第5話【死闘】

 時間は前日の夜まで遡る。

 夜、と言ってもまだ宵の口と言える早い時間。

 女──インユエの姿は病院に在った。

 その身を漆黒のライダース・スーツに包み、正面玄関から堂々と院内へ。

 全身にぴったりとフィットする衣装が、インユエの女性らしいボディ・ラインをこれでもかと言うほど強調している。長い黒髪も合わさり、唯一肌を露出させている顔の白さが異様に際立っていた。ふっくらとした形の良い朱唇、高く整った鼻梁、黒目がちな双眸はややつり上がっているようにも見えるのだが、優しげな微笑と完璧とも言える相貌の美しさに掻き消され、キツい印象を感じさせない。

 美の化身。そんな言葉がよく似合う、絶世の美女である。普通に歩けば、老若男女を問わず必ずその視線を奪うであろうその女に誰一人として目を向けない。

 どうなっているのか?

 受付まで近づくと、カウンターに手を掛け軽々とそれを飛び越えた。只でさえ目立つ女の有り得ない行為に対し、それを見咎める者は誰一人居なかった。

 まるで女の存在が見えていないかのような周囲の立ち振る舞い。女自身も、然りとてその様子を気に止めることもない。

 空いているパソコンのキーボードを手早く叩き、目当ての情報を獲ると、そのまま奥へ。スタッフルームを通り抜け、小児病棟のある四階を目指す。

 この間も、病院のスタッフとは真逆の出で立ちであると言うのに誰一人女を止めようとしない。

 四階まで一気に駆け上がると、中央に配置されたナースセンターに入る。カルテを物色し、途中の一枚を引き抜く。

 姫野カレン。そう記されたカルテに目を通し、すぐに元の位置へ。


「やっぱり陽性、か。さて……」


 まだせわしなく動き続けてる看護士達を尻目に、インユエはナースセンターを出る。

 記載のあったカレンの病室を覗くとネームはそのままだが人の気配はなかった。


「まぁ、そうよね」


 一人、何かに納得したように呟く。


「何がそうなんですか?」


 不意に声をかけられながら、驚いた様子もなく声に応える。


「この部屋の娘、どこにやったの?」

「化け物に答えると思いますか?」

「なら自分で探すわ。エスコートなら結構よ、神父さん」


 そこまで言ってようやく声の主に向き直る。白い長衣ローブの男に。


「ダンスの誘い方、少しは勉強したの?」


 神父はただ黙って女を睨みつけている。既に、臨戦態勢だ。


「むっつりしちゃって。モテないでしょ?」


 笑うインユエ。

 二人のやり取りを気に掛ける者は、やはりいない。


十字架クロス持ちなのね。仕事は優秀なんだ。じゃなきゃ今の私の姿が認識できるはず無いものね」


 一方的な女の問い掛けに、神父は応える気は無いようだった。


「ここで始める気? 死人が出るわ」

「死者を統べる者には都合がいいでしょう」

「ま、困ることではないわね」


 サッと髪を掻き上げ、インユエが前に出た。

 一気に間合いを詰めるとフッと呼気を吐きながら鋭い貫手を放つ。

 神父はインユエの一撃に合わせるように銃を抜く。硬質の持ち手グリップが女の繊手と激突した。


「くっ」


 その攻防で顔を歪めたのは意外にも神父の方だ。

 人間の膂力では考えられない衝撃をバックステップで逃がしながら距離を取ろうとするが、インユエの踏み込みの方が速い。掌打・拳撃・手刀・貫手、あらゆる打撃を組み合わせた連撃で銃使いガンスリンガーである神父に間合いを許さない。

 インユエの攻撃を全て持ち手グリップで捌きながら神父は後退を余儀なくされていく。

 人と人ならざる者。時が経つにつれその差が現れ始めていた。速さと鋭さが増し続けるインユエ。それに対し神父は徐々に陰りが見え、額にはじわりと雫が浮かび始めている。

 激しい攻防にも周囲の人々は騒ぎもしない。

 人がいない訳ではないのだ。平日のこの時間、むしろ見舞いの人は絶えない。

 それでも尚、二人の攻防は誰にも

 不可視の死闘。

 そう、死闘だ。インユエの放つ連撃コンビネーション。その一撃一撃は全て必殺の威力を秘めている。神父もそれを理解した上で捌き続けているのだ。生身に受ければ、無事では済まない。

 それを証明するように、インユエの突き出した左の貫手が神父の肩を掠めた。


「──っ!!」


 声を殺しながら大量の鮮血が溢れる肩口を押さえる神父。

 肩口から先、本来有るべき右腕が、ない。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ?!」


 そこで初めて悲鳴が上がった。

 片腕を欠損した血塗れの自分に人々の注目が集まるなか、神父は片膝を着いてインユエを睨み上げている。

 その視線の先。インユエの左手に握られている、赤と黒に彩られた

 掠めただけで骨の骨半ばまでを切り裂き、引く手でそのまま引き千切った神父の右腕である。

 神父にとってそれは幸か不幸か。小児病棟とはいえここは総合病院の一角だ。既に医者や看護師達が神父の周りに集まり、治療を始めている。周囲は騒然としていた。


「私の勝ち、ね」


 勝ち誇るでもなく、千切れた腕を投げ捨てて血に濡れた手をペロリと舐める。

 自らの起こした惨劇に何の感情の動きも見て取れない。


「行くわ。私を追ってきたいならその人達を薙払わなきゃいけないわよ」


 視線を交えたまま言い放つ。


「私の方は構わないけど、聖職者の貴方には出来ないわよね。残念だわ。もう少しダンスを楽しませてくれると思ったのに」


  女は笑みを残して神父の前から消えていった。




†††††




 悠々と正面ロビーを入り口へと歩くインユエの姿に、すれ違う人々は入ってきたときとは真逆の反応を示していた。

 向けられる幾つもの視線。それを気にすることもなく、ただ堂々と歩く。どこかで洗い流したのか、左手を濡らしていた血痕は綺麗に消えていた。

 この女が、たった今人の腕を引き千切った帰りなのだと知ることが出来るのは当事者である神父のみ。だが、騒ぎが波及していない事を考えれば、あの神父が口外しているということはなさそうだった。それもその筈。仮に、「姿の見えない女と死闘を演じ腕を引き千切られた」などと騒げば、精神疾患を疑われ鎮静剤を打たれかねない。証拠は廊下に転がる神父の腕と傷口のみで、そんな女は誰一人として見た者は居ないのだから。


「姿を消しても吸血鬼狩りヴァンパイア・ハンター相手には隠しきれない、か。『教会』の造った十字架クロスの性能も近年じゃ高いものね」


 誰にともなく続く独白モノローグ


「取り敢えず、次は児童養護施設──セントマリアンヌ教会付属の施設なんでしょうね。無事だと良いけど。哲君も気にかけてたみたいだし」


 言いながらしっかりと閉められていたライダース・スーツのファスナーを腹部の半ばまで引き下ろす。インナーは無い。豊かな胸の谷間が、男からの好奇と女からの羨望を一気に集めた。


「随分と色っぽい格好じゃの、ねぇちゃん」


 他の者達が尻込みをする中、インユエに声をかける勇気が在る者が居たようだ。

 普段なら無視するインユエだが、何の気まぐれか男に一瞥の視線をくれた。

 黒いYシャツにスキンヘッド。室内でも外さぬサングラス。これ見よがしに身に付けられた、高級ブランドの腕時計。

 そもそも、医療施設でナンパ行為を平然と働く輩など、人種は知れている。


「コレから茶に付き合わんか?」


 不躾な視線を遠慮もなしにインユエの胸元に注ぎながら、男の表情かおは厭らしく歪んでいる。

 十人中、少なく見積もっても九人は確実に断り、残りの一人もただ断れないだけ。そんな相手であるのは間違いないのだが、インユエが次に取った対応が周囲の人間に驚愕を撒き散らした。


「いいわ。でも生憎と喉は渇いてないの。それより、もっとしに行きましょう?」

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