第16話

 村から少し離れた草原で化け物を倒したクオンは真っ直ぐ村へ戻り、そのまま丸太の柵をなぞるように反対側へと急いだ。


(……ヤールはどれだけ強いのだろうか)

 まばらな草を蹴立てて走りながら、クオンは人のよさそうな背の高い青年の顔を思い出す。

 見た目からすれば、ヤールはせいぜい背が高いだけの若者といった風だ。特別腕っぷしが強かったり、ということはなさそうに見える。もちろん、見ただけでクオンの戦い方や力のことを看破するだけの経験や技術はあるようなので、生身の戦力はクオンと同格、あるいは少し格上だろう。

 だが、それではただの人間だ。それだけでは夜狩人など務まるはずがない。ヤール自身そう言っていたではないか。つまり、ヤールには何かの力があるのだ。クオンの四元符に匹敵するような力が。

(あんたは、夜狩人は、一体どんな力を……)


 やがて、村を覆う闇夜と立ち並んだかがり火の間に巨大な影が浮かび上がってきた。クオンが倒した化け物の倍はあろうかというその影は、苛ついたような唸り声を上げていた。そしてその前に立ちはだかる人影も近付くにつれて見えるようになっていく。確かめるまでもないだろう、ヤールだ。

 見たところ、状況は膠着しているようだった。巨大な化け物はまだ大した傷もないようだったし、それに徒手で立ち向かっているらしいヤールも平然とした様子で化け物の前に立ち塞がっていた。


 不意に、クオンの見ている前でバカッと化け物の口が開いた。ヤールどころか牛二、三頭さえ軽々と丸呑みにできそうなそのばかでかい口は、その場に仁王立ちするヤールへと襲い掛かった。


「嘘、だろ……」

 声を上げる暇すらなかった、神速にして必殺の攻撃。クオンは突然のことに思わず足を止めた。

 クオンがさっき戦った化け物とは比べ物にならないほどの瞬発力、それが見上げるほどの大きな体躯から繰り出された。それはまるで毒蛇のような素早さで、そしてきっと岩をも砕くほど強い。


 そんな攻撃を、ヤールは


 噛み付いたはずの化け物の鼻面の前、まるで上顎がヤールの体をすり抜けたかのように立っていた。いや、ただ立っていただけではない。その上顎を左右から抱きかかえるように組み付き、その場に固定していた。

(後ろに避けてから組み付いた? いや、それなら見えたはず……)

 クオンの混乱をよそに、化け物の上顎を捕まえたヤールはあろうことか、そのまま足を前に踏み出した。

「馬鹿な、化け物と力比べする気か!?」

 無理だ、無茶だ、不可能だ。巨体から来るあり得ないほどの重量と、まさに化け物と言う他ない常識外れの膂力、馬力。他では勝ててもそれだけは決して敵わない。

 そう思っていた、はずなのに。


 みしみしっと何かが軋む音がした。直後、噛み付いた体勢のまま口を捕まえられた化け物の頭が、押し込まれていく。化け物も鋭い爪の生えた六本の足で踏ん張ろうとするが、それもただ地面に巨大な引っかき傷を作ることしかできない。

 首がたわみ、化け物は苦しげな唸り声を上げる。合わせて立派な牙の並んだ口を開け閉めするが、ヤールに上顎を上から押さえつけられているせいで噛み付くこともままならない。

 そのまま数十歩ほど押し込まれた後、最大限に首を曲げられた化け物は自らの鼻先に前足を振り下ろした。そこでようやくヤールは上顎から離れ、大きく飛び退って前足を避けた。



 いくつも刻まれた鋭い爪痕を飛び越えつつ、クオンはヤールのそばまで走った。ヤールの目の前には息を乱した化け物が立つ。おそらく、ヤールはずっとこうして時間を稼いでいたに違いない。そしてその目的は……

「悪い、ヤール。遅くなった」

 すぐ隣へ駈け込んできたクオンに、ヤールは驚いた風もなく平然と声を返す。

「ああ、クオンか。ちょうどよかった。ちょっと囮になってくれるかい?」

「もちろんだ……って、おとり!?」

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