第2話 ヴァイス・レーヴェル

 宿屋を出た流星は、せめて、もう少し歩道の雪かきぐらいしてほしいと嘆息しながら、足に纏わりつく雪を忌々しげに払って歩を進めていく。

 

 ふと、この辺りには普段はあまり雪が積もらないのに珍しいと宿屋の娘が言っていた記憶を思い出す。確かに屋根に積もった雪はともかく、歩道の雪の処理は申し訳程度にしか行われていないところを見る限り、雪と馴染みがない事が窺える。


「ま、子供とっては大雪なんて天然の遊び道具でしかないか」


 民家の庭先に鎮座する雪だるまや雪玉を投げ合う子供達の姿。流星は、生きる世界が変わっても変わらない文化に思わず苦笑する。


「しっかし、あの行商人のおっさんは、この路面状況で馬車を動かすなんて、商売根性どうなってるんだ…」


 ボアの素材を回収する為に遠回りをしたであろう商人に呆れながら、ポツポツと木造の民家が点在している村を歩き続ける。

 

 もっとも、この世界の馬は現実世界の馬よりも気性は荒いが、その走破能力は多少の悪路も諸共しない。魔物に襲われても、支障がないように調教されているという話を騎士団長の友人から聞いたことがある。


「馬車に魔道具でも積んでいれば、余裕なのか…?」


 暫し、ゆっくりと歩き続けると民家よりも少々大きい建物にギルドの看板が掲げられているのが見えてくる。複雑な模様の描かれた盾に立てかけられたシンプルなロングソードのデザインされたシンプルな紋章。


 冒険者ギルド。

 王国に召還された初代の勇者が、国家の争いの中で苦しむ民のために設立した民間の組織で、その総本山は共和国の首都に構えている。

 

 冒険者の職は、魔物を討伐する以外にも多岐に渡る。便利屋と思われがちだが、その主目的は、民間人の安全と交易ルートの安全を確保すること。

 そして、魔物の住むエリアを開拓し、生活圏を広げるという重要な役割がある為、ギルドの構成員は細かいランクに分けられて管理されている。ランクが一つ違うだけでも、その実力差に開きが出るのが冒険者だ。


 当然、各国家にも王国騎士団や帝国軍、帝国内の貴族が自分の領地を治めるために持つ独自戦力の領地軍など兵力を持ち合わせているが、その兵力はあくまで治安維持や国家間での大きな争いなどを主目的とした戦力。

 実力は、平均的ではあるが連携を重視している為、1人1人が尖っているギルドと比べると堅牢とも言える。騎士団や軍でもカバーできない箇所をギルドが補うことで、今のこの世界は、成り立っている。


 そのため、ギルドが機能しなければ、国の経済活動にも支障が出るとまで言われている。


「ふぃー…流石にちょっとめんどくさい路面状態だ」


 ギルドの前で、足に纏わりついた雪を払い、それなりに分厚い作りのドアを開け放つとどこの支部とあまり変わりのない作りをした内装が迎えてくれる。中央に設置されたいくつかの丸テーブルと簡易な椅子、正面には依頼表を張り出す掲示板、小さなカウンターに書類を枕にくつろぐ男。


「いらっしゃいー。今日もアスタルテ支部は、いつも通り開店休業中だよー。って、あれ?見ない顔だね」


「冒険者ギルドだよな…?」


 小さなカウンターに紙束を枕にくつろぐ男。口元に乾いた跡が残っている辺り、随分長い時間寝ていたようだが、彼がこの支部の主なのだろう。


「一応、ここが冒険者ギルド所属のこの偏狭の村アスタルテ支部なんだけどね。追加派遣の子が来るまで、ちょっと開店休業中なのさ」


 王国の支部にしか行った事はなかったが、どう見ても居眠りをしている支部長を見る光景は始めてだ。


「あぁ、宿屋の娘から人不足という話は聞いている」


「新人が2人いるけど、正直腕の立つ冒険者はいないねぇー」


依頼板に目を通すと新人の受けるレベルの依頼が乱雑に貼られている。目を通すと村の農作業や雪かきなど、すべて村の外に出る必要性がない依頼である点を見ると彼らのためだけに用意された依頼なのだろう。


「なら、追加の派遣が来るまでの間、その枕にしている書類の依頼。俺が受けようか?」


 皺のよった冒険者ギルドのエンブレムのついた封筒からはみ出した赤い付箋は、冒険者ギルドが、緊急時の討伐、調査依頼に使っている物。それが皺のよった状態で枕にされているということは、やはり人不足は深刻のようだ。


「そいつは助かるが、君の実力が次第になる。ギルドカードを出してもらえるかな?もしくは、その剣で実力を証明しても構わない。さてと…どうする?」


 不敵な笑みを見せる男に名刺サイズの金属板を取り出した流星は、渋るように投げ渡す。王国から追われる身の上で、身分証にもなるギルドカードを無闇に使いたくはなかったが、力尽くで実力を証明して、後から難癖つけられるのも尺だ。


 腕の立つ冒険者は、当然品格も求められる。剣を握って実力を証明しても、依頼人とのトラブルを起こす冒険者は、ギルドからも信用してはもらえない。

 それにアスタルテの村は、王国の外の共和国よりの位置にあり、王国にその存在が知れたとしても、流星ならばここを旅立つのは容易い。


「一応、大事な身分証明になるんだからあんまり雑に扱わないでくれよ?」


「依頼書を枕にしているあんたには、言われたくないな」


「あいた、そいつは痛い所をついてくるねー」


 目の前の男は、わざとらしく頭を叩きながらもその態度を崩そうとしない。流星は、依頼票を枕にしたまま片手で金属板を受け取った男に皮肉を返しながら、カウンター脇の小さな椅子に座り込む。


「それで、あんたが支部長ってことでいいのか?」


「ご名答ー。そういう君は、噂だとすでに送還された人間の名を語る偽者ってことになってる冒険者ね。よくあの王国の包囲網を抜けられたもんだ」


 今までの経緯を振り返りながら、丁寧に渡されたギルドカードを受け取り、多少緊張していたのか息を吐いてしまう。ギルドの情報網の広さは伊達じゃないと分かってはいたが、こんな辺境の地まで話が伝わっているとは思いもしなかった。


「やっぱり、このカードで身元バレるもんなんだな」


 手元に戻ってきたカードを眺めると随分と傷だらけになってしまっている。

魔素を通せば、カードの情報を読み取れるという話だが、ぱっと見るだけではギルドの紋章の刻まれた傷だらけのカードにしか見えない。


「全てのギルド支部にギルド長直属の命令で、この名前を持つカードを持つものが来たら保護しろって通達がきているのさ」


「で、どうする?ここで俺を保護するか」


 流星は、どこか大げさに手を振りギルドマスターの反応を見る。リスクが高いが、相手が戦力を欲している状況ならば、ここで拘束するという考えは起こさないはずだ。


「この状況で、戦える貴重な戦力を手放すわけがないだろう?」


「決まりだな」


 手元で遊ばせていたカードを仕舞い、席を立ち上がると差し出された支部長の手を取り握手を交わす。さしずめ、お互いに利用しあう共犯としての理想的な契約とでもいったところだろうか。


「しばらくの間、この支部を頼むよ。リュウセイ・タチバナ」


「流星でいい…といいたいところだが、後で偽名でも考えておく」


「なら、私も自己紹介をしておこう。私の名前は、ヴァイス・レーヴェル。ここ辺境支部のギルドマスターだが、ヴァイスと気軽に呼んでくれ」


 ヴァイス・レーヴェル。

 一見、30代前半の優男のようにも見えるが、随分長い間長物の獲物を扱ってきた癖のついた手。ギルドの制服に隠れているが、見え隠れする武具からは、高ランクの魔術的付加の刻印が施されている。

 おそらく、魔術学園辺りが出身の優秀な使い手だったに違いないとヴァイスに評価つける。独特の雰囲気にだまされそうになるが、目の前の男は、ただの支部長ではない。

 自分と同じ側にいたことのある人間だろう。


「ならヴァイス、さっそくだが何からはじめればいい」


「おや?君の自己紹介はしてくれないのかな?」


 わざわざ知っているというのに自己紹介が必要だろうかと疑問だが、自己紹介をされたのならこちらも返すのが、礼儀だろう。


「あぁ、橘 流星だ。こっちの世界だとヴァイスの言ったとおりリュウセイ・タチバナってところになる。ご存知の通り、伝統ある王国で今一番ホットな人気者さ」


 噴出すヴァイスだが、すぐに元の胡散臭い雰囲気を取り戻す。思ったよりインパクトのあるいいネタだと思ったのだが、目の前の男には効果が薄かったようだ。


「な、なかなか切れ味のいい冗談だ。さてと…自己紹介も終わったことだし、話を進めさせてもらうよ。オークの変異体が単独で現れたということは、下手するとオークの巣が近辺に作られている可能性が非常に高い。それは、魔物の繁殖期が被った地獄の大氾濫を戦い抜いた君も経験から分かるはずだ」


 過去の大氾濫時のオークの巣での出来事を思い出しながら、頷き返す。

 

 普段では、滅多に現れることがない変異体の単独出現。これは、森の中で何かが起きようとしている前兆だろう。状況が分からないまま新人二人を森に近寄らせるわけにはいかない。

 だからこそ、あの依頼表の中身は、全て村で行える依頼だったのだろう。


「話が早くて助かるよ。流石に新人2人をオークの巣の調査に出して、万が一のことを起こされるとギルドの信用問題になってくるからね。魔術学園からの預かりでもあるから、無茶なことは控えてほしいところなのさ。まぁ、彼らについては機会があれば、紹介しよう」


 魔術学園の生徒と言えば、共和国内の特定のギルド支部で、実地の研修が行われると言う話を聞いたことがあることを思い出す。主に箔を付けたい生徒や冒険者としての道を歩む生徒達が実際の現場を通して、学園では学べない知識を学ぶことを目的としている内容だった筈だ。


「村の外に出ることのほうが多くなりそうだから、会う機会なさそうだがな」


 ヴァイスは、机の上の書類から何冊かの書類を引き抜くと流星に手渡した。

 皺が寄っている以外は、綺麗に整理された資料の内容に感心しながら、資料を読み進めるとオークの情報以外にも森での異常やいくつかの気になる情報がまとめられている。


「過去の盗賊目撃情報にオークの出現したエリアと変質した森の一部…なるほど、興味深い話だな」


「資料になりそうなものは、枕にしていたそれだけになるね。関連しそうな話もいくつか纏めてあるから参考にしてほしい」


 渡された報告書に目を通しながら、ふと目を止める。

 集団での戦闘もそれなりに行えるDランクの3人パーティに新人2人…戦力的には、ニアCに届くであろう冒険者達が治療院送りになっている。ニアCに届く戦力があれば、大体変異体のいないオークの巣の壊滅程度ならなんとかなるレベルだ。


「今、ニアCランクのパーティが、ほぼ全滅なのにすぐに増援が送られてこないかって疑問に思ったでしょ?」


 ギルドが人員をまわせないことに疑問を持ちながらも続きを読み進めようとするとヴァイスは、その疑問を苦虫を噛み潰したような顔で答え始める。本来ならすぐにでも人を送ってほしい状況だったのだろう。

 そうでもなければ、森についての情報をここまで詳細に纏めてはいない筈だ。


「オークの変異体ごときじゃ、高ランクは送れない。かといってオークの変異体を倒せるレベルの層は、各地に散って活動中ってことさ」


「つまり、支部長一人で対応しろってことか」


 ヴァイスの話を聞く限り、なにか裏はありそうだが、どこの世界も人材不足という問題は深刻のようだ。


「そんなもんさ。お陰で君は、この辺境の地で表立った行動できる。そうだろ?」


 ニヤリと口元を歪ませ、人差し指でこちらを軽く指を刺しているが、オーバーすぎる動作をしないと気がすまないタイプなのだろうか。


「否定はしないが、重要な報告書の上で寝るのはどうなんだ?」


「やれやれ、君も随分とやり手のようだ。上手くやっていける気がしたよ」


 読み終えた報告書に納められた簡易地図を確認して、地形を頭に叩き込む。

 アスタルテ周辺のオークが巣作りしそうなエリアは、恐らく東の森の先にある切り立った斜面辺りで巣を作っているのだろう。念のために何箇所かチェックを入れておく。


「それは、女性から聞きたい言葉だな」


「全面同意しよう。宿屋のエミリーちゃんが2年は年をとったくらいに言われたいね」


(うわぁ…)


 思わず地図から目を離して、ヴァイスに冷たい視線を送る流星だったが、すぐに地図に当たりを付ける作業に戻る。人の恋路を邪魔するやつは三途の川、歳離れた彼らの恋路を邪魔するほど野暮ではないし、何度も生死を行ったり来たりする体験はご免だ。


「おいおい、その反応はよしてくれ。彼女はもう15で、種族柄中々身長が伸びないことに悩んでいるがね」


「あぁ、そうか。こっちは15で大人の扱いか」


 それでも15歳以上離れていると思うが、声には出さず心の中にとどめておく。きっと、それが優しさというやつだろう。


「そうなるね。もっとも君の歳なら恋人の一人いてもいいと思うが、こっちの世界では作らないのかい?」


 流星も相手がいなかったわけではないが、態々口に出す必要もない。その話題を続けるのもなぜか癪に障ったので、受け流して仕事の話を進める。


「終わったぞヴァイス。日が昇り次第、森林エリアの調査に出ることにする」


「明日の昼ごろになれば、森の中の雪も少しは溶けているから調査がしやすくなる筈だ」


 心配はいらないと思うが足元に気を付けろ。遠回しの忠告を受けながら流星は、支部のドアに手をかけ、ふいに足を止まる。


「あー…忘れていた。宿屋から依頼が出てたと思うんだが、そのオーダーを出してもらえるか?」


 ヴァイスの手渡した依頼表に目を通す流星。


「今日こなせそうな依頼はそれになるね。看板娘のエミリーちゃんは倍率高いぞー」


「狙ってないっての…食材集めか」


 依頼表には、東の森での食材の回収依頼が記載されている。変異体の出現した場所からも近いことから軽い調査なら今日の内にできそうだと判断した流星は、すぐさま依頼を了承する。


「久々の依頼だ、それなりの戦果は期待していいぞ」


「ふむ、今日の夕食は宿屋ということで構わないかね?」


「かもな」


 人差し指を立てるヴァイスに返事を返しながら、支部のドアを開け放つ。支部の中が、それなりに温かかったこともあるのだろう。

 外の空気は、ローブ越しでも肌寒いが、依頼者への挨拶と対象の確認が済み次第、余計な荷物を置いて東の森へ向かう必要がある。夕食までに獲物を獲ってこいという支部長のオーダーだ。


「美味しいやつを期待しているよー!」


 背中越しにヴァイスの声援を浴びながら、流星は元来た道をたどり宿屋へ歩き出した。雲の隙間から照り返す眩い日差しとそれを反射する雪、この調子ならば、残った雪も溶けてしまうだろう。

 この世界では、元の世界のような正確な天気予報はないが、そんな確信があった。




「さてと、彼は行ったようだね。彼女への宝玉通信は、数日後回しで構わないだろう

…彼女には私を戦力として当てにしてほしくないものだねぇ」


 流星の去ったギルド支部のカウンターの定位置に戻った支部の主は、支部間の通信に使われている宝玉を手元で転がす。


「彼を手札として扱いたいと考えているようだが、後は彼自身がどの選択をするか。ギルド内部にも王国の影が見え隠れしてる状況…伝統やら予言という奴は厄介なものだ」


 手元の宝玉を転がすことに飽きたのか宝玉に飛行魔法をかけ、元の位置へ仕舞うと大量の資料の上に頭を乗せ、枕にする。ギルドの本部長が見れば、身の丈以上の剣を振り回し、心身を鍛え直すと叫ぶに違いない。ヴァイスは、その姿を想像しながら懐かしい思い出に浸る。


「ま、私は彼がどれだけいてくれて構わないわけだがねぇ。彼がいることが分かれば、共和国にいると思わしき彼女も何れ動くことになる。こちらも準備を終わらせる必要があるかな」


 呟いた声をかき消すように開かれたドア。

 そろそろ来る頃だと感じていたが、彼らは存外早く依頼を終わらせたようだ。ヴァイスは、入り口に目を向けることもなく自身の定位置で、くつろぎ続ける。


「やぁ、君達か。次の依頼ならそこに貼ってあるよ」


 支部の資料を枕にしながら、ヴァイスは依頼板のある方向を指差す。

 だが、2人組は、依頼板を見向きもせずに真っすぐヴァイスの陣取るカウンターへ向かう。


「ヴァイス先輩、私たちももっとレベルの高い依頼を受けさせてくれませんか!」


「正直、学園じゃ散々優秀だって言われてきたのに変異体にやられる冒険者の先輩たちを見て、このままじゃダメだって思いました。先輩、許可を貰えませんか?」


 オークの変異体との戦闘から同じ調子だ。ヴァイスは、先を焦るようにランクの高い依頼を受けようとする後輩達に呆れた表情で顔を振る。


 サリアとリオン。

 両名ともヴァイスの出身である魔術学園から魔術の実地研修を含めてアスタルテへ送られた実習生徒だ。彼らのような学園の実習生徒を支部で預かることは、珍しいことではない。

 もっとも、彼らのような無駄に優秀な生徒だけを送ってきた件については、彼女の差し金だろう。


「やれやれ、君たちも懲りないねえ…」


「いくら実力があっても2人でDランクに届かないひよっこには、私の枕にしている依頼は任せられない。それにそこに貼ってある君たち向けの依頼はどれも疎かにしていいものじゃない」


 確かにこの2人の潜在能力や連携能力の高さは、目に見張るものがある。

 だが冒険者としては、まだまだ未熟、待ち伏せや奇襲をされたら彼らは能力を生かせぬまま、潰されてしまうだろう。

 もっとも、優秀な前を任せられるほど優秀な前衛がいれば、話は別になるが、前衛冒険者との連携訓練もまともに受けていない彼らでは、足手まといが関の山だろう。


「しかし…」


 未だ納得できていない後輩2人を窘める。それは、2人に対してというよりは、どこか自嘲に近い。彼がまだ学生だった頃、犯した愚かな過ち。


「君たちは、冒険者の仕事を少し勘違いしているようだね」


「冒険者の仕事は、武器を持たぬ民を守り支えること。これは2人も当然分かっているはずだ」


 ヴァイスは、後輩たちに自身のような過ちを犯してほしくなかった。ほとんど椅子から動かない男は、後輩2人のために席から立ちあがる。


「学園でもそのように教えてもらってます」


「自由で気高き意志の元、武器を持たぬ民を害から守り、新たな土地を開拓する…でしたっけ?」


 普段とどこか違うヴァイスの姿に困惑する2人。そこにいた男は、普段の不真面目な態度は一切なく、かつて学園を首席で駆け抜け、数々の偉業と功績を残した男の姿だ。


「流石に知識ではわかっているようだね」


 知識で理解していることと経験していることは、まるで違う。この2人は、近い内に必ず後悔することになる。ヴァイスは、楔を打ち込む必要があった。


「私が今、君たちに求めていることは、民を支えることだ。君たちの未熟な驕りは、守るべき民を傷つける。当然それは君たち自身も同じことだ」


 板張りの床に足音を鳴らしながら後輩2人の様子を窺う。理解はできていても納得はできていない態度の2人に自身も言われた同じ言葉をかける。


「遅かれ早かれ自分の行動が取り返しのつかない事態を引き起こす。おぼえておきたまえ」


 その場で立ち尽くしたままの2人を残し、ヴァイスは支部を後にする。立ち直りの速さは若さの特権、きっと何かやらかしてくれるとは思うが、なにかあったとしても、大氾濫を生き延び、王国からの追撃も振り切った優秀な彼がフォローに回ってくれるはずだ。


 異世界に取り残された男に悩んでいた案件を投げ捨てたヴァイスは、スキップを踏むように宿屋へ足を向ける。


「さて、エミリーちゃんの所で遅めのランチでもとるとしようかー」


 きっと、2人のことを任せられる唯一の希望となる彼もいるはずだ。

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