叛逆のしにがみ戦記

紅乱

神殿観光したら死神が来た

 まあそういうこともあるよね。倒そう。








「わー!! 見て、クラン! 綺麗な神殿だねえ!!」


 透き通るような青い髪、白い肌、そして粗末な布を纏っただけに見える青年……オルクスが、感嘆の叫び声を上げた。

 隣で、少し小さい青年…クランが肩を竦める。緑の上着に黒い肌着、更に特徴的なのは、茶髪を高いところで纏めた、とても長いポニーテール。――彼は、声変わりの終わっている低い声で、呟いた。


「てめえとは正反対だろうが、ここに祀られている神は」

「生を司る神様だもんね。いいなあー、僕も、もしいるんだったら、そっちになりたかったなあー」


 その言葉に、思わずクランは横のオルクスを見やった。

 彼は死神だ。但し、生まれて10年ほどの、幼子でもある。


「…お前が死神じゃなかったら、俺がお前と旅をしていたか、分からんがな」

「どーだろ? クランは僕に死神の力が備わっていなくても、きっと、付き合ってくれたでしょ?」

「そこまで買いかぶられてもねえ」


 オルクスの楽しそうな言葉をゆるりと流しながら、クランは改めて、目の前にそびえたつ神殿を見上げる。

 この世界にいる神は、二種類ということになっている。生を司る『神』、死を司る『死神』。前者は歓迎され、こうして祀られるが、後者は疎まれ、悪として虐げられる。この神殿も勿論、神を祀りし場所である。名はルーフェリア。

 

「ねークラン! パンフレットあったよ!! あのねー、この先に、大きなステンドグラスがあるんだって!」


 オルクスが、無料配布の三つ折りの紙をひらひらと振った。クランも、案内員からそれを受け取って眺める。ステンドグラス、『神の光』。そう題されたそれは、神が人間に子を与える、生命を芽吹かせるものだというように、説明がある。


「お前、こんなもの見たいのか?」

「見たいよー。絶対綺麗だって! それに、これは僕たちとは対極の、生命が生まれる瞬間の絵なんだよ! 見るしかないじゃない!」

「へいへい。俺も含めやがって。そりゃ、壊すことしかできないがな…」


 言いながら順路を進もうとすると、それまでにこにこと観光客たる二人を見守っていた制服姿の案内員が声を掛けてきた。ツインテールの、快活そうな女性だ。首に黄色いスカーフを巻いている。


「こんにちは、お二人さん! この神殿は初めてかな? 私、案内員のノーナ・レヴァエンテって言うの! 暇だから…っと、違う違う、どうせだから、私に案内させてくれない?」


 暇だから…という言葉に見まわしてみると、平日だからか観光客はまばらで、その他の案内員も手持無沙汰にしているのが分かった。突っ立っているだけより、観光案内にかこつけて人と喋りたいという魂胆のようだ。なに、動機はどうであれ、親切には違いない。

 クランとオルクスは顔を見合わせた。二人とも、この神殿のことは全く知らない。少々五月蠅そうだが、賑やかなのは、嫌いではない。悪くはないだろう、と頷き合う。


「じゃあ、お願いします! 僕はオルクス・マヴェット。こっちは相棒のクラン・クラインだよ! この神殿を見るために、この町に来たんだ!」


 オルクスが二人を紹介すると、ノーナはますます笑みを深めて二人を交互に見比べる。

 その視線は、十分に好意的で、クランはじろじろ見られても不快感を覚えなかった。恐らくは気が合うだろう、などと考える。ぐいぐい押してくるタイプは、疲れるが、嫌いではない。――面倒なので口には出さないが。

 するとノーナは、やがて、うんうんと一人納得したように頷いて。

 

「オルクスと、クランね。なんか、二人とも、旅慣れてそうねー。それにとっても強そう!二人合わせて、旅人戦士オルクラン、ってとこ?」

「な、なにその名前ー」


 オルクスはわざとらしく、「うげえ」と呻く。クランも思わず真顔になった。……とはいえ、間違った分析ではないのが、なんとも言えないところ。

 ノーナはバツの悪そうに頭を掻いた。


「ごめんごめん、私、何でもかんでも名前付けたくなっちゃうの。さあ、いこっか、オルクス、クラン。いつまでも外観だけ見てちゃ、詰まらないものね!」


 やや強引にだが、ノーナに導かれ、二人は大きな神殿の建物内部へと歩みを進めた。




***



 神殿の中は、外の装飾よりもさらに華美だ。豪華なシャンデリアがぶら下がり、柱には神の紋章が刻まれ、壁には様々な絵画が展示されている。ノーナは一つ一つの絵画を紹介し、甲斐甲斐しく小部屋などの説明もし、二人を案内してくれた。……教えられた絵画の名前が、びっくりするほどアレンジされていたことに関しては、目をつぶることにする。


「ノーナおねーさんは、とっても詳しいんだねえ!」


 オルクスが言うと、ノーナは歩きながら自慢げにふふんと鼻を鳴らした。


「まあね! ここでもう五年になるかしら、結構働いてるのよー。さ、オルクス、次はこっち! この絵画は、裏切り者の神と、それを討伐しようとする神の戦いの絵! 大昔にあった、大規模な争いね。人呼んで鬼神戦争! 迫力満点の絵でしょ?」


 オルクスはその説明に、ちょっと身体を震わせた。

 クランには分かる。思うところがあったのだろう――逃げだした、裏切り者の死神として。さっさとこの絵を離れようかと思ったが、オルクスはそれより先に口を出した。


「ノーナおねーさん。それで、裏切った神は、どうなったの?」

「んー、ぼっこぼこにされちゃったみたいね。徒党を組んで裏切って逃げきるつもりだったって話だけど…、まあ、神代の伝説よ。定かじゃないわ」

「………、そうだろうね……」


 彼の声のトーンが、一段下がる。クランはその肩をノーナに見えないように軽く叩き。


「神が裏切ったってのは、どういう理由だったんだろうな?」

「そこ! そこよ!」


 興奮しているノーナは、オルクスの沈んだ様子には気付かずにクランの問いに指をぴんと立てた。


「ま、どうせ誰かの創作なんだけど、それでもこの逸話、結構前からあるのよ。神ルーフェリアが関わる話でもないのに、絵が飾られているのは、有名だからみたいね」


 そう前置きする。クランは何も言わず、ノーナの話の続きを待った。


「その神は、主神の方針に反発したのよ。神は人々に命を授け、死神に狙われた人の命を救うけど、それを決めるのは、主神……って呼ばれてるなにか。どんな悪人でも選ばれれば死神から守られ、救われる。その判断基準が気に食わなかった――そういうことね」


 ノーナの説明に、クランは思わず、見えないように小さくため息を吐いた。

 その逸話は、大枠のところは、本当の話だ。恐らくはオルクスのように裏切り、地上に降りた者が残したものなのだろう。


 誰か――主神、創造主などと呼ばれる誰かが、この世界の生死の一部を意図的に操作している。或いは、運命を決定しているとも言える。


 それ自体は、変に作為的でなければ特に問題はないのだろう。被る側からすれば、運命だろうがくじ引きだろうが偶然だろうが、全て同じこと。そもそも星の数ほど人が死に、生まれる中で、神々が直接介入しているものは、ごく僅かにすぎない。しかし、与える側からすれば…主神の手となり足となり、様々な人の運命を見てしまう者からすれば、時おり、その選定に理不尽を感じることになる。

 そうして、反発と裏切りは、大なり小なり、起こるのだ。


 ――しかし逃げだした者は、追い立てられ、その存在を抹消される。それが、鬼神戦争。恐らくは、神が鬼となりし裏切り者を狩る、という意味でこの名を冠するのだろう。

 そう考えながら、クランが絵画の下の説明に目を落としたところ、名前は『神々の戦い』というとても無難なものになっていた。


「ちなみに鬼神戦争ってのは、たった今、私が名付けた!」


 クランの視線に気づいたノーナが自慢げに言う。

 納得してしまったのが悔しくて、クランは黙ってノーナの頭をど突いたのだった。




***




 ノーナとともに、神殿内を歩く時間はとても楽しく、クランとオルクスは久々に時を忘れた。彼女の冗談交じりの解説は面白いものが多く、飽きずに聞いていることが出来た。

 そして、様々な脇道横道にそれて、大きな神殿を行ったり来たり、見て回った後に、最後に辿りついたのが、神の祭壇であった。そこには、オルクスが見たがっていた『神の光』と名付けられたステンドグラスが、煌々と降り注ぐ陽光を受け、天井で煌めいている。

 クランは、思わず見惚れた。

 眩しい、神の光。


「これが至上の天光! 大体のお客さんは、これを見るために来るからね。どう、凄いでしょ?」


 ノーナは流石に何度も見ているのだろう、慣れた風だ。何故か腰に手を当て、自慢げに二人を見る。横のオルクスが、呆けた表情で頷いた。


「す、凄いね。僕には…眩しいや」

「…そうかもね。私も最初見た時、そう思った。人間が触れられない何か…ってやつを、しっかり表現してる気がするの」


 人間が触れられない何か。

 クランが触れるべき何か。


 クランは、黙って天井に手を伸ばした。彼の小さな背では、届かない。だけど、壊すことは、出来る。


 ――と、三人が温かい神の光に浸っていた、その時だった。場違いな、耳をつんざく轟音が響いた。


「な、なに!?」


 ノーナが、びくりと肩を弾ませ、音のした方を見やる。オルクスとクラン…“旅人戦士オルクラン”は、元よりそういう荒事には慣れっこなので、そこまで驚きはしないが、せっかく最高潮に達した神殿観光の時間を邪魔されたことで、眉をひそめて同じようにそちらを見た。

 そこへ入ってきたのは、武装した集団だ。手を上げろ、撃つぞ、などと言って、部屋へと侵入してきたのである。――だが、相手が悪かった。悪すぎた。

 クランは直ぐに、行動に出た。銃も構わず一気に距離を詰め、一人の腹に炎を纏った拳を叩きこむ。周囲の仲間が目を見張った。


「な…炎!?」

「貴様、何者――」


 この世界では、魔法は神より授かりし奇跡の力とされており、先天的に魔力を持たなければ習得することは出来ない。それ故に、魔力を持つ者はごくわずかで、伝説やおとぎ話レベルの貴重さなのである。それがこんなところで平日の昼間から油を売って観光客しているとは夢にも思うまい。彼らの反応は、当然。

 そして、次の言葉が紡げなかったのも、必然であった。

 練度などあってないような乱入者に、クランの蹴りが1を数える間に突き刺さり、壁まで吹き飛ばされる。その服には、焦げ跡が残っており、焼けつく痛みと衝撃で相手は気絶したようだ。


「ひっ…」


 残った一人は、息を吸い込んだ。漸く相対している相手が、人間離れした化け物だと気がついたのだ。そして、腹を無慈悲に殴られた彼は、その息を嗚咽に変え、苦悶の表情でばたりと倒れた。


「は、え、あ……?」


 ノーナが、呆気に取られた様子で、クランと倒れた三人の乱入者を交互に見る。

 まだ状況の理解が追いついていないのか、暫くの間そうやっていたが、やがて。


「な、何? もしかして…えっと、これ、事件?」

「さあな。でも、武装集団が神殿に駆けこんできたら、割と事件なんじゃないかな?」


 クランが一息ついてそう言うと、ノーナは、漸く武装した集団が神殿に入ってきた事実を認識したようで、そりゃそうだとばかりに、ぶんぶんと頭を縦に振って同意した。


「そ、そうよね、そうだわ。でも、何のために、どうしてルーフェリア神殿に……」


 言ってるうちに、ノーナの目線が下に落ちてぴたりと止まった。


「あ、こいつらの、腕章」

「ん?」


 ノーナが指さしたのは、倒れた男たちがつけている腕章だった。何かのマークが描いてある。…半分に欠けた太陽をモチーフにした紋章。そういえば、クランもオルクスから聞いたことがあった。神ではなく死神を崇める組織が、欠けた太陽をシンボルマークにして活動しているのだと。

 死神崇拝でも穏健派の組織は、ただ死神を崇めて過ごすだけだが、一部の過激派組織は、神を崇める神殿に乗りこんで破壊したり改宗を迫ったりと、好き放題やっているのだという。特にこのシンボルマークの教団、『サイス』は、そのパトロンは不明ながら、強力な資金源を持つとされ、その全容は誰も掴めていないのだとか。


「わあ。カルト教団じゃない。ルーフェリア神殿も、変なものに目をつけられちゃったねー」


 オルクスが、間延びした声で言う。ノーナも落ち着きを取り戻し、一つ頷いた。


「……巷で騒ぎのあの組織ってわけ。やっばいなあ。多分こいつら……このステンドグラス、破壊する気だったんだわ」

「そうだと思う。確か『サイス』のやり口ってさー、全員同じ部屋に集めて監視して改宗を迫って、その一方で誰もいない神殿で自由に壊しまくる、とかでしょ?」

「確かに、ニュースで聞いたことあるわ。最悪。改宗って何よ、私、神もそんな熱心に信じてないって……ただの案内員よ……」

「それもそれで、この場で言うのはどうかと思うけど、な」


 クランは、まだ無傷で佇むステンドグラス、そしてその下の祭壇を見てそう言った。一応、一応は、ここに神がいらっしゃることになっているのだ。ノーナの発言は、神をも恐れぬ所業だろう。

 ……本当は、神も死神も、祭壇になどいないのだが。


「あ。しまった。ルーフェリア神様に見られて、天罰で職を失ったら大変!」

「ははは、そうだな。しかし、この祭壇が壊されたら天罰喰らう前に職が無くなるぞ」

「ぐっ!」


 ノーナは大げさに、何故か腹を押さえる動作をしてみせる。その明日のわが身を案じる様子に、クランは思わず笑ってしまった。

 人というのは、毎日毎日の出来事に、目の前の些細な問題に、一喜一憂して生きていくぐらいが、最高に楽しくて、丁度いい。運命など、信じずに、己の出来ることを精一杯やるのが、素敵なのだ。……クランは、そう思った。


「安心しろ、ノーナ。俺とオルクスで、そいつらは叩きのめしてやる」

「……本当? クランってば、さっき、すっごい強かったけど……ってか、なんか、手品みたいに炎出してたけど。貴方、まさか、魔法が使えるの?」

「ああ。俺は炎の魔法戦士。それから…オルクスは、全ての種類の魔法が使える、天才だ」


 クランの言葉を聞いた彼女は、目を丸くして、一見ただの青年にしか見えない二人を見比べる。


「わ……、うそ、凄い……」


 感嘆の籠った、一言。クランとオルクスと会ってからとにかく饒舌だった彼女のそれは、逆に、彼女の驚き具合を物語っているようだった。


「別に凄くないよ、人よりちょっと喧嘩が強いだけだ」


 まだ、高位の死神には、及ばない。

 その言葉を、クランは喉の奥で飲み込んだ。


「……謙遜しなくたっていいのに。じゃあ、本当に頼んでいいのね? 無理は、しないでよ。いや、大丈夫だと思うけど……うん」

「分かってるよ。心配してくれてるんだよな。ありがとう、ノーナ」

「……ん。なんか、上手く言えないけど……万が一が、怖いから」

「ノーナは、この部屋に隠れていて。下手に僕らと一緒に動くと、巻き込まれちゃうかもしれないから」

「分かったわ。お願いね」


 ノーナは神妙に頷いた。


「よし、行こう」

「りょーかい!!!」


 クランとオルクスは、神殿を解放するため、部屋を出て行動を開始した。




***




 ――各部屋で破壊活動を行っていた者たちを倒すのは、たやすい。素早く殲滅し、彼らから情報を聞き出す。いわく、神殿の小部屋に、他の者は集められ、人質になっているという。

 クランとオルクスにとって、失敗する可能性があるとすればその部分、すなわち人質解放のみだった。二人は短い相談で手はずを整える。

 そうして、手順を決めてから、クランは神殿の外から、窓の側に立った。オルクスは、神殿の内側から、正規の入り口とも言える、ドアの外で様子を窺っている。


 ひとつ息を吸い込み、クランは、窓を破壊して中へ踊りこんだ。

 部屋の中央に座らされた人質と、それを取り囲むように銃を持った男が数人。その視線が、一斉にクランに向く。一拍置いて、銃口も。

 ざわめき立つ中、一人の、20代くらいだろうか、青年がそれを手で制し、クランに話しかけてきた。


「誰だ、貴様。下手に動けば人質の命はないぞ」

「……ふん。雑魚ばかり、か」


 クランは無視して呟いた。銃を持ったというだけの、青年から壮年の集団。これなら万が一もないだろう。特に強く見える者もいない。魔力がある者も、勿論皆無だ。


「何? 死にたいのか貴様……」


 言いながら、男が殺気を強め、銃口に指をかける。

 ぞく、とクランは身体が疼くのを感じた。稚拙であれ、ここまでの殺気を向けられれば、興奮してしまう。嫌でも、血が騒ぐ。

 しかし今は人質のことが最優先だ。ちらりとそちらを確認する。

 もうオルクスは、魔法を発動させていた。静かに……人質を囲むように、床から氷が生まれ、せり上がり、球状のドームを形成する。クランに注目していて、男たちの反応は遅れた。彼らが振り向いた時には、立派なドームが人質と武装集団を隔てていた。


「やっちゃえ、クラン!」


 そしてオルクスの叫び声。

 言われるまでもない。これでもう銃弾は人質へは届かない。クランは既に動いていた。一本一本の指先に火球が作られ、膨らみ、クランが腕を大きく振ると共に、それが正確に暴漢たちへと殺到し、打ち倒す。


「な、なっ、ば、化け物……!!!」


 目の前で立て続けに起きた『魔法のような』出来事に、武装集団は真っ青になった。

 さっきまでは、人質を取り、銃で武装し、完全に優位に立っていたはずなのに。こんな、どう見ても民間人にしか見えない男に。現状を受け入れられないといった態である。

 そして、彼らが取った行動は――逃走だった。


「あ、おいこら!!」


 クランの制止する声にも怯え、ドアへと走る男たち。しかし、勿論というか…そこには、先ほど氷の魔法を発動させて人質を保護していた、オルクスが待ち受けていたわけで。


 死神オルクス。全ての魔法を使いこなす、『虹色の魔力』を創造主より与えられし子。そして……死を与える役割を持つにも関わらず、ヒーローに憧れ、人を救いたいと願い、全てを放棄した“裏切り者”。


「悪い奴らは……みーんな、成敗ッ!!!!!」

「わ、あああああ!!!???」


 腐っても神である。常人では、敵う道理はない。

 オルクスの魔法によって、氷をぶつけられ、風の刃に撃たれ、殆どの乱入者は地に倒れ伏した。

 あらかた片付けると、彼は無邪気に、死屍累々状態の床の隙間を、けんけんぱ、とステップを踏んで、近寄ってくる。


「クラン、お疲れー。なんてことなかったね」

「そうだな。とりあえず全員縛って……」

「大丈夫、氷の錠で動けなくしてある!」

「……お前そういうとこ、器用だよなー」


 ま、それならもう終わりか、とため息をつく。オルクスはその横で、人質を保護していた氷のドームを解除した。人質たちも、氷ごしに外の様子を見ていたらしく、解除されるとわっと喜び、口々にお礼を述べた。


「ありがとうございます!!」

「一時はどうなることかと……」

「ああ、これもルーフェリア神の御加護なのですね……!」


 ノーナは違ったが、やはり神ルーフェリアを信望する者も多いようだ。祈りを捧げている者もいる。

 とりあえず官憲に通報し、万が一のことがないように、出来れば乱入者達を縛っておくとよい。そう助言して、クランとオルクスは、ステンドグラスの元に残してきたノーナを迎えに行くことにした。


 話はこれでめでたしめでたし、のはずだった。

 ところが。

 それは、唐突に訪れた。


 神の祭壇へと歩いていたオルクスが、クランの隣ではたと立ち止まったのである。


「いる……死の気配だ……!」

「何!?」


 簡潔な言葉だが、十分にクランは察した。

 己たちの戦い続けなければならない相手が、近くにいるのだと。


「何処だ、オルクス!!!」

「……」


 オルクスは、その震える白い指で……正面。神の祭壇へと続く、ノーナがいるはずの扉を指さした。

 クランは黙って駆けこんだ。




***




「ノーナ!!!!」


 あらん限りの声で、叫びながら扉を開ける。

 すると、柱の影に隠れていたノーナが、おずおずと姿を見せた。……無事だ。クランは、ひとまず息を撫でおろす。


「ど、どうしたのよ、クラン、そんな切羽詰まって。ねえ、カルト教団の奴らは、倒せた?」

「ああ、勿論。なんてことなかった」

「じゃ、どうしてそんなに思いつめた顔してるの? 似合わないよ!」


 ノーナは、分からないなりにクランを元気づけようと思ったようで、ひときわ明るい声で彼の方へと歩いてくる。

 オルクスの感じた気配は気のせいだったのだろう。そう思い、クランは後ろにいるオルクスの方を振り返った。なんだよお前、杞憂じゃないか。そう言おうとして。完全に気を緩め、ノーナから目を離したのだ。


 その時である。

 今度はクランも感じた。死の気配などではない、凄まじい、身を貫く氷のような殺気。

 そして、ノーナの真上で派手な打音が鳴った。


「え――」


 クランは視線を上へ向けた。

 ステンドグラスが、割れていた。


「ノーナ……ッ!!!!!」


 その意味を悟り、慌てて振り返る。しかし、追いついたのは視線だけ。部屋の中央にいるノーナと、部屋の入口に佇んでいたクランの距離は、遠すぎた。

 クランの目の前で、ノーナの身体に、ガラスの破片が降り注ぎ……血しぶきが、舞った。


「――――」


痛みを感じる間もあればこそ。

その破片の一つが頭を無惨に撃ち砕き、彼女は、クランの目の前で、何も語ることなく絶命した。


「ノー、ナ……?」


 彼女の名前が、クランの口から、意味もなく零れた。それに対する快活な反応は、もう二度とないというのに。

遅れて駆けこんできたオルクスが、原型をとどめない頭部から目を背ける。


 これこそが、死神の、死刑執行。

 この世界の死神は、創造主の命を受け、指示されたとおりに、人を殺す。

 その基準は分からないが……ノーナは、選ばれた。選ばれてしまったのだ。


 血だまりが、広がっていく。

 陽光に照らされて、水面がきらきらと輝く。

 

 たった数時間の付き合いだが、悪い子ではなかった――少なくとも、死ぬほどには。

 

 大抵の人は、これを天災と受け入れる。死神による死は、事故と同じ。不運なコト。

 だが、クランは、そうは思っていなかった。余りに理不尽で解せない死刑。身体の奥底に怒りが湧きあがるのを感じた。

 上を見上げる。ステンドグラスを通さずに、眩しい陽光が降り注いでいる。そして、そこに一人、黒く影を落とす人物の姿を、……今しがた執行した死が完全に成就したかを確認する死神の姿を、確かに見た。


「……オルクス」

「うん。あいつだ。……待ってて、ノーナおねーさん。きっと、僕らが……仇は、取る!」


 死者を弔うことも、もう許されぬほどに人を殺してきた、死神とその相棒は。

 例え隣で誰かが死のうと、戦うことしかできない。

 だからそれを死者に捧げるのだ。


 裏切り者の死神たるオルクスと、その相棒たる魔法戦士のクランが旅をする目的。

 それは、死神とその創造主の打倒。そして、世界のシステムの、崩壊である。


 クランは黙って、手を広げた。その背中に、赤い羽根が同様に広がる。そして、細かなガラスの破片を靴底でざりっと踏みしめ、空へ――建物の外へと、飛び出した。オルクスも、風の魔法を発動し、己を建物の上へと、押し上げる。


「……! 誰だ!?」


 そこにいたのは、オルクスと同様に、灰色の布を身に纏った、短い黒髪に、眼鏡の男。


「よくもノーナを殺してくれたもんだな」

「……魔導師に……同族。貴様ら……最近死神を倒して回っている、裏切り者か!!!」

「何が裏切り者さ。僕は望んで死神になんかなってない。辞めて何が悪いのさ!!!」


 オルクスの叫びには、その死神は嘲笑を漏らし。


「は、世迷言を。主の一番近しいところに創られるという名誉を賜っておきながら、その役目を放棄するなど許されるはずがない!」

「……ばっかじゃないの!!!???」


 オルクスは、その手に鎌を顕現させ、構えた。


「やろう、クラン!!! 仇を取るんだ!!!」

「ああ。――サポート頼むぜ、オルクス!!」


 クランは先ほどと同じように、様子見とばかりに……指先から火球をつくりだし、投げつける。


「その程度の魔法……物珍しくもないな!」


 死神は、彼も鎌を虚空から取り出すと、大きく振った。すると、その周囲のコンクリートが歪み……湧き出で、せり上がり、不格好な人の形を取る。クランは目で数える。五体。

 そのコンクリートの人形は、盾となり、火球を防ぐ。


「……モノに疑似の命を吹き込む力か」

「後悔せよ、人間!!」


 もう一度、指揮鞭の如く空を斬る鎌。そして炎などものともしない人形たちは、重い足音とともに、クランに襲いかかる――、はずだった。


「させないよ」


 オルクスの凛とした声。そして、その人形たちの足もとが凍りつき、足へと氷が這いあがる。地面に縫止め、動きを阻害し、拘束する。


 クランはもう走り出していた。そうなることが分かっていたとばかりに、氷魔法の阻害には一瞥もせずに動けない人形の間を駆け抜け、死神に肉薄する。そして、拳を振りかぶる。


「ちっ……!」


 相手も流石に、それを生身で受けるほど馬鹿ではない。コンクリートがまたせり上がり、人形の形を作り、受け止めようとする。

 しかし、甘かった。


「お――らァ!!!!」


 渾身の右拳が、その石像を撃ち砕いた。

 呆気に取られる死神は、反応することが出来ない。


「くたばれ!!!」


 更に一歩踏み出し、今度は大きく後ろに引いた左拳。身体全体で大きく勢いをつけ、炎を乗せて、単純なる暴虐の一撃を、捻じ込む。


「ぐ、が――!!!!」


 拳を受けた死神は、無惨に吹っ飛ばされた。コンクリートの上を転がり、端の方まで行って、ようやく止まる。立ちあがろうとするも、その手はコンクリートを引っ掻いただけだった。魔力のコントロールもままならなくなったのか、人形たちががらがら原型を失って崩れ落ちる。

 クランとオルクスは、倒れた男の元へ近寄る。もう動けないようだが、その魂を刈り取るまでは、倒したとは――殺したとは、言えない。死神の男は、震えながら二人を見上げた。


「な、なん……なん、だ。ただの、人間と……第十二位の、死神が……? 俺は、第十一位の死神、だぞ……」

「階級だけで判断しないでほしいな。弱い者を殺すだけのお前たちとは違って、僕らは、牙を磨いてきたんだ」


 オルクスが、鎌を振り上げる。死神の男は、青ざめた。


「何をする気だ……やめろ、やめてくれ……」


 しかし、そんな命乞いには耳を貸さずに、オルクスが最後の一撃……魂を、滅しようとした、その時。

 目の前の死神は、唐突に消えた。


「!?」


 オルクスの鎌が宙を切り、コンクリートに打ちつけられる。

 クランには――誰かがその死神を、超高速でその場から連れ去ったのだ、とは、かろうじて判別できた。その軌道の先を追う。そこには、壮年の男が、死神を抱えて立っていた。


 ふっ、と。

 壮年の男と、目が合った。

 白いファーコートに、白いズボン。コートの下には、オルクスと同じ、死神特有の灰色の布。彼の身体は大きく、それはオルクスのようにだぼついておらず、肩から腰のところまでに留まっている。


「…新手か。てめえもぶっ殺されたいようだな」

「これはこれは。お怒りかね、酔狂な羊よ」

「そのあだ名は初めて聞いたぞ、死神」


 言葉を返しながら、クランは、相手の魔力の強大さを肌身で感じ、悟られぬよう心の中で震えた。

 …武者震いだが。


「哀れで酔狂な子羊だと思ったのでね。まあ……その姿だと、酔狂な鳥、とでも呼ぶのが宜しいかね?」

「クラン・クラインだ」

「名はまだ、覚えようとは思わんが」

「……二度と忘れられないように、覚えさせてやろうか」


 クランは、声にありったけの怒気を込めた。

 壮年の死神は、厳かに、抑揚のない声で、応じる。


「我々を怨むのはお門違いだと思うがね。死の運命は、創造主様の所業。それがどれだけ理不尽に見えても、この世界を円滑に回すため、創造主様がお決めになったことに、間違いはありえん」

「ふざけんな。だったら間違いがないって証拠を見せてもらいたいもんだな」

「創造主様が創造主様であるから…という理由では、不足かね?」

「不足だ!!!! 認めるか!!!!」

「創造主だかなんだか知らないけど…作った本人だって、一度生まれた命を、理不尽に消していい理由なんてないんだよ!!!」


 クランとオルクスは、各々、構える。炎の拳と、死神の鎌。

 しかし、壮年の死神は、ひらひらと空いている手を振った。


「全く、血の気が多い。……私はやらんよ。この出来の悪い死神を回収し、仕事の報告もしなければならん。遊んでいる暇は、ないのだよ」

「ふざけんな。逃がさねえよ!!!」


 腰を落として地を蹴り、弾丸の如く飛びだす。その両手にめいっぱいの魔力を詰め込み、その顔に、思い切りたたきつけようと。

 しかし、最高速の攻撃は、……届かなかった。


「困った鳥だ」


 ばちり、と閃光が目の前で散ったかと思うと、クランの目の前から、また男は消えた。


「――」


 ギリギリ見た。男の足に雷のような魔力が走り、そして、彼が地を蹴ったのが……本当にギリギリ、残像をなんとか追って、見えた。そして、前傾姿勢のクランは、次の瞬間に思いっきり上からの衝撃を喰らって、コンクリートと接吻をかわすことになった。


「ぐ……っ!?」

「やめろ、と言ったのが分からんのかね。……君たちではまだ、敵わんよ」


 動けない。自爆も考えたが、それをする前に高速で移動されてはただの自滅である。オルクスが、驚いた様子で鎌を持ち直した。


「っ……、お前、第何位の死神なの……!?」

「私か」


 壮年の死神は、問われると、オルクスの方を向き。


「私は――第三位、アダム・ノートリアス。

第十二位の裏切り者、そしてその協力者よ。貴様らを刈れとの命令は、まだ私には下っていない。今は見逃そう。速やかにここを離れることだ」


 そう言い残し……その姿は、消えた。

 あとには、倒れたクランと、立ちすくむオルクスとが、残された。




***



 翌日、曇天の下。

 弔いの葬列が歩いていく。黒服の集団を、クランとオルクスは、陰鬱な気分で眺めた。


「……勝てない。無理だった……」

「分かってるよ。あんな強いのに出てこられたら、どうしようもない、よ」


 クランは、拳を強く握り締める。

 どうしようもない、などとは思いたくなかった。どんな相手でも、死神ならばいずれ戦わなければならないのだ。それに何より、ノーナの仇を取り損ねたことが、悔しい。


「そうだ、オルクス、あいつが言ってた、第三位とか……ってのは」

「うん、死神の序列だよ。僕は最下位の、第十二位。上に行くほど強いし、創造主から様々な力と権限を与えられているんだ。第五位あたりから上は、創造主の狂信者だし、実力は漏れなく化け物だと思ってくれて間違いない」

「……それで、あのアダム・ノートリアスとかいうやつは、第三位だってのかよ」

「創造主から名字をもらっている時点で、相当上の位だと思うし……嘘は言ってないだろうね」

「……」


 オルクスは、その名をオルクス・マヴェットというが、それは本人が勝手につけた名字である。大抵の死神に、名字はない。名前は主より賜りし大切なものであり、名字ともなれば、忠誠心を認められた一部の死神にしか与えられないものだ。……オルクスは、そう語る。

 アダムは、間違いなく創造主に寵愛された、雲上の死神だ。

 間違っても、人間に敵う道理は、ないのだ。

 ただ、それでも。


「それでも俺たちは……あれに、勝たなきゃいけないんだ」

「……」

「オルクス。お前のことは、守るって決めた。そのために……この世界のシステムを、ぶち壊すと」

「……クラン」


 ありがとう、と、オルクスはか細い声で呟く。


「それに、ノーナおねーさんのような、優しい人を殺すのは、やっぱり、許せないよ」

「ああ。この世界のシステムは、やっぱり狂ってやがる」


 快活で饒舌だった彼女。死ぬ十数分前までは、祭壇が壊されて職を失うことを恐れていた、明日の生活のことを考えて一喜一憂していた、そんな少女。

 彼女は、解雇にはならなかった。代わりに、……。


 気がつけば、ノーナの葬儀の列はもうない。彼女の遺体は火葬場へ運ばれたようだった。招待もされていない、出会ったばかりのクラン達は、そこへ行くこともせず、ただ黙って見送るだけだ。


「……行こう、クラン」


 やがて、オルクスが言った。


「ノーナおねーさんのような人が、いなくなるように。大切なものを守れる力を……この世界をぶち壊す力を、手に入れないと」

「そうだな。こうしていても、始まらない、か」


 クランは、地図を開く。

 今出来ることは、各地を旅し、死神の情報を集めること。

 或いは、死神を倒し、上位の死神を引きずり出し、オルクスの持っている以上の情報を引き出すこと。


「だが、元は死神だったっていう噂で来てみたけど、ルーフェリア神殿は、完全に外れだったな。次の目的地は……どうする? オルクス」

「……さっきの組織だけどさ。もしかして、死神に関する情報、持ってるんじゃないかな」

「あり得るな。それじゃ、あの組織を当たってみるか」

「うん。さっき捕まった過激派の人たちに聞けば、何かは分かると思う」

「よし……その方向で行こう」

 

 二人は、ベンチから立ちあがった。

 少し肌寒い風が吹く。もう秋だ。


「……ノーナおねーさん。どうか、安らかに」


 死神は、短い弔いの言葉を口にして、その場を後にする。

 そんなものが実際に届かないことは、彼が一番よく、知っているのだろうけれど。

 クランは、言葉を飲み込み、オルクスを追った。


 ノーナが、鬼神戦争と題した絵画を紹介してくれた時のことを、ぼんやりと思い出す。

 あの時ノーナが語った逸話は、大枠では真実だ。死神オルクスと付き合っているクランはそのことを知っていた。


 ――ただし、致命的に違うところが、一つある。


 この世界に神はいない。

 いるのは、死神だけ。


 神とは、死神の天災に、死刑執行に、沢山の人が苦しめられた結果、救いを求めた人々が作りだした、架空の存在である。実際には、命を与える者などいない。

 あの逸話も、本当は、地上に逃げた死神の逸話なのだろう。それが、何処かでねじ曲がって伝わってきたのだ。人は自然に生まれ、自然に死ぬ。そのサイクルに割り込むように、死神が、自然ではない死を執行し続けているのだけなのである。死神から人々を守る、神なる存在は、いない。


 むろん、クランとオルクスは、それを公表するつもりは、ない。心の拠り所として存在している、死神の対極、死神から人々を救う存在、神。それをぶち壊すことなど、出来ないし、やりたくもない。


 この街の人たちは、これからもいるはずのない神ルーフェリアを信じて生きていく。それが、丁度いいのだろう。




(第一話 了)

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