第11話 大切な夢の忘れ方2

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 次の日。俺はバスを乗り継いで、長い長い坂道を歩いていた。普通に生活していたらまずお目にかからないような豪邸が、この辺り一帯にはゴロゴロと存在している。山の上だから車がないと生活できる訳がなく、確かにこんな所に問題の店があっても、気付かないかもしれないなと思う。

 問題の店は、少し開けた場所にあった。

 写真に写っていた、真っ白な家に、蔦が這っているのが見える。真夏に来たら青々していた蔦も、今は葉が変色して黄ばんでしまっている。

 少女趣味な店は気恥ずかしくて、誰も周りにいないのを確かめてからじゃなかったら、扉に手をかける事すらできなかった。

 ええい、ままよ。俺は思わず扉を開いて……プンと立ちこめるにおいに、思わず目を瞬かせた。

 カランカランとドアに付けたベルが鳴る中、真っ先に嗅いだにおいはバターのにおいだった。そして小麦粉のにおい、パチンパチンとバターの跳ねる音。


「ああ、ごめんなさいね。すぐに終わらせますから!」


 甲高い女の子の声に、俺はますます目を大きく見開いた。出てきた女の子の姿に、俺は目を疑う。

 真っ白な髪に、日本人離れした顔立ち。年の頃は中学生位だろうか。長い真っ直ぐな髪を揺らしながら、ギンガムチェックのエプロンを白いワンピースに付けている。


「すみません、お待たせしてしまって。今ちょうどパンケーキを焼いていたところだったんですよ」

「はあ……ここって、喫茶店ではない、ですよね」

「知り合いがいらっしゃいますので、お茶会用だったんです。そう言えば、まだ残暑が残っていますよね、ここまで来るのに汗かきませんでしたか?」

「え?」


 中学生を働かせてたら駄目だろとも思ったが、実家の手伝いの場合はその限りじゃない。でも何でも忘れさせてくれる店の店番の可愛い女の子って、多分この子だよなあと思う。

 美味しいもの食べて憂さを晴らそうって意味だったら、俺は今すぐネットにいい加減な事書いた連中を殴りたい。そう俺がムカムカと考えていたら、女の子は俺に赤い何かを差し出してくれた。


「まだ残暑が厳しいですよね。よろしかったらどうぞ」

「あの、これは」

「ノンアルコールのサングリアです。白ブドウジュースに果物を漬け込んで、炭酸水で割ったんです。お口に合いますといいですが……」

「あー……ありがとうございます」


 そう言えば、坂道を登る際に結構汗をかいたなと、今更ながら思った。一口グラスを傾けてみれば、ブドウジュースの甘さに漬け込んだ果物……多分桃やリンゴだ……のジューシーさが広がり、それを炭酸が引き締めてくれている。これで酔いが回れば完璧だけれど、未成年に酒の酌を頼むのもなと今更ながら考え込む。

 でも。こちらをにこにこしながら見ている子が、本当に何でも忘れさせてくれる店って言うのを分かってくれているんだろうか。カウンセリングでも食べ物で憂さを晴らす訳でもなく、本当に忘れさせてくれるんだろうか。


「あの、一ついいですか?」

「どうぞ」

「何でも忘れさせてくれると、そう聞いたんですが」

「またネットですか?」

「またって……そんなにポンポン来ているんですか」

「本当に願いのある方でない限りは、まずうちには入れないはずなんですけれどね。あなたも願いがあったから、ここまで来られたのでしょう?」


 さも当たり前のように言われてしまい、俺はしばらくグラスを持ったまま、呆然としてしまう。


「あの、本当に忘れさせてくれるんです……?」

「はい。私が叶えられる願いはたった一つ、忘れたい事を忘れさせる事だけですから。それで、一体何を忘れに来られたんですか?」

「あ、ははははは……」


 何故だか、乾いた笑いがこみ上げてきた。

 本当に思いつきでやってきたのに、本当にできると言われてしまって、笑えてしまう自分は相当おかしい自覚がある。


「俺、どうしても忘れたい事があるんです」

「一体、何ですか?」

「……俺の、ギターをやっていた時の事です」

「ギターを弾かれるんですか?」


 女の子はぴくりと眉を持ち上げた。

 こんな顔されるの、久しぶりだなと、何だか楽しくなってくる。

 人が好きな事をやっている間に、資格勉強ができると言う人だっている。バイト代を稼いで世界旅行に出かけられると言う人だっている。

 金にならない趣味を持っている人間の事を、何故か人は馬鹿にするようにできている。

 ギターが弾けると言った瞬間興味持ってくれた子のために、どこから話し始めればいいんだろうと、記憶を探ってみる事にした。


****


 モテたいからギターを弾けるようになりたいって言うと、馬鹿にするなって笑われるでしょうか?

 でも、高校時代。本当に好きなバンドがあったんですよ。その頃、バンドと言うとエロい歌を歌っていればいいって頃だったんで、聞いててもピンと来ない歌ばっかりでしたね。そんな中、本当にすごいギターの曲を聞いたんです。鳥肌が立ちましたね。

 あんなのを弾けるようになったら、きっとモテるようになる。そう思って楽器屋に年玉を持って行きましたが……まあ、当時は楽器の値段なんて知りませんでした。バイトできるんだったらともかく、高校がバイトを禁止してたんで、とてもじゃないですけど手が出せる値段じゃありませんでした。

 それでも大学デビューの際にバイトして金を貯め、どうにかしてギターを手に入れたんです。

 嬉しかったなあ……。

 大学に入ったら、俺と同じバンドが好きな奴らと集まって、コピーバンドを結成したんです。皆で俺の考えた最強のバンド、みたいに。どの曲を演奏するか、どんな順番で演奏してライブするかを考えるのが、本当に楽しかった。

 でも。一人うちの奴で真顔で言う奴がいたんです。


「俺、プロになりたい」


 コピーバンドなのに、お前は何を言ってるんだ。最初はそう思いましたが、そいつが作った曲を聞いてびっくりしましたね。

 ほんっとうにどこかで聞いた曲、どこかで聞いた歌詞、俺達のギターテクだったらどう考えても上になんていけない。そのはずなのに。

 曲を聞いた瞬間、何故か俺達涙が止まりませんでしたね。今考えても、一体何の琴線に触れたのかが分からないんです。そいつと一緒にバンドを続ければ、きっとプロになれる。上を目指せる。どう思ったのか、俺達はそう確信して、必死でデモテープを作って、あっちこっちの芸能プロに送り続けました。

 二年、三年とバンドを続けて。やがて。

 俺達もそろそろ就活をしないといけない頃になりました。一年の頃、二年の頃には「俺達はプロになる」「音楽で食っていくんだ」とガムシャラになっていましたが、気付いたらその意思は失われていました。

 でも、ふとインターンで出会う会社の人達とすれ違ったり、町中でさも当然のように自分語りをしている人に出会ったり、飲み会で隣のグループの人達を見ていると思うんです。

 俺達のなりたいものって、本当にそっちにあるのかって。

 やりたい事を「夢」の一言で捨てて、人の夢を馬鹿にする人間になるのか、やりたい事をやってそれで後悔して元来た道を引き返すのか。

 考えても分からないんです。

 自分でもすげえ青臭い事言っているのは分かりますし、店番の君にそんな事を言っても困ってしまうとは思うけど。でも。

 なりたい人間って、本当にそっち側にあるのかとは、ずっと思っています。

 ……全員そんな事言っていたら、世の中子供だらけになってしまう。我慢を覚えるのが一番なんだって、俺にだって分かっています。

 俺は、そんな幼稚な自分を、忘れたいんです。

 ……本当にここが忘れさせてくれる場所だって言うんだったら、どうかこんな俺を消し去ってくれると嬉しいです。


****


 彼女は随分と長い事、目を閉じていたような気がする。

 俺は彼女が沈黙を守っている間気まずくて、ただひたすら出されたサングリアを口にしていた。

 やがて、ようやく彼女は可憐な口を開いた。


「……私の店は、願いを叶えるとクーリングオフはできません。その事を分かって、この願いをおっしゃいましたか?」

「分かって、言ったつもりですが」

「本当に、この願いは忘れないと駄目な事ですか?」


 随分と詰め寄るな……。内心俺はイラリとしながら、大き目に声を吐き出す。


「だったらどうだって言うんですか」

「忘れなくても、問題ない事だってあると思います」

「支障が出てると、言ったじゃないですか……!!」


 そう口を開いて、「しまった」と後悔する。中学生の女の子は、随分と悲しそうな目をしてしまったからだ。彼女は、悲しげにそっと一言つぶやいた。


「だって……夢なんてなくても、確かに生きる事は可能です。でも、それって生きているって言えるんですか?」


 その言葉に、思わず目を見開いた。

 夢がないと生きられないなんて、そんなの子供の屁理屈だ。そう分かってはいても、心惹かれるのは何故だろう。でも……それは子供の特権で、もう俺に許されるものではない。

 思わず荒くなりそうな声を鎮めて、大きく頭を下げた。


「……今の俺には、本当に必要ないんです。食べられない夢なんて、いらないんです」


 そう一言言うと、彼女はますます悲しそうな顔をした。

 まるであれだ。「いい本だから読め」と高校時代に少しだけ読まされた「星の王子さま」みたいだ。

 子供と大人だと、どうしても話が噛み合わなくて仕方がない。

 また沈黙が続いたものの、それも一瞬。ようやく彼女は立ち上がった。


「うちの店の料金を知っていますか?」

「ええっと……6000円といくらですか?」

「6666円。過不足なく、それだけいただきます。最後になりますが、クーリングオフはできません。忘れてしまったものは、取り戻す事はできないと言う事を、くれぐれも肝に銘じて下さい」


 占いのぼったくり料金を思えば、幾分か良心的な値段にも思える。が、俺にとっては随分と大金だ。何たって、一月の就活に使う電車賃はそれ位かかってしまっているからだ。定期やもろもろの割引を駆使しても、一日に何件も回ったら自然とそうなってしまう。

 俺は唸り声を上げながら、ひとまず財布を漁ってみた。

 バイト先は今時珍しい現金払いの店だ。念のために手を付けていなかったバイト代の封筒を破いて、そこからどうにか料金を工面する。それをまじまじ見ながら、やはり彼女はそれを持って一旦立ち去ると、水をたっぷりと入れた皿を持ってきて、茶色い小瓶をカウンターに載せる。


「確かに依頼、引き受けました」


 その声は、最後まで悲しげだった。

 おいおい。他人に感情移入したってしょうがないだろ。そう思うものの、引っかかった感情はそのまま飲み込んで、一体何が始まるのだろうと彼女の手元を見た。

 茶色い瓶を振れば、そこからすっとするにおいが店を包んでいくのが分かる。水面に波紋を呼び、その波紋が消える事はない。


「記憶は、溢れる」


 途端に、皿の水は溢れて、カウンターを濡らしていった。

 その水が溢れ出した瞬間、俺は目を見開いた。今まで聞こえなかったはずの、ギターの音が聞こえ始めたのだ。

 バンドを見て格好いいと思っても、最初はチューニングもままならず、本を見ても楽譜を見ても、ちっとも弾けなかった。指で弾く下手くそなギターの音が、どんどんと変わっていくのだ。


『最初はすっげえ下手くそだったのに、どんどん上手くなるなあ』

『ほら、あのバンド。あそこのギターのギュイギュイ言わせる部分がさ、もうたまんねえの』

『ロック用語も全然知らねえのに、技術ばっかな』

『用語ばっかで技術ないよりはマシだろ!?』


 皆と笑いながら、練習している風景が、床に出来上がった水溜まりに映り込む。

 何だよ、これ。どうなってるんだよ。

 俺が焦っている間も、淡々と彼女は小瓶を傾けながら言葉を紡ぐ。


「記憶は溢れ、記憶は埋もれ、記憶は新しい枝葉を付ける。花は咲き、そして散り、枯れ、土に還ってまた芽吹く。


 それが繰り返され、人は思い出を作る」


 俺は涙を流した。プロになれるなんておこがましい事、思っちゃいない。でも、好きは言い訳だ。自分を縛り付ける楔だ。そう思ってるのに……。

 どうして忘れたくないって、今更思うんだよ。もう、どうしようもないじゃねえか。

 水溜まりが広がって、どんどんと収束していく中。俺はどんどんと薄くなっていくのを感じていた。


 俺がそんなに忘れたくない事なんて、あったっけ?

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