第7話 コーヒー牛乳

 少女の言う通りショッピングモールを出て、軽ワンボックスを停めてある駐車場に戻る。

 少女は外の世界を恐れるように横のドアを開けて車内に飛び込んだが、自分でドアを開けたことと、この車の中を自分の縄張りと認識した様子なのは進歩だと思った。

 とりあえずトイレ問題という最大の心配事が片付いた俺は運転席に座り、ホンダ・アクティのエンジンをかけてショッピングモールを出た。

 走って面白い道志みちか甲州街道を目指して北上していた俺は、来た道を逆方向に戻る感じで南下する。

 経路に迷っていたが大山街道と言われる国道246を行くことに決めた。トラックが多く退屈な道路だけど、トイレを借りられるロードサイド店舗が多いのはこっちの道。

 少女がこのドライブの目的であるアニソンフェス参加以外の何かを得ようとしているなら、出来る限りそれを手伝ってやろうと思った。

 市街を離れるとただの山道になる道志みちや甲州街道。ショッピングセンターのトイレ拝借の次がいきなり屋外のお花摘みというのはハードルが高すぎる。

 二重立体交差の工事で混み合った国道16号と国道246号の交差点渋滞を東林間の裏道から抜け、俺と少女の乗ったワンボックスは国道246号線に入った。


 せっかくの富士山麓ドライブ。ワインディングロードを走れないのは不満だと思ったが、神奈川西部を切り通しやトンネルでブチ抜いた国道246を快適に走るのも悪くなかった。

 少女は16号線のニトリショッピングモールでトイレを済ませたことで落ち着いた様子。信号待ちの間に前部と後部を隔てるカーテンをめくり、後方が見えないのは不安だからカーテンを開けてもいいか?と言うと、後輪の上あたりのテーブルに置かれたwi-fiのノートPCでネットをしてた少女は、膝歩きで前席のすぐ後ろまでやってきて、婆ちゃん手作りの遮光カーテンを開けながら言う。


「あんま見ないでよね。恥ずかしいから」


 少女は何か勘違いしてるらしい。


「リアウインドにかかってるカーテンも開けてくれ」


 少女は自分の思い違いに気付いたのか、顔を赤くしてカーテンを引き開けた。少女のすぐ横に窓の外の風景。たぶん冷静な精神状態ならイヤだと言われていただろう。 

 普段は牛乳配達に使ってるホンダの軽ワンボックス。直射日光からの荷物の保護や車上荒らしの防止のため濃いスモークフィルムが貼ってある。

 中が見えないことは何度か外から見たことのある記憶から気付いたんだろう。後窓に触れ、他の車や歩道を歩く通行人を見た少女は気持ち悪いニヤニヤ笑いをしていた。

 少女が望んでいない外の世界を見せる窓も、こっちから一方的に見るだけのモニターだと思えば怖いものではないのかもしれない。

 軽ワンボックスの後部にシートを敷き、その上に畳を置いたスペースは少女にとって快適と言えなくもないスペースになったらしい。

 畳の前後左右に充分なスペースがあり、後輪や後部ドア等のスペースまで含めた事実上の面積は二畳弱、ネットカフェの座敷席よりよっぽど広い。

 あとはリムジンよりだいぶ軽く不安定な軽ワンボックスを揺らさず走る俺の運転テクニックにかかっている。そう思った途端、横をすり抜けたバイクが前に回ったことに驚き、強めのブレーキを踏んでしまった。

 分厚い革張りの座椅子ごとすってんころりんと転がる少女、文句でも言ってくるかと思ったが、少女はテーブルと並べて置かれたクーラーボックスを自分の横に引きずっていき、自分にとって左側となる進行方向に置いた。

 少女の祖母である老婦人が、長引いてもせいぜい一泊の旅には大げさすぎるほどの食料を入れてくれた特大のクーラーボックス。

 少女はちょうどいい肘置き兼サイドテーブルになり、しかも開ければ食料がいくらでも出てくる仕掛けを気に入った様子。またPCに向かいネットを始めたが、キーを叩く手を止め、座椅子の上で伸びをした。

 少女とルームミラー越しに目が合う。膝歩きで俺のすぐ後ろに近づいてきた少女は言う。


「ネット飽きちゃった」


 いつもは昼夜を分かたず何時間もネットを続けてるという少女。すぐ隣の窓から見える外の風景が少女の精神に影響をもたらしたんだろうか?

 少女を楽しませるためのアニメ動画や掲示板ではなく、絶えず移り変わる世の日常という作為の無い作品を上映し続ける窓。

 刺激を与えることを目的とせず存在するものから受けた刺激。少女はそこから逃れるように俺のところまでやってきた。

 少女はクーラーボックスから取り出した何かを手に持っている。瓶入りのコーヒー。

 俺が毎朝宅配しているコーヒーと同じ物。ちょっと品揃えのいいスーパーには置いてあるコーヒーを老婦人は買い込んでくれたらしい。何のためかは少女を見ていて何となくわかった。

 少女は二本持っていたコーヒーのうちの一本を俺に差し出して言った。

「まだぁ?」

 

 軽ワンボックスは国道246の厚木付近を走っている。カーナビはついてないが、バイクで何度か行った経験から、だいたいの行程はわかる。


「五分の一ってとこかな」


 少女はコーヒーの瓶を握り締めながら不満そうな様子。

 俺もそうだったような気がする。父の車で行った家族旅行。まだ幼く他人に運転してもらう気楽さなど知らなかった俺や妹は、車の中に詰め込まれる退屈から、よく親父にまだ着かないの?と聞いたっけ。

 あの時、親父がワザと実際の走行距離よりだいぶ盛って「もう半分過ぎた」「もう少し」と言った理由が少しわかった気がした。

 俺の運転する車で富士山までいく少女はといえば、正直に答えた内容を聞き、脳内で何かの計算をしてるような顔をした。


「間に合うの?」


「充分すぎるほど」

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