第19話 ブラッド・バス

 左の手が、だらんと垂れている。

 広く清潔なバスルームの湯船には、20代半ばぐらいだろうか美しい女性が身を横たえていた。

 なみなみと注がれた湯――湯にしては、やけに赤い。

 女性は目を瞑り、ピクリとも動かない。

 その表情は穏やかで、まるで眠っているように見えた。


 ――というか、実際眠っていた。


 たれ下がっていた左手が、ピクリと動く。

 彼女――羽鳥はとり絵理佐えりさはうっすらと目を開くと、身体を起こし、頭を軽く振った。

 どうやらあまりの心地よさに、いつの間にかうたた寝をしてしまっていたようだ。

 そもそも、この液体の温度が悪い。

 まさしく人肌のぬくもりであり、あまりにもしっくり来てしまうのだ。

 絵理佐は、自分が使っているその液体を両手で掬い上げる。

 湯よりも重く、ねっとりとしたそれは紛れもなく血液だ。

 牛乳風呂、というモノは聞いたことがある。

 また、ビール風呂、ワイン風呂。

 札束風呂というのは絵理佐の価値観としては今一つピンと来ないが、そういうモノもあるらしい。

 関西の深夜番組では、納豆で満たされた風呂に入る少年の姿が放映されたと聞く。

 これはその、血液版。

 かつてヨーロッパの方でも、同じような事をした人がいたらしい。

 その人もこれだけ集めるのに、ずいぶんと苦労をしたのだろうか。

 収集は言うまでもなく、この血液風呂を作るまでの保存も考慮に入れなければならなかった。

 ただ、単純な血液と言うだけなら、病院を経営している知人と『交渉』すればそれで済むが……。

 やはり、『生』の新鮮な血液、という点は重要だ。

 輸血用血液では、効果がないような気がする。

 そう、美容の。

 少し身体をずらすと、脇腹に少々痛みが走った。


「……あいたたた」


 たまらず、呻き声を上げてしまう。

 最近でこそ、『収集』が上手くいっているが、やはり最初の手際は最悪だった。

 初めてというのもあり、若干の緊張もあったのだろう。

 人気のない場所を選んだはずなのに、第三者が訪れたり、それを口止めするのにも苦労をした。

 だがまあ。

 絵理佐は、湯船の血液を手で掬いながら思う。

 苦労の甲斐はあったというモノだ。

 当分、この豪遊は出来そうにもないが、やってよかった。

 さて、この風呂から出たら、現実に戻らなければならない。




 シャワーで身を清め、バスローブ姿でリビングに出た絵理佐は、電話を取った。

 ソファの傍には、業務用の大型ポンプを改造した採血装置。

 装置からチューブが伸び、それはソファにバスタオルを巻いて横たわる、蝋人形のように真っ白になった少女に繋がっていた。

 もちろん死んでいる。

 まずは、彼女を死体回収業者に処分してもらわないといけない。

 世の中は広く、そういう事を仕事にしている者達もいるのだ。

 時計を確かめると、夜ももう遅い。

 明日は月曜日。

 休みは終わり、絵理佐も仕事に出なければならない。

 そして、新しい標的の確保も、その時に行なうとしよう。




 翌日。

 春星高校保健室。

 養護教諭である絵理佐は昼休み、三年生の女子の相談を受けていた。

 内容は、あまり表立って言えない、いわゆる性関係の相談だ。


「それで、つけてたの?」

「……か、彼がその……つけない方が気持ちいいって……」


 相談相手の女生徒は、恥ずかしそうに口ごもりながら言う。

 そんな彼女を観察し、絵理佐は溜め息をついた。


「……避妊はしっかりする事。こういうので泣きを見るのは女なんだから。まあ、今回は大丈夫だったみたいだけど、今度からは絶対」

「……はい」


 しょんぼりとしながら、女生徒は出ていく。

 それを見送り、絵理佐はもう一度溜め息をついた。


「ふぅ……」


 そして、手元の電子タブレットを指で操作する。

 彼女はなかなか顔立ちも愛らしく、血液採集の候補の一人であったのだが、非処女では駄目だ。

 学園の生徒のリストを開くすると、絵理佐は女生徒の名前の欄に、×印を付けた。

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