第二章 ~王子と野盗~


 その小娘は誰もが恐れた俺をまるで犬っころのように扱った。


「この庭園を綺麗にして頂戴」

 小娘は召使に部屋の掃除でも命じるように偉そうに言った。実際偉いのだろうが、崩れそうな石段によじ登って腰に手を当て、精一杯に胸を張る姿は虚勢以外のなにものにも見えない。

「綺麗にだって?」

 俺は辺りを見回し笑った。森のなかにあって植物が育っていない場所を、言うに事欠いて庭園と呼ぶのがおかしかった。申し訳程度の石畳の道こそあるが、後は壊れた彫刻だか縁石の跡だかが転々とあるだけで、更地と呼ぶにも貧相だ。

「花壇を直して、花を植えて、育てるのよ」

「俺は花なんか、いじったことねえ」

 落ち葉を集めて焚き火をするぐらいならできるが、この朽ちた庭園を綺麗にしろなんて手に余る話だ。

「私も花の手入れなんて出来ないわ。だから、あなたに頼んでいるの」

「だったらできる奴に頼め。偉いんだろ、庭師を呼べ」

 まともな意見を言ったつもりだったが、小娘は小馬鹿にするように肩をすくめると正面を指さした。

「アレの所為で庭師は呼べないの」

 小娘が指さした先には、俺でも一抱えありそうな大斧が食い込む巨石があった。凡人には理解できない貴族の芸術趣味かと思っていたが、どうやら違うらしい。

「この馬鹿でかい斧がどうした?」

「呪われた魔王の斧よ。これのせいで周りの植物が育ちにくいの。普通の人間の体力じゃ、長い時間ここにいると体調が悪くなってしまうわ」

 話を聞きながら俺は地面に転がった細い棒を手に取った。生気を吸い取られてしまったかのように白色化した木の枝だった。指に力を込めると鉱物のように砕けパラパラと地面に落ちていった。

「普通の人間ねえ……そりゃ、オークの俺にぴったりの仕事だな」

 思わぬ天職だ。長いこと生きていると思わぬ巡り合わせがあるものだと、少しだけ感慨深かった。

「あなたがオークなんて分かってるわよ。バカにしてるの?」

 小娘は不機嫌そうに言った。随分と気の強い小娘だ。崩れそうな石段の上に無理やり登ったのも、おそらく俺と目線を合わせるためだろう。俺は小娘を宥めるように右手を軽く上下に振った。

「分かった分かった。こいつのせいでどうせ拒否権はないんだ」

 首を少しでも動かすとひんやりとした首輪の感触が分かる。小娘の手ではめられた魔法の首輪だ。小娘に逆らおうものならこいつが首を絞める。それでも逆らい続けたり、逃げようとするものなら、首が落ちるらしい。そんなつまらない理由で死ぬのは勘弁したい所だ。

「どうせ、やることも行くとこもねえしな、小娘の遊びに付き合ってやるよ」

「小娘じゃないわ。エクセラよ。エクセラ・アーデルランド。あなたの名前は?」

「名前、ね……」

 俺は少し考えた。捨ててきた、あるいは置いてき幾つもの名前が浮かんだが、それを口にはしなかった。

「長いこと呼ばれてねえから忘れちまったな。オークとでも呼びな」

「それはダメよ。名前は特別なものだもの。オークなんて一括りの名前で呼べないわ。そうね……」

 エクセラは石段をぴょんと飛び降りると、地面をウロウロしながら考え始めた。小さな眉を精一杯寄せ真剣な表情を浮かべていた。

「名は体を表す、か……」

 俺は苦笑した。ずいぶん長いことオークとだけ呼ばれていた。それがすっかり身体に染み付いていたようだ。

「庭園(ガーデン)じゃそのままだし……、私を守ってくれたから守り人(ガーディアン)、うーんちょっと長いわね……」

 腕組みをしたエクセラはぶつぶつ言いながら、斧の刺さった巨石を一周してきた。元の位置まで戻ってくると、組んでいた腕を解いて俺を見上げた。

「決めた、あなたの名前はガルディよ!」

 エクセラはどうだと言わんばかりの笑顔を浮かべていた。



 王都を出発して五日、ガルディとエクセラは野盗の拠点から一番近い国境の村に到着した。

「思ったより賑わっているな」

 エクセラが意外そうに呟いた。

 申し訳程度の木のアーチを抜け、村に足を踏み入れると何台もの馬車とそれを取り巻く人々の姿があった。

「商隊だな」

 ガルディは同意するように言った。

 馬車の台数とその横に立つ人間の格好から、彼らが商隊なのは一目瞭然だった。野良着とは明らかに生地が違う、仕立ての良さそうな服を着てい人間もいる。ちらりとだが傭兵らしき姿も見えた。

 二人も傭兵然とした格好をしている。エクセラは腰に剣を帯び、胸当てや肘当てなど要所を守る軽鎧にマントだ。城下に出かける装いとそれほど変わらないが、彼女を知らない人間が見れば剣士と思うだろう。

 一方のガルディは、オークであることを隠さなければならないので少し大変だ。革鎧の上に全身をすっぽりつ包む薄手のローブを身につけている。もちろん顔を出せないので、目元までフードを被り、口元には布を巻いている。エクセラから滲み出る華やかさの影に隠れることもあって、ガルディの正体がバレたことは無いけれど、夏はとにかく暑いのが難点だ。

 ローブの上に二人分の荷物が入った背嚢を担いでいる。エクセラの着替えや食料、細々とした雑貨など重くはないが多少邪魔くさい。腰に大ぶりの鉈を身につけているので、ただの荷物持ちには見えないだろう。

 こちらに気づいた村人が農作業の手を止め、目を見開いていた。おそらくエクセラの美しさとガルディの巨体に驚いているのだろ。ただ傭兵と関わり合いになりたくないのか、声はかけてこなかった。

 ガルディは止まっている馬車に視線を戻し疑問を投げかける。

「何か問題が起きて道を外れたのか?」

 道中にエクセラから聞いた話では、この村は通常の交易ルートと比べて遠回りなのであまり使われていないということだった。実際、ここまでの道もあまり整備されていず、村の中を見回しても大きな宿など旅人向けの施設は見当たらなかった。

「どこか別の町に寄ってきたんじゃないのか。それか、この村に届け物があったのかもしれん」

 エクセラが興味なさそうに言った。あまり気にしていない様子だったがガルディは違った。商人が無駄なことはしないことを知っているからだ。見たところ、村人相手に多少は商品を融通しているようだが、小さい村のためにこの規模の商隊を動かしては足が出る。何か特別な理由があって遠回りしたのだろう。

「なんでこの村に寄ったかはどうでも良い。それより商隊なら野盗の情報をもってるはずだ。少し話を聞いてみるぞ」

 エクセラは物怖じせず広場に止められた馬車に大股で近づいていく。ガルディはその後ろをゆっくりとついていった。

 商隊は馬車が六台、見えているだけで九人ほどで中規模と言えるだろう。護衛らしき姿は三人、腕前のほどは分からないが少々バランスが悪い編成だ。

 人々の中心で指示を出していたのは若い黒髪の男だ。身長はエクセラと同じぐらいだろう、意志の強そうな目をしていて利発そうな印象を受ける。野良着姿の村民は、もちろん他の人間に比べても一際高そうな服を着ている。

 従う人間の雰囲気からして商家の跡取り息子、大旦那に商隊を任され日が浅く実践で学んでいるといったところだろうか。

「忙しそうなところ悪いが、少し話を聞かせてもらえないか?」

 エクセラの言葉は内容こそ遠慮がちだが、有無を言わせぬ力がある。案の定、黒髪の青年は驚いたように指示の手を止めエクセラの方を向いた。

「はい、何でしょうか?」

 青年は驚きの表情を引っ込めると、愛想の良い笑みを浮かべた。普通の女なら顔を赤めてもおかしくないほどの美形だが、エクセラはまるで意に介さない。年頃だが男女のそういったことにはまるで興味が無いようだ。余計なお世話だろうが、姫として大丈夫なのだろうか。

 ガルディがそんな心配をしているとも知らないで、エクセラは青年に話を聞いていた。

「この辺りに野盗が出るという話を知らないか」

 前置きや駆け引きなんて面倒臭いことは一切しないエクセラはいきなり本題に入った。

「私達もそれで困ってるんですよ」

 神妙な面持ちで答え青年は肩を落とした。

「どうした、ここまでの道中で襲われたのか?」

 早くも目的の情報を前にして、エクセラは興奮気味に青年に詰め寄った。積極的な態度にたじろいだ青年は、一歩後ろに下がって背筋を伸ばした。

「い、いえ、その直前と言った所です。雇った護衛の中に賊の手の者が紛れ込んでいて、我々の到着を本隊に知らされてしまいました。我々が村を出たところを狙っていることでしょう」

 青年は困り果てたように深い溜息をついた。

「なるほど、それで護衛の数が少ないわけだな」

 紛れ込んだ野盗と戦いになって、何人か命を落としたのだろう。残った三人では六台の馬車を守れるはずもなく、進むことも来た道を戻ることもできなくなったということだ。

「お恥ずかしい話ですが、こんな辺鄙な道にそんな野盗が出るとは思わず、人件費を安く上げようとしてこの有り様です」

 自業自得と言えばそれまでだが、若い商人とは得てしてそういうものだ。日夜、新しくて魅力的な商品を手に入れるため独自の交易ルート開拓に精を出している。

「その格好からして、お二人は傭兵ですか」

「うむ、その通りだ」

 青年の問いにエクセラは胸を張って答えた。何が嬉しいのか、旅先で傭兵扱いされるとエクセラはやたらと喜ぶ。

 傭兵なんてのはほとんどが社会のはみ出し者、それこそ一歩踏み外せば野盗に堕ちていくような連中ばかりだ。エクセラには間違ってもそんな人間にはなってほしくない。

 エクセラの言葉に青年の顔がパッと明るくなった。

「ああ、良かった! 旅の傭兵ということは腕が立つんですよね。是非、お二人に護衛を頼めませんか?」

 余程困っていたのか、青年は拝むように手を合わせて懇願した。女で旅の傭兵となれば、詐欺師でもない限りそれ相応の腕は保証されているようなものだ。それに加えて、ガルディの大柄な体格は見るからに安心感があるだろう。

「分かった、引き受けよう」

 本当に分かっているのだろうか、エクセラは二つ返事で請け負ってしまった。

「ありがとうございます!」

 喜ぶ青年を尻目にガルディは長い息を吐いた。野盗の拠点を調べに来たのに目立つ動きは問題なことはエクセラにも分かっているはずだ。しかし、困っている目の前の人を放っておけない質(たち)だから仕方ない。

 ガルディの視線に気づいたエクセラが、心配するなと胸を叩く。

「全員倒すなら一緒だ!」

 青年はエクセラの言葉を都合よく解釈してくれたのか心強そうに両手を合わせた。

「頼もしいです! この際、勉強料だと思って報酬は弾まさせてもらいますよ!」

 そう言って、青年は随分と気前のいい報酬を提示した。



 翌朝、準備を整えた商隊と共にガルディとエクセラは村を出発した。

 二人にとっては来た道を戻る形になる。一日前の林道は静かなものだった。野盗達は商隊だけを監視しているのか、貧乏そうな傭兵を相手に危険を犯したくないと無視したのか、単純に行き違いだったのか、野盗に襲われることはなかった。

 しかし、今日は違う。六台の馬車が轍を刻む音が、森に響き渡っている。小型のモンスターや動物なら逃げていくだろうが、野盗達にとっては猫の鈴と一緒だ。お宝が自分の居場所を告げながらやってくるのだから、涎が止まらないところだろう。

 ガルディとエクセラは隊列の先頭を歩いていた。村を出てすぐに襲われることはなく、隊列は林道を粛々と進んでいく。

 太陽が高くなった頃、商隊は長めの休憩をとった。ガルディとエクセラが商隊から渡された干し肉とパンを食べていると、黒髪の青年がやって来てエクセラに話しかけた。

「お疲れ様です」

 青年の名前はロイドといった。ガルディが予想した通り、商家の跡取り息子で一人で商隊を任されたのは今回でまだ三回目だという。少しでも多くの利益をあげようと焦ってしまい、ハズレの傭兵を掴まされたと反省していた。

「少し遅れていますね。このままだと、森のなかで夜を迎えてしまいそうです」

 狙われていることが分かっているので皆が慎重になり隊列の進みは遅った。早朝から歩いたにも関わらず、予定の三分の二ほどしか進めていなかった。

「これから先は少し足を速めてもらっても良いですか?」

「私達は構わんが、そちらは大丈夫なのか?」

「ええ私も部下たちも体力はありますから」

 ロイドは自信があるようだった。隊列の歩みは少しばかり遅いがつねに速度は一定で、ガルディが見た限りでは休憩中も疲れて座り込んでいるような者はいなかった。人望か報酬か、とにかく統率はとれているようだ。

「その剣も飾りではないと思って良いのだな」

 エクセラはロイドが腰に帯びた剣を見て言った。

「いえいえ、下手の横好き、ただの手習いです。あまり期待されても困ります」

 ロイドは笑いながら答えた。仕立てのいい服の割に剣は実践的で装飾はない。それに歩き方も剣を意識している。果たして言葉通りだろうか。

「馬車は何を積んでいるんだ?」

 エクセラが尋ねた。剣を使えるということで、多少ロイド本人にも興味が湧いたようだ。

「主に反物です。あとは工芸品や珍しい酒の類が少々」

「それなら多少遅れても腐ったりしないな」

「だから、遠回りになっても大丈夫だと思いこの道を選択したのですが、裏目に出てしまったようです」

 ロイドは残念そうに言って肩を竦めた。

「まあ、そのお陰で色々と新しい仕入れや出会いもあったのですけどね。ところで、お二人はどこかギルドや傭兵団に所属されているのですか?」

「いや、ガルディと二人で気ままに仕事を受けている」

 実際は気ままではなくエクセラの我儘でだ。

「鳥のように自由に西へ東へですか……、少し憧れます」

 ロイドは目を伏せ感慨深げに言った。その理由がわからないのか、エクセラは不思議そうに首を傾げ聞き返す。

「商人は金になればどこへでも行くのではないのか?」

「ええ、まあ建前ではそうですけど、決して自由が利く身ではありません。世界はこんなにも広いのに、そのほとんどの地を踏まずに死んでいくのは少々もったいないと思ってしまう事があります」

 ロイドの言葉にエクセラは同感だとばかりに深く頷いた。

「そうだな、私も世界中を冒険してみたいと思うことがよくある」

 エクセラが子供だった頃、ガルディはその冒険の夢を何度も聞かされた。冥界へと通じるほど深い地下迷宮での大冒険、絶海の孤島にある海賊の宝を探し、本で読んだのか誰かに聞いたのか、エクセラはそういう話が大好きだった。成長して自分の立場を意識するようになったのか、さすがにもう夢物語は言わなくなった。その代わりに、こうしてガルディは冒険ごっこに付き合わされている。

「どこのギルドにも所属していないなら、自由に旅をできるんじゃないですか?」

「いや、まあ、その……私にも色々と事情があるのだ」

 本当のことを教えるわけにもいかずエクセラは誤魔化した。いい加減な答えだったがロイドは、金銭が理由とでも思ったのか納得したようだった。

「おっと、少し話し込みすぎましたね。十分休めたことですし、そろそろ出発しましょう」

 頃合いを見計らったロイドは、商隊に出発を告げた。

 ロイドは商隊が動き出した後も馬車に戻らず、そのまま先頭に残ってエクセラの隣を歩いた。隊列の進み具合をコントロールするつもりかと思ったが、どうやら違うようだ。エクセラに興味を持ったのか、積極的に話しかけていた。

 エクセラも先ほどの会話でロイドに何か似たものを感じたのか、快く話に付き合っていた。もちろん、周囲への警戒は怠っていず、予定通り進みも速くなっていた。

 太陽が傾き始める頃、隊列は峰越となる上り坂に差し掛かった。馬車一台通るのがやっとの道幅、これまでの道のりで溜まった疲労、獲物を狙うには絶好の場所だ。周囲の緊張感が高まり、自然と隊列が静かになっていく。風が止むとついに聞こえてくるのは、馬の蹄と馬車の車輪が立てる規則正しい音だけになった。

 上り坂も終わりに差し掛かった時だ、鋭い風切り音が隊列に襲いかかった。

「敵襲だ!」

 剣を抜いたエクセラが矢を切り落としながら叫ぶ。ガルディも巨体には似合わぬ身軽さで身にまとったローブの袖を飜えし、飛んできた矢を絡め落とした。

 矢数こそ多いが、森の中から射っているので狙いは甘い。放たれた矢の大半が、馬車の木枠に刺さっただけだった。

 もとから威嚇と偶然狙いの矢だったのか、左右の茂みが揺れ幾つもの人影が飛び出した。

「へへ、馬車とてめえらの命、両方を置いてって貰おうか」

 道を遮るように現れたのが五人、さらに隊列を挟む両脇の森からも弓を剣に持ち替えた野盗がぞろぞろと姿を表した。ざっと見て二〇人以上、拠点が近いからこれだけの人数を動員できているのだろう。先日捕らえた連中から聞き出した情報は正しかったようだ。

「貴様らにやるものなど、私の剣撃で十分だ!」

 矢の一陣が収まったところで、自分が囮になるつもりなのかエクセラが飛び出していく。剣の練習だけでなく、忍耐を養う精神修行をさせるべきだったと、ガルディは今更ながらに思う。一方の野盗は女の姿に表情が緩んでいた。

「まったく、どいつもこいつも」

 ため息を吐いたガルディがエクセラの後に続こうとした時だ。

「総員抜剣!」

 ロイドが勇まし声で気勢を上げた。それに応えるように、馬車の中から剣や弓を手にした男たちが勢い良く飛び出した。

「な、なにごとだ?!」

 野盗を一人斬り伏せたエクセラが、手を止め思わず振り返った。

 馬車から出てきた男たちだけでなく、元から外にいたロイドの部下たちも剣を握り野盗に戦いを挑んでいく。その動きは素人が破れかぶれで武器を握ったのとは明らかに違う、訓練された動きだ。混乱する中、必ず敵一人に対して複数人で当たるのは集団戦に慣れている証拠だ。

「く、くそ、とにかく全員殺っちまえ!」

 野盗達は突如増えた敵に驚きながらも、地の利と人数の多さで押し切ろうと剣を振り上げる。

「ロイド、これは一体どういうことだ?」

 予想していたのと明らかに違う事態にエクセラが苦情混じりの大声をあげたが、ロイドは涼しい顔をしていた。

「説明は後でします。今は敵を倒すのが先です」

「ああ分かってる、がっ!」

 エクセラは納得していない様子だったが、斬りかかってくる野盗をいなすのに言葉を持って行かれてしまった。

 エクセラの実力はもちろんだが、ロイドの剣も冴えを見せていた。野盗が振るう無茶苦茶な斬り下ろしを余裕を持って躱すと、そのまま踏み込み逆に腹を突き刺した。

 二人に手助けは要らなそうだ。一方でガルディの巨体を恐れてか、戦いを挑んでくる野盗がいない。仕方なく苦戦している他の商隊の人間に加勢することにした。すでに乱戦になっているので味方を傷つけないよう腰の鉈は使わず、馬車から転げ落ちた木の棒で野盗の頭を殴ったり腹を突いたりして倒していく。

 始めこそ人数に任せて勢いのあった野盗共だが、徐々に数を減らされ急速に気勢が削がれていった。美味そうな酒を括りつけた羊かと思ったら、全て訓練された犬だったのだ。ガルディとエクセラ同様に、自分たちがハメられたことに気付き闘争心が萎えていくのが見ていて分かった。

「なにが相手は楽な商隊だ! 話がちげえぞ、くそ、こんなところで死んでたまるか!」

 野盗の一人が逃げ出したのを切っ掛けに敵は総崩れになった。所詮は浅はかな本能だけで生きているような連中だ。戦いを支えようなんて気概は一切なかった。

「さて、あなた達の根城を教えてもらいましょうか」

 ロイドが蹴倒した野盗に剣を突きつける。大勢は決し周りの人間の意識がその光景に集中した時だ。ガルディの耳は、矢をつがえ弓を軋ませる音を捕らえた。

「右だ!」

 銅鑼を打ったような大声に、即座にエクセラが反応し剣と視線を森に向ける。間に合うはずだった。

「あぶない!」

 風切り音に続きロイドがエクセラを庇おうと、彼女の腰に飛びついた。矢を切り落とす事に集中していたエクセラはこれに対処できなかった。

「あっ!」

「ぐっ……」

 縺れるように地面に倒れたエクセラの驚きにロイドの苦悶の声が後から重なった。

 駆け寄ったガルディは倒れた二人の前に飛び出す。

「大丈夫か!」

 肩口に矢を受けたロイドをエクセラが気遣った。盾になったガルディは用心深く気配を探るが見つからない。代わりに相手は息を殺しているのか二の矢は無い。

 音からしてそう遠くない場所から矢は放たれた。近いにも関わらず直前まで気配を気づかせなかったということは相手は待ち伏せに馴れた腕の立つ人間だ。自分一人なら対処できるが、エクセラまで守るとなると難しい可能性がある。

「毒が塗ってあるかもしれん。気をつけろ」

 言い置くとガルディは木の棒を放り出し、鉈を抜きながら森のなかへ身を躍らせる。十年以上も森と共に暮らしているのだ、木々が生い茂る場所を駆け抜けるのは得意だった。気を張り詰めつつも大胆に矢が放たれた場所に近づいていった。

 前方に生えていた茂みが音を立てて揺れる。ガルディの確信を持った動きに、野盗は自分の隠れている場所がバレていると気づいたのだろう。

 直線上に障害物は無い。ガルディは握った鉈を投げるため右腕を振りかぶった。

「チッ」

 小さな舌打ちと共に人影が飛び出した。ちらりと見えた横顔にガルディの動きが一瞬止まる。その僅かな隙に、野盗は後ろに飛び退り文字通り姿を消した。

 ガルディが急いで追いかけると、野盗が居た場所の後ろは急な崖になっていた。消えたように見えたのはこの崖を飛び降りたからだ。

 地面を擦る音が崖の下の方から聞こえる。いくら森に慣れているとはいえ、地形に疎くてはこれ以上の追跡は無理だ。ガルディは鉈を鞘に納め、馬車のところへ引き返した。

 戦いはすでに決着がついていた。地面に倒れているのは野盗だけだ。商隊の人間は傷を負っている者こそいるが重傷者はいない。野盗の半数近くに逃げられてしまったが間違いのない勝利だった。

「申し訳ありません、ロイド様!」

 隊列の半ばで戦いの指揮をとっていた男が、片膝を地面につき恭しく頭を垂れていた。真剣な表情はもちろん、その姿は堂に入ったものだ。応えるロイドからも自然と身についたような威厳が感じられる。

「刺さり方は浅い、毒も塗っていないようだから大丈夫だ」

 そう言ってロイドは矢を掴むとゆっくりと引き抜いた。僅かに顔を歪めたが、それだけで流れ出る血さえ押さえなかった。

「それより、皆よくやってくれた。捕らえた賊がいれば連れてきてくれ」

「ハッ、畏まりました!」

 去っていく男と入れ替えに、別の二人がやってきて手際よくロイドの治療を始めた。

 その横で厳しい顔をしていたエクセラが、一区切り着いただろうと口を開いた。

「貴様、何者だ」

 今にも剣を抜きそうなほど不信感のこもったエクセラの視線に、ロイドは温厚そうな微笑みを返す。

「ロイド・クロディウスと申します」

「クロディウスだと? 貴様、帝国の第三王子か!」

 いくら世情に疎いガルディでもアーデルランドと隣国の関係ぐらいは知っている。クロディウス帝国は貿易こそあるが、決して良好な関係を保っているわけではない。商隊に見せかけ兵士を侵入させるなど挑発行為を超えている。

 警戒する二人に対し、ロイドはさらに不信感を増すような事を告げる。

「エクセラ姫、それにオークのガルディ殿。お噂はかねがね伺っております。騙すような真似をして申し訳ありませんでした」

 治療の途中だったがロイドは慇懃に頭を下げた。

「どうして貴様が我が国の領内にいる」

 エクセラの剣呑な言い方に辺りに緊張感が漂う。ガルディも、もしもの時に備える。そんな不穏な空気に気づいたロイドが、誰かが逸った行動を起こす前に部下たちを手で制した。

「ご安心下さい、私がここにいる理由は姫と一緒です。野盗共は帝国内でも少なからぬ被害を及ぼしています。奴らを退治するために、こうして私兵を商隊に偽装し囮にしました。野盗と遭遇する前に、エクセラ姫と悶着を起こしたくないので黙っていました」

 ロイドの説明は理にかなっていたが、エクセラはまだ納得していないようだった。

「ならばなぜ私達を傭兵として商隊に加えた? お遊びだと影で笑っていたのか? それとも兵士の力量を誇示するためか?」

「姫に興味があったからです。色々と面白い噂が聞こえてくるので前から一度お会いしたいと思っていたんです。思ったとおり、誰にも別け隔てなく接する女傑であられた」

「ふん、馬鹿にして」

 エクセラは素直に受け取らず不機嫌そうに顔を背けた。そんな失礼な態度をとられてもロイドは怒ることなく、ただ苦笑を浮かべるだけだ。二人の年齢は同じぐらいだろうが、ロイドの方がこういった会話に一日の長がありそうだ。

 そんなことを考えているのがバレたのか、振り向いたエクセラがこれまた不機嫌そうにガルディを見上げる。

「矢を放った野盗は捕まえられたのか?」

「いや、逃げられた」

 ガルディの返答にエクセラは意外そうに片眉をピクリと上げた。

「なるほど、野盗にもできる奴がいるようだ」

「かなりの人数に逃げられたからな、囮部隊だと気づかれれば拠点を移されるぞ」

 ガルディはエクセラに言ったつもりだが、ロイドも深く頷いていた。

「早く後を追わなければなりませんね」

 包帯を巻き終わったロイドは立ち上がり剣を手に取ろうとするが、慌てた部下たちに止められてしまう。

「ロイド様! 肩の傷に障ります!」

「私の傷のことはいい。それよりも人々の安全を優先するぞ。自国他国を問わず、それが力を持つ人間の責務なのだから」

 ロイドは押し留めようとする部下から、強引に剣を奪い返した。人として立派な志だろうが、それが本当に正解なのかガルディには分からなかった。しかし、エクセラは的を得たりとばかりに力強く同意した。

「うむ、まさしくその通りだ! 私も助力を惜しまんぞ!」

 闘志を燃やしたエクセラが握りこぶしを作って意気込んでいると、先ほどの兵士が縄で縛られた野盗を連れてきた。

「時間がありません。少々手荒でも良いので根城の場所を聞き出して下さい」

 ロイドの命令に二人の兵士が野盗に剣を向ける。

「お前らの根城はどこにある! 吐け!」

「ぐっ……」

 訓練された冷徹さが伝わったのか野盗の顔から血の気が引いていく。こいつの頭のなかでは、裏切りの制裁と今ある自分の命が両天秤でぐらぐら揺れていることだろう。そもそも、喋ったからといって生かしおいてもらえる保証もない。むしろ喋った瞬間に用済みとして処分される可能性のほうが高い。

 決心がつかない野盗の指に剣が向けられた時だ。我慢できないとばかりに、エクセラが兵士と野盗の間に鞘をつきだした。

「待て。奴らの拠点なら私が知っている。無駄に血を流す必要はない」

 エクセラは抵抗できない者が傷めつけられるのを嫌ったようだ。すぐに言い出さなかったのは、前に捕まえた野盗のように喋ることを期待したのだろう。

 兵士は動きを止めると主であるロイドを伺った。ロイドは少し考える素振りを見せてから、エクセラを見据えて言った。

「野盗相手に随分と慈悲深いですね。ここで禍根を断っておいた方が良いと思いますよ」

「私は騎士だ。無抵抗の人間を傷つけるのは見過ごせない。それが例え野盗であってもだ」

「……分かりました。ここはアーデルランドです。姫の意向に従いましょう」

 ロイドは手振りで兵士に剣を下げさせた。

「あ、ありがとうございます!」

 安堵のため息を付いた野盗はそのまま、調子の良いことに地面に頭をついてエクセラに感謝した。

「この場は助けるが、王国の法に則り裁きを受けてもらうぞ」

 エクセラが付け加えるが、それでも野盗は感じ入ったように頭を下げ続ける。それを見たロイドがなにやら関心したように頷いていた。

「今から野盗の拠点を攻めるとしてだ」

 それまで黙っていたガルディが口を開いた。話が逸れてしまったことを誰も指摘しないので、仕方なく自ら懸念材料を挙げるしかなかった。

「この人数で大丈夫か?」

 馬車に隠れていた兵士と自分たち二人を合わせても、この場にいるのは十七人ほどだ。敵の規模がはっきりしないが、少なくとも四〇人から五〇人はいるだろう。野盗と兵士の練度の差こそあれ、相手の拠点で戦うとなるとかなり分が悪い。

「そこは作戦を考えて――」

 ロイドの言葉を遮るように馬が地面を蹴立てる聞こえてきた。敵の第二陣かと全員が身構え、坂の終わりに目を向けると、駆け下りてくる騎馬の姿があった。

「あれは……、騎士団?!」

 その正体に最初に気づいたのはエクセラだった。


「はぁー、なるほどねえ、事情は分かりました」

 説明を受けた髭面の団長はため息混じりに頷いた。自国の姫と隣国の王子を前にしては無礼な気がするが、面倒事の塊のような二人が相手では仕方ないだろう。

 やって来た騎士団はもちろん野盗討伐の一団だった。団長を筆頭にして総勢五〇人ほどとそれほど多くはない。国境近くということで大部隊は動かせないのだろうが、その分少数精鋭といった所だ。

「しかし、随分と早い到着だな。私には二、三日後に出発と言っていたではないか」

 騙されたと思っているのかエクセラはかなり不満そうに口を尖らせた。

「まあ、色々と予定が変わりましてね。それより、言いましたよね、姫さま。勝手なことはしないで下さいって」

 どんな約束をしたか知らないが、エクセラはバツが悪そうに口をつぐんだ。そうやってエクセラの発言を抑えてから、団長は改めてロイドの方を向いた。

「そちらさんも野盗で困っているのはわかりました。ですが、他国で勝手は如何なものですかね」

「仰るとおり、私が軽率でした」

 ロイドは権力を振りかざしたりせず、素直に自分の非を認めた。身分こそ商人と偽っていたけれど、ロイドの真摯さや別け隔てのない態度は根っからのもののようだ。

「まあ、いまさら文句言っても仕方ないですけどねえ」

 団長の軽い嫌味にもロイドは顔色一つ変えない。それどころか、さらに踏み込んだ話を持ちかけた。

「こうやって出会えたのも何かの縁です。我々も野盗の討伐に加えては頂けませんか?」

 意外な提案に団長は眉を顰めるが、エクセラは我が意を得たりとばかりに身を乗り出した。

「おお、それはいい考えだ!」

 エクセラは一も二もなく賛成した。騎士団が大好きなエクセラが、その実力を疑っている訳はない。人数が多いほうが、野盗を早く倒せて皆にとって良いと馬鹿正直に考えているのだろう。

 もちろん、騎士団の団長とあろうものがそんな単純に考えるわけはない。ガルディが小さく息を吐きだすと、まるでそれが通じたかのように団長が首を横に振った。

「お心遣いは嬉しいのですが、そちらさんの手は煩わせません。帝国師団さんほどの人数はいませんが、これでもアーデルランドの精鋭なんで、野盗程度には負けませんな」

 団長の言葉に続き、後ろに控えていた団員たちがロイド率いる帝国兵に厳しい視線を向けた。それは敵を見る目だ。自分たちにも守るべき誇りがあることを示している。

 主に敵意を向けられた帝国兵も負けじと騎士団を睨み返す。緊張感が高まり、両者の間に目に見えない線が明確に引かれた。

「これは失礼な事を言いました。お許し下さい」

 張り詰めた空気を解すうように、ロイドは自ら頭を下げた。

「いえ、私も口が過ぎました。どうか頭を上げてください」

 互いに部下たちの高まりを感じとった所で、すぐに手を打ったのだ。騎士団は溜飲を下げ、帝国兵は主の意向に従う忠誠心を示せた。さすがに大勢の人の上に立つだけあり、的確な判断だ。

 しかし、他人の上に立つよりも、他人とともに歩もうとするエクセラは納得出来ないようだった。

「力を合わせるのは悪く無いと思うが……」

 エクセラが未練がましく呟いたので、ガルディはその口を黙らせるように彼女の頭を手で押さえ下がらせた。

「むぅっ」

 威嚇するようにエクセラが見上げてくるが、ガルディは完全に無視した。子供扱いされたくなければ、大人としての考えと振る舞いを身につけて欲しいものだ。

「では我々はこのまま国に引き上げます。ご武運を」

 団長に言ってから、ロイドは最後にエクセラの方を向いた。

「次は正々堂々と正面からお会いしましょう」

「う、うむ?」

 エクセラはなんだか分からないといった様子で頷いた。

 意味ありげな笑みを残したロイドは、部下たちに指示し撤退を始めた。

「残念だったな」

 ロイドの事を気に入っていたのか、エクセラはガルディに寄りかかりながら少し肩を落としていた。

「効率や安全よりも優先される誇りがある。それに騎士団が、敵に戦術を見せるわけにはいかないだろ」

「……そうか」

 納得できたのかエクセラは頷き、ガルディから背中を離すと騎士団に近づいた。

「思慮が浅かった」

 深々と頭を下げるエクセラに団員達が恐縮してしまうが、団長だけはやれやれといった様子で微笑んでいた。

「いえ、姫が騎士団を信用しているのは知っています。それに民のことや兵士が傷つく事を考えて、共闘した方が良いと言ったんでしょ」

「うむ……。だが、姫として私はあのように言ってはいけなかった」

「それが学べたなら良いんです。次から気をつけましょう」

 団長の言葉にエクセラは、今日のことを心に刻みつけるように深く頷いた。

 ロイド達が坂を下りきったので、騎士団も作戦の拠点となるあの村に向かって歩み始める。

 エクセラもそれについて行こうとするが。

「おっと、姫が進むのはそっちじゃないですよ」

 団長はエクセラの肩を叩くと坂の向こう側、王都へと続く道を指した。

「ついていっては駄目か?」

「駄目です」

 団長に即答されてエクセラは悔しそうに唇を噛んだ。そして言葉を呑み込むかのように喉を動かした。

「……分かった」

 さすがのエクセラも、先ほどの件があるので強くは言えないようだった。エクセラは握りしめていた拳を開き、大きく深呼吸すると騎士団を見渡した。

「私は王都で待っている。必ず全員無事で帰って来るのだぞ!」

 勇ましい姫の声援に団員たちは足を止め振り返る。

「姫さまのために、必ずや!」

 声を合わせ応えた騎士団は、揃いの動きで抜いた剣をエクセラに捧げた。何の心配は要らないだろう事は明白だった。

 団員たちが坂を下っていく姿をエクセラはじっと見つめていた。団長はエクセラに出立を告げると、最後にガルディの方を見た。その目が帰りの道中も頼むと告げていたので、ガルディは頷き返した。

 騎士団が予定を早めた理由は簡単だ。ガルディが城の料理長経由で情報を流したのだった。人々に恐れられるガルディだが、十年も城で暮らしていれば多少は馴染む人間も出てくる。その一人が鹿や猪と交換に、酒を融通してもらっている料理長だ。

「さあ行くぞ、ガルディ! 騎士団の人員が野盗討伐に割かれている今、城と城下の平和を守らねば!」

 意気込むエクセラはさっさと坂を登っていく。

「まったく……」

 ガルディはその後に続き歩き出した。


 城に帰ってから三日後、騎士団による野盗討伐の報がもたらされた。


 そしてさらに五日後、帝国第三王子ロイド・クロディウスからエクセラへの求婚の手紙が届いた。

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