○コンビニに戦士が帰還するまで(通常期)

 週末の居酒屋はどこも混雑する。明日が土曜日であれば、たいていの人は金曜日が週の仕事納めなので一杯ひっかけて帰る。都内のどこにでもあるような大衆居酒屋は、今日も会社帰りの人で賑わっていた。


「どうだ? 仕事慣れて来たか?」


 教育係を務める先輩に瓶ビールを向けられて、恐縮しつつグラスを傾ける。グラスになみなみとそそがれて炭酸が弾けて泡になる。


「まだ今週始まったばかりじゃないですか。とてもとても」


 先輩は「そうか」と頷くと、俺の隣りの女性にも同じことを聞いた。彼女はサワーなので、ビールは注がない。


「私も同じですよぉ〜」


 猫なで声で答える女性に先輩はまた「そうか」と一人頷いた。

 インターンで内定をもらった俺達二人は、同じように卒業するまでアルバイトとして会社で働かせてもらえることになった。

 周囲のガヤガヤはこの席まで聞こえてくる。

 個室はなくとも席と席の間には仕切りがあるが、当然、周囲の会話する声は筒抜けで騒がしく自分たちの会話でさえ打ち消されそうだった。


「でも二人とも優秀だよ。俺が大学三年生の頃って言ったら、本当どうしようもない奴だったよ。二人には期待も大きいかもしれないけど、入社式までまだまだ時間はたくさんあるんだからこのままじっくり覚えていってくれれば大丈夫」


 いや、俺の隣りの女性はコネで内定が決まったらしいので、優秀という言葉は当てはまらないと思う。本当に優秀なインターンの女性は他にいた。

 まぁ、俺だってたまたまだろうし人のことは言えないか。本当に優秀なのはやっぱりこの先輩だろう。


 今回初めて教育係に任命された先輩は、バリバリ仕事をこなす入社三年目の若手のホープだ。学生時代ラグビーで鍛えたたくましい体と爽やかな顔で女性社員からの人気も高かった。営業時とは打って変わって、酒の席ではあまりしゃべらない物静かさがギャップを生んで、一層男女の支持を受けていた。

 同じラグビー部でも、人によってここまで違ってくるんだな。

 顔は青白く、目にクマがあり、苛立ちが顔に溢れているヘルマートの若き店長と比較してため息をついた。


「でも先輩は本当にカッコいいです!」


 すでにホの字じゃないかと思う同期の女性が、目をうるうるさせて先輩を褒めちぎり出したところで、空気を読んでトイレへ行くと言って席を立った。先輩がこの後、彼女をお持ち帰りする算段を立てられるようにという配慮からだ。


 先輩の「この後二人で二次会へ行こうぜ」の誘いでも、彼女からの「私先輩に相談がありまして……」と持ちかけるでも何でもいい。二人で勝手にやってくれ。

 トイレの洗面台で顔を洗う。鏡に映った自分の顔は油断すれば、すぐにつまらなそうな表情を浮かべてしまう。


 仕事ってなんだろうか? 俺は生きる上での最優先だと考えている。

 男にとって、仕事での出世は探求なんだと思う。自分がこの世に生まれて来た。では自分はどこまで行けるのか? 出世し続けてどんどん先に進んでいるという実感が達成感を持たらし、生きる喜びになる。


 だけど、この考えを持たないのが大半でもある。ヘルマートのスタッフ達を見ていても、若き店長達社員を見ていても、生活するために仕方がなくという考えだ。むしろそっちが主流なんだと思う。


 女性だともっと楽観的に思える。時代は変わって女性が自立するような社会になりつつある。だけど、それでも大多数の女性は会社に入っても結婚したら退職する。人生のゴールは、いい男捕まえて結婚するという女性が主流なのはまだ変わっていない。だから、あの同期の女性みたく、年収が高い仕事のできる男に媚を売ってなんとか既成事実を作ろうとするんだろう。まぁ、先輩のように仕事が最優先の男は、女は二の次だし、普段から女が寄ってくるから女遊びなんて手慣れてる。事がすめば関係なんて後腐れなく切るんだ。


「俺だって……」


 女性を軽く見てる。あの友達でも何でもない同期の女性がもてあそばばれようと、先輩が楽しんでご機嫌になってくれれば、俺は空気を読めるって評価がもらえてさらに目をかけてくれるようになる。直属の上司に気に入られるのは、俺が出世するにはとても重要な事だ。最低だなって思うけど、女性の側だって自分から望んでいる。俺は空気を読んでいるだけだ。


 でもそう考えると、会社はどうして女性を雇うのか? 男性だけ雇ったら、社会的に批判されるからか?

 大半の女性は結婚を求めている。働く事は二の次だ。会社もそれが分かっているのに、毎年一定数の女性を雇う。なんでだ?

 そろそろ戻らないとな。席に戻ったら、「お腹が痛くて」と言おう。そうすれば、「お前体調悪いなら先に帰っていいぞ」と言われるから、それで万事上手くいく。

 男子トイレを出る。


「俺はよ、女の名前しか覚える気がないからな」


 そんな言葉が耳に入って来て、思わず通路で立ち止まって声がした近くの席を見た。


「ま、まじですか?」


 大の男三人だった。二人の若いサラリーマンが通路の手前側に並んで座り、奥の席に腰を下ろす中年男性を見ている。一目で、上司と部下の関係なのが読み取れた。そして、直感的にヘルマートのSVだと見抜いた。


 青白い顔に、両目のクマ、過度の睡眠不足と疲労から瞳は今にも白目をむきそうだ。全身にまとうくたびれた負のオーラは、ヘルマートでよく見るSVにそっくりだったから。同じサラリーマンでも、ヘルマートのSVはすぐに分かるのだ。このエリアの営業所の人達だろう。営業所は本部を中心に全国エリアに点在している。


「所長、私達の名前も覚えてくれないんですか?」

「所長にそう言われると辛いですよ」


 二人の若手社員にすがりつかれて、所長はまんざらでもないように笑っている。


「まぁ、お前達は可愛げがあるからな」

「あ、ありがとうございます」

「所長にはたくさん教わりたいので、これからもお目をかけて頂ければ幸いです!」


この薄っぺらいやり取り……ヘルマートの社員は、上司にごまをすり、後輩や加盟店の店長にキツく当たる。

二人は、すでに揉み手の構えを取っていた。


「所長、お注ぎします。もう一杯どうぞ」


 一人が瓶ビールを手に取り、もう一人が所長のグラスを手に取って共同作業で酒を注ぐのを所長は黙って見ていた。


「ところで、担当する店の様子はどうなんだ?」


 所長に話を振られると、二人は背筋をピンと伸ばした。


「イマイチです」

「残念ながら……」


 この話の流れも読める自分が悲しかった。酒の席でお店の話をするっていうことは、


「めぼしい女の子がいたら、逐一ちくいち、報告しろよ」


 そう、女の話なんだよ。奴らは常々、女のスタッフを物色しているんだ。そして、この若い二人が本当の事をそのまま上司に報告していないとも分かった。いい子がいたら自分が手を出すからだ。二人は本当の意味で上司に忠誠を誓っているわけでも、慕っているわけでもない。うちのSVもこれまで何人もの女性スタッフに手を出して来たし、歴代の直営店の若き店長達も皆そうだった。


 名刺で女を口説く。

 ヘルマートという大企業の看板で女を落とす。

 人格とか能力とかそんなあやふやなものではなく、目に見えるステイタスに頼る。

 それがヘルマート流!


 口説くなら何故同じ社員ではないのか? 答えは、高校生や大学生の若い女の子が好きである事と、誰もが女好きなので後腐れなくとっかえひっかえで遊びたいからだ。

 はぁ〜ここでも、女の子ってそんな目でしか見られないんだよなぁ。肩を落としてその場を立ち去ろうとすると、


「ところで、お前達は会社でいいと思う女はいないのか?」


 いきなり所長がそんな話を切り出した。突然、身構える二人の若手社員。所長が切り出しづらそうに、あきらかに不自然でぎこちなく、話を続ける。


「若いうちにフラフラしてたら良くないぞ。早く身を固めることで仕事に打ち込めるしな。ほら、うちの会社は手当もでるじゃないか?」


 二人の若手社員は、急に冷めた表情になり、見るからに愛想笑いを浮かべた。


「いや〜まだちょっとそれは……」

「一人前になってからで」


 二人からはこの話題は勘弁してくれというのが伝わってくる。


「早い方がいいだろ!」


 所長が声を荒げた。すぐに押さえつけようと恫喝するのはヘルマートの体育会気質によるけど、あからさますぎる。


「か、勘弁して下さい」

「普段忙しくて、気を回している時間がないですよ」

「俺がセッティングしてやるよ!」


 若手社員は泣きそうな顔をして話を終わらせようと全力を注ぐ。所長はなんとか結婚させようと説得にますます力を入れる。

 二人が断るのには、まだ女遊びをしていたいというだけではない、他の理由が見えた。所長が声を荒げるほど結婚を勧めるのにも、部下を心配するのとは違う理由があるような気がした。

 不思議に感じながらもいつまでも通路に立っていられないので、そこを去って席に戻る。だいぶ長い時間席を外していた。


「もうっ! 先輩ったら」

「ったく、かわいいやつだなぁ」


 席が見えて来て、すぐに遅くなりすぎたかなという心配は吹っ飛んだ。二人は完全に俺のことは忘れていたらしい。同期の女性は先輩の隣りに移動して、その距離を縮めていた。先輩の膝の上に手を置く女性と、女性の肩に手を回す先輩の姿が予想通り過ぎて感情が冷めていく。


「お。やっと帰って来たか? 遅かったな?」


 先輩と女性が俺に気づいてこっちを向いた。先輩の目に宿る無言のメッセージを読み取り、俺は口を開く。


「お腹痛くなっちゃいまして」


 申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべる。


「そうなの? 無理すんな。具合悪いなら先に帰っていいぞ。支払いは俺がしとくからいいよ」

「すみません。そしてごちそうさまです。お先に失礼させて頂きます」


 ここの支払いは経費で落としてもらえるんだから、先輩が奢ってくれるわけじゃないけど深々と頭を下げて、荷物と壁にかけてあったスーツの上着を取って退席した。席から離れる前から二人はもう自分達だけの世界に入っていた。


「だから、お前らは何で分からないんだよ!」


 ヘルマートSV三人のいる席まで戻って来たら、所長の怒声が響き渡った。ガヤガヤうるさい中でも一際大きい声だったが、周りの客は自分たちが楽しく飲みたいから聞こえていないふりをしている。まだやっているのか。本人達が嫌だって言うんだから仕方がないけど、どうして所長もそこまでムキになって自社の女性社員と結婚を勧めるのか。

 ちらっと見ると、二人の若手社員はすっかり萎縮していた。俯いて黙りこんでいる。


「なんとか言わんか」


 二人は答えられない。突如、身に降り掛かった災難を振り払う事もできずに苦しんでいた。

 所長はそんな二人を見てため息をついた。


「結婚しない社員は続かない奴が多いんだぞ!」


 ああ、そういうことか!

 所長の一言で仕組みが分かった。

 ヘルマートは二十代と四十代の離職率が高い。四十代はまた別として、二十代の離職率が高いのは会社としても困る。結婚させるのは、会社がどんなにキツくても辞められない理由を作らせるためなんだ。だからヘルマートの扶養手当は他社よりも条件がいい。辞めたら一家揃って路頭に迷うから、結婚した社員は辞められなくなる。


「うちには女性社員がたくさんいるんだから、好みの子を探せ!」


 所長の怒声がさらに続く。

 そのための女性社員だと言うのか?

 社会の批判を浴びないために仕方なく雇った女性社員を、早いうちに男性社員とくっつけさせて辞めさせる。社員同士の結婚は会社にとって、人件費削減と男性社員の忠誠心を高められる、まさに一石二鳥の手だったんだ。


 背筋が凍る。

 SVとは、いくつものお店を担当して、店舗経営をサポートし売り上げをUPさせるためのアドバイザーの仕事。いくつものと言う通り、複数のお店を回らなければいけないし、店舗業務に首を突っ込むので仕事量は無限に増える。さらに新店が開くと開店業務が増えて頭がおかしくなるほど忙しくなる。どれも雑務ばかりでモチベーションを上げるのが難しいうえに、緊急事態や非常警報が流れれば、真夜中でも連絡が来て巡回しないといけない。眠る時間なんてほとんどないから、睡眠不足によって感情が不安定になり、鬱病になる者は後を立たない。先に体を壊すか、精神を壊すかどちらかしか待っていない。


 三六五日二十四時間、年中無休に等しいSVの過酷な仕事に耐えられる女性なんてほとんどいない。たいていは男性しか務まらないのは事実だから。会社は男性だけしか雇いたくないのが本音で、女性をただ利用している。こんな会社があったのか? いやでも、全部が全部そうじゃなくても、ヘルマートのように考えている会社は他にもあるんじゃないのか!?


「うっ……」


 気持ち悪さがこみ上げてくる。なんなんだよヘルマートは、この社会は。

 

 クソッタレ!


 社会も会社もろくなもんじゃない!

 分かっている事なのに、深く考えれば考えるほど世の中の仕組みに恐ろしくなるのは目に見えているのに、俺はここまで考えてしまう。多くの人が気づかないように、考えないようにすることから目を逸らせない。

 居酒屋を出た帰り道、泣きながら歩いた。

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