第5話 ACT1 客(まろうど)3

 風小は回れ右をすると、再びロングスカートをペチコートごと抱え込むようにたくし上げ、螺旋階段へのエントランスを、一気に駆けきった。

 階段の下まで来ると、大きな音をさせないように、足が攣るほどチカラを込めて爪先立ちし、二段抜きで螺旋の階段を駆け上がる。

 二階のダイニングに出る三段手前で止まり、両手を離しスカートをストンと落とす。

 慌てて前髪に手櫛を掛けて整え、ヘッドドレスの位置と襟の乱れを直し、ぱんぱんと軽く叩いてエプロンを整えると、努めて何事も無かったように階段をゆっくり昇り、姫緒の待つダイニングに出た。


 姫緒と向かい合い、深くお辞儀をする。


「お客様がおいでデスよ」


 小さめな黒い丸フレームの眼鏡をかけて手帳を見ていた姫緒が、顔を上げ眼鏡を外した。


「誰?」


 風小はお辞儀の姿勢のままハッとした。

 何としたことだろう、相手の素性を確認していない。


「申し訳アリマセン。お聞きするのを忘れましたデス」


 姫緒が小さく顔をしかめた。


 『風小の知らない客』が今、この家に尋ねて来ていると言う。つまり、風小の創った結界の中を尋ねて来たということ。

 素性を確かめずに報告に来てしまった風小の慌てぶりを見ても、彼女がどれだけ狼狽しているかが判る。


「同業者?」


 姫緒が尋ねた。それがまず第一に考えられる状況だった。


「いえ……。違う……と、思いますデスよ」


 風小はそう答えると、ゆっくりと上体を起こしながらオズオズと続けた。


「そのう……。『ねじまき屋』の『鍵札』を……、お持ちなのデスよ」


 風小がそう言い終わるか終わらぬうちに、姫緒が手に持った黒い手帳をテーブルに叩きつけるように置いた。

静かなリビングに、手帳の表紙皮とテーブルがぶつかる乾いた破裂音が響き渡る。


「ひっ!」


 風小が、小さく悲鳴を上げて首をすくめた。

 オレンジジュースが入ったテーブルの上のグラスが、ビリビリと共鳴し、小さく唸る。


「携帯をちょうだい」


 姫緒がそう言うと、風小は小走りに近づいて行き、メイド服の襟首から手を突っ込んで胸元を探っていたかと思うと、携帯電話を探り出し、姫緒に手渡す。

 気がつくと、姫緒が自分の方を見ている。どきりとして愛想笑いを浮かべてみる。


「チョーカーが曲がってるわよ」


 姫緒はそう言って、中折れ式の携帯電話を開いて操作した。

 携帯の呼び出しが二度鳴らない間に相手が出た。


「姫緒さんですか。そろそろ連絡が来る頃だと思ってましたよ」


 ひょうひょうとした男の声が先制する。


「どういうつもりだ?『ねじまき屋』」


 怒りを露にした凄みのある声で、姫緒が問いつめた。


「着いたでしょう?かわいい娘さん」


 ねじまき屋が続ける。


「インターネットでケーキやクッキーを売ってる人気のパティシエさんです。名前は……綾子さん」


 お互いを探るような嫌な間。

 切り出したのは『ねじまき屋』だった。


「なんでも大変らしゅうございましてね。で、そちらの霊査所のホームページに行ってもらいました。電話番号が『見える』そうです。一応、合格です」


 姫緒は電話を依頼人とのコンタクトの唯一手段としていた。

 その電話番号は……。


 姫緒の事務所『姫緒霊査所』のホームページにインターネットでアクセスすることによって確認することができた。

 が、しかし。

 このホームページもまた、自宅のまわりに張り巡らされた結界と同じように、特別な結界呪文をデーター化して壁紙の様に偽装し、気づかれないようにアップしてあり、『あやかし事』と呼ばれる怪異な事件に関わりを持ったことのある者のみが、その電話番号を正しく読めるように仕組まれていた。


『ねじまき屋』はその『一連の手続きが終わっている』ということを主張しているのだった。


「なぜ鍵札を渡した」


『ねじまき屋』の話を黙って聞いていた姫緒が口を開く。


「鍵札の協定は、お互いの信頼関係で成り立っていることは知っているはずだが?」


「もちろんです、姫緒さん」


 大袈裟なほど愛想のよい声で『ねじまき屋』が答える。


「私も、最初は電話をかけなさいと何度も言ったのです。しかしどうにも直に話したいと言って聞かない」


「よくわかった」


 そう言った姫緒の声は、明らかに何も判っていなかった。


「綾子さんには早々にお引き取り願って、鍵札は返却してもらうということで手を打つ」


「待ちなさいよ姫緒さん。そう話を急ぐもんじゃあ、ありません」


 電話の向こうの『ねじまき屋』も、そう言いながらもこの話を早く終わらせたがっているのが感じられた。


「参りましたね。いや、実はね、うちの嫁が綾子さんの店のケーキのファンなのです。何(なにか)と五月蠅う御座いまして」


 ほとほと困り果てたと言った口調で、しかし、早くけりをつけたいという気持ちをあからさまに隠そうともせず、弁解を始める。


「由美さんが?」


 姫緒は、傍らに立つ風小の顔をチラリと見た。


 この娘、『風小』は人間ではない。

 姫緒が盟約を結ぶ『式神』。赤い扇の付喪神。あやかしである。

 或る事件の際、その、風と空間を操る彼女のチカラを姫緒が見込み、盟約したのだった。

 今となっては、仕事の助手をさせる傍ら、自分の身の回りの世話もさせてはいるが、何せ、人間の生活というものを何一つ知らず、齢千年を越えた『あやかし』だ。

当初、式神として盟約したばかりの頃は散々たるものだった。

 人間としての習慣が無いだけで、知識もチカラもヒトの数十倍以上あるのだ。

 或る意味、赤ん坊に一から教え込むより質(たち)が悪い。

 そんなとき。『ねじまき屋』の奥さん。由美さんと出会った。

 彼女は風小のあやかしとしての習慣を、奮闘の末、人間のそれに教育し直してしまったのだった。


 そんな彼女を、姫緒としても無下にするわけにはいかない。


 事情を重々知った上での『ねじまき屋』の言葉であったことは明白だったが。

 電話の向こうの『ねじまき屋』にしてみても、嫁は姫緒のそれとは違った意味で唯一のウィークポイントであることは事実であったし、この男の日頃の行いから見ても、その言葉に嘘は無いと思われた。


「ふん」


 目を伏せた姫緒が、鼻を鳴らす。


「利害関係の一致でよろしいですね」


 隙を見せた姫緒に『ねじまき屋』が追い討ちをかける。


「貸しと言うことでいいのか?」


 自嘲ぎみに姫緒が言った。


「勉強させていただきます」


「後悔するぞ……」


 そう言って、姫緒は一方的に電話を切った。 


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