三人のジャポンイス

橋本純一

第1話 回想

今から一年前、一五八一年、この極東の未開国の呼び方に従えば天正九年。イエズス会の巡察師としてやってきたバリニャーノという名のイタリア人宣教師のために私、フランシスコ・カブラルは日本教区長を解任された。

解任理由は、私の日本および日本人(ジャポンイス)に対しての無理解と、差別的な言動、それに基づく布教方針に問題があるということだった。

冗談ではない。私は日本布教区長として十ニ年前にこの貧しい島国に渡って以来、二万人程度だった信者数を十五万人にまで増やし、将軍足利義昭を初め、多くの有力者の知遇を得、九州では豊後の大名大友義鎮に洗礼も授けた。

誰も私の輝かしい業績を中傷する権利など無いはずだ。

確かに我が敬愛する先達者、フランシスコザビエルは、「この国民は、私が出逢った民族の中で、最もすぐれている。日本人は一般的に良い素質を持ち、悪意がなく、交際して非常に感じが良い。彼らの名誉心は極めて強く、彼らにとって名誉にまさるものはない。日本人は概して貧しいが、武士も町人も貧乏を恥と考えている者はない」とローマに報告書を送った。私もその報告書を読んだ。そして日本という国が、私の生まれ故郷であるアゾレス諸島のサンミゲル島と同じように大洋に浮かぶ火山列島であることを知り、意気揚々とこの国に赴いたのだ。私の想像の中での日本は故郷の島々のように、陽光が降りそそぎ、大海原を渡ってきた優しい風が頬を撫で、一年中花が咲き乱れ、世界中の旅人が集い、笑い、踊る美しい国であった。しかし私は断言する。かのザビエル師は大きな誤解をしていたのだ。実際の日本は墨絵のように色彩に乏しく、人々は無表情で、ブードゥー教のように土着の神を信じ、痩せた土地を奪い合っていがみ合う、あの暗黒大陸の奴隷たちの国と何ら変わらない未開の国であった。あの方が日本にいたのはたった二年。私のように十年以上もの間日本にいればきっと気付いたに違いない。日本人(ジャポンイス)が如何に傲慢で貪欲な民族であるか、そして彼らの文化が如何に非合理的で偽装的であるか、という事を。

もっとも象徴的なのは、彼らの言語である。まず互いに喋る場合と文章を書く場合では、まったく別の言語のように複雑に変化し、またその文字はシナから伝来した無数の表意文字と彼ら独自の表音文字を組み合わせて使用されるために、我々ヨーロッパ人は一生かかっても習得することは不可能である。そして私が驚いたのは彼らの信仰の形態である。彼らにはカミとホトケという二種類の信仰の対象が存在する。しかし我々から見るとどちらも原始的なアニミズムの域を脱しておらず、その指導者である、神主や坊主と呼ばれる人々もただの呪術師に過ぎない。さらに言えば、キリシタンの洗礼を受けた者たちでさえ、我が主デウスに対して、無礼にも戦の勝利や安産の祈願などの現世利得のみを求め、信仰の本質に辿り着く者は皆無である。

日本人キリシタンにとってのデウスはカミやホトケという言葉が単にデウスという別の名詞に変化したに過ぎないのだ。

かくなる故に私はこれまで、日本人を宣教師にすることや、彼らがラテン語を学ぶことを禁止してきた。しかしあの軽薄なイタリア人バリニャーノは巡察師の権限を濫用し私を貶めた。

あれから一年、私は無聊をかこいながらこの豊後府内で不毛な島国を離れる日を待ち続けた。

いよいよ、ポルトガルの船でマカオを経由しゴアに帰る日が数日後に迫った昨夜、都教区から大いなる事件の知らせが届いた。

ミカドと並ぶ日本の実力者織田信長公が京都本能寺で彼のもっとも信頼する家臣、明智光秀に弑されたというのだ。

十一年前。一五七〇年、元亀元年。来日したばかりの私は当時ルイス・フロイスの紹介で岐阜城に織田信長を訪ね、それ以降この重大な事件の関係者達に何度か会う機会があった。私にとっては何一つ良い思い出のないこの国ではあるが、最後に私が感じた彼らの印象を書きとめる。これによって日本人(ジャポンイス)がどのような人種であるかを少しでも理解してもらえれば幸いである。

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