もうひとつの家

 後藤亜実のマンションを後にした私は、そのまま私のオフィスの裏にある駐車場まで歩き、父親に会うために車で彼女の実家に向かうことにした。

 小田急線が高架化されて随分経つが、線路のこちら側と向こう側を結ぶ道路はまだ全然整備されていない。細い一方通行の道をくねくねと曲がって、コインパーキングの空きを探し、さらにそこから目的地まで歩くことを考えると、電車にした方が楽だとも思える。しかし、後で自宅に帰るために、車を取りに再びオフィスまで戻る面倒臭さを考えると、結局最初から車で出かけた方がよいとの結論に達した。

 当たりをつけたコインパーキングが運良く空いていたので、車をバックで押し込んで、隣に駐車しているやけに大きなSUV車にぶつけないようドアをそっと開け、体をよじって狭い隙間から車外に降り立つ。コインパーキングは、ほぼ碁盤の目に区画された邸宅街の中にあった。ダウンライトに照らされた黄色が基調の派手な看板と、欲望の法則に従って力づくで更地にされた真新しいアスファルトの駐車スペースが、そこだけ周囲から切り離されたように異質な空間を作り出している。私は、何らかの事情で家を手放さざるを得なかったのだろう見も知らぬこの土地の持ち主のことを思った。

 パーキングを出て、あらかじめスマートフォンで調べておいた後藤亜実の実家までの道を歩く。幅は狭いが、一目で金をかけて整備されたことがわかる道路の両側に、様々に趣向を凝らした注文住宅の戸建が並んでいた。よく手入れされた広い庭を持つ家や、敷地ギリギリまで建物が迫っているが一階部分の駐車スペースに三台の外車が停めてある家、壁に飾られたブルーLEDのネオンが点滅する山小屋風の三角屋根の家など、外見はバラバラだが、何か調和を保っているその一画は、さながら人気パティシエが腕を振るった様々なケーキが並ぶショーウィンドウのようにも見えた。

 十字路を二度ほど曲がって少し行ったところに後藤亜実の実家はあった。敷地の広さは他と比べて狭いという感じはしないが、他の家が築数十年といった趣きなのに対して、その家は建ててから日が浅いのか、どこか新入りのバツの悪さのようなものを醸し出していた。

 道路を挟んだ向かい側の家の塀の前に、三十歳ぐらいの一人の男が立っていた。身長は百八十センチほどあり、横幅も同じように常人よりスペースをとる体型だった。十一月なのに寒くないのか、ジーンズに黄色のトレーナー、赤い野球帽をかぶっていて、顔は浅黒く日に焼けていた。結構な時間同じ場所に立っていた印に、足元にタバコの吸い殻が散らばっていた。今はタバコにも飽きたらしく、しきりに右手の人差し指を動かして、スマートフォンのゲームに熱中しているようだった。この辺りにはあまりにも場違いなその男は、それでも明らかに後藤亜実の実家を見張っているようだった。あるいは、こうした男に見張られなければならない家だということを、わざと近所にアピールしているようにも見えた。

 男は、私が近づいていくのを一度顔を上げてジロリと見たが、すぐに視線をゲームに戻した。どうやら私は、彼のミッションとは関わりがない人間のようだった。

 門扉は施錠されてなく、インターホンは玄関扉にあったので、私は門扉を開いて敷地内に入り、呼び鈴を鳴らした。玄関横のリビングらしき部屋に灯りがついていたため、当人が在宅であることがわかった。

 しばらくすると玄関の扉が開き、後藤亜実の父親が顔を出した。

「なんですか、こんな時間に」

 声は不機嫌だったが、感情的ではなかった。娘の年齢から考えて、おそらく五十歳前後なはずだが、髪の毛は黒くて密度も高く、真ん中より少し横で分けられた髪の分け目もクッキリとしていた。絶えずあたりに気を配っている、小さいが鋭く光る一重まぶたの眼には、銀縁のメガネが掛けられていた。背丈は普通だったが、風呂上がりらしくガウンを着た上半身のシルエットは、硬く引き締まった筋肉を連想させた。

「夜分にすみません。ちょっと亜実さんのことで、聞きたいことがありまして」そういいながら名刺を取り出して、後藤に渡す。

「探偵が私の娘にどういう関わりがあるんでしょう?」

「亜実さんの素行調査をしているとか、そういうことではありません。今ここでお父さんに話すわけにはいかないのですが、直接お会いして、話を聞かせてもらわなければならないことがあるんです」

 表情は変わらなかったが、彼の眉間が一瞬ピクリと動いた。

「今が何時で、私がこんな恰好なのを承知の上でいってるんだな」

「すみません。業務に忠実なあまり、他人への思いやりに欠ける傾向があるのかもしれません」

「まあ、いい。上がりなさい」

 彼はそういうと私を家の中に招き入れ、玄関のすぐ横の扉からリビングルームに案内した。


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