03.故に女官は溺れて沈む

 


「誰か! 誰か! アルフレッド王子が! 王子が階段から落ちました!」



 城の一角。静かな廊下に大きな声を響かせながら、一人の女官が走っていた。



「あなたは確か……王子に茶を運んでいた女官だな。場所はどこだ!」

「こちらにございます!」



 緊張が走る騎士を先導しながら、女官はかい摘んで状況を説明した。



「いつもの様にお茶を運び、調理場へ道具を返し戻るところ、アルフレッド王子をお見かけしました。どうにも様子がおかしく気になったものですから、何かあってはいけないと後ろを着いていましたところ、王子が階段から足を滑らせて……」

「なんと――っ!?」

「申し訳ございません。私があのときアルフレッド王子に声をかけていましたら、このようなことには――っ」



 最後の方にいたっては、女官の声は涙ぐんでいた。この女官がジュリアと親しくしていたのを騎士は知っていた。本来ならば女官としては相応しくない行動だが、庶民でもあるジュリアの気慰みになっていると判り、王子からは目こぼしをされていたのだ。

 王子とジュリアの道ならぬ恋に、周りの貴族からの口さがない言葉に耐え、それでもジュリアの味方でいた数少ない存在。そんな女官の立場に王子から、正式にジュリア付きにと任命されていたのだ。

 ジュリアが亡くなったときも、見ているこちらが不憫になる程落ち込んでいた女官だ。ようやく気を持ち直してからは、王子付きの女官となり、献身的に王子に仕えていた。



「そう自分を責めないでください。我々とて、王子が抜け出していたことに気付かなかったのです。責めを負うのは護衛をしていた我々も同じ」

「――ですがっ! っ王子! お気を確かに!」



 女官が階段を駆け下りながら、王子に触れる。何度も身体を揺さぶりながら、必死に声をかけ続ける。聞いている者には悲痛な叫びにも思える声に、騎士は顔を悲壮に歪める。



「揺さぶってはなりません。 頭を打っている恐れがあります」

「――っ!?」



 騎士は女官の手を掴み言う。もし、アルフレッドが頭を打っていたらかえって悪化してしまうかもしれない。

 騎士の声に、ようやく我に返った女官がはっとしたようにその手を引いた。ガタガタと震える手に、触れることすらできず、王子の側で膝をつき祈るように手をあわせる。


 騒ぎのなか医師を呼びに走った騎士が戻ってきた。その背に、王子を幼少期から診ていた老医師が背負われていた。

 か細い息へと変わっていく王子を騎士たちは慎重に運び、その場を離れていった。


 それから女官は、宰相補佐のリオンに聴取されていた。王子を発見するにいたるまでの、その日の出来事を事細かに聞かれていく。最初に言った言葉と少しでも違えば、しつこく聞き返す。

 まるで、自分が突き落としたとでも言われているようだった。

 女官は小さな身体をさらに縮めて、普段は座ることのない豪華な椅子の上で居心地悪く身を捩る。


 ようやく聴取から解放されると同時に、リオンの口から数日間の謹慎処分が下された。

 既に疲れていて、女官にはどうでもよかった。城の女官として勤めることになったときに身に付けた挨拶を、完璧な所作で嫌味ったらしくリオンに見せつけ部屋を出る。

 女官は自室へと戻らずに、女官たちが仕事始まりと終わりに集まる東塔に向かった。多くの同僚に心配され、騒ぎに興味のある者から話をせがまれ、奥の隠し階段に向かうのに実に手間取った。


 東塔は後宮とは違った意味で、女の園だった。さすがに用もないのに男がおいそれと入っていける場ではないし、何よりもほとんどの女官が同じ姿で、一度紛れてしまえば見つけるのは困難だった。

 白いキャップ帽に髪は全て入れ、国の旗の色と同じ濃い緑の女官服。ロングスカートの裾は、足先がわずかに見える程度。襟や袖口は白く、胸元に黒のリボン。女官長や、部門長以外の女官は全て同じ姿だった。

 つまり、尾行を巻くにはうってつけの場所。しかも、昼夜問わず交替で女官は働いている。夜は少なくなっているとはいえ、女官の目は存在した。部外者が来れば、すぐに判る。


 女官が奥の隠し階段に向かうのを、多くの女官が見ていたが、皆口を閉ざし見ていないことにした。多くの女官があの場所の世話になった、もしくはこれからなるかもしれないから。

 女官同士の結束は、城に勤める男たちには理解できないほどに強い。数代前の国王が女官に手を出し、その女官が子を孕みそして産んだときでさえ、女官たちは隠し切ったのだから。

 監視を差し向けたリオンのミスは、その者を女にしなかったことだ。東塔に向かったことに気が付いた監視役は、慌てて女の監視役を呼びに戻るが、その頃には既に女官がどこにいるかは判らなくなっていた。


 似たような扉がいくつも並ぶ廊下を女官は進む。通り過ぎる際に使用中・・・の部屋の扉から、小さな嬌声が漏れ出ていた。

 恐らく東塔の女官以外には判らないであろう扉の違いを見つけ、女官は細く開けた扉に滑り込む。



「お帰り。随分遅いから、リオンに苛められているのではないかと心配していたよ」



 するりと扉を抜けた先で、アルフレッドと同じ顔をした男が女官を抱きしめた。



「遅くなり申し訳ございません。宰相補佐様から何時間も取り調べを受けまして……」

「まったく、あの堅物は。怪我はしていないかい?」

「はい。聴取のみのようでございました」



 男はほっとしたように息を吐くと、女官の手を取りソファーへ促す。自分の隣に座らせて、女官の細い腰に腕を回した。



「アルフレッドのあの様子、運が悪ければ意識が戻らずといったところか」

「紅茶を随分と気に入っておりました。お言いつけ通り、日々少量ずつ濃くしていきましたが、全く気付いていないようでした」

「ああ。あれだけ香りが強いと、毎日嗅いでいれば鼻が鈍るだろうしね」



 一度も口にしたことがない茶葉に、一言もなく変われば、いくら城の女官が淹れたとはいえ不審がられるだろう。だが、ジュリアからと偽れば、簡単に口を付けると踏んでいた。ましてジュリア付きの女官が頭をさげながら訴えれば、より効果的だ。

 男の、その予想は見事に当たった。その茶葉に、中毒性の薬毒成分を含んでいることも気付かずアルフレッドは毎日飲んだ。

 意識が戻ったとしても、立派な薬物中毒者だ。表に出して公務を行わせることは出来ないだろう。万が一、問われたときの言い訳も準備している。王子が悲しみを紛らわせるために、薬に手を出していたと。一介の女官が王子の行動に口が出せない、当たり前の事実を使って。



「とても危険なことなのに、よくやってくれたね」



 幼い子供を褒めるように、男は女官を抱きしめて、その頬に軽く口付けた。薄く頬を赤らめ、女官は嬉しそうに微笑む。これから始まるだろう伽事に期待して、男の胸にしな垂れかかるようにその身を預ける。

 ジュリアの味方になり、いなくなればアルフレッドに仕えろと女官に命じた男。

 恋慕も含んだ傾倒と言ってもおかしくないほどに、女官はこの男に入れ込んでいた。元々王子は見目麗しい。その王子と同じ顔の、訳ありの背景を持つ男。王子の影武者らしき男。



「君を妻に迎えたいと言っているのに、毎回振られてしまうのは堪えるよ」

「申し訳ございません。ですが、私の身分は低いですし……」

「そんなもの、僕がどうにでもしてしまうよ」



 ここで自分が頷けば、きっと男はそれを実行するだろう。彼はもう、影武者ではなくなるのだから。だが、女官は男の妻になるつもりはなかった。城勤めで知った貴族の女たちの生活は、女官にとってあまりにも自由がなかった。

 権力など持てば厄介事がくる。だから、後宮に入るつもりすらないのだ。ならば側女がちょうどいい。後宮などという閉ざされた場所で、限られた時間しか睦みあえない立場など不要だ。

 そう、側仕えがいい。そうすれば彼の側に始終いられる、彼だけに奉仕できる場所に。



「私は貴方様のお側にいられれば、出来ることならお側でお仕えしとうございます」

「本当は妃に迎えたいのに、君がそう言うなら諦めるよ。だから僕の側からは離れないで。他の男にかいがいしく仕えるのは許さないよ」

「もちろんでございます」



 熱のこもった瞳を向けて、艶のある吐息に乗せて女官は応える。

 女官の言葉に男は満足そうに微笑むと、一枚の紙を出す。花の透かしが入った、まっさらな手紙だ。手渡されたそれをどうするのだと、女官は首を傾げた。



「これから忙しくなるから、今まで以上に君に会えなくなる。しかも、まだ君を側仕えには出来ない」



 男の言っていることは正しい。これから王宮内で行なわれるであろう出来事に、女官は神妙な面持ちで頷く。血生臭いことすら行なわれる可能性があるのだ。

 女官の表情が強張ったのを見て、緊張を解すように男はその唇に口付けると、悪戯っぽい表情で言葉を続ける。



「だからまあ、君に会えない間、ここに書かれた恋文を見て我慢しようと思ってね」

「こ、恋文ですか!?」



 言われてみれば、世間一般にありそうなことを飛ばして数年前から関係を結んでいたことに気付いて、女官は一気に顔を赤くした。



「ダメ?」

「い、いえ。ダメだなんて、そんなこと。で、でも何を書きましょう? 書くことがありすぎて困ります」

「君の胸のうちをいっぱい書かれたら、それこそ読んだとき恥ずかしくて仕事が手につかなそうだな」

「まあ」



 女官はそろそろと、サイドテーブルに封筒と共に乗せられた筆記具に手を伸ばす。手の中にある万年筆が東塔にある備品でほっとした。これがこの男の筆記具ならば、高価すぎで触れない。



「そうだなあ。君がずっと僕の側にいるって証がいいな。ああ! 『いつまでも、あなたのお側でお仕えします』はどう? 君らしいし、さっきも似たことを言ってくれたからね。凄く嬉しかったよ」

「ほ、本当ですか?」

「あれ? 嘘だったの? だったら妃に――」

「い、いえ! 嘘ではございません! 側仕えを望みます!」



 冗談めかした様子でも、嬉しいと言われるのは気分がいい。自分が側にいることが、求められていると実感できるから。

 クスクスと耳に心地良いい男の笑い声を聞きながら、女官は丁寧に紙の中央に文字を綴る。最後に自分のサインを記して、誇らしげに男に手紙を見せた。



「うん。相変わらず綺麗な字だね」

「ありがとうございます」



 男は手紙をサイドボードの上に置くと、ソファーから立ち上がる。



「今日は疲れることが多かっただろう? おいで、ベッドでゆっくり労ってあげるよ」



 流れる動作で男の腕の中に身体をおさめ、背中にある服の止め具を探すように動く腕の感触に意識を向けたとき、女官は驚きに目を見開いて男を見上げた。



「あ……っ」



 口から漏れるのは、驚愕の声。けして睦言のように甘いものではない。腹部から伝わる冷たく鋭い痛みに、女官は震える手で男の服にしがみつく。

 一体どう言うことなのだと、非難めいた目で男を見る。

 困惑と、責めが混ざった女官の瞳に、男はこれまでにない程綺麗な笑みを浮かべて口を開いた。



「ああ。ベッドっていうのは、棺のことだよ」

「がっ――!」



 より深く突き刺され、反射的に口から鈍い悲鳴が上がった。皺の跡が付くことすら気にできず、爪を立て男の腕の中で女官はもがく。

 やがて抵抗は小さくなり、ダラリと女官の腕が下がった。力の抜けていく身体を支えると、男は抜いた短剣を刺し傷の周りに軽く数回突き立てた。



「躊躇い傷の有無で気付かれては困る」



 ふと、男が何かを思い出したような顔で女官を見る。



「そういえば、君の名前は何て言うんだい?」



 すでに息絶えた女官から、言葉は返ってこなかった。


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