第四話 大海原へ

 帆太郎、大斧大吉、おとき、二人の子、小吉、そして船頭役の蟹丸を乗せた船は隠し水路を通り、小田原の湊から相模湾へと出た。波が荒い。

「これはひょっとすると大風が来たかもしれないな」

 蟹丸が言う。

「なんだあ、大風って」

 大吉が聞く。

「陸地に居ても稲の刈り入れ時に激しい風雨が来る事があるだろ。あれが海上ではひどい嵐となる。理由は分からねえが、南の海から来るそれは陸地の物とは比較に成らない程大きい。下手すりゃこんな船、簡単にひっくり返ってしまう」

「大丈夫かあ」

「そこは、この蟹丸様の腕の見せ所よ。帆太郎様を無事、奥州へ送ってしんぜましょう」

 蟹丸は櫓を持つ手に力を込めた。しかし、

「わあっ」

 蟹丸が喚いた。

「どしただ?」

 尋ねる大吉。

「ろ、櫓が取れたあ」

 蟹丸が泡を吹く。

「これじゃあどこに行くか分かんねえ。転覆するか陸地に着くか。下手したら海の真ん中まで行って野垂れ死にだあ」

「ギャー」

 小吉が泣く。

「どうするんだあ」

「運を天に任せて、祈るしかねえべ」

 蟹丸は絶望した。

 海は三日荒れた。あまりの揺れの激しさに食事も喉を通らず、小吉は泣き通しで乳を飲まず。おときは往生した。だが帆太郎は大揺れの船をゆりかごとしたようにぐっすり眠り、乳もたっぷり飲んだ。

「さすが、殿の子だあ、肝の太さが違うだあ」

 大吉は褒めた。一行の中で一番船酔いしたのは蟹丸で、

「俺は蟹って言っても沢蟹なんだ」

 と情けなく言った。


 四日目になり大風は止んだ。大吉が外に出てみると、周りは海ばかり。島影も陸地の気配もない。

「駄目だなあ。野垂れ死にだなあ」

 大吉が大声を出した。

「あんた、諦めちゃなんねえよ。こっちには大事なお子がおるんだからね」

 おときが言った。

「ここがどこか分かんねえのが気掛かりだが、貿易船でも漁師でも通ってくれれば何とかなるんだけどな」

 そう言って蟹丸は着物を脱いで振り始めた。

「なにやってんだあ」

 大吉が聞くと、

「誰か、気付いてくれないかと思ってな」

 蟹丸は真剣な表情で言った。

「おらもやるだ」

 大吉も続いた。

「ところでよう、水が三日分、食糧はあんまり喰ってねえから六日分あるんだけどよう、人間ちゅうのは水を飲まんで何日くらい、もつのかのう」

 大吉が蟹丸に聞いた。

「三日だ、三日が限度でさあ」

「じゃああと六日で、おら達はお陀仏か」

「最後まで希望を捨てないの!」

 おときが大吉の背中を叩いた。


 その日の夕暮れ、十隻の船団が近くを航行して来た。

「やっただ、着物を振れ」

 大喜びする、大吉。しかし蟹丸は、

「あれは駄目だ。海賊船だ。決まりの旗を掲げてない。あんなのに捕まったら奴隷にされるぞ」

 と着物を取り上げた。だが、海賊船はこちらに気付いてしまったようでどんどん近づいて来る。

「まずい、まずいよ」

 海賊経験者の蟹丸は慌てる。

「海賊くらい、おらが一人で退治してくれらあ」

 大吉がその武器大斧を二丁、両手に持つ。海賊船の一隻が最接近して来た。

「おおい、難儀しているのか」

 海賊船からの第一声は意外なものだった。

「ああ、船の櫓が大風にやられて、ここがどこかも分からねえ」

 気を取り直した蟹丸が状況を説明すると、

「あれ、お前蟹丸じゃないか、俺だよ、茹で蛸(ゆでだこ)だよ」

「おう、茹で蛸! じゃあ、この船団の長は?」

「海賊大将、難破時化丸様よ」

「おう、おら時化丸なら知ってるぞ」

 大吉が叫ぶ。

「あんた、誰だ」

 茹で蛸が聞く。

「おらは、風花太郎平光明の家臣、大斧大吉だ」

「光明様の……。しばし、待ってくれ大将に連絡する」

 茹で蛸は船内に消えた。

「なんか良い海賊船に出会ったようね」

 おときが言う。

「そうだなあ」

 大吉が答える。

「ただし、時化丸様が元の海賊に戻ってなければだがな」

 蟹丸が不吉なことを言う。まさか、まさかだが。

 しばらくして、大吉らは小型船によって船団の中心に居る船まで曳航された。乗船し船室に案内される。

「よう、蟹丸久しぶりだな」

 部屋の奥にいた男が声を掛ける。

「時化丸様こそ、十隻の船団とはご発展ですね」

「おお、他の海賊との戦いで得た物よ。それもこれも風花太郎様のお導き……そうだ太郎さまの縁の方々がご一緒だとか」

 大吉が前に出る。

「おらは大斧大吉と申すだ。我が主人風花太郎平光明はご兄弟に裏切られてよう、戦死してしまわれたんだ。それでこちらにおわしますは太郎様が一子、平帆太郎明明様ですだ。残りはおらの嫁と息子の小吉だ」

「太郎様が亡くなった」

 時化丸は強い衝撃を受けた。文武に優れた才能を持ちながら、異母兄弟に裏切られるとは。いや、それより大事なのは、太郎の遺児、帆太郎だ。

「太郎様には命を助けていただいた。そのご恩は忘れられない。俺は全力を持って帆太郎様を守る」

 時化丸は宣言した。

「ところで、ここはどの辺りの海なんでしょう」

 蟹丸が聞いた。

「伊勢の沖よ」

「ええっ、随分西に流れたものだなあ。太郎光明様には奥州に行くよう言われたのですが」

「奥州には何がある」

「光明様の叔父、高見様が陸奥守をなされているそうです」

 蟹丸が答えた。

「血の繋がりなぞ信用できるか。次郎は実の兄、太郎様を殺した。それに叔父甥なんて薄い血。それよりも俺にいい考えがある」

 時化丸が頬を撫でる。

「いい考えとはなんだあ」

 大吉が聞くと、時化丸は、

「誰も追って来られない所へお連れする」

「それは」

「薩州よ。薩摩には政治的権力争いに破れた者が逃げ込む『隠れ里の森』がある。そこで敵討ちの力を整える。いかがか?」 

「おら良く分からねえから、時化丸に任せる」

 大吉が言った。

「よし、では俺の船で薩摩に行こう」

 こうして大吉一行は時化丸の船に乗り土佐沖を進み、日向国を右手に見ながら薩摩に近づきその湾に入った。

「ああ、島が噴火している」

 見れば桜島が噴煙を上げている。

「大丈夫なのかあ」

 大吉が聞くと、

「ああ、俺らが行くとこはそれほど煙はない。だが火の山があるので安心は出来ねえ」

「山ん中なのかあ」

「そうだ、霧島山という、神様が最初に地上に降りた場所だ。この中で隠れ人が点々と住んでいる」

「さっき『政治的に破れた者が住む』と言ったが本当に追っ手はこないんだなあ」

「ああ、『ここに潜んだ者を追うと、火の山が怒り、必ず死ぬ』という言い伝えがある。だからこそ敗者はここに住む」

「ふうん。便利な場所だなあ」

 大吉は感心した。

 上陸地点には湊がないため時化丸の大船は入れない。小舟を下ろし大吉一行と時化丸、茹で蛸、時化丸の腹心、烏賊蔵(いかぞう)が乗って砂浜まで行った。

 そこから数里行くと山道があり、深い森になっていた。

「大吉殿、念のための護衛に茹で蛸を置いていく。いかようにも使ってくれ。あと、この烏賊蔵は連絡係、ひと月に一回は必要な物資を持って来させる」

 時化丸が言った。

「もう少し行った所に丁度良い空き家がある。そこを使うと良い」

それだけ言うと時化丸は烏賊蔵と船に帰って行った。

「おらはここで木樵や猟師をしながら帆太郎様と小吉を育てるだ。おときも協力してくれよな」

「あいよ、あんた」

 こうして風花太郎平光明の嫡子、帆太郎明明は大斧大吉、おとき夫妻により大吉の実子、小吉とともに霧島山の『隠れ里の森』で育てられることになった。


 そのころ都では臨時の叙任式が行われていた。

「この度の戦そなた達の活躍で反乱軍を討ち取る事が出来た。天子様も誠にお喜びである。余からも感謝するぞ」

 太政大臣、藤原不足が褒めちぎる。

「よって官位を授ける。これにより、より一層励むが良い」

 平伏する平兄弟。ただ次郎だけが左手を吊り、右足を伸ばしている。前の戦で兄に左腕と右足を斬られて動かせないのだ。

「平次郎水盛、従五位上、武蔵守に任ずる」

「ははあ」

「平三郎森盛、従五位上、下野守に任ずる」

「ははあ」

「平四郎山盛、従五位上、下総守に任ずる」

「ははあ」

「平五郎大盛、従五位下、相模守に任ずる」

「ははあ」

「平六郎泡盛、正六位下、安房守に任ずる」

「ははあ」

「平七郎特盛、正六位下、上総介に任ずる」

「ははあ」

「平八郎先盛、正六位下、常陸介に任ずる」

「ははあ」

「平九郎舟盛、正六位下、上野介に任ずる」

「ははあ」

 叙任式は終わった。


 その夜、藤原不足は水盛を館に呼んだ。

「武蔵守」

「はい」

「太郎光明は本当に死んだのだな」

 太政大臣、藤原不足は聞いた。

「は、はい。手の者が首を取りました」

「その首級はどうした?」

「戦の混乱の中、見失いました」 

 水盛は緊張しつつ答えた。

「そうか、誠に残念なことだ」

「といいますと」

「光明の英才はこの都にまで聞こえていた。余は光明を京に上らせ、この右腕にするつもりであった。しかしあの無能な大納言共が『前例がない』と口を揃えて反対しおった。要するに自らの既得権益を失うのが怖かったのであろう。それでも余は強行するつもりであった。だのに今回の不祥事。光明に一体なにがあったのか?」

「さあ、私には何も分かりません」

「そうか……ところでお主の左腕と右足。光明に斬られたとか」

「はい」

「歩行にも苦労するだろうな」

「普段は杖を使い。遠出の時は輿に乗ります」

「ふうん。良く切り離されなかったものだ」

「兄の温情だと思います」

「よう分かった。下がって良いぞ」

「はい」

 水盛は藤原不足の館を去った。

「蛇蝎(だかつ)!」

 不足が呼ぶと草の者が現れた。

「武蔵守、あれは何を考えているかよく分からぬ。お主調べて来てはくれぬか」

「承知」

「頼むぞ」

 一瞬の風に灯りが揺れる。

「光明は本当に死んだのか」

 不足は独り言した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る