第4話 ジャポンイスⅢー明智光秀について

 私と同時に日本にやってきたオルガンチーノという宣教師がいる。彼も私と同じく日本教区長に任命されていたのだが、書類上の優劣で最終的には私が日本教区長となり、彼は下位の都教区の責任者にとどまった。

 結果から言えば、オルガンチーノはルイス・フロイスとともに織田信長の庇護を受け、京都に南蛮寺を建て、安土に神学校を建設した。私も九州において大友、大村といった大名の庇護を受け布教に尽くし、教会も神学校も作ったのだが、安土や京都のそれと比べれば規模も壮麗さもまったく及ばなかった。

 もちろんそれは、オルガンチーノの功績ではなく、たまたま都教区の庇護者である信長が異例の速さで絶大な権力を掌握した事による僥倖に過ぎない。

 その春、内心忸怩たる思いを抱きながらも日本教区長として、私は安土の神学校を視察のため訪れていた。

 その神学校は、見上げる安土城と同じ緑の瓦を葺いた三層の和風建築にヨーロッパ風の装飾を施された建物で、安土城の近く、もっとも賑わう通りにあった。

 最初の数日はオルガンチーノもフロイスも私に敬意を表し、安土城下を案内してくれたり、日本人のキリシタン有力者に紹介してくれたりしたが、次第に私一人になる時間が増えてきた。

 都教区の宣教師たちは、日本語を喋り、日本人信者と親しく交わり、請われればどこへでも布教に赴く。日本人嫌いの私とはまったく思考も行動様式も合わないのだ。

 それでも私がすぐにこの神学校から離れなかったのは、その聖堂には日本で唯一パイプオルガンがあったからだ。

 私はひとり、我がイエズス会の誇るトマス・ルイス・デ・ヴィクトリアが作曲したミサ・アヴェ・レジーナを弾く時間が至福の時だった。パイプオルガンから神学校の聖堂内に響く重厚で荘厳な旋律は、ほんのひと時、この湿気の強い島国から遥か遠く美しいローマの地に私を引き戻してくれる。

 しかし、私の楽しみは突然聖堂に入ってきた一人の男によって中断された。

 深々とお辞儀をした時の禿げ上がった頭を見て思い出した。明智光秀殿だ。

 以前京都でミカドに拝謁するための活動をしていた頃、あの秀吉と共に京都奉行をしていた男だ。当時何度か会ったことはあるが、秀吉とは違い、我々がミカドに拝謁出来る可能性に否定的だったために、結局疎遠になってしまった。今から考えれば、我々異人が直接ミカドに会える筈もなく、あのマカコ秀吉より光秀殿のほうが余程誠意のある対応だったと思う。

 今、彼はたぶん五十歳を少し超えた位の年齢だと想像するが、薄い頭髪と疲れきった表情のせいで、かつての京都奉行時代に比べ、かなりの老人に見えた。

 光秀は何かを話しかけてきた。

 『ヒエイザン』『イッコウシュウ』『ナガシマ』といった単語だけが僅かに理解出来た。たまたま聖堂の外を通りかかった日本人の神学生パウロ三木を呼び止めて通訳するように命令したが、彼も私のポルトガル語の半分くらいしか理解できていないようだった。

 パウロはそれでも何とか光秀の言葉を私に伝えた。どうやら織田信長の比叡山焼き討ちや長島一向一揆鎮圧に関しての私の意見を聞きたいようだった。

 比叡山では数千人、長島一向一揆ではなんと二万人もの民衆が殺されたという。

 フロイスなどは単純だから、『異教を崇拝する悪魔に神罰が下った』と大喜びし、信長の虐殺行為を賞賛していたが、私の思いは違った。狡猾で残忍な日本人のことだ。今はその毒牙が一向宗や比叡山に向いているかもしれないが、いつ何時、その先が我々キリシタンに転じるか、わかったものではない。その時には伊勢長島で一向宗門徒が老若男女を問わず、城ごと焼き殺された事を考えると、キリシタン信者がどのような目にあわされるか、想像しただけでも身震いがする。

 しかし、光秀殿は何故そのような事を私に聞くのだろう。

そして私は気付いた。

そうか、彼は主信長の残忍な行動の数々に何か屈折した感情を持っているに違いない。

光秀は娘のガラシャ、盟友のジェスト右近などを通してキリシタンの教えを身近に感じ、興味を持っているのだろう。もしかしたら自身もキリシタンへの改宗を考えているのかもしれない。しかしフロイスやオルガンチーノは信長と親しく、その庇護を受けて活動しているため客観的な意見は期待できない。そこで信長と距離を置く私の意見を聞きたがっているのだ。

「異教は悪魔の教えです。ただし異教を信じているからといって、その者達を虐殺することは正しいことではありません。なぜなら彼ら自身は悪魔ではないのです。改宗することで神の救済を受ける可能性があるからです」

 私は正直な感想を述べた。

 次に光秀から発せられた問いは意外なものだった。

「では、真の悪魔とはどのようなものでしょうか?南蛮では悪魔や魔女を探し出し、裁判を行い火焙りの刑にすると聞いております。悪魔かそうでないか、如何に見分け、どのように対処すればよいのでしょうか」

 私はそれに返答した。ただし誓って言おう。その時私は信長公が自身を神として祭る寺を建立し、自らの誕生日を祭日として崇めるよう部下や安土城下の民に強制していたことなどまったく知らなかった。

「本当の悪魔は、時に神に似て、神を装い民衆を惑わします。自ら神を称する者をまず疑いなさい。そして悪魔を滅ぼすには、絶対にその正体に気付いていることを悟られてはいけません。最後の瞬間まで悪魔の忠実なしもべを演じ続けなさい。悪魔が油断するのを、じっと待つのです。そして時が来たら、一切の情けや躊躇は禁物です。髪の毛一筋、爪の一片さえ残らぬように焼き尽くしなさい。でないと悪魔は一枚の皮膚からでも再生してしまいます」

 パウロ三木の通訳がどう伝わったのか、光秀は日本人特有の喜びか悲しみか判断の付かない表情で再び深く頭を下げると聖堂から出て行った。 

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