計画は滞りなく

     3


 柔らかな日差しに温められた空気が、広大な土地に吹きすさぶ。小型ジェットの横っ腹に控えめなサイズのタラップが接続され、地上へと乗客を降ろす。

 春の陽気に満ちた空気を目いっぱい肺に取り込んで、一秒。一気に吐き出した。

 神原優子は一年半ぶりに日本へと戻ってきた。空港はしばしば、その国の調味料の匂いがすると言われるが、特にそういうものは感じず、神原はただ一回くしゃみをした。花粉が大量に飛んでいるらしい。

 バスに乗ってターミナルまで滑走路を移動した。サングラスの下から注意深く観察しても、つけられている様子はない。もう自分のことなど誰もが忘れてしまったのだろうか。それとも、監視するに値しない対象であるというだけの話か……。

 イミグレーションを通過し、ベルトコンベアで運ばれてきたコンパクトなキャリーケースをぐいっと持ち上げ、待合ロビーへと出た。ここにも不審な人物は誰もいない。

 待合ロビーは大勢の人の喋り声で騒々しい。航空券の発券に手間取っている老夫婦の口喧嘩、転んでしまい泣きじゃくる幼い子供を宥める若い母親。修学旅行の一行……。ほとんどが日本人というわけではなく、インフォメーションセンターで身振り手振りジェスチャーをする白人男性もいれば、東南アジア系のお姉さん、爆買いを済ませてきたであろう中国人。どこの空港もそこまで景色として変わるものではない。案内表示の日本語が一番大きく表示されているのを見て初めて、日本に帰ってきたと実感した。

 動く歩道の上を大股でせかせかと歩く。降り口が近づくとそれに合わせるように歩幅を調整して小刻みに足を踏み出す。動く歩道の終わりに感じる加速度の変化を楽しんでいると、前方の視界に止まっているものが見えた。だいたい皆出口へと歩いているので、一人でも止まっていると極端に目立った。

「堂々とこんなところで待ち伏せかしら」神原は鼻を鳴らして言った。

「ずいぶんぶらぶらしていましたね」倉持はカーディガンのポッケに手を突っ込んでいる。

「それはあなたが言ったからじゃない。一年半の猶予があるって」

「冗談冗談」倉持はあははと笑った。

「そういえば、決行日っていつだったかしら」

「四月一日。三日後ですね」相変わらず緩い表情のまま倉持は言う。「間に合うように帰って来てとは頼みましたけど、ちょっとギリギリ過ぎないですか?」

「色々あるのよ。早めに日本に帰ってきたところで、私としては身に危険が及ぶ可能性が高まるだけだもの。それに――」

「それに?」

「彼らには冷却期間が必要だと思った。この一年半という歳月でそれが果たされているかはわからないけれど」

「片瀬君たちのことですね」倉持はうんうんと頷く。

「正直な話、僕も迷ったんですよ。一年半前、あなたに疑いを向けられていた頃は自体がこのような展開に至るとは考えてもいなかったですし」

「嘘ね」サングラスの奥できれいな瞳が光る。

「僕はどこかでそう思っていたんでしょうか。そうだとしたら僕の魂もまだ捨てたものではないと思えますね」

「私でさえあなたからの話を聞くまでは信じられないことが多すぎたもの。あっちでやることも沢山あったから、結果的に一年半もハーグにいたってだけで」

 二人は動く歩道から外れて、ゆっくりと空港内を歩いた。

「ハーグなんかで何をしていたんです? 国連にでもちょっかいだしてたんですか」

「まさか」神原はキャリーケースを倉持に手渡した。「私にそんな影響力があると思ってるの?」

 倉持は仕方ないな、という感じでキャリーケースを受け取り、転がし始める。ずん、と倉持の手が沈んだ。

「何入ってるんですこれ」

「気にしない気にしない。女の七つ道具が入ってるだけよ」

「その美貌も、いろいろなものを塗りたくってるんですね」

「塗りたくって美貌になるならまだマシと思いなさいよね」とぼけた顔して失礼の極みのような発言をしてくる姿勢は、こいつの本心なのだろうか。はたまた別人格であるのか。

「それで、今から片瀬君たちに会いに行くと」

「もう時間がないでしょう。行動は早いほうが良いわ」

「ふむん」

 二人はバスターミナルへと着いた。流石に三月末とあって、外にも人が沢山いた。

「そうだ」思い出したように突然神原は切り出す。「遠藤君とは順調にいってるの? 計画が一瞬でドボンみたいなヘマをやられたら一発でお終いよ」

「ああ、遠藤君のことですか」細目のまま倉持は言う。「見違えましたよ。やっぱり人は変われるんですね。どんな人でも。その人にそれなりの覚悟があれば、何とかなるものです」

「そうでなくちゃ困るわ。私がこっちについた意味がなくなるもの」

 券売機できっちり二人分のチケットを購入した。どうも、と倉持が言うのとほぼ同時に、バスがターミナル内に滑り込んできた。

 行先は横浜駅。そこで落ち合うのは片瀬だけではない。

 一年半、何もやってこなかったわけではないのだ。

 キャリーケースを乗務員に預け、二人はバスに乗り込む。他の乗客はほとんどいなかったが、車内は窓を閉め切っているせいか少しむっとした。

 一番後ろの席に腰を下ろすと、倉持が口を開いた。

「まさか、同時並行でケーレスでも作戦を開始することになるとは思っていませんでした」

「タルトピアで事を起こせば、自然とこちらの宇宙にも影響は及ぶでしょう。もしかしたら、もう彼らは感づいているかもしれません。タルトピアでクーデターを起こすこと自体を知っているかは分からないけれど、少なくともこちらに派遣されている全権者の工作員は動き出すに違いないわ」

 一年半前にタルトピアで遠藤が決断を下した時から、ケーレスでも状況は刻々と変化していた。SILC研究所での人為的な暴走事故のあと、世間に対してある情報がもたらされた。それは政府の公式見解ではなかったが、ある週刊誌に名前を明かさないことを条件とした政府高官のインタビュー記事が載せられたのだ。

 彼はそのインタビューの中で、神奈川県に発生した停電の原因は政府が秘密裏に地下深くに建設した加速器施設の暴走によるもので、文部科学省が独断によりこの計画を企画立案し実行したという話をした。

 倉持が以前辻元と連絡を取り合っていた頃には、工作員は作戦終了後速やかに転移させ、後に残るのは計画について何の記憶もない元々ケーレスで生きていた人格だけになり、彼らが全責任を取って辞職するという手はずになっていたので、倉持は大して驚くことはなかった。

 事態が悪化したのはそのあとすぐだった。

 週刊誌のリーク記事によって世間は予想よりも大騒ぎになった。加速器の学術的な検討から政府内部の秘密結社の陰謀論まに至るまでの話題で、連日ワイドショーは埋め尽くされることとなった。さらに伊勢佐木町で起きた加速器研究機構の職員が死亡した事件との関連が報じられると、さすがに政府は何のアクションも取らないということはできなくなった。加速器研究は国際的な枠組みの中で進められてもいたので、海外から事実確認の追及をされると、文科省は急遽記者会見を開いた。

 しかし、あろうことか文科省は記者会見においてその研究所の存在を否認し、逆にリーク記事を出した出版社に対して訴訟を引き起こしたのだ。

 倉持はこの時、文科省内部で何が起こっているのか全く分からなかった。既に辻元とは連絡が取れなくなり、ケーレスでの工作員の活動状況が把握できなくなった。タルトピアに戻って全権者に説明を求めたが、特に問題が発生したというわけではなく、遠藤修介のSエネルギーがタルトピアに戻らずに、使い物にならなくなったという現状で、遠藤修介の監視をする必要がなくなり倉持との連携も必要なくなったという判断の下、そういうことになったのだという。

 倉持には、既に全権者にクーデター計画を気づかれているのではないかという懸念を胸に植え付けられた気分だった。全権者を前にして初めて、心臓を素手で掴まれているような居心地の悪さと恐怖感を覚えのだ。何か得体のしれないものが後ろにずっと立っているような、そんな感覚。終始探るような視線で全権者を見ていたが、革張りのチェアに深々と腰掛けて作業をしているだけで、結局その真意を暴くことは叶わなかった。

 今もなお、イレーネとの技術協力によって得た力を使い、全権者は一方で破壊を繰り返し、他方では保護区域内の国民の生活を保障するという内容のプロパガンダを世間に対して打ち続けている。総選挙を目前に控えた三月下旬でも、それは変わらず実行されていた。

「気づかれているにしては、今まで行動を起こすということがありませんでしたからね。ここまで読めない男だとは思っていませんでした」

「私は転移なんてものはできないけれど、容姿なら分かる。遠藤修介の父、遠藤昭はこっちじゃ警察組織に属しているんだし、それなりの役職にも就いているから」

「不自然ですね」倉持は納得のいかない顔で言った。

「不自然?」

「果たして、このまま計画が上手くいくんでしょうか……」倉持の顔には焦りの色が刺した。

 バスはすぐに高速に入り、徐々にその速度を上げていく。片方には海、もう一方には工業地帯と高い建物があまりなく、比較的眺望が良い。

「不安材料は多いけれど、やるしかないわ」神原は自分に言い聞かせる。どう考えても、こちらには夢人の数が圧倒的に足りない。対抗手段があまりにも乏しいのだ。全権者を叩くには、二宇宙同時並行の作戦が必要だった。

「今すぐにでも戦う準備はできていますが、この作戦期間中に何も起こらなさ過ぎた。僕が訝しむのもわかるでしょう――」

 倉持が同意を求めた直後、バスに衝撃が走った。

 前方に飛ばされそうになる躰に、シートベルトがきつく食い込む。一瞬息が止まった。

 後ろか?

 神原は最後部の座席からちらと後ろを振り返った。

 すぐ後ろに、四トントラックが迫っている。

「何よこれ!」神原は思わず叫ぶ。

「おそらく、敵の襲撃でしょう……」倉持は額を抑えながら弱弱しく呟く。先程の衝撃で前の座席に頭を打ったようだ。

「待ち伏せされてたってこと?」

「おそらく」

「でも、他に乗客がいるじゃない……」

 神原はバス内部を見渡した。しかし、座席の背もたれから頭を覗かせている者は誰もいない。

「きゃっ」

 一つ前の座席に顔を覗かせて、神原は悲鳴を上げた。

「神原さん!」倉持はトラックとの距離を見てから確認しに寄ってきた。

「大声出してごめんなさい。でもこれ――」

 神原の指さす座席には口から血を吐いて静かに横たわる若者の姿があった。その表情は、なぜ自分は死んだのかという疑問に溢れているように見える。

「まさか……」倉持は死体を確認するや否や、運転席へと走り出した。

「倉持さん!」神原も後を追う。

 運転席には死体となり果てた運転手が座っていた。そして、ハンドルにはロープが巻かれていて、運転席のドアの取っ手と反対側のポールに結ばれており、ちょうど三角形を作るようにしてハンドルが固定されている。

「嵌められたってことね」神原は運転席からミラーで後ろを見た。

 四トントラックはいつの間にか遠ざかっている。

 計器を見ると、時速一四〇キロメートルで走行しており、その速度はなお上がりつつあった。

「アクセルペダルを踏みっぱなしで死んでくれたみたいだ」

 幸い、空港から工業地帯を抜けトンネルを通るこの高速は定規で引いたような直線がしばらく続いていたが、それも時間の問題である。

「あのトラックの追突が合図だったらしい」倉持は冷静に分析する。

「どういうこと?」

「夢人の仕業。後ろの乗客たちは何か劇薬でも飲んだんでしょう。死ぬ間際に転移してもうこの宇宙にはいない。この運転手も、ハンドルを縛った後同様の手口で転移したってことです」

「このままじゃ私たち死ぬわよ」

「そうですね」

「ハンドルのロープも結ぶ目が接着剤でがっちがちだし、かといってナイフなんか常備してないし……」

「神原さん、いいですか」倉持は振り返り神原に向かう。「これは奴らの宣戦布告です。やはり何らかの情報が漏れていたのでしょう。こうなった以上、作戦を開始します。ちょっと下がって」

 倉持は腰のあたりから何か取り出すと、それをハンドルに向けた。

「ちょっと――」

 神原が耳を塞ぐ間もなく、それは響いた。

 銃声。

 ガラス片が音を立てて散る。

 一瞬にして外気が車内へと入り込む。

 見ると、ハンドルを固定していたロープが千切れていた。

「さすがに、外に向けて撃ちますよ。馬鹿にしないでください」ハンドルを持ちながら、倉持は言った。

「持ってるなら先に言いなさいよ……」神原は倉持の手元のリボルバーを見て言った。耳がまだキーンとしている。

「このまま、こっちは行動開始です。僕はタルトピアに行ってくるので、神原さんは運転しながら特査に連絡を」神原にハンドルを預け、倉持は一つ後ろの座席に腰掛けた。

「行動開始ってまさか」

「文科省へ」倉持は微笑んだ。「あ、あと僕このまま事態が収束するまで気絶するので後はよろしくお願いしますね」

 そう言い終えると、こくん、と首をもたげて気を失った。

 夢人の尻拭いはこれだから面倒くさい、と思いつつも、神原は運転手をどけて座席についた。

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