第10話【因縁】

「ふーん。また厄介な事になっちゃって……アイツが近くに来てるのね」


 エンジンの振動を身体に受けながらインユエは呟く。

 独りで生きてきた時間が永い彼女の習い癖だ。

 フルフェイスのヘルメットの中。闇色のバイザーに隠された彼女の瞳に映るのはペドロの指摘通り、あの怪鳥の視界だった。

 この女吸血鬼の能力は吸血行為で人を眷族に変えるだけに非ず。物語の中にある化け物すら生み出す異形の怪物は、いつものように楽しそうに言った。


「まぁ、アイツの血を受け入れた“適合者”が相手じゃ鴉には偵察も荷が重いか」


 そう言いながら肩を竦める代わりにふぅっと溜め息を一つ。


「でもね、たかだか眷族おもちゃ遊びが出来たくらいでいい気になるのは間違いよ。待ってなさい。これ以上お前の好きにはさせない」


 発された声の雰囲気が、一瞬だけ変わった。

 しずしずと紡がれる底冷えのする声。それだけでインユエの周囲だけ、数度気温が下がったような錯覚さえ引き起こす。

 何も知らぬ者すら恐怖を覚える程の、静かな怒気の発露。

 何が、彼女を駆り立てるのか。




†††††




 因縁の始まりは1800年代中期。阿片戦争の時代まで遡る。

 当時の帝国・清は列強各国に対し、軍事力の面で大幅な遅れを取っていた。

 『眠れる獅子』と揶揄されながら、その実、張り子の虎だったのだ。

 そんな状況下で大英帝国から流入し、じわじわと国を浸食する阿片に削がれていく国力。目に見える、国の末路。

 そんな清国の未来を憂いたが極秘裏に発案し、強硬に推し進めた、の軍事利用作戦。

 そのために結成された公的には実行部隊が辿り着いた、 。それが、あの国に産まれた吸血鬼・銀月インュエだった。

 秘匿されるべき部隊──そんな皮肉から緋色部隊と呼ばれた彼らは、銀月インュエを捕らえ利用する道ではなく、共に戦う道を選んだ。

 無論、力ずくでと考えていたならば容赦なく切り捨てただろう。そうならぬ為の手段としては好手とも言える。だが、敵わぬ相手にとった手段と決めつけるには彼らの銀月インュエに対しての扱いは異常だった。

 怪物であると知りながら尚、銀月インュエを仲間として、どこまでも扱ったのだ。

 そんな彼らと出会い、心を開いて行く中で開戦された清国と大英帝国との戦争。それが、彼女の運命を、復讐に彩られた怪物としての生き方を決定づけた。

 “化け物”が初めて人として得た仲間。そして、不滅の生涯で唯一愛した男性ひと

 全てを奪ったヤツらを殺す。

 至って簡潔シンプルな行動原理に突き動かされ、行き着いた先が大英帝国と癒着の関係にあった『教会』の存在だ。

 以来、ヤツらを討ち滅ぼす為だけに生きる復讐者リベンジャーがインユエという怪物だった。




†††††




 高ぶる精神をねじ伏せ、押さえつけるようにしてインユエはアクセルを吹かした。

 轟音が鼓膜を、振動が身体を刺激する。

 陰鬱で夜の闇より尚深く、尚暗い猛り狂う殺意の嵐を撒き散らす。


「【夜雀】から【山狗】。【亡霊】を発見しました」


 人気のない街の片隅での出来事。

 それを、後方数キロの位置から確認する人影。

 それは、文字通り影だった。全身、顔までを覆う艶消しのスーツを身に纏う漆黒の集団。本来目が有るべき場所が不自然に突き出している。闇夜の中でも微かな光量でクリアな視界を約束する暗視スコープだった。それ以外にも拳銃や機関銃、コンバットナイフといった物々しい装備。どう考えても街に住む一般市民ではない。


『こちら【山狗】。そちらの映像を確認した。間違いないか?』


 マスクに内蔵された小型無線が一切音を漏らさず、骨振動を利用して影たちに声を伝える。

 身体の大小は確認できるが、性別までは判然としない。唯一判るのは男の声を発し、【山狗】と名乗る相手に報告をする声の主だけだ。


「肯定。接触しますか?」

『馬鹿を言うな。お前達の格好でこんな時間から市街戦など目立ち過ぎる。まだ監視に徹しろ。距離は詰めるなよ。データ通りなら【亡霊】の索敵範囲は生身の人間とは別物だ。見た目に惑わされるな』

「了解」

『とは言え俺も懐疑的なところがある。アレが上の言う通りわざわざ国内で俺たちを動かすほどの代物なのか、“性能テスト”位はしておく必要はあるな。適当な相手をけしかける。間違っても手は出すなよ』

「了解。任務を継続します」


 平和な街の、長い長い一日が幕を開こうとしていた。

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