14膳目。美澄香さん家のうどん


 美澄香さんにだって、ご飯を炊きたくない時がある。

 それは大体布団から出るのが億劫になるぐらい寒い日だとか、元々お米が残り少ない日だとか、まあ理由をつければ様々だ。

 そんな今日の美澄香さんは、何だかご飯よりうどんが食べたいという抗えない欲求にしたがって、エプロンの紐を締めた。


 思い返せば、うどんには何度も助けられた。

 5玉入り300円の冷凍うどんを買い込んで、冷凍庫にぎっちり詰めておけば、給料日前や予期せぬ出費で傷んだ財布を優しく労わってくれた。

 なんだったら3玉100円以下の茹でうどんすら冷凍して乗り切っていたような気もするし、会社員をやっていた頃はお米より麺類を食べていたと思う。


『そういえば、私のうどんって少し変わってるって言われたっけ』


 冷凍庫から今でもお世話になっている凍ったうどんと、後は冷蔵庫からネギと徳用きざみ揚げに豚こま肉と白菜漬けを取り出す。

 ネギは2本分、青いところまでガッツリとみじん切り、白菜漬けは一口サイズに。

 大ぶりな鍋に油を引いて、温まったら豚こま肉を入れて解して鍋底に焼き付ける。

 あらかた火が通ったら残りの材料をどっさり入れて、きざみ揚げと豚肉の油がネギと白菜漬けに絡まるようにヘラで炒める。


『ねえ美澄香さん、それ豚汁でも作ってるの?』


 ネギの美味しい香りがふうわりと立ち込めると、終電を逃して社宅に泊めた同僚の言葉が蘇る。


「違いますよ〜とっても美味しいおうどんです」


 昔のあの瞬間と、一言一句変わらぬ言葉を呟いて1人でふふふと笑う。


『うどんに白菜漬け!!? 聞いたことがない』

『そりゃそうですよ〜おばあちゃん直伝のお家の味ですから!』


 おたまに自家製めんつゆを取り、鍋に入れる。

 じゅうっと醤油の焦げる匂いがネギの香気と合わさって、ぐうとお腹が鳴った。

 しかしここでゆっくりはしていられない。

 食べる人数分の水を注ぎ入れ、時々味を見ながら沸かす。

 鍋肌からふつふつと沸いてきたら、冷凍うどんをこれまた人数分そのまま放り込んで、再沸騰するまで蓋をして数分。

 うどんの氷が溶けて、ぴんと四角い麺が踊るように箸で解しつつかき混ぜてから、火を弱めてここで数分煮込む。


『大丈夫なの!? うどん伸びない?』

「あら大丈夫? おうどん伸びないかしら」


 記憶の中の同僚とちょっと違う言葉を背後からかけられて、はっと振り返ればそこにはシュブ=ニグラスさんが立っていた。


「おかえりなさい、早かったですね」

「ええ。今夜は何だか同伴したくなくてお誘いぜーんぶ断っちゃったの。だから一旦ご飯食べに帰ってきちゃった」

「え、大丈夫なんですかそれ? 私そういうお仕事詳しくないですけれど」

「大丈夫よ〜♡後日ちゃ〜んとお詫びするから♡」


 そう言って夜色の髪をかき分けて、耳にかける。

 なんともない仕草なはずなのに、色っぽく見えてドキドキした。


「え、えーと最近のうどんって少しぐらい煮込んだってビクともしませんよ。むしろもちもちになって、この味にはこっちの方が美味しいです」

「あらそうなの、それは楽しみだわ♡にしてもあの子が居ないのは珍しいわね」


 そう言って彼女は台所を見渡す。

 恐らく探しているのはショゴスの事であろう。


「ショゴスちゃんはキノコ狩りに行きました。昼だと人に見つかりますから」

「あらそうだったの♡立派なキノコをお土産に持ってきてくれるといいわねぇ〜♡」


 なぜだかキノコの言い方に含みがあるような気がしたが、気のせいだと思いたい。


「そうだわ、あの子の代わりにお手伝いさせてちょうだい。いつもあの子がぜーんぶやっちゃうから、私も何かしてみたいのよ♡」

「ああ、じゃあそこの棚からどんぶりを出してくれますか? 多少柄や大きさが違っていても大丈夫ですから」

「いいわよ、ちょっと待っていてね」


 そう言って、彼女は食器棚から多少の違いはあれどもいい感じのどんぶりを人数分用意してくれた。

 ……その際髪の毛の束がまるで触腕のように蠢いていた事はあまり気にしないことにしよう。


「ありがとうございます。もう出来ますよ〜」


 火を止め、鍋をどんぶりが並べられている机の上に運んで、箸とお玉をつかってできる限り均等に盛り付けていく。

 その様子を微笑みを浮かべながら眺めているシュブ=ニグラスさんは「お揚げを少し多めにしてちょうだい♡」と可愛らしいおねだりをし、美澄香さんは手伝ってくれたお礼としてそのおねだりに応えたのであった。





「はふぅ〜はくさいづけが、いいあじだしてますね〜」


 頬を真っ赤に染めて、うどんをぺろりと平らげたヴルトゥームちゃんが膨らんだ腹をぽんぽんと叩く。


「本当だな、箸休め以外にもこんな使い方があるとは思わなかった」

 ──テケリ・リ!


 つゆの一滴まで、どんぶりに口付けて飲み干したハスターさんと、夜の山から帰ってきて体の芯まで冷えたショゴスは、七味をたっぷりかけて鍋に残っていたつゆすらお代わりしたほどだ。

 勿論、ビヤーキーの反応も言わずもがな。


「もう3人とも食べるのが早いわよ? もっと味わいなさいな」

「大丈夫ですよ〜残さず綺麗に食べてくれれば私はそれで嬉しいんです」


 まだ半分、どんぶりに残ったうどんを美澄香さんはすする。

 もっちりとした歯応えと、ネギの香りと、豚肉にきざみ揚げに白菜漬けの出汁が溶けだしたつゆが染みていて、驚くような派手さはないものの、ほっとする滋味が口いっぱいに広がる。


「そういえばショゴスちゃんはキノコ狩りに行っていたらしいけど、私の金の羊ちゃん達は何かして過ごしたのかしら?」

「僕は特に変わらないが、珍しくあまり本を読む気にはなれなくて、君の転移装置だった祠を少し掃除してきたよ」

「わたしもおなじようなものです〜 あにうえのおてつだいをしてきました!」

「あらありがとう♡やっぱり男神は頼りになるわ〜♡記念に子供でもこさえます?」

「子供はこさえない」

「んもぅ〜つれないのねえ〜」


 何度か見た事のあるやり取りを聞き流しながら、美澄香さんはふと気が付いた。

 なんだか今日は皆が皆して普段のルーティンから少し外れた事をやっている。

 美澄香さんは炊飯、ハスターさんやブルトゥームちゃんは読書、シュブ=ニグラスさんは同伴に、ショゴスは家事だ。


『面白ぇお話ばするけんども、人間同じ場所で同じ飯ば食っとるとねぇ、なんだか考える事が一緒になってくんのよ〜ウチと誠一郎さんもそうだったわぁ〜』


 記憶の中、そう言って祖母が笑っていたのを思い出す。

 そういえば、その日に食べたご飯もうどんだったような気がする。

 あの時は幼かった美澄香さんは、嘘だあ〜! と半ば信じてはいなかったが、こうして目の当たりにするとあの時の言葉は本当だったのだと感慨深いものがある。


『あの話本当だったんだねおばあちゃん』


 そう思ってどんぶりに視線を落とす。

 底にうっすらと残ったつゆを美澄香さんも飲み干して、天国の祖母への謝罪も込めてぱちんと景気よく両手を合わせたのだった。





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