記憶



「ほら、透。早く来なさいよ。置いていくわよ」


「待ってよ、朱里ちゃん。置いてかないでよ」


 二人の少年少女が野山を駆け回って遊んでいる。

 一人は元気よく活発で、如何にもじゃじゃ馬娘の女の子。

 もう一人はひ弱で大人しそうで、女の子に振り回されてばかりの男の子。

 僕の小さい頃の記憶。小さい頃は近所で、毎日のように遊んでいた仲の良い女の子がいた。いつも厄介ごとに巻き込まれて泥だらけになって帰って、母さんに叱られたっけ……。

 僕がまだ引き籠って塞ぎ込む前の、小学生の頃の記憶。今の僕と一緒にいるアカリとは、また別の朱里ちゃん。僕の唯一の幼なじみ。

 彼女は今では陸上で全国大会に出場するような実力の持ち主。今となっては、すっかり僕とは次元の違う女の子。

 片や何の特徴もないただの虐められっ子で、片や運動神経抜群で頭はちょっと、いや、かなり弱いけどクラスの人気者で……。

 そういえば、今一緒にいるアカリも、朱里ちゃんと色々似ているところあるよな。もしかすると……。いや、そんな偶然ある訳ないか。

 そもそも向こう側の世界のことを聞くのはご法度だ。もしそうだったとしても、こちら側の世界では僕も彼女も別の人間なのだから。

 野山を駆け登っていく彼女の背中はだんだん見えなくなってしまう。

 僕は必死で彼女を追いかけるけれど、もう影も形もなくなってしまった。僕はとにかく、先に行ってしまった朱里ちゃんを追って奥へと歩を進める。

 陽も落ち始めて、夏の透き通った空がゆっくりと緋色に染められていく。そろそろ帰らなくてはならないのに、朱里ちゃんは一向に戻ってくる様子がない。

 緋色の空も少しずつ濃紺色へと変わっていき、月や星が輝きを増し始める。光の無い野山はどこか不気味で、月明かりだけが僕の足元を照らす。僕は怖くて帰りたくなったけれど、朱里ちゃんを一人で置いて行く訳にはいかなかった。

 さらに奥へと進むと、何処からか女の子のすすり泣く声が聞こえてくる。僕は最初すぐさま踵を返して逃げ去ろうとしたが、その泣き声にはどこか聞き覚えがあって、何とか踏みとどまることができた。

 僕は恐怖心にまみれながら、その声の主の元へと歩み寄る。

 茂みを掻き分けてたどり着いた先には、朱里ちゃんが膝から血を流して泣いていた。僕は先程までの恐怖心が安堵の溜め息となって僕の中から外へと吐き出され、空っぽになった心の中が暖かな気持ちで満たされていくのを感じる。


「やっと見つけた。ほら、早く帰ろう。きっと、皆心配しているよ」


 僕は彼女へと手を差し出す。しかし彼女は首をブンブン横に振ると、更に大きな粒の涙を目に浮かべながら僕に言う。


「だって、足が痛くって、もう歩けないんだもん。こんなんじゃ、帰れないよお」


 彼女の言葉に僕は、微笑み交じりの表情で優しく語りかける。


「しょうがないなあ。じゃあ、僕がおぶっていってあげるから。ほら……」


 僕は彼女に背中を向けて屈むとそれを見た朱里ちゃんは、急に不機嫌そうな声音でこんなことを言った。


「透なんかが、私をおぶって山を下りられる訳ないじゃない」


 そんな言葉に僕は表情を崩すことなく、彼女に背中を向けたままただひたすらに優しく告げる。


「ほら、行くよ」


 朱里ちゃんの言葉に僕が全く逆上せずに優しく返したので毒気を抜かれたのか、彼女は少しだけ間を置いた後、大人しく僕の肩に手を掛ける。僕はそのまま彼女の太ももを支えるようにして、彼女を背中へと乗せた。

 僕は彼女をおぶったまま、ゆっくりと山を下った。その間二人は何も話すことはなく沈黙の時間が流れていたが、別に気まずいということはなく、むしろとても居心地がいい感じがしたのを覚えている。

 やっとの思いで山を下りた僕はそこで体力を使い果たして、心配して様子を見に来てくれた母さんの顔を見るなり、安堵に包まれて気を失ってアカリちゃんを背負ったまま倒れたんだっけ……。

 すっかり忘れていたけど、僕にもそんな主人公みたいな思い出があったのだ。あのときも朱里ちゃんを護ってあげたいという気持ちが、暗闇の中の恐怖心を和らげてくれたし、人を一人背負いながら山を下りるだけの力を分け与えてくれた。

 結局今も昔も大して変わらないな……。

 僕が昔を懐かしんでいると、徐々に目の前が暗くなっていき、僕は暗黒の世界に包まれていく。


「トオル、トオル……」


 誰かが僕を呼ぶ声が聞こえる。そろそろ目を覚まさなければ。僕は小さい頃の記憶に別れを告げて、ゆっくりと瞼を開いていく。




「……、よかった……。もう目を覚まさないんじゃないかと思った」


 アカリが瞳に涙を浮かべながら、僕を見下ろすようにして四つん這いになっていた。どうやら僕は意識を失った後、仰向けになって倒れていたようだ。

 アカリの瞳から涙の粒が滴り落ち、僕の右頬へと着地する。それはとても暖かく、僕の心を包み込むように落ち着かせてくれる。左頬にも既に落ちていたのか、同じような温もりが感じられる。僕を心配してこんなにも涙を流してくれるなんて……。


「何泣いてるんだよ。やっと攻略したんだから、もっと喜ぼうよ」


 僕は優しく彼女を落ち着かせるように、微笑みかけながらそう告げる。しかしそう言った僕自身も、溢れ出す気持ちを抑えることが出来ず、感情が涙となって流れ出す。

 やっと終わったのだ。この冒険で辛さや怖さ、楽しさや嬉しさをこれまでには味わったことのないくらいにたくさん経験した。

 夢かどうかも区別がつかないこんな非現実な世界で、現実世界よりも余程生きているという実感を得て、二人で助け合いながら必死に戦い抜いた。


「何強がってんのよ……。トオルだって、泣いてるじゃない」


 アカリは四つん這いの格好を崩すことなくそんな軽口を言いながら、ダムが決壊したかのようにボロボロと涙の粒を零す。それらは雨のように僕の頬へと降り注ぐ。

 こんな綺麗な雨を浴びたのは初めてだ。暖かく透き通っていて、何より優しさを感じられる。


「ありがとう……、アカリ。勇気を振り絞って、立ち上がってくれて」


 僕がアカリに向けて感謝の気持ちを告げると、アカリは破顔して本当に綺麗で晴れやかな笑みを見せる。


「私がトオルに感謝されることなんて何もないよ。トオルこそ、カッコよかった。私を助けてくれて、本当にありがとう……」


 僕の顔が一気に火照るのを感じる。女の子に面と向かってカッコいいなんて言われて、すごく恥ずかしくなってくる。

 大体、落ち着いて考えたらすごい状況じゃないか。仰向けに寝転んでいる僕を、四つん這いになっている女の子が見下ろしているとか、ちょっと視線をずらせば……。やっぱりここは天国か……。

 などと余計なことを考えることで、恥ずかしさを紛らわせる。


「ちょっとお二人さん。良い雰囲気のところ申し訳ないんだけど、早く宝箱開けてここから出ましょうよ」


 アイリスが何処か嫌味な笑みを浮かべながら、僕らに向かって声を掛けてくる。その瞬間、僕もアカリも顔を真っ赤にして、お互いの距離を取る。


「そ、そうだね……。ボス部屋の宝箱を開けないと、ダンジョン攻略したことにはならないんだったね」


 僕は気恥ずかしさを隠すように無理矢理平静を装おうとするが、誰がどう聞いても声が引きつっている。


「そ、そうだったわね……。じゃあ、宝箱のところまで行きましょうか」


 アカリも僕と同じような反応をしながら、四つん這いの格好から立ち上がり、宝箱の元へと向かおうとする。


「ちょっと待ってアカリ。すごく情けないんだけど、自分で立てそうにないんだ。ちょっと肩貸してもらってもいいかな?」


 僕がそう頼むと、アカリはこちらへと歩みより僕に背中を向けて首だけで僕の方を向いてこう言った。


「何なら、あそこまでおぶってあげよっか?」


 僕はさっきまでの夢で見ていた記憶が脳裏に浮かび上がってきて、あからさまに動揺してしまう。


「なっ……、え、えっと……、その……。いや、か、肩を貸してくれるだけで、いいかな」


 僕がものすごく気遅れしながら答えると、アカリが少しだけ頬を膨らませて不機嫌そうな顔をする。


「私がおんぶしたげるなんて、これから一生ないかもしれないわよ……」


 アカリはそう言いながら、僕の腕を肩に乗せて立ち上がらせてくれる。


「それは、少しもったいないことしたかな……」


 僕が苦笑しながらそんなことを言うと、アカリは少しいたずらっぽい笑みを見せながらもう一度だけ僕に尋ねてくる。


「もう一回だけチャンスあげようか?」


 肩を借りている状態なので顔と顔がとても近い位置にある。そんな距離でそんな笑みを見せられると、余計に恥ずかしくなって目を合わせることが出来ない。

 僕は必死で恥ずかしさを抑えながら答える。


「う~ん……、やっぱいいかな……」


 僕が視線を逸らしながら照れ笑いしてそう答えると、アカリは溜め息を吐く。


「本当に、意気地がないのね。それぐらい、私気にしないのに……」


 すごく小さな声だったが、確かにそう聞こえた。

 そりゃ、女の子の背中に乗るなんて経験これから一生することもないだろうし、してみたいのは山々なのだが、やっぱり女の子におんぶされるというのは男としてどうなのだろうか。

 アカリの助力により立ち上がった僕の肩にアイリスがちょこんと座る。


「何なら、このまま襲っちゃえばいいのに。それなら私、待っていてあげてもいいわよ」


 相変わらず意地の悪い笑みを浮かべながら、アイリスは僕の耳元に囁いてくる。その瞬間僕の顔はもう一度真っ赤になり、アイリスをキッと睨み付ける。


「馬鹿なこと言うなよ。アカリに聞こえたらどうすんだ……」


「どうしたの?」


 アイリスの声はどうやら聞こえていなかったらしく、アカリは不思議そうにこちらを覗き込んでくる。


「な、何でもないよ……。気にしないで……」


 僕は引きつった笑みを浮かべながら、アカリに弁明するとアカリは何も気にした様子も無く、宝箱の方に顔を向ける。僕はもう一度だけアイリスの方を睨むと、何やら楽しそうに笑みを浮かべながら鼻歌を歌っていた。

 それにしてもユナンは相変わらず無愛想な顔で沈黙を保ったまま、アカリの肩は僕が借りていたため、フワフワと宙を浮いていた。

 僕たちはようやく宝箱の元まで辿り着く。ゲームで見るのとはやっぱり違い、重そうな真鍮で作られたその宝箱は、見た目からして僕の心を騒がせる。宝箱の至る所には模様が施されており高級感を漂わせる。

 先程は宝箱を開けるときにバタバタしてしまったため、本物の宝箱を自分の手で開けるという楽しさを感じることができなかった。だから、今度はそれをしっかり噛みしめたい。


「アカリ、一緒に開けようか。どうせ僕、今のままだと一人で立っていられそうにないし」


 僕は情けないことを言っている自覚はあるが、事実立つことすらままならないのだ。アカリもそれは酌みとってくれたらしく、それ以上何も言わずに頷いて、片手で僕を支えながらもう片方の手を宝箱に掛ける。僕も片手だけを宝箱に掛ける。


「せーのっ」


 僕の掛け声と共に同時に片手に力を込める。なかなかに重たい宝箱の上蓋は、ゆっくりと軋んだ音を立てながら開いていく。ゲームだとただボタンを押して終わりなのだが、実際には宝箱の重みを感じたり、ゆっくりと開いていく中身を覗き見たりと、楽しみが絶えることはない。

 最後は力いっぱい押して一気に開けると、中には一本の剣と一巻の巻物が入っていた。それらは僕たちが宝箱の中に手を入れる前に、光を帯びるといつの間にか魔導書になっていたアイリスたちの元へと吸い込まれるように消えていく。


「僕の方が剣だったんだ……。てっきり、僕が巻物の方かと思っちゃった」


 僕がそんなことを言っていると、アカリはすぐさまページを開いており、新たな魔法が記載されていることを確認していた。僕も取り敢えずページをめくると、五ページ目に新たな魔法が記載されていた。

 ちなみに、四ページ目はゴーレムとの戦いの中で覚醒したページで、この時の僕は新たな武器が手に入った嬉しさで全然気が付いていなかったのだが、記載されているにも関わらず読むことが出来なくなっていた。

 僕も魔法を口に出した覚えはあるものの、なんと発したのかは全く覚えていなかったし、今後使えるかどうか心配である。あの魔法結構強かったし、常時使えると嬉しいんだけど……。

 そして五ページ目には新たな武器の名前が記されていた。『グラディウス』今までのラビット・ナイフとはその刀身の長さが比べものにならないほど長い。

 しかし今回の戦いで、ラビット・ナイフは上手く使いこなせば、複数本出せる可能性が出てきた。それならそれで、ナイフ系の武器も使う機会は出てくるだろう。

 僕はそんなことを思いながら、新たな武器を胸に魔導書をパタンッと閉じた。その武器を次に使うのはいつになるかはわからないが、その時はきっと僕の戦いの力になってくれるだろう。僕の新たな相棒となってくれることを切に願う。


「たぶん、放出系の魔法だと思うわ。これで接近戦だけじゃなくて、遠距離での戦いもできるようになるわね。少しは、安心して戦えるようになるかも」


 アカリもいつの間にか魔導書を閉じてこちらを見ていた。

 放出系とは、付与魔法とは異なる、所謂攻撃魔法である。RPGで言うところの魔法はおおよそこれに当てはまるだろう。要は、魔法を唱えると炎や雷などが相手を襲うような魔法である。


「いいなあ。僕にはまだ放出系の魔法は使えそうにないや」


 僕みたいにステータスが低い冒険者には、遠距離で戦うことが出来る放出系の魔法は必要不可欠なのだが、未だに僕の魔導書にはそれらしき魔法は記されていない。僕にも放出系が使えるようになるのはいつになることやら……。

 僕とアカリが、新たな魔法と武器を嬉しそうに確認し終えると、それを待っていたかのように足元が円形に輝き始める。それに気が付いた僕たちが辺りを見回し始めると、その光は勢いよく広がっていきすぐに僕たちがいたフロアを埋め尽くす。

 その光が安全なものだということは、自然と理解できた。そもそもこんな綺麗な光が危ないものである訳が無い。

 そのうち地面の輝きから、小さな光の粒がたくさん舞い始める。まるで、たくさんの蛍が辺りを埋め尽くしているような綺麗な光景だった。

 僕とアカリはそんな光の中で、自然とお互いの手を繋いで目を閉じ、訪れる時を待った。

 そして僕たちの目の前は更に強い光に包まれて、真っ白になった。それでも、アカリの手の温もりだけは消えることが無かった。

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