Meanwhile ...

 春の盛りを迎えたノースウッドは見渡すかぎりが若草色に輝いていて、自然も人々も、束の間の瑞々しい季節を堪能しているようだった。

 ノースウッド領が抱えるもっとも大きい街、ウッドヴィルは、街というより少し大きな集落という程度であったが、それでもこの季節だけは商人や旅人が集まってそれなりに繁盛する。冬場は閉めている宿屋がその軒を開け、普段は奥ゆかしい街娘たちが色めき立って、胸元がのぞく初夏の衣装を着始める光景は、なかなか目に嬉しい。

 馬に乗ったローナンがウッドヴィルに入ると、さっそく周囲から好奇の視線が集まった。

「伯爵だ! 領主さまがいらした!」

 道端で遊んでいた小さな少年が、ローナンを見て高い声を上げた。

 時々、彼らの勘違いを楽しんでそのままエドモンドのふりをすることもあるローナンだが、今日はそういう気分ではない。

「僕はローナンだよ。領主の弟だ」

 乗馬したままのローナンがそう言うと、少年は目をまん丸にして驚いていた。


 ローナンとエドモンドはそのくらいよく似ている。

 ──おかしなものだ。

 二人の性格は、氷と炎ほどにも違うのに。


 それでも、いくら表面上の性質がかけ離れていても、二人はこの世にお互い同士しかいない兄弟だったから、ローナンはエドモンドの気持ちが手に取るように理解できる。

(まぁ、『理解』は……出来るんだけどね)

 かといって、同意できるかどうかというのは、別の問題だった。

 ローナンはエドモンドの言う『バレット家の呪い』を、不幸な出来事が重なっただけだと思っていて、また未来で起こりえるとは考えていない。

 ただそれは、エドモンドと違ってローナンはその悲劇をほとんど目撃しなかったからかもしれないし、また、愛する妻がまだいないから楽天的でいられるだけなのかもしれなかった。

 だから、エドモンドの所業を頭ごなしに否定は出来ない。できないけれど、これ以上、兄と、新しくできた義理姉がぎくしゃくしているのを見るのは耐えられなかった。


 何かが必要に思えた。

 エドモンドの心を変える何かが。


 街一番の仕立て屋の前で馬を降りると、ローナンは素早く店の中に入っていった。

 ところ狭しと積み上げられた様々な布が、色の洪水を織りなして客を迎えるこの小さな仕立て屋は、時折中央から注文も入るという指折りの店だ。ローナンが細長い店内の真ん中に立っていると、店の奥から小柄な中年女性がいそいそと出てきた。

「これは、これは、話題のバレット家の次男坊ですわね!」

 貞淑だが胸元だけは大胆にひらいた黒のドレスを着た赤毛の女性は、そう言ってローナンの手を取った。「ウッドヴィルはその噂で持ちきりですわよ」

「噂の話題は僕なのかい? それともバレット家が話題なの?」

「ハンサムな独身男性はいつでも話題の的よ。でも今、この小さな街が特別感心を集めているのは、新しい伯爵夫人についてですの」

「実はそのことで相談があるんだ」

「まあ、光栄だわ。そんな大切な話の相談相手に選ばれるなんて」

 そうは言ったが、まるでそれが当然だと言わんばかりの自信に溢れた笑顔が、女性の顔に浮かんでいる。

 そう──仕立て屋というのは、ドレスを作るだけの場所ではない。影の社交場なのだ。そこの女主人であるということは、街全体の噂や人間関係について、誰よりも詳しく知っているという意味でもある。

 ローナンは女性関係の問題が浮上したとき、必ず彼女の助言を借りることにしていた。

「新しい伯爵夫人はとても綺麗な女性だよ、マーガレット。きっとドレスの作り甲斐があるんじゃないかな。小柄で細身だけど、この辺りがすごく豊かなんだ」

 と言って、ローナンは胸の前を掴むようなジェスチャーをした。

 マーガレットと呼ばれた中年女性は、満足そうにうなづく。

「私の好みですわね」

「ちょっと童顔だけど」

「まぁ、それも大歓迎よ。そのくらいのほうが、より強く殿方の心を掴むものですわ」

「その通り。彼女はすっかり我が兄の心を掴んでいるみたいなんだ」

「では、伯爵夫人はどうして私のお店にいらしてくださらないのかしら。ノースウッド伯爵は堅実な方ですけど、新しくできた奥様の衣装代をケチるような、しみったれた男ではなかったと思うわ」

「問題はそこだよ、マーガレット」

 ローナンはそう言って、側にあった棚の枠に背を預けると、両腕を胸の前で組んだ。

 マーガレットは片眉をあげ、気取った飼い猫のような視線をローナンに向ける。これは、言葉を選んで話さないと痛い目を見そうだな……と、ローナンは思った。


「兄さんはずっと『バレット家の呪い』を恐れてた……。それは知ってるよね?」

「私は、ノースウッドで起こったほとんど全てのことを知っていますわ」

「だから兄さんは、どうしても結婚する必要ができたとき、もう悲劇が起こらないようにしたいと思っていたんだ。まったく心をそそられない、醜い娘となら結婚してもいいってね」

 ローナンはここで間を置いた。

 なにかマーガレットが質問してくるかと思ったが、それはなかったので、ローナンは続けた。

「そんな訳で、たいして美しくない成金の娘が、たいした持参金付きで伯爵家に来ることになった。兄さんは中央まで行ってその嫁と持参金を貰って帰ってきた。ところが蓋を開けてみたら……嫁はものすごい美少女で、優しくて明るくて可愛くて、兄さんに好かれようと必死に頑張ってるんだよ」

「そして──ノースウッド伯爵は、禁欲を強いられて苦しんでいらっしゃるのね」

「まあ、そんなところかな」

 ローナンは肩をすくめた。

「実際のところ、最初のうちは気の無いふりをして逃げてたんだ。離婚するとまで言って。ところが数日前なんだけど、兄さんは彼女と二人っきりで森にハーブ狩りに出掛けて……それから帰ってきて以来、もう目も当てられない状態なんだ」

「あら、あら。どういう状態なのかしら?」

「亡霊みたいな目をしていつも彼女の後ろ姿を追ってる。彼女に近付く男がいたら絞め殺しそうな目でね。実際、僕も何度か危なかったし。でも、いざ彼女が振り向くとそっぽを向く」

「面白くなってきましたわね」

「見てる分には、確かに面白いよ。立場を代わりたいとは思わないけどね」

「それで、あなたは、困った伯爵と伯爵夫人のために一肌脱ぎたい、という訳かしら」

「マーガレット、あなたは話が早くて本当に助かる」

 ローナンは組んでいた腕をほどいて前へ進み出ると、うやうやしくマーガレットの手を取って、その甲に口付けをするふりをした。

 昔日はさぞ美しかったのだろうと思われる顔を満足そうに崩したマーガレットは、つんと鼻をそびやかし、「高くつきますわよ」とささやいた。

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