第7話 ブルース・エルスハイマー惨殺事件

「ダミアン・ネポムク・メルツェル。1887年、ブレーマーハーフェン生まれ。父ダニエルは医者、母親は日本人で、名を『ミサ』というそうです」

 ベーレンドルフ刑事は、部下のカペルマン刑事から調査報告をブレーメン警察署のデスクで聞いていた。

「ダニエルは1880年に日本に渡り、日本との技術交流をする中で、ミサと出会い1886年に結婚し、その年に帰国し、翌年ダミアンを出産。ダミアンが5歳の時に再び家族で日本に渡り、1909年4月、つまりちょうど一年前に単身本国に戻り、それからあちこち転々としていたようで、ダミアンがあの家に住む前は、ハンブルグにいたそうです」


 ベーレンドルフは、吸殻でいっぱいになった灰皿に吸っていた煙草を押し付けて火を消した。デスクの上には書類が山のように積まれており、そこらじゅうに煙草の灰が散らかっていた。

「で、両親は今でも日本に?」

「大使館に確認しましたが、帰ってきたという話はないようです。資料のままであれば、日本の横浜というところにいるようです」

「ダミアンのこれまで作った人形のことは何かわかったか」

「それが、今のところはまだ何も……、すいません」


 ベーレンドルフは、カペルマン刑事から資料を受け取り、読み返したが、これといってダミアンの素性がわかるような記載はなかった。

「わかった。引き続き調べてくれ。あんな人形は今まで見たことがない。その日本に行っている間に新しい技術でも身につけたのか。父親が医者、母親は日本人でどんな人物かわからないか。まずは母親のことを調べてみろ。ダミアンが生まれてから5年。どんな生活を送っていたのか。明日の朝また報告を聞く」


 カペルマン刑事は、上着をコートハンガーから取り、ブレーマーハーフェンに向かった。ベーレンドルフは5年前のブルース・エルスハイマー殺人事件の調書をデスクに積み上げた資料の山から探し出し、事件のことを思い出そうとしていた。


 1905年9月。レウム川の北を並走するヒンデンブルク通りから河口方面に少し入った通りにある一軒家に住む宝石商、ブルース・エルスハイマー当時45歳の無残な死体が発見される。第一発見者は、隣近所に住む、ベッカー夫妻で、たまたま家の前を通りかかった時、玄関が空いたままになっており、そこから人が倒れているのが見えたため、中を覗いてみると、首のない死体とテーブルの上に乗せられたブルース・エルスハイマーの首を発見し、警察に通報した。


 ブルース・エルスハイマーは独身で、親も兄弟もそのときすでに他界していた。怨恨と物取りの両方で捜査をしたが、部屋は特に荒らされた様子ものなく、争った形跡もない。エルスハイマーが直前に飲んだのであろうグラスに毒物の反応があり、おそらく顔見知りの誰かが訪問し、毒入りのワインで毒殺。そののちに斧のようなもので胴体から首を切り離したらしかった。


 エルスハイマーの最近の様子を聞き込みしたところ、ブレーメンの中心街で金融業を営む、ヴィルマー・リッツとこのひと月あまり何度か接触しており、言い争っているところを目撃されていた。ヴィルマー・リッツに任意で事情を聞いたが、エルスハイマーが殺害されたと思われる時刻、リッツは、ブレーメンにはおらず、その裏は取れていた。リッツにはもともと裏社会とのつながりが噂されており、殺し屋をやとって見せしめのために殺したのではないか。当時事件を担当したベーレンドルフは執拗にリッツの周辺を調べ上げた。しかし、これといって証拠も挙がらず、事件は未解決のまま5年の月日が流れたのだった。


 リッツの話では、エルスハイマーと金銭のトラブルが生じていたのは事実だが、その後約束の金は支払われ、問題は解決していると証言した。確かに500マルク(現在の日本円で100万円)の支払いがエルスハイマーの口座からリッツの会社の口座に振り込まれているし、契約内容も確認されている。では、誰が何のためにあのような惨たらしいことをしたのか。

「奴は絶対何か隠していやがる」

 ベーレンドルフは調書から関係者の連絡先をメモに書き写すと机の上に資料を放り投げ、煙草をくわえながらコートに袖を通し、外出しようとしたとき、デスクの電話が鳴った。

 それを無視して出かけよとしたが、奥の席の刑事部長と目が合ってしまった。刑事部長は恰幅のいい身体を深く椅子に沈めながら無言で電話を指差していた。


 ベーレンドルフは仕方なしに電話に出た。

「はい、こちらブレーメン警察刑事課のベーレンドルフです……墓荒し? そういうことなら、別の課に……、えっ、ブルース・エルスハイマーって、あの5年前に惨殺された? はい、はい。わかりました。すぐに向かいます」

 電話はブレーメンの東にある墓地の管理人からであった。昨日の夜から未明にかけて、何者かがブルース・エルスハイマーの墓を掘り返した形跡があるのだという。管理人は5年前の事件のことを覚えており、警察に連絡してきたのだという。


「いったいどうなっていやがる。あのダミアンとかいう人形遣い。何を企んでいるんだ」

 再び外出しようとするベーレンドルフを刑事部長が呼び止める。

「ベーレンドルフ、ちょっとこっちに」

 ハンス・ブランケンハイムは、ネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを一つ外した。ベーレンドルフはそれをみて、大きくため息をついた。かつてベーレンドルフに『刑事のいろは』を叩きこんだ巨漢のボスは、部下を叱りつけるときに必ずこの動作から始まる。それで終わればいいが、袖をまくりだすと手が付けられなくなる。


「何をやっている? なんで今更5年前の事件を調べているんだ」

 ベーレンドルフは、かつて凄惨な事件が起きた家に、最近人が住み着いたこと。その者が5年前の事件と何らかの関わりがあるかもしれないこと。そして今の電話のことを話した。

「で、そのダミアンとかいう男は何者なんだ。犯罪歴でもあるのか?」

「いえ、今のところ何も出てきていません。しかし――」

「またお前の悪い癖だな。勝手な行動は許さんぞ。なんの根拠もなしにヴィルマー・リッツや当時捜査線上にあがった人物と接触することは許さん」


 刑事部長は大きな体を背もたれからお越し、右手で大きく机を叩いた。座ったままでも刑事部長の威圧感は大男のカペルマン刑事の比ではない。しかしベーレンドルフは一歩も後に引かず、ブランケンハイムの真っ赤になった顔ににじり寄った。

「あの事件の犯人は、もしかしたらまだこのブレーメンでのうのうと暮らしているかもしれないんですよ。被害者を毒殺したうえで、首を切断するなんて輩がいては、市民の安全を守ることはできません。必要な人物に必要なことを聞くだけです。それの何がいけませんか。墓荒しなんてことをする輩は、次に何をしでかすか、わかったもんじゃない」


「次に何をしでかすのかだと! それはこっちのセリフだ。ベーレンドルフ! 貴様、まだ何か隠しているだろう! カペルマンをどこに行かせた? はぁ?」

「ですから、必要な人物に、必要なことを聞かせに行かせただけですよ。私が動くと何かと騒ぎになるようですから、そうならないように気を使っているわけです。ちゃんと言いつけは守っておりますが、まだ何かご不満でも?」


 双方譲らずにらみ合いが続く。他の刑事たちは、自分に火の粉が降りかからないように知らないふりを決め込んでいたが、ベーレンドルフを睨みつけたまま、刑事部長が低く、太い声で一人の刑事の名を呼んだ。

「アーノルト!」


 他の刑事の視線が一人の男に集中する。

「アーノルト。仕事だ。ベーレンドルフに同行しろ。墓荒しの調査をしたら、この男が余計な真似をしないよう、ここまで連れて帰るんだ。昼食までに戻ってこなかったらお前ら二人ともクビだぞ!」


 アーノルドは書き物をしていた手を止め、眼鏡の位置を人差し指で直した。

「墓荒し……、ですか? 部長」

「そうだ。オスターホルツァー墓地公園だ。車を飛ばせば20分でいける。すぐに行け!」


 アーノルド刑事は、文句ひとつ言わずに指示に従ったが、ベーレンドルフが申し訳なさげな顔をすると、それを無視することで抗議をした。こうして二人は車で墓地に向かった。



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