第5話 POP過ぎる床屋

 小学生のころの自分のことはすっかり忘れていた。あの順不同になんにでも対処できた柔軟さや、それでも結局何しても言いかわからないもどかしさなど、今となってはいくらそうしようと思ってもできない。最近は自分の行動に関して一種の型のようなものがあってそれを外れることを極端に嫌う。臨機応変の能力と言うのに極めてかけている。すべては予め決められた線に乗っかって行われ、そこから逸脱しないことを一番の目標にしているのである。

 そんな私がどうしてこんな床屋に入ってしまったのだろう。旅先のことで事情が分からなかったにしてもここは来るべきではなかった。何しろ理容師は茶髪というよりは赤い髪をしていて、ピアスはもちろん鼻にまで光る物が付いている。話し方もなんというか妙なアクセントと不必要な巻き舌で店全体の空気が軽薄、というより俗悪というのが適切だ。


 私が次に目覚めたのはこのヘアサロン「キッチュ」だった。それはまさに調髪が始まろうとしていた瞬間であり、もはや逃げ隠れする猶予はなかった。赤い髪の理髪師はどう切るかなどと一切聞かない。いきなりバリカンのスイッチを入れると大胆に刈り込み始めた。こういうときに私は意気地がない。制止することもせずになすがままにされることにした。わずかに震えたのが伝わったのだろうか。赤い髪はバリカンを止めぶっきらぼうに、

「大丈夫っすか」

 とだけ聞いた。私が問題がないと答えると、目だけで反応して再びバリカンの音を響かせ、髪を大胆に刈っていった。この時の私はすでに視力が落ちた後だったようで鏡をみても自分の頭上で起きていることが何かがはっきりとは分からない。漠然と田んぼのあぜ道のように何本かの線状の刈り残しがある様を想像してぞっとした。

 しかし、どういうわけかこういう時には不思議と度胸がすわるのが私の長所であり欠点であった。もうどうとにもなれと腹をくくることができるのである。一度そう思うとかなり気が楽になった。赤い髪は聞えるかどうかのぎりぎりの音量で鼻歌を歌っている。それがどうもパンク系のロックのようだ。どこかで聴いたことがあるが何であるかは思い出せない。

 すっかり諦めきって目をつぶっていたが、どうやらもうやるべきことは終ったらしい。ブラシをかけ始めたのでさすがに目をあけて鏡を見た。しかし弱視の私にはどんな仕上がりになったのかまるでわからない。

「終りましたよ」

 そういって眼鏡を取ってくれた。恐る恐るかけてみると想像通り、ではなくまったく普通の仕上がりになっていた。むしろ今まで入ったどこの床屋より腕がいいように感じた。赤い髪はさらにブラシをかけながら、

「お客さんは旅の人でしょ。初めてですよね。でも、なんとなくね・・・」

「えっ?」

 はてなマークを隠せない私を置き去りにして赤い髪はさらに話す。

「今回の旅は何かをふっきるための旅だったんでしょ。そして、どうやらその目的は達成できたみたいっすね。・・・なに、長年この仕事やっているとなんとなく分かるんすよ」

 赤い髪はあっけにとられている私の肩についている毛をていねいに落とした。

「元通りにしておきましたよ。結構床屋にはご無沙汰だったでしょ。でも、あんたさんに似合っているのはこの髪型っすよ。お硬いお仕事なんでしょ。あんたさんのことを頼りにしている方がたくさんおられるっすよ。だからそのイメージでお仕事をなさったほうがいいっすよ」

「よくわかるんですね。当たっていますよ。君の言ったことは・・・」

「へへ、長年こればっかりやってますんで・・・」

 赤い髪はサムアップして笑顔を見せた。その時耳と鼻のピアスが光った。私は釣りはいらないからといって札束を渡した。お釣りは100円だったが。

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