そんな日常

まやの

二十歳、初夏 1

 

 大型連休真っ只中のシネコンはさすがの混雑で、一歩後ろをついてくる哲と気付かぬうちにはぐれてしまわないようにちらちらと振り返りながら歩いた。

 もっと近くに来てくれればいいのにと少し残念には思っても、この人混みの中でその手を取って引き寄せるほどの度胸は今のオレにはない。

 

 ていうか、そもそもデートってどんな感じだったっけ?

  

 ふとそんなことを思ってしまうほど、哲とこうしてデートらしいデートをするのは本当に久しぶりのことだ。

 受験、哲の引っ越し、そして半年余りの別離。それからまたオレの受験。

 無事に合格したあと一度温泉旅行には行ったけど、春にようやくオレが引っ越してからは会うのはほとんどオレの部屋になった。一人暮らしを始めたばかりの部屋はなかなか物が揃わずに細々とした準備が必要だったし、狭い賃貸とは言え自分の城が新鮮だったってこともある。

 そして部屋に二人でいれば当然、身体を重ねることになる。

 別れていた期間の隙間を埋めるように哲から何度も誘われて、断る理由なんてなくて、時には寝食を忘れるほど夢中で抱き合った。昼に会ったのに気づけば夜、なんてことも、何度か。


 なんか、さすがにこれじゃよくないよな。

 今はお互いがひとり暮らしだから下手したらそのままずるずるとそんな生活が続いてしまいそうで、今日は久しぶりに外で待ち合わせをして一日を外で過ごすつもりで計画を立てたんだけど。

 昼食の間哲はいつにも増して口数が少なく、哲が選んだ映画を観ながら緩く繋いだ手はすぐにそっと解かれてしまった。

 映画の後はそのまま買い物でも、と思っていたのに特に見たいものは無いと言う。館内のイベントは子供向けが主で興味が向かないし、目的も無くただふらふら歩くには全体的に混みすぎている。

 途方に暮れて南北のモールを繋ぐ中庭に見つけたパラソル付きのテーブルに腰かけたら、哲は、五月の陽をいっぱいに浴びたその木の温もりに擦り寄るようにしてテーブルに突っ伏してしまった。

「哲。どうした。なんか、具合悪いの?」

 訊けば顔も上げないままでふるふると首を横に振る。やわらかな髪が陽の光を弾くのを愛おしく見つめながらやっぱり手を伸ばして触れることはできない。

「疲れた?」

「…ん、…平気」

「どうした?」

 訊いても何も答えは返ってこない。


 デートって、どんな感じだったっけ?


 もしかして大学生にもなったらこんな遊び方はしないんだろうか。折角の連休なんだからもうちょっと遠出をしてみるとか、なにか大きなイベントに参加してみるとか、そういう目先を変えた過ごし方を提案したほうがよかったんだろうか?

 考えていたらどんどん情けない気分になってきた。項垂れそうな自分の顔を頬杖で支え、哲の耳を見つめながら訊いてみる。

「なぁ、今からでもどっか、行きたいとことか、ある?」

「う、んー…」

 曖昧な返事。だけどなにもないと首を振られるよりはずっといい。わずかな反応を逃さないように、質問を重ねた。

「あるなら、言ってみ?」

 哲がわずかに顔を上げて、上目遣いでオレを見る。なにか言いたげな目だ。

「どうした?」

「…ラインしてもいい?」

「え?」

 戸惑ったオレから目を反らし、哲はさっと席を立って人混みを上手にすり抜け通路の端の手すりまで移動した。

 目の前にいるのにラインって?と狐につままれたような気分でいるオレのスマホがすぐにポケットの中で震え出す。

 取り出して画面を開く。今朝待ち合わせの確認をしたメッセージのあとに、


『ホテル』


 とひとこと、吹き出しが浮かんでいる。

 一瞬でぴんときてだからこそ驚いて、どういうこと、とワンクッション置くべきか迷っていたらまたブブっと震えて吹き出しが増えた。


『行きたいとこ』


 …すげえ。ラインとはいえ、随分ストレートだな。って、ラブホ、ってことで間違ってないよな?


『哲の後ろにあるような?』


 念のためにオレが送った確認のメッセージを受け取ったて哲が振り返った先にあるのは一年前に出来たばかりの外資系の高級ホテルだ。GW真っただ中に思い付きで泊まれるようなところじゃない。

 視線の先で人混みのなかに見え隠れする哲がもう一度スマホに指を滑らせて、オレの手元には生意気そうなウサギが「NO!」と舌を出しているスタンプが送られてきた。確定だ。


『了解。探すから待ってて』


 位置情報をONにしてラブホを検索。

 残念ながら徒歩圏内にはないようだ。一旦駅に戻って電車に乗るのは手間だけど、ならば、どうせならちゃんと評価の高いところのほうがいいだろう。

 駅名+ラブホで検索をかけるとずらっと何軒も表示されて、しかも塗られた☆マークの数で評価まで一目でわかる。奥ゆかしさの欠片もない。まったく便利な世の中だ。

 そんな風に探している間、結局哲はオレのところに戻っては来なかった。



「お待たせ」

「うん」

「あんまり近くにはねぇな。電車乗らなきゃだけど、ここでいい?」

 手すりに凭れかかったままの哲に画面を差し向けるとろくに見もせずにふいと視線を反らした。

「見せるなよそんなの」

 嫌そうに顔を顰めて言うのは照れているからだろう。随分と思い切りのいいことをした割に内心はどきどきしているに違いない。

 それはもちろん、オレだって同じだ。なんでもないような態度を保ってはいるけどこんなの全然当たり前じゃない。哲とセックスなんてもう数えきれないぐらいしてるけど、わざわざラブホなんて行ったことはないのだ。


 そわそわと落ち着かない気持ちのまま並んで駅方面に向かう。午後遅くになってますます増える人波の中、哲がさっきまでよりだいぶ近い位置を歩いてくれているのが嬉しかった。

「あ、ちょっと待って」

 通りがかったATMの行列を見て咄嗟に財布の中身を思い浮かべる。飯食って映画を観て、これからホテルに行って晩飯まで済ますことを考えると心許ない残金だ。ホテルの前にドラッグストアにも寄らなければならない。何せ今日はそんなつもりじゃなかったから必要なものの手持ちがないのだ。

「悪い。ちょっと並んでくる」

 行列を指で示し歩き出したオレの腕を哲が引っ張って止めた。オレを見上げて厳しい顔で首を振る。一人暮らしを始めたばかりで何かと金が出ていくとぼやいていたオレを心配しているのだろう。

「いや、一応。足りなかった困るじゃん」

「いい。オレが出すよ」

「いや、そういうわけにもいかないだろ」

「だってオレが言ったんだし。ていうか、タイセイがお金下ろすぐらいなら行くのやめる」

「………」

「行こ」

 オレの腕を押すようにして駅に向かう迷いのない足取り。オレのいない時間の中でこんなにもたくましくなった哲を好きだと思う気持ちがどこまでも膨らんでいく。


 

 昼日中、男二人でホテル街を歩くのはさすがに少し居心地が悪く、さっきスマホで確認して当たりをつけておいた無人受付のホテルを真っすぐに目指してそのまま勢いで自動ドアを抜けた。部屋の写真がずらりとならんだパネルの前には幸い、他に誰もいない。ほっと一息ついて、哲の手を握る。

「どこにする?ジャグジー全部屋だって、すげえ。雰囲気が色々あんだな。ロココ調とかなにこれ、ごてごてじゃん」

 二人きりなのをいいことに持ち前の好奇心が疼き空き部屋を丹念に比較するオレの腕を哲が拳でどんと突いた。

「別にどこでもいいよ、早くしようよ」

 焦る哲は、かわいい。


 結局、一番シンプルだったニューヨークスタイルとかいうコンセプトの部屋を選んだ。静かに閉まった重たいドアの内側で哲が長い溜息をつきオレを見上げる。

「なんか、ごめん」 

「え?」

「今日は、こういうつもりじゃなかったんだろ?」

 緊張を解き、今更しゅんとした顔で小首を傾げる哲の額に、静かにキスを落とした。そのまま唇に移動して柔らかなそこをそっと食む。哲は大人しく、されるがまま。自分からこんなところに誘っておいて、あんまり積極的になったらオレが呆れるとでも思ってるのか。頬をやさしく撫でながら笑いかけてやる。

「別に。哲がしたいなら、いいよ」

「…なに、それ。…オレだけってこと?」

 潤んだ瞳にじわりと滲む、不安と不満が入り混じった色。

「違うよ。オレだってあんまりいつもがっついてたら嫌われると思うじゃん。だから」

 だから、たまには外でって思ったんだけど。

 ここまできたらそんなのほとんど意味のない言葉に思えて言うのはやめて、代わりにどんどんキスを深くした。哲がぎゅっとオレの服の袖を握りしめ、ん、と鼻から声を漏らす。

「ま、ゆっくりしようぜ。せっかく来たんだし」

 一度唇を開放し、手を引いてベッドに向かった。


 膝でベッドに乗り上がった哲はそのままずりずりと枕元に移動し、そこにある部屋の照明やらなにやらのスイッチが並んだパネルを物珍しそうに眺めた。操作すると備え付けのテレビが点き、さらに何か押したらしく画面がいきなりAVに切り替わった。

「う、わぁ…」

 哲は驚きの声を上げながらその画面を注視する。なかなか濃厚な絡みだ。ごくんと唾を飲んで喉仏が動くのをみたら複雑な気持ちになる。オレがいるのに、なんで、とか。こんなの観ながらするような趣味は互いにないはずだ、オレはオレだけを見ていて欲しい。

 横から哲を抱き締めて、冷たい耳にキスをする。

「ん、」

 肩を縮めて微かな声を漏らす哲。画面から聞こえる大袈裟なあえぎ声が邪魔だ。そのまま哲をベッドに押し倒して、ついでに腕を伸ばしてパネルを探りテレビを消した。静かになった部屋で真上から哲の顔を覗き込む。さて今日は、どうしようか?

 探るように覗いたオレの熱い視線を受けて、哲の顔が僅かに曇った。

「タイセイ、慣れてるね」

「え?」

「慣れてるんだろ…こういう場所」

 こんな状況で、悲しげな掠れ声でいきなりそんなことを言われて心臓がひやりと冷えた。

「別に、慣れてなんかねぇよ」

「そう?でも、…初めてじゃ、ないだろ?」

 たぶんさらりと言おうとして、でも結局つっかえてしまった言葉。間近に覗き込む瞳いっぱいに浮かぶ、複雑な感情。固い決心をしたような、軽い雑談に紛らせてしまおうと思っているような。

 だめだ、このままヤったりしたら。

 そうだ。おかしかっただろ、今日は朝からずっと。オレが外で過ごそうと決めたのを知っていていきなりこんなところに誘ったことだって。

 オレは身体を起こし、ベッドの上に座り直して、真っすぐに哲を見た。

「哲。オレに何か聞きたい事ある?」

 促すと仰向けのままの哲が腕で顔を覆ってしまう。そんな風に、哲が本当は隠してそのまま無いものにしてしまいたいと思っているであろうことを全部、見せて欲しいと思う。オレは哲の全部が欲しい。

「気になることあるなら、何でも聞いて。全部正直に話すよ」

 それで例えばまた哲が傷ついても、傷ごと全部、受け止める覚悟だ。


                          つづく


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