第2話 初恋の忘れ方2

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 俺が忘れさせたいのは、一人。

 幼馴染だ。名前? 言わないと駄目? ……あーあーあーあー。立花。立花あかね。

 髪の色が真っ白なのは、アルビノって言う奴だって聞いた。髪も肌も真っ白で、目も何か不思議な色をしてる。目って言えば、あいつはほとんど目が見えないって聞いた。性格には目が弱いってだけで全く見えてないって訳じゃないけれど、普通に見えるように色が全部認識できる訳ではないらしい。

 あいつとは家が隣同士だった。よく一緒に遊んでたよ。当時は別に、あいつが全身真っ白な事に何の疑問も持っちゃいなかったんだ。あいつはいつもふわふわと笑っていたし、俺もあいつ笑ってるからいいかと思ってた。

 二人で一緒にしたのは、夏だったらビニールプールを母さん達に作ってもらって水鉄砲。冬だったら雪合戦。普通、だと思う。俺は花摘んで花冠、とかあやとり、とか、人形遊びとか。そういう女の子が喜ぶような遊びのやり方を何も知らなかったのがよかったんだろうな。

 あいつはいつも笑ってくれていた。


「キョウちゃん。キョウちゃん」


 俺はそれでいいと思っていたし、別に何の問題もなかったんだ。

 問題が起こったのは、俺が小学生の時だった。俺は普通に小学校に入学したけれど、あいつは違ったんだ。いつもバスに乗って、あいつの学校に通っていた。それでも家が隣同士だからな、あいつとはそれまで通り家の行き来はしていたし、普通に親に用事があったら預かってもらっていたし、そんなもんだと思っていた。

 二人でいても、庭でボール投げて遊ぶ位だったし、これまで通りだったと思うよ。

 でも、俺にも付き合いって物ができた。友達と一緒に遊んでたら、自然と俺の家にも来るようになったんだよな。で、たまたまあかねが家に一人で留守番していて、たまたまおばさんが買い物に行っていた。そしてたまたま俺はクラスメートを家に連れて帰って、テレビゲームを一緒にしようとしている時だった。

 俺の声が聞こえたから嬉しかったのかな。あかねが窓からひょいと顔を覗かせて来たんだ。あいつ、見えてたのかな……。クラスメートは俺の隣に全身真っ白な女の子が住んでいるものだから、口から何か出て来そうな位に驚いてた。


「キョウちゃん。キョウちゃん」


 俺はいつもの事だったから、普通に「あかねー」と手を振ってったけど、それが面白かったんだろうな。今思っても、あれはどうすればよかったのか分かんねえ。


「何、お前キョウちゃんなの?」

「ありゃあかねがそう言ってるだけだよ」

「女子を呼び捨てなのか? ほほう」


 俺とあかねの関係は、別に性別なんて関係なかった。ただ一緒にいるのが普通だっただけで、学校が違っただけ。あいつはバスに乗って目がほとんど見えなくっても通える学校に行ってただけ。そしてクラスメートは全身真っ白なあかねに驚いただけだった。散々俺はあかねの事で囃し立てられた。俺はそれの意味がさっぱり分からなかった。

 普通に一緒に育ってきた幼馴染と自分の事を、どうしてそんな風に言われなきゃいけないのか。本気で意味が分からなかったから言い返す事もせずに放っておいていたら、その話の流れはあかねの方に向いた。


「でもお前んちの隣の子、真っ白だったなー」

「うん、お化けだお化け」


 お化け。それには流石に腹が立った気がする。俺は思わず、その場にあった母さんが飾っていた小さいサボテンの鉢植えで殴ってしまった。頭がかち割れる程力を入れたつもりはないけれど、思いっきり殴ったせいで、そいつは悲鳴を上げた。

 そいつらが帰ったら、すぐにうちに電話がかかってきた。


『お宅の響君にやられたと聞いたんですが!?』


 そう言う金切り声がたくさん聞こえて来て、母さんはすみませんすみませんと平謝りしていた。何で殴ったのかと聞かれたけれど、俺は答えたくなんかなかった。

 あかねが聞いてなかったら何を言ってもいいのか。あかねが真っ白でお前らに何の迷惑をかけた。それ以来、俺は学校に行けば「お化けのキョウちゃん!」なんて、ふざけた事を言われるようになった。

 気付けば、噂は尾ひれをついて回って、俺は学校では取り返しのつかない不良ってレッテルを貼られてしまった。でもあんな奴等、友達だなんて言えないから、俺はどっちでもよかったんだ。学校に帰ると、鼻をヒクヒクと嗅いでこっちに寄ってくるあかねが見えた。

 真っ白な髪も、小さい頃一緒に遊んだ頃よりも随分と伸び、その頃だったら杖を振りながら歩いているようになった。


「キョウちゃん。キョウちゃん」

「それ……そろそろさ、キョウちゃんって止めない? あかね」

「キョウちゃんはキョウちゃんじゃないの?」


 世間一般で言う所の可愛いって部類なんだろうけど、あいつはそんなの分からなかった。あいつは目があんまり見えてないせいなのか、それともあかねのおばさん達がそういう風に育てたせいなのか、人を全く疑ったりするような性格じゃなかった。小学生の頃の女子って、今思ってもものすごく怖いんだよな。とにかく派閥を作るし、そこに無意味にちょっかいかけたら、全員で報復に来る。男は楽だよ。何たって殴り合いすれば済むんだから。もちろん先生に見つかったら面倒だから、こっそりと呼び出すんだ。

 ……メールとかLINEとかで呼び出して、ひどい人数集まったとか言う話? あれは多分喧嘩慣れしてなかったんじゃないかな。その場で喧嘩売りたい相手にちょいと声をかけりゃいいじゃねえか。それで噂なんて必要最低限になる。最近は携帯とかですぐに情報が拡散するけど、あれは駄目だな。ずっと見張られてるみたいで腹が立つ。

 って、話が逸れたな。俺が喧嘩するようになってからと言うもの、あかねが何かと俺に寄ってくる回数が増えたんだ。俺は喧嘩を始めるようになったきっかけを知られないようにしていたし、あかねにだって教えるつもりはなかった。でも、いつもいつも、鼻をヒクヒクと動かして、俺に血の匂いがしてないかと確かめるようになったんだ。

 その日も俺にヒクヒクと鼻を動かしていた。その様は多分マルチーズの戯れじゃないかな。俺は土佐犬だからお世辞にも可愛くねえけど。そしてマルチーズがキャンキャン吠えるように、俺に対して文句を言った。


「またケンカしたの? キョウちゃん。ケンカしちゃいやよ?」

「……あっちから売って来たんだよ。俺は買っただけ」

「ウソ。キョウちゃん、いつもいつも気に入らない人ぶってるでしょ?」

「ぶってねえよ。殴ってるんだ」

「痛いのは、イヤ!」


 小学生だからと言い訳しても、あかねはスレてたりませたりするような物言いはしなかった。いつもストレートな物言いだったから、言い合いになったら俺がいつも負けていたような気がする。

 でも俺が悪い訳じゃないから、俺は絶対に謝らなかった。でも俺が喉を詰まらせていると、あかねはさっきまで頬を膨らませて怒っていたのに、途端におろおろと心配し出すんだ。


「キョウちゃん、怪我ひどい?」

「ひどくない」

「痛い?」

「痛くない」

「あー、よかった」


 嘘偽りないくったくない言葉って言うのが、当時の俺には必要だった気がする。

 学校に行っても喧嘩ばかりだったし、女子には怖がられてまともにしゃべった事がなかった。男子とは目が合って気に入らなかったら最終的には喧嘩していた。今思っても、うちの小学校相当緩かったんだなと思う。あんなに喧嘩した学年なんてそうそうないと思うし。クラスの授業が潰れて、一日反省会になったりだって他の学年にはそんなになかったんじゃないかな。

 そんな俺も小学校から中学校に上がったけれど。

 ある日とうとう、俺の素行の悪さがどこからか流れたのか、あかねのおばさんから通告が来た。


「今後、あかねと関わらないでくれますか?」


 中学に上がった頃には、ますます持ってあかねの容姿は人間離れしてきた。あいつが通ってる特別支援学校がどんな所か知らないけど、あいつは世間知らずのまま、人がいいままに育ったんだから、そりゃ人間離れするんだ。

 真っ白な髪は艶々に伸びて、真っ白な肌は相変わらず日焼け一つ、そばかす一つない艶々としたもの。相変わらず杖を突かないと歩けないけれど、動きはほとんど目が見えてないせいなのか、絵本に出てくる妖精みたいになってきた。

 俺は気が付けば不良のレッテルを貼られていたし、俺とあかねが一緒にいたら、きっとあかねにも悪い影響があると思ったんだろうな。だからおばさんは全然悪くないんだよ。

 でも……。

 あかねもおばさんに言われているはずなのに、俺に話しかけるのを全然止める気配がないんだ。俺がどんなに突っぱねてもだ。


「キョウちゃん」

「あー、もう。その言い方やめろ」

「キョウちゃんはキョウちゃんなのに?」

「もう中学入ったんだよ。そんなガキみたいな事ばっか言うな」


 無視して放っておいてもいいけど、あいつは本当に目が見えてないし、杖をついて歩いている以上、あんまり早くは歩けない。だからフラフラとしてて車道から車が出て来たら、自然と俺が手を引いて歩道まで連れ戻すって言うのは習慣みたいになっていた。そのせいか、やっぱりふわふわと緩い笑いをあかねが取る事はなかった。

 関わるなとあかねのおばさんは言っていたけれど、あかねがついてきてしまう以上は、俺はあかねを家に連れて帰るしかなかった。

 俺はあかねを家に送り届けると、おばさんはすごい勢いで俺を睨みつけてきた。

 正直。家でも学校でも厄介もの扱いだし、あかねのおばさんも何も知らないものだから、あかねを守ろうとして必死であかねを俺から遠ざけよう遠ざけようとしている。

 俺もその方がいいと思うんだ。

 別の日にさ。ちょうど俺がまた俺を見つけてついてきてしまったあかねを家に送り届けようとした際、ケンカしてる連中と鉢合わせちまったんだ。

 あかねはにこにこ笑ってたけどな。俺はすげえ苦虫噛み潰したみたいな顔してたと思うぜ。真っ白な髪に真っ白な肌で、おまけに屈託なく笑うもんだから、珍しい上に可愛かったんだろうな。


「何だぁ、女連れかぁ……?」

「……うるさい」

「キョウちゃん? だあれ? お友達?」


 そう言ってあかねは小首を傾げるけどさ、こんな奴と全く友達でもねえし、そいつはあかねを舌舐めずりして見るのが不愉快だった。


「……あかね、お前耳に手を当ててろ。塞げ」

「なあに? 内緒話?」

「そうだ、内緒話だ。いいな。これは男と男の話し合いだから、絶対聞くなよ。女が聞いていい事は一つもないんだ」

「ふーん? うん、分かった」


 あかねが素直に杖を鞄に引っかけると耳を塞ぐもんだから、あいつらは爆笑していた。


「何だ、こいつ頭があれか?」

「……うるさい。悪く言うな」

「何だ、照れてるのかぁ~、キョウちゃ~ん?」


 そう言われた瞬間、気付けばそいつは伸びていた。鼻血噴いてたな。他の奴らはぎょっとしていたけれど、俺は全然意に介してやらなかった。

 あかねを汚い目で見るんじゃねえ。あかねを勝手に馬鹿呼ばわりするな。

 でも……。

 俺とあかねの道は違えたんだから、やっぱりあかねは俺にもう会わない方がいい。危ないからついてくんな。俺は悪い奴だからついてくんな。何度言ってもあかねは首を振って「嫌!」の一点張りでついてくるんだ。

 俺は、あかねに傷ついて欲しくないし、今はまだ、何もなってねえけど……。

 あかねは正直、綺麗なんだ。モデルでもグラビアアイドルでも、あんな綺麗な奴なんていない。だから。あいつにひどい目になんか合って欲しくないんだよ。

 俺の事なんか忘れて、元気でいてくれたらそれでいいんだよ。


****


 全てを打ち上げた時、カラン……と氷が溶けてぶつかり合う音が響いた。揺り椅子の少女はミントティーの入ったカップを口に傾けつつ、黙ってそれらを頭の中で復唱しているようだった。


「あの……これ、本当に忘れさせられるのか?」

「さっきも言ったでしょう? 結論だけ言うなら、できます。でも困ったわねえ……」

「……何が」

「確かに忘れさせる事はできるわ。あなたの事を、立花あかねさんから何もかも全部を」

「やっぱり! できるんだな!?」

「ええ、できるの。ただ、ね……」


 少女は困ったように眉を寄せて、頬杖をついた。


「記憶や思いは確かに忘れさせられる。でも彼女から記憶を取り除いても、彼女そのものの形を変える事はできないわ」

「……どういう意味だ?」

「きっと忘れさせても、あなたの思った結果にはならないと思うの。それでも構わない? それでも大丈夫?」


 彼女そのものの形を変えられないと言うのは、どういう事なんだろうか。あかねの中から自分の記憶が消えれば、きっと彼女は自分を追いかける理由がなくなり、自分についてくる事なんてなくなる。

 自分は周りを不幸にさせたし、あかねを危ない目になんか合わせたくない。それだけなのだ。どうしてそれを戸惑うのか。


「……構わない。頼むから、あかねに俺の事を忘れさせてくれ」

「……分かりました。でもこれは前払いよ。お金は持ってる?」

「ああ……」


 ネットで見た情報。彼女が魔法を使う場合、対価として前払いに6666円払わないといけないと言う。

 中学生からしてみたら、この値段は随分と高い。マンガだったら軽く10冊前後は買えてしまう。彼女は軽くそれを数えてから、それをレジにしまい込んで、領収証を切ってくれた。品代は「依頼料」とシンプルなものだった。


「確かに依頼引き受けました。それでは」


 そう言いながら彼女は飲み終えたカップを二客持って奥に引っ込んだ。

 まさか、金を巻き上げるだけ巻き上げて、このまま出てこないつもりか? 一瞬そんな不穏な事を考えたが、あの真っ白な少女はゆらゆらと揺れながら戻ってきた。何かを持って、それをカウンターに載せたのだ。

 持ってきたそれは、水を盆ギリギリまで張った水盆だった。それに彼女は何かを垂らした。

 よくよく見ると、それはラベルにユーカリ油と書かれたものだった。ミントとはまた違うすっとした匂いが立ち込めたと思ったら、水面はゆらゆらと揺れる。


「記憶は、溢れる」


 水盆から何かが溢れてくると思ったら、水盆の水は溢れてきて、カウンターを濡らし、さらには床を濡らした。思わず避けそうになるが、少しかかった水に触れた瞬間、避けるのを止めてしまった。


『キョウちゃん』


 優しげに自分の名前を呼ぶのは、どこからどう聞いても生まれた時からずっと聞いているあかねの声だった。水に触れた瞬間、彼女の声が響いたのだ。

 水盆からカウンターを伝い、床に広がった水が作る水溜まりは、様々な景色を映し出していた。

 幼稚園の時、遠足でみかん狩りに行った際、急斜面でみかんの山を昇れないあかねを負ぶって山を昇り、二人で一緒にみかんをもいでは食べたのだ。あれはとても酸っぱかったはずなのに、あかねは皮を剥いて食べるたびに「美味しいねえ」と笑っていた。

 近所ぐるみで旅行に行った際、コスモス畑に行った。赤トンボを追いかけていると、コスモス畑にたたずんでいるあかねを見て、思わず赤トンボを逃がしてしまった。真っ白なあかねは、コスモス畑に咲いた一輪の花みたいに見えてドキドキしたのは、今でもよく覚えている。

 小学校が違っても、あかねは接し方を変える事はなかった。学校には杖をついて通っていたけれど、ほとんど見えていないはずなのに、見つけた瞬間走ってくるのだ。まるで本当にマルチーズのように。

 中学校に入り、見違えるように綺麗になった。相変わらずふわふわとしたままで、その内誰かに騙されるんじゃないかと言う位人がよくて、言葉は小学生の時と同じく、少し聞いただけでは幼いけれど、それはただよく考えた上でそうしている事は知っている。

 あかねは……あかねは……幸せになるべきだ。俺の事なんか忘れて、幸せになるべきなんだ。

 なのに。溢れ出る記憶に一体どれだけ俺がいるんだよ。全部忘れちまえよ。全部忘れて綺麗さっぱりなくなって、その中に他の思い出詰め込んで、俺なんかがもう入れない位にいっぱいにしちまえよ。

 そしたら俺は安心できるからさ……。

 フローリングのはずの床は、水を勢いよく吸い込んでいく。水盆の水は、どんどんと溢れていくのになくなる気配がない。でも、カウンターを通って溢れかえる水は、気付けばなくなっていた。


「記憶は溢れ、記憶は埋もれ、記憶は新しい枝葉を付ける。花は咲き、そして散り、枯れ、土に還ってまた芽吹く。

 それが繰り返され、人は思い出を作る」


 それは呪文なのか、ただの詩なのか。さっぱりと分からなかったが、少女はにこりと笑った。


「……確かに依頼は完了しました。でも、本当によかったの?」

「……これで、いいんだ。俺の事なんか忘れちまった方が、幸せだから」

「あなたは泣いているわ?」


 そう少女に言われ、思わず目尻に触れる。確かに自分の目尻は濡れていたのだ。

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