー」


 オルクスがふんふんと頷く。ここで話を切り上げられそうだと思ったクランは、次を促すことにした。


「おら、オルクス。お前の番だぞ。何か暴露できることはあるんだろうな?」


 シャーリィはまだ喋りたそうにしていたが、無視。

 テレビの小さな音が聞こえるなか、オルクスは厳かに頷いた。


「あのね。実はね……」


 オルクスの雰囲気につられて、クランとシャーリィが身を乗り出す。


「さっき、可愛い猫、見たの!」


 二人は身を乗り出したまま、反応できず、固まった。




***




 こうして謎の暴露大会はシャーリィの過去が明らかになった程度の戦果(?)で幕を閉じた。尤も、クランはそれを三歩歩いて忘れた。鶏。


「そういえば、一度聞いてみたかったんだけど、龍って存在するのか?」


 三人でドラゴンクッキーを頬張っている最中、クランが言い出した。シャーリィも興味深げに白ドラゴンを齧りながら、オルクスを見る。彼は、即座に首を横に振った。


「ううん。龍は、ドラゴンとか竜とか、色んな名前で呼ばれるけど、死神と違って実在はしてないよ。神と一緒。架空だよ」

「ふーん……」

「この世界は、本当に、死神に支配されているのですわねえ」

「支配ってほどでもないけどね。僕ら死神が殺している命の数は、たかが知れているから」


 それでも、それを止めたいんだ。理不尽だから。


 オルクスはそう呟いて、黒ドラゴンを咀嚼する。会話が途切れ、シャーリィは一つ背伸びをした。


「私、温泉に入ってきますわ。せっかく来たのですもの。入らなきゃ損ですわよ、お二人とも」

「そうだな。俺たちも行くか」

「うん! 大浴場、綺麗なとこだといいな!」


 シャーリィは部屋を出て、準備をしにいった。男二人も備え付けのバスタオルと、着替えを持って、浴場へ向う。

 中は、予想以上にしっかりとして手入れされた大浴場だった。硫黄の匂いが鼻腔を擽る。二人は風呂を満喫し、疲れを癒す。それは、つかの間の休息。まだ昼間だからか、ほぼ貸し切り状態の浴場で、のんびりとした時間を過ごした。


 だが、彼らは追われる身。休息は、理不尽に中断される運命なのである。


「きゃああああっ!!!???」


 シャーリィの悲鳴。丁度風呂から上がって着替えをしていたクランとオルクスは、即座に更衣室を飛びだした。

 浴場は、男女隣合わせ。悲鳴は女子の更衣室の方から聞こえた。入るか入らないか。クランとオルクスは一瞬迷ったものの、あの女が叫ぶほどの何かだ。すぐに頷き合い、扉を開けた。


「……クラン、オル!!」


 室内は酷いありさまであった。何かの刃がそこらじゅうを飛び回ったかのような跡がそこかしこについている。シャーリィは、二人の方へ駆けよってくる。……服は着ていた。クランとオルクスは物凄く安堵した。

 どうやらドライヤーをかけていたところを襲われたようで、髪の毛が凄いありさまだが、この際気にしない。


 そして、室内をこんな風にした張本人は――クランとオルクスを見ると、目を細めた。ニット帽をかぶり、ふわっとしたスカートを履いた、天然パーマの女の子。歳は十五、六だろうか。


「ここ、女子更衣室だよぅ。無粋な男の子たちだぁ。お仕置き!」

「二人とも下がって!!!」


 空気が鳴く。風の刃が迫る。オルクスは前に出ると、氷の盾を作りだしてそれを防いだ。クランが叫ぶ。


「オルクス、あいつは死神か!?」

「違う! 死神なら僕は気付いたはずだ……あれは人間だよ!!」

「魔力を持った人間、ということですの? 何故私を……」


 すると、目の前の少女は、にっこりと笑って疑問に答えた。


「私、死神レガートさまの、忠実なしもべだもん。そこの女の人、殺さなきゃいけないのぅ」

「……レガート!」

「洗脳された人間……というところですわね!」


 死神第五位、レガート・フォルティ。死神ギデオンに、洗脳の能力を提供していた男だ。


「ここは僕に任せて、クランはシャーリィおねーさんを安全なところに!!!」

「そうだな……分かった。任せた!」


 クランは、何か言い掛けたシャーリィの手を引いて走り出す。元来た道を戻る。


「任せてしまって大丈夫ですの!?」

「あいつは人間に負けるほど弱くない。とにかくお前が隠れられる場所を探さないと……」

「っ……私、足手まといになるつもりは……」


 と、その瞬間。彼の目の前に、人影が立ちはだかった。見覚えがある。……受付の娘だ。


「ヤバい。この宿、全員洗脳されてるのか!?」


 娘がナイフを振り上げる。咄嗟にどうするか迷ったクランは、硬直してしまった。……横のシャーリィが動いた。


「はっ!!!」


 彼女の蹴りが綺麗に決まり、娘がよろめく。


「行きますわよ!!!」

「え、あ、うん、お前、戦えるの……?」

「魔法のない人間でしたら、倒せますわよ」

「あ、ああ、そう……」


 流石はギデオンの女、というべきなのだろうか。


 動揺しながらも、走るシャーリィの後を追う。しかし、安全な場所とは何処だろう。クランには思いつけなかった。宿の人間は殆ど洗脳されているようで、二人を見るや否や、襲い掛かってくる。これでは休むことも出来ない。

 宿の外に出る。すると、待ち構えていたらしい女が、悪辣な笑みを浮かべた。


「やあ、そこの男。お嬢さんを置いていってくれないかな?」

「やなこった。てめえもレガートの刺客か」


 言いながら、ぱっと周囲を見回すが、彼女以外に人はいない。偶然か……或いは、ここら一帯の宿に居た者が、ほぼ全員洗脳を受けているか。どちらにせよ、良くも悪くも邪魔は入りそうにない。


「あっははは! その通り! あたしは炎の女、オリビエっての。火傷したくなかったら、そこ退きな」


 炎の女、と聞いてクランは思わず納得した。

 タンクトップに、短いジーパン。露出度が高く、今の季節だと少し寒そうだが、炎使いなら問題ないだろう。そんなことを考える。


「……炎の女、ねえ。俺も炎使いだと言ったら?」


 オリビエは一瞬目を見開いた。しかし、またその表情は笑みに変わる。


「ほう、そうかそうか! ではレガート様の言ってた、クラン・クラインとオルクス・マヴェットがいるかもって話は、本当だったってわけ! うふ、いいね、いいねえ!!! 燃えちゃうね!!! やろうよ、クラン・クライン――どっちの炎が熱いか!!! 試してみようじゃないか!!」

「……いいぜ。ちょいと遊んでやるよ」

「ふふ、そうこなくちゃあ!!! 楽しい戦闘をしようじゃないの!!」


 クランも笑った。戦闘は、悦びだ。こんな状況であっても。


「シャーリィ、隙を見て逃げな。俺は巻き込まない自信がない」

「……っ」


 言い置いて、クランは駆けた。

 二つの炎が交錯する。クランの拳がオリビエを穿つ。しかしオリビエは大きく後ろに飛んで衝撃を殺し、クランに向って炎の弾を撃ちこんでくる。クランはそれをかわし、そして……立ち止まった。

 ――別の殺気を感じてしまって。


「しまっ……!!! シャーリィ!!!」


 クランはオリビエに背を向け、シャーリィの方へ駆けよると、その体を突き飛ばした。――直後。横から飛んできた氷の棘が、彼の身体にいくつも突き刺さる。


「クラン!!!」


 シャーリィの声は悲鳴に近い。何か答えようとして、それも出来なかった。背後、今度はオリビエが彼を、熱のこもった蹴りで吹き飛ばす。


「っ、は……」


 宿の外壁に叩きつけられ、頭に、全身に、痺れるような衝撃が走る。


「悪いねえ、炎の男。あたしたちはどんな手を使っても勝たなきゃいけないんでね! 正々堂々勝負してあげると思ったかい?」

「恨むなら、そこの足手まといを恨んだらいい」


 オリビエの声に加え、聞いたことのない女の声。クランは身体の向きを変え、背中を壁につけてなんとか立ちながら、その声の主を目で追った。

 黒いスーツの女。髪も黒く、腰まであるストレートヘア。目立つのは、片手に嵌めている赤い手袋だ。その周囲がひときわ冷気を纏っている。


「……火に、水か」


 氷や冷気の操作も、水の魔法に分類される。クランはひとりごち、まだぐらつく身体に鞭打って、一歩前へ出た。


「シャーリィ、中で隠れてろ。こいつらの前にいるよりは……まだ、宿泊客の相手、している方が、安全だ」

「……」

「直ぐに倒して、追いつく。それまで生きている、くらいは、出来るな?」


 シャーリィは不安げな表情で何か言いたそうだった。……大体想像はつく。その体で勝てるのか、とか、そういう心配事だろう。しかし、彼女はそれを決して口に出さなかった。代わりにその桃色の唇から、一言だけ発した。


「私を誰だと思っていますの?」


 クランは、くすっと笑った。成り行きで旅に同行しているだけの女だが、その時ばかりは、共に闘うに足る人間だと、そう思えた。

 彼女が靴音高く鳴らし、宿の中へ駆けこんでいく音が続く。

 その音が、クランを再び高揚させた。後ろから、乱暴に励まされたようだった。


「あんた、その傷でまだ戦う気? やめといた方がいいんじゃないの!」

「立ちはだかるなら、容赦はしない」


 二人の女が、クランを呆れたような、憐れむような目で見ている。

 ああ、そんなこと言っている間に襲い掛かればいいのに。そんなことを考えたが、クランにそれを指摘してやる義理はない。息を整えながら、応じる。こうして思考がとりとめもなく回り始めたのは、少し回復してきた証拠。


「はは、ふふ、ふ、……戦うさ。こんな、楽しい状況で、戦わない? お前らは、何を、言っているんだ?」

「……あんたが何言ってんの! イカれてんじゃないの!?」

「言わせておきなよ、オリビエ。すぐ、楽にしてやろう」

「……ネヴェア。そうだね。やっちゃおうか!!! サポート、頼むよ!」


 それが開戦の合図だった。オリビエがクランに向って吶喊、拳に炎を纏わせて振り上げる。

 一方で黒スーツの女……ネヴェアと呼ばれた女は、その赤い手袋に冷気を湛えて、クランの一挙一動を逃すまいと目を光らせる。


「はあっ!!」


 オリビエの一発を、クランは横に飛んで回避する。動くたびに傷が痛むが、気にしない。


「そこ」


 と、続けざまに、ネヴェアの氷の弾丸が飛来する。

 地に足がついた瞬間に、クランのその足を、狙い澄ましたそれが貫く。身体が支えきれず、膝をつく。

 ……だが、そこまでは。


「分かりきってんだよ!!!」


 オリビエが追撃を入れようと構えた瞬間、クランの手が地面を叩いた。爆発が起こり、アスファルトの欠片が周囲に向かって飛散する。思わずオリビエは怯んだ。


 ……クランは怯まない。爆発に一番近いところにいても、彼の行動はよどみない。

 痛みと、衝撃と。全ては彼の原動力だ。無事な足で地面を蹴り、炎の逆噴射でひと飛び。

 狙いはオリビエではない。ネヴェアの方だ。彼女は、武闘派ではない――動きを観察していたクランには、明らかだった。

 

「しまっ――」

「くたばれ!!!!」


 だから、クランは、己の出来る最高速で拳を振りおろした。


「う、がは……ぁ……!!」


 ネヴェアは苦しそうに呻き、その場に崩れ落ちる。それを確認してから、強い殺気に後ろを振り向くと、オリビエが怒りを瞳に燃やし、クランを睥睨していた。


「き、貴様……!! よくもネヴェアを……っ!!」

「戦闘中に怒るのは構いやしねえが、あんまり頭に血を上らせるなよ。冷静さを見失ったら負けだぜ?」

「黙れェッ!!!!」


 オリビエはクランの忠告も聞かずに一歩踏み出した。その、怒気の向くままに。

 そして、彼女の足もとは爆発した。


「っ、え――」


 何が起こったのか分からない、という表情で、彼女は焼けた足を見つめながら、膝を折り、アスファルトが崩れている地面に座り込む。火の属性は、治癒が特別苦手である。彼女の足は、もうこの戦闘では使い物にならないだろう。


「……たく。注意力散漫だな。俺が地面を爆発させた時に、地雷仕込んでただろうが。気付いてなかったのか?」

「っ……あ、あんた……狂ってる……。あの怪我で……その上爆発で自分を痛めつけて……そんな状況で、罠まで仕掛けてたっての……」


 クランは、笑顔でその賞賛に、応えた。


「おう。狂ってる。俺は、戦闘狂い、或いはスリルジャンキー。クラン・クラインってんだ。宜しくな、オリビエ」


 オリビエは硬直した。――狂ってる。小さな声で、ただ、そう繰り返した。

 通りを歩く者はいない。血まみれ満身創痍のクランが、上半身は殆ど無事なオリビエを見下して立つ。それだけの、一見不可思議な状況の二人は、暫し見つめ合い。

 やがてクランが、己の額から唇へと垂れてきた血を拭うと、口を開く。


「さあ、始めようじゃないか」

「え……」

「どっちの炎が熱いか、勝負すんだろ? ……死んでも恨みっこなしだぜ」

「……」


 オリビエは、黙って、しかし少しの間をあけて頷いた。例え不意打ちのためであろうとも、彼女がクランの気を引くために言ったその言葉には、真実の感情が混ざっていたのだろう。

 彼女の掌の中に、踊る火流が生成される。


 クランも同様にした。無造作に上へ向けた掌。そこに、魔力が収束し、炎の鳥となる。


「行くぞ!!!」

「やああっ!!!!」


 二人は同時に、それを互いへと投げ合った。

 ぶつかり合う二つの炎。


「ああ。――あたしの負け、か」


 オリビエは、クランが見た中で一番穏やかに笑ったように見えた。

 そしてクランの炎鳥が、オリビエの火流弾を飲み込み、そのまま彼女は、火の鳥に飲み込まれた。




***




 クランは、静寂の戻った中、アスファルトの上に倒れた二人を眺めた。まだ息はある。


「……こいつらも洗脳されていたんだよな」


 ならば、とどめは刺すまい。そう思って、クランは一つ背伸びをした。


「さて、と。まだ左手と右手と左足は無事だな!!! 右足は気にしないっと!!!」


 うんうん、と頷く。右足は的確にネヴェアによって骨を撃ち抜かれたようで、痛みでとても体重を掛けられたものではない。だがそんなことは取り敢えず置いておこう。大切な四肢のうち四分の三がまだ動くのである。上々だ!


「いや気にしなさいな!!!!」


 ……鋭い呆れ声。シャーリィだ。


「なんだお前、戻って来たのか」

「爆発音が聞こえましたもの。それより、これを!」

「……?」


 クランはシャーリィの差し出した紙を、ひょこひょこ歩いて受け取ると、顔をしかめた。

 それは宿で使われる、宿泊約款への署名書であった。しかし、タダの署名書ではない。――その署名欄から悪質な魔力を感じる。


「……これで、宿泊客を洗脳しているんだな」

「ええ。従業員も洗脳されていましたけど、こちらは恐らく、無理矢理書かせたのでしょうね。あとは彼らにこちらの署名書を使うよう指示すれば、芋づる式に洗脳されていくって仕組みですわ」

「……ちっ。俺たちがくつろいでる間にこんなことされてやがったか。それにしてもシャーリィ、お前よくこれが洗脳の原因だと分かったな」

「ギデオン様が作ってもらっていた誓約書と、スタイルがまるっきり同じですわ」

「なるほどな……」


 死刑対象に指定された者の居場所は、執行者にだけは創造主により情報が渡されて筒抜けになる、とはオルクスに昔聞いた話である。恐らく、シャーリィの執行者としてレガートが選ばれ、この悪趣味な洗脳劇を仕組んでいるのだろう。


「まあいい。レガートを倒せば、それで終わるんだろう。こいつらを解放するためにも、戦いぬかないとな」

「……貴方、その体でまだ戦うつもりですの? 相手は第五位の死神ですわよ。切り札を使うための魔力も、今はないのでしょう?」

「はっ。だったらどうしろってんだ。この町とお前を見捨てて逃げろってのか?」

「……」

「なあに、任せとけ。とりあえずオルクスと合流するぞ。あいつは多少、治癒魔法が使えるからな」


 言いながら、足を引きずり、クランは宿の中へ入る。

 まだ冷めやらぬ戦闘の余韻が気持ちよく身体を満たし、彼は今なら何戦でも戦える気がしていた。




(第五話 了)

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