第5話 黒い鳩

 朝日が差し込み、磨き上げられたリノリューム張りの灰色の廊下が艶やかに陽光を返す。この学校が美徳として掲げる「清潔」の成果だ。

 その反射具合は表面の凸凹や歪みで一様ではないが、そのおかげで光が分散され、目に優しい。

「おはようございます。」

 信浩は努めて明るい声を上げる。

 同じ陽光を受けてはいるが均一な光を鋭く返す禿げ上がった頭は微動だにしない。

 まるでそこに信浩という生徒が存在しないようにすれ違う。

 教頭の平山だ。


 今日も無視された。それでも教師か。。。


 すれ違いざまに中肉中背よりも少し背が低く、少し胴回りの太い平山の後頭部を見下ろすように冷めた眼差しで見送る。

 ま、知美が一緒にいなくてよかった。かな、おっとりとした見た目と裏腹に正義感が強く、口が達者な知美なら、相手が教頭であろうと容赦しない。

 文系進学コースの知美と理系進学コースの信浩は今朝も下駄箱で別れ、別々の廊下を進んだ。

 

 俺は悪くない。もちろん父さんだって。。。じゃ、誰が悪いんだ?

 

 信浩の中にいつもの靄(もや)が広がる。


 聞こえないように短く溜息を吐く、気がつくと廊下の歪んだ艶しか視界に入っていない。

 ま、いいか、何が悪かろうと、挨拶を返さない教師は悪い教育者として間違っている。

 俺達が小学校に入る前の頃、あちこちの学校で、卒業式や入学式を始め、様々な学校行事で君が代を歌うことを拒否し、日の丸を掲げることを否定した教師達がいたという。

 この教頭もその1人だったらしい。しかもかなり激しく活動していたという。

「どこの国の人間なのよ。そんなに日本が嫌なら外国へ行けばいいのよ。」

 頬を膨らませて言う知美がまた脳裏に浮かぶ。

 

 日本が嫌い。というよりも日本の歴史と軍隊が嫌いなんだ。だから見た目が似ている自衛隊が嫌いなんだ。本当は違うのに。。。

 信浩は軽く唇を噛んだ。

 

 最近、学校の雰囲気が変わってきた。と知美はいう。

 百里基地への通勤圏内で、東京駅や品川駅に直接乗り入れる茨城県の大動脈ともいえるJR常磐線の駅もある石岡市。その唯一の普通科高校である石岡高校は、百里基地に転任してくる親について転校してくる生徒が多い。また、親が長らく百里基地関係に勤めている生徒もいる。

 そんな訳で、自衛隊関係者に寛容な学校だと思っていた知美は、滅多に会えないが幼馴染のようにしてきた信浩が転校してくるのを楽しみにしていたのだった。

 ところが、信浩が転校してくる頃から学校はおろか、街の雰囲気も堅くなったらしい。今までの馴染みの部隊はバラバラに異動し、後任として「第10航空団」が配備されることになると、しばらくの間、穏やかだった基地反対運動が再燃したのだった。

 百里基地は、1970年代に基地開設反対派による裁判が行われたこともあり、現在も反対派の所有地を避けるために、駐機場から滑走路へ向かう誘導路と呼ばれる飛行機の通り道が「くの字」に曲がっている珍しい基地だ。さらに航空自衛隊の駐機場や格納庫、管制塔が並ぶ従来からの基地エリアと滑走路を挟んで反対側のフェンスの外に「違憲山」と周辺住民や航空マニアから呼ばれている小高い丘がある。

 航空ショーなどで基地エリアから撮影すると、「自衛隊は憲法違反だ」と1文字ずつ掲げられた看板が小高い丘と共に背景に写り、マニアをがっかりさせることもしばしばだ。

 基地開設以来、数十年に渡って百里基地を見つめてきた「違憲山」の足下には、従来の滑走路に加えて2010年に開業した茨城空港に合わせて平行に追加された滑走路も広がる。

 最寄りのJR石岡駅からは10km以上離れ、周辺には商業施設が殆どない。自衛官にでさえ「陸の孤島」と呼ばれている。ここに「首都圏第3の空港」として登場した茨城空港は、格安航空会社でも採算が取りやすいように、徹底的に簡略化を図り、安価な空港使用料を実現した。

 例えば、伸縮かつ可動する通路を航空機のドアに接続することでロビーから直接機内に入れるボーディングブリッジはなく、また、コンパクトに作られた空港ターミナルの間近に駐機場を設けたことで、手続きを済ませた乗客は、空港ターミナルを出て徒歩で機体へ向かう。バスで駐機場の機体まで向かう、いわゆる「沖止め」方式さえ不要だ。更に、絶妙な駐機場の配置により、旅客機が自力で機体の向きを変える事が可能なため、出発の際に牽引車を必要とせず、「クイックランプアウト」という方式を取ることが出来る。

 これらは近隣の成田空港や、羽田空港に追従せず、乗り入れるのは格安航空会社が主流になると見込み、それに合わせた機体規模に合わせて空港を計画した。「背伸び」をしなかったことが幸いしたといえる。

 それでも「陸の孤島」を自他ともに認める立地条件の悪さを圧倒的な不利と感じていた地元住民や自治体の努力もあり、国内第三の航空会社スカイブリッジ航空をはじめ、中国や韓国の航空会社が就航した。特筆すべきは、スカイブリッジ航空の路線が着々と増加していることである。長年国内線を二分してきた大手航空会社に対して低価格と独自のサービスで挑み、勢力を広げてきたスカイブリッジ航空は、採算が採れないと判断すれば、即座に撤退を判断してきた。その徹底的なコスト管理で路線を運営するスカイブリッジ航空が、撤退こそすれ、路線を増やすまでに至るのは、各界の空港不要論という逆風の中で粘り強く活動してきた地域社会にとって嬉しい成果であった。

 このように地域に愛され、育てられた茨城空港の存在により、基地反対運動は年々薄らいでいたのだった。もちろん地域との信頼関係構築のために自衛隊が日夜努力してきた成果も影響している。

 しかし、宇部内閣が主体的平和主義を唱えて、憲法の解釈変更により集団的自衛権を容認すると、専守防衛から海外で戦える自衛隊への移行に多くの国民が困惑した。その解釈変更の理由が大雑把で行使条件が不透明なことが不安に拍車をかける。そういった状況の中で、唯一明確になったのは、主体的平和主義活動を専門に対応する即応部隊の編成であった。

 即応部隊の編成は、航空自衛隊と陸上自衛隊では常設として新設され、海上自衛隊では、艦船が定期検査などで定期的に長期間ドックに入るため必要の都度臨時に即応艦隊を編成することとした。

 この即応部隊で先陣を切って編成された第10航空団を、集団的自衛権の分かりやすい「カタチ」として、マスコミがこぞって取り上げたのは言うまでもない。

 今まで百里基地に配備されていたのが「第7航空団」だったということさえ知らない者がほとんどの近隣市町村の住民は、第10航空団という名前とその任務をマスコミから十分に知らされることとなった。その第10航空団が、第7航空団と入れ替わりで百里基地に配備されることが発表されると、専守防衛のため、という大儀に自衛隊と信頼関係を保ってきた住民の我慢が一気に沸騰した。

 その住民の感情は、全国各地の平和運動団体が支援に集まったまでは良かったが、これに左翼の活動家が加わり、さらに極左の過激派まで合流すると、住民が思う以上に規模や活動の仕方がエスカレートしていった。デモや座り込みでは飽きたらず、基地の敷地内や自衛隊車両に火炎瓶が投げつけられるようになると、住民は直接的な基地反対運動から距離をとるようになった。

 そのやり場のない住民の不満の一部は、小規模な集会やビラ配りでは収束しきれず、自衛隊関係者への風当たりとなって直接吹き荒れた。

 彼等は、平和の使者である「白い鳩」をモチーフとした第10航空団のシンボルを皮肉と捉え「黒い鳩」と呼んではばからなかった。

 もちろん、反対派よりは2割程度少ないが賛成派もいる。その間のいがみ合いも雰囲気を悪くしている一因と言える。


 知美によれば、教頭は、その反対派の中心的役割を果たしているというのが専らの噂らしい。


 だからって。。。俺は悪くない。。。

 受け続けた理不尽さが悔しさを経て怒りへと変換される。

 俺は悪くない。

 叫びたい衝動に駆られる。

 

 信浩は、軽く深呼吸する。


 誰かに何かをされたとき、何かが発生したとき、

 どう受け止めるか?どう思うか?そして、どう行動するか。それは自分で決められるんだ。

 忘れるな。。。ひと呼吸しろ。


 父の教えが木霊(こだま)する。


 そう、今はそう思う人もいる。でも俺は悪くない。。。分かってくれている人も沢山いる。

 それに、挨拶は返すのが教師として、いや人間としての常識だろう。きっと、あの人は気付く。そして今の行動を恥じ、後悔するに違いない。普通の人間に戻ったときに。。。普通の世の中に戻ったときに。。。

 拳を握りしめていつの間にか止まった爪先をじっと見つめていた信浩は、凛と顔を上げると、大股の堂々とした足取りで再び歩き始めた。

 

「情勢とか派遣の意義とか、ありきたりな説明は、国内で散々お聞きになったでしょうから、省きましょう。」

 この基地特有の情報や、行動についての注意点を終えた派遣隊司令官の佐々木は、コーラの缶を一気に煽(あお)った。返事をして苦笑した古川も一気に飲み干す。冷房がきいているとはいえ、もともとの湿度が低いこの地では、良く冷やされた缶コーラもあまり結露の汗をかかないようだ。喉を潤す清涼感の後甘みが残り、改めて水を飲みたくなったが、我慢する。ここでの水は、缶コーラの何倍も貴重だ。

 ゼロカロリーのコーラじゃないからこの調子で行くと太るな。。。

 空になった缶を横目で見た古川は、礼を言って缶をテーブルに置いた。米軍との同じ調達なのか缶の表記に日本語は見当たらない。

 通路で段ボールを擦り続けるような騒音で、頑張っていることをアピールしている冷房の前を横切り、佐々木が厚く塗装された鉄の扉が開く。それに続いて司令部の建物を出た古川の首筋や顔に熱風がまとわりついた。

 見た目に反して軋(きし)む音も立てずにスムーズに閉まってゆく扉に行き届いた手入れを感じる。自衛隊はどこでも物を大切にするらしい。国内では今だに旧日本軍の建物を使っているほどだ。

 久々の戦地で早くも里心ついちまったか。。。

 ちょっとしたことで感心する自分を内心冷やかした古川の眼前に、広大な駐機場と滑走路が見える。古川を運んできた水色のC-130H輸送機は、農作業用のトラクターによく似た牽引車で屋根の丸い格納庫へ向けて引かれ、古川の視界を右から左にゆっくりと横切っていく。そのすぐ向う側には4機のC-130輸送機が正面を古川の方に向けて翼を休めているが、濃淡のあるベージュ系に濃い茶色がまだらに混じる砂漠迷彩の塗装で米軍機である事が分かる。これから離陸するのか、各機とも左端のプロペラを回し始めた。暑さだけでなくターボプロップエンジンの低い不協和音が古川の耳を圧し始めた。

 滑走路の周りには日本と違って緑の芝生はない。あるのは、強い日差しで白っぽく見える眩しい砂のみである。そのコントラストで滑走路は黒色に近い見え方をする。

「あそこから陸さんの装甲車に乗せてもらって、基地周辺を案内します。」

 佐々木が格納庫群と反対側を指差す。弱い陽炎の向うには国内でもお馴染みのUH-1Jヘリコプターが並ぶ。砂漠では場違いなほ目立つ陸上自衛隊の濃緑系の迷彩塗装、その尾に描かれた真っ赤な日の丸が滲む。違和感を感じた古川は早速シャッターを切る。航空自衛隊のC-130Hは、これまでも海外派遣の常連で、砂漠と水色のC-130Hはお馴染みだが、この組合せは新鮮だ。災害派遣で有名な働き者が砂漠でどんな活躍をするか、、、もはや人命救助ではあるまいな。。。こいつらは、、、

 どっちを望んでいるんだろうな。。。

 ファインダー越しの機影に、語りかけるように呟いた。

 カメラを降ろした古川は、視界の隅に動きを感じた。4つ全てのプロペラが回り出した米軍C-130の重低音に隠れて気付かなかったが、背中に赤い標識灯を点滅させ始めたそれは、居並ぶ日の丸のUH-1Jの横でゆっくりとローターを回し始めていた。砂漠迷彩をまとった機首に大きく角ばったガラス張りのコックピット。太い2本のタイヤが大地に踏ん張り、尾部の小さな車輪がオマケのようにアスファルトに接する。近付くにつれてそのローターの回転は速くなり、車輪式の利点を自慢するかのように、自走してでUH-1Jの前をゆっくりと横切る。パイプの先端をスキー板のように曲げた格好のスキッド式の脚を持つUH-1Jは、自走することはできない。離陸地点までは、エンジン始動後に地面すれすれに浮かんで移動するか、エンジンを始動する前に補助輪をスキッドに取りつけて人間が押していくしかない。

 2機目も移動を開始した米軍のAH-64D「アパッチ」は、ローターの軸上にアンパンのような形の「AN/APG-78 ロングボウ・レーダー」を取りつけているのが特徴的な、アメリカ最強の対戦車ヘリコプターだ。その頑丈な機体は過去の数々の墜落で、ほとんどの場合コックピットの原型を保ち、乗員を守ってきた。そしてその重厚さとは裏腹に、高出力のエンジンと、特殊な4枚羽根ローターの形状により、抜群の運動性能を誇る。

 機首を巡らして古川の方に正面を向けて近付いて来るアパッチが陽炎を抜けると、左右側面に短く張りだした翼のようなスポンソンには内側に左右4発ずつ計8発のヘルファイヤ対戦車ミサイルと、外側には各1個ずつのロケット弾ポッドを吊り下げいるのがはっきりと見えた。動作チェックをしているのだろうか前席の射撃手が忙しなく頭を動かすとそれに応じて機首上下それぞれに設けられた丸いセンサーが回転している。ちなみに、前後2つの席のあるアパッチは、後席がパイロットである。これは、前世代のAH-1コブラも同じだ。

 陸上自衛隊もアパッチとコブラ両方を保有しているが、今回は世論に配慮したためかアフリカに持ち込んでいない。

 空気を規則的に刻むリズムが小刻みになり、タービンの咆哮が強くなったと思うと、前のめりになりながら上昇していった。機首の下でセンサー同様左右に首を振る30mmチェーンガンの銃身が不気味だ。

「随分重装備ですね。あれはパトロールですか?」

 古川が声を張り上げる。

「いえ、モグラ叩きです。ウチの輸送機が地対空ミサイルの攻撃を受けました。幸い回避できましたがね。米軍は今度こそミサイルを叩き潰す。って鼻息荒くしてましたよ。」

 佐々木も声を張り上げる。ちょうど2機目が離陸するところだった。

「ウチのって、ちょっと、マジですか?空自(航空自衛隊)ってことですか?」

「そうです。先週も、先々週もやられたんです。当たりませんでしたがね。やつら、積み荷を狙ってるらしいです。」

 怪訝そうに古川を見つめる。

「えっ、そんなことがあるんですか?それって、交戦状態ってことじゃないですか?」

 古川の声が上ずる。自分でも情けないくらい動揺している。

「日本では、知らされてないんですか?」

 古川は首を横に振る。

「何てこった。。。私は何度も報告したのに。。。そうか、だから何も指示が来なかったんだ。」

 日焼けした佐々木の顔に赤みがさした。それとは対照的に噛みしめられた唇は見る間に白くなった。

「残念ながら、日本人は知りません。この状況を。。。」

 古川は申し訳なさそうに佐々木を見つめた。

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