第13話 働くには条件がニート的には厳しすぎる



 女は黒檀の机に引き締まった脚を乗せ、革張りの椅子に体を預けてふんぞり返っていた。

「だらしの無い男ね」豪奢に巻いた赤い髪の房を弄りながら、実の弟を見下す。

 リリアは、弟のロザリオに「少しは生活の厳しさが身に染みた?」と、母親のような表情で訊ねた。ロザリオが答える前に、「今回は懲りたようだから、許してあげるけど、次逆らったら、どうなるかわかってるでしょうね」邪悪な言葉が続いた。

 覚えの無い借金をどうにかして欲しいと、ロザリオはリリアの経営する会社に、自ら背広(喪服)姿で出向いて謝罪した。覚えの無い罪に納得しないまま、ついに折れたのだ。

 ロザリオはリリア宛の請求書の件を問い詰めようとしていたが、この姉の強情さに負けて何も言えないでいる。姉弟二人で生きていくと決めてから何年も頭が上がらないでいるのも、この性格だからである。

「アンタもよくこんな駄目男とくっ付いているわね。関心するわ」

 ロザリオの後ろに隠れる形で付き添っていたベルが、リリアに同情されて顔を赤くした。嫌な事を言われた所為で、体も硬直する。

「悪い事言わないから、このオッサンと分かれて、健全な子と付き合いなさいな」

「師匠はオッサンじゃありません!」

 ベルはムキになって火花を散らしているが、リリアは子供に本気で相手をしていない様子だ。むしろ、からかって面白がっている。

 矢面に立たされながら、傍観していたロザリオはいい気がしなかった。

「うひゃあ、本物はえらい違いだ」ロザリオに付いてきたシンが思わず声を上げる。

 マスコミに出ている淑やかなリリアと、事務所の社長椅子にふんぞり返っている女が、同一人物だとは思えないでいる。

「坊や、何か言いまして?」

 冷ややかな視線がシンに戻ってくる。

「クビを免れたかったら、なるべく奴には逆らわん方が身の為だぞ」と、同時にロザリオが小声で告げ口した。

「いや、何でもないっス」シンは作り笑いを浮かべる。「映像で見るより、本物はもっとお綺麗でびっくりしたんスよ~」リリアの厄介な性格にたじろぎながら、上手いことお世辞に持っていった。

「よく言われるの」至極当然の様に言い、机の上に乗っている脚を組み直した。短いタイトスカートを穿いているが、太腿の奥は机に隠れて見えない。

「お前、また愛人増やしたのね」げんなりした様子でロザリオに言った。「社会適応能力は無いくせに、年下の彼氏を作りまくるバイタリティだけは旺盛なのね」

「阿呆、そんな訳あるか!」ロザリオはこの日初めての反論をした。「俺は女の子が好きなんだ。お前みたいなエロイ体をした奴が好きだ」

 ロザリオの思わぬ暴露に、ベルは凍りつき、リリアは急に恥ずかしくなった。

 リリアは、弟から下着を覗かれるのを恐れ、机から脚を降ろす。スーツの下からはみ出して見えた胸の谷間を慌てて仕舞い込んだ。

「まあ、アンタはいつまで経ってもシスコンなのね。リリア嬉しい」表情は困ったようにしながら、嬉しそうにしている。

 拳を握り締めてまで力説したロザリオを見つめ、ベルは寂しそうにしていた。

「今のベルじゃ太刀打ち出来ねえよ」シンはベルの貧相な肉体に厳しい評価をため口で付ける。

「ううっ」幼稚な少女ファッションで、子供臭さにも拍車が掛かっている。「いいもん、若さで勝負するもん」

 まずい事を言ってしまい、取り返しの付かなくなったロザリオが、ほくそ笑む姉の表情を確認しながら気まずそうに口篭もっている。「……」

「なぁに?」リリアはロザリオの言動にすっかり満足して母のような慈悲深い声を使う。

「あのさ……」

「どうしたの? お願いでもあるのかしら?」

 ロザリオがシンの肩を引っ張る。

「こいつ、役者になりたいんだって」

 返ってきたのは、感情の篭らない声だった。「ふぅん」

 この姉は、弟のロザリオと興味を示す物事以外は基本的にどうでも良いと思っている。

「それで?」冷ややかな視線が再び、シンに向けられる。

 シンはその視線に、嫌な気分を示さなかった。「大丈夫か?」とロザリオに小声で心配されても、彼は構わず、リリアの冷たい視線を浴びていた。

「こいつを、お前の会社で雇ってくれないかな?」完全にリリアの下手に回っている。眼鏡の下は、懇願する上目遣いだ。

「いいわよ」リリアは棘の無い口調で快く承諾した。

 シンの表情が華やぐ。

 ベルがシンの手を取り、「良かったね」と声を掛けると、「うんうん」とシンは少し涙ぐみながら嬉しそうに頷いた。

 ロザリオが「シン、良かったな」と声を掛けようとしたのと同時に、

「ただし!」リリアの鋭い声が社長室に響き渡った。

 金髪の女社長を前にした三人は緊張で硬直する。

「そこにいるローザちゃんと、弟子を我がプロダクションに所属させる事」

「お安い御用っス!」役者になる為なら何でもやると宣言したのだから、社長の条件は朝飯前である。瞳に星を輝かせながら深く頷いた。

 シンは、ロザリオとベルを交互に見つめ始める。

「なんだか面白そうですね」ベルがリリアの条件を呑もうとする。

すかさず、回り込んで「でしょでしょ」と、話を丸め込もうとシンが頑張っている。

「俺はタレントなんてやらないぞ」嫌そうにロザリオが答えた。

「眼鏡何とかしたら、ロザリオさんの顔だったら売れると思いますよ!」

 シンがどんなに頑張っても、ロザリオは気分が悪くなるだけだ。

「お嬢ちゃん、うちのナタクとアイドルやってみる気ない?」

 リリアが妖艶な微笑を浮かべ、ベルに誘惑の言葉を掛けた。すぐさまベルは彼女の術にハマり、瞳に星を輝かせた。少女は≪アイドル≫という響きに弱かった。

「やります」鼻息荒く即答。

 勝ち誇った表情で、リリアは拳を突き上げた。

「おい!」様子を見届けていたロザリオが堪りかねて、「俺のとこの弟子を懐柔するなんて卑怯だぞ!」と叫びながら、リリアの机に飛び掛った。

「喪服で高級なデスクに上がらないでよ、辛気臭い」

「喪服じゃないぞ、ほら」色の付いたネクタイを見せる。

「恥ずかしげもなく、よくこんな変なネクタイ出来るわね」

 リリアが嘲笑うそのネクタイには、耳無しの青い猫がいろんな表情をしてプリントされていた。大人も子供もお馴染みのアニメキャラクターである。

「遊び心を取り入れるのがお洒落の基本だって、パー子さんがお昼の番組で言ってたんだぞ。馬鹿にするな」

「その眼鏡と喪服もダサいのよ。あたしと双子だなんて思われたくないわ、のび太のくせに」

「なんだと、幽体離脱するぞ!」

 しょうもない双子のやり取りを、ベルは指を咥えて傍観している。

 シンは腹を抱えて「双子だ。双子~」と爆笑している。机の上でもめている双子の姉弟が何か面白い事をやらかさないかちょっと期待。

「あー!」急にリリアが思い出したように大きな声を出した。

「何だよ?」ロザリオが両耳を塞いであからさまに嫌そうな顔をする。

 しばらく間を置いて、リリアがニタリと笑った。

「うわ、何か企んでる」

「ローザちゃん、マネージャーやりなさいよ」

「嫌だ。絶対やりたくない」

「どうせ、あたしとコンビ組んでマスコミ出るのが嫌なんでしょ?」的を得た質問。

「当たり前だ。他に何があるか!」

 ロザリオは過去に、リリアによって深い傷を負っている。それが未だに癒えないのは、双子のリリアは理解できているが……。

「借金は払ってあげたし、来月から生活費はただで出してあげる気は無いんですけど?」「え?」

「何かの学校にも通ってる訳でもない、体が不自由な訳でもない、ましてや五体満足で働かずに、いつまでものうのうと生活出来るはず無いでしょ」

「俺は心が不自由だぞ」自虐の言葉で揚げ足を取る。

「自分で言うな、だからお前はのび太なんだよぉ!」

 リリアが激昂して机を殴った。駄目な弟を育てた苦労が目に染みている。

「てめえ、俺がただの眼鏡を引っ掛ける棒だとか思ってる訳じゃなかろうな?」

「お前が眼鏡を引っ掛ける棒だとしたら、双子のあたしはどうするんだ?」

「アレだ。下着売り場にあるハンガーだろ」

 ロザリオは黒光りする立派な机の上に正座したまま完全に開き直っている。

 リリアが、引きつった笑顔のまま、革張りの椅子に上がった。右足を机の上に掛け、前のめりの姿勢で左手に炎を宿らせる。

「燃やされてーのか? あ?」

「丁度、ただのロン毛に飽きてきたところなんだ」生まれてから何年も弟をやっているロザリオもさすが、一筋縄ではいかない。「思い切ってどうぞ」むしろ、姉が本気でやるつもりは無いとわかっているので、イメチェンを希望している。

「まあ、まあ、お姉さん、落ち着いてください!」本気で人間を燃やしかねないと感じたベルが、椅子に回り込んで、リリアの右脚を掴んだ。

「社長、気持ちは分かりまスが、パンツ見えてるっス」シンが顔を赤らめて、リリアのスカートの中の状態を指摘した。

 思春期にはそれは刺激が強すぎるデザインをしている。捲れ上がったタイトスカートの三角地帯の中で、紫の華奢な生地が光沢を放っていた。

「あっ……」本日スカートを選んでいた事を忘れていたリリアは、潮らしく机から降りた。

「っふ」ロザリオは勝ち誇った表情で嘲笑した。

「お前も机から降りろ!」唾が飛ぶ勢いで怒鳴る。激怒したリリアの顔は真っ赤だ。

 大人しくロザリオが机から降り、喪服と呼ばれる背広を脱いだ。

「リリア、術比べでもやるか?」

「ああら、奇遇ね」リリアは腕を組んで申し出に応じる。「ロザリオと話が噛み合わなくて、むしゃくしゃしていたところなの」

「さすが双子。感情も分かち合うようだな」

 二人を取り巻く空気に殺気が帯びて来た。只ならぬ魔力が渦を巻き、第三者の介入を許さない。

「表へ出ろ」リリアは男らしく言い放った。


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