ゆうもあ先生の反省

 あれほど、暑かった夏が終わってゆく。ゆうもあ先生こと有象無蔵の狂った時も終わりの時を迎えた。

「みんなおかしかったんだ」

 有象はそう思うことにし、慎重に学生たちに接した。学生たちも何事もなかったように振る舞い、四年生たちは講義に出席せず、前田優子と大島敦子は二人でくっついて行動している。必要ないことは有象には言ってこない。自宅では婆やの優子さんが普通に仕事をして普通に休んでいる。みんな分かっているのだ。自分たちが狂っていたことに。ただ一人を除いては。

 中森明美だけが未だ、有象に付きまとってくる。甚だ迷惑だ。静かな秋を迎えたい有象は明美を出入り禁止とした。それが悪かった。明美は夏合宿で起こったことをビラにして校内にばらまいた。それは半分はデマだったが、半分は当たっていた。噂が学内に広まり、有象は学部長の鷲田に呼び出しを受けた。


「有象くん、由々しき事態ですぞ」

「えー、なんざんしょ」

 有象はとぼける。

「このビラを見ましたか?」

「いいえ(嘘)、ちょっと拝見……なんですかこれは!」

 有象は大声で叫んでみる。こういう時はオーバーアクションが大切だ。

「君、これに書いてある破廉恥な内容は?」

「嘘に決まっているじゃないですか。こんな中年に春を捧ぐ、女子大生なんているわけないじゃないですか!」

 強硬に怒ってみせる。(演技)

「だが、夏合宿はしたんですよね」

「ええ、しましたよ。それが何か?」

「女子大生を自宅に招くとはいかがなもんかね」

 険しい表情の鷲田。

「じゃあ、学部長はどこかの下賤なホテルか旅館で合宿をしろと言うんですか? その方がはしたない」

「それはそうだが。実際、学生とその、ナニはあったのかね?」

 顔を赤らめて聞く鷲田学部長。

「学部長! 怒りますよ。そんなはしたないこと聞くなんて、このビラを作った人間と同じだ。私は当該学生の名誉のために進退をかけて、このビラを否定します」

「そうですか分かりました。第三者委員会を立ち上げて、この問題を調査しましょう」

「だ、第三者委員会? お、大げさな」

「あれ、ずいぶん弱気になりましたね。何かやましいことでもあるのですか? 進退をかけた、有象教授」

 鷲田がニヤニヤ笑う。鷲田は有象が生理的に嫌いなのだ。

「やましいことなど何もありません。ただ私の学生たちが可哀想なだけです」

「そうですか」

「一つ、質問して良いですか?」

「何でしょう」

「このビラを撒いた人間は分かっているのですか」

「ええ、経済学部ビジネス学科の中森明美という学生です。ご存知ですか?」

 有象は気を失いかけた。そこまで分かっているのか。


 もうこうなったら、中森明美に直談判して、ビラを撤回してもらうしかない。というか土下座して平謝りするしかない。裕子さんの手も借りたいところだが、ぐっと我慢。男一徹ど根性、当たって砕けろだ。有象は明美のアパートにアポなしで行った。相手に動揺を少しでも与えておいたほうがいい。

 チャイムを鳴らす。

「はあい」

 と明美の声がする。在宅していた。

「有象ですが」

 超シブい声を出してみる。

「まあ、先生!」

 明美は事件のことなど知らないように有象を迎え入れる。有象のほうが動揺を与えられてしまった。

「入ってください」

「いや、ここでいい」

「入れ!」

「……はい」

 言われるがままだった。

「飲み物は何がいいですか?」

「いや、結構」

「飲み物は!」

「では、コーヒーを」

「はい、ビールですね。お待ちください」

「いや、酒はいかん」

「お待ちください!」

「あっ、はい」

 完全にペースを握られている。それだけはいかん。

「どうぞ」

 明美がビールを注ぐ。口だけつけると、有象は土下座した。

「どうぞ、なんでもしますから、あのビラを撤回してください。ウチの学生たちがかわいそうだ」

「ふん、自分の身が可愛いだけじゃないの?」

「いや、自分の進退伺いは出してある。就職が決まっている子もいるんだ。破談になんかさせたくない」

「私だって学生よ」

「分かっている。だからなんでもすると言っている」

「そう、じゃあねえ」

「はい」

「出入り禁止、解除して!」

「そ、それだけでいいの?」

「うん」

「じゃあ、解除するよ。でも雰囲気悪くなると思うよ。それより、第三者委員会での発言よろしくたのみます」

「はーい」

 なんだ? このお気楽な展開は。有象は残りのビールを飲み干した。

 

 第三者委員会で、明美は嘘をついたと告白し、退学処分となった。なんともかわいそうなことである。有象は明美を家政婦として雇用した。婆やじゃなくて家政婦である。部屋はいっぱい空いているから住み込みにしてやった。ただし、男女間の関係は原則禁止である。原則がつくのは、主に有象がもよおさないとは百パーセント言い切れないからである。ちょっと情けない。


 ビラは急速に排除され、噂は七十五日を待たずして消えた。四年生の就職にも影響は出なかった。


 今回の事件はすべて有象の理性が失われたことによるふしだらが原因だった。男も四十を過ぎれば分別ふんべつがつくと思ったがまだまだ幼稚であった。そのことを有象は深く反省した。そしてこれからは「しっかりと笑いとユーモアの世界を研究しよう」と古今亭志ん朝のCDを買ってきて夜毎聞き漁った。

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