召喚

 晩ごはんも食べ終え、僕は机の上に教科書や参考書なんかを並べながらとりあえず手にシャーペンを持ちはしたものの、やる気がまるで出ずに机に突っ伏していた。

 僕の成績は中の中くらいで、本当に可もなく不可もない成績を取り続けている。

 良い成績を取りすぎるとまた、目立っている、などと訳のわからない言いがかりをつけられて殴られるだろうから、自分の成績がこのくらいに留まっているのは自分としてもありがたい。……と、そんなことを言い訳にしながら、勉強を蔑ろにしているのは否めない。

 勉強するときはコンポからなるべく音を絞ってBGMを流している。勉強をするときはサントラとかインストとか、歌の入ってないものを選択する。

 でも、盛り上がりのある曲が流れると、いつの間にか勉強を放ったらかしにして妄想の世界へと入っていってしまう。

 ゲームのボス戦の音楽なんかが流れ出したときには、我を忘れて完全に妄想に耽ってしまう。ちなみにランダム再生である。

 そんなことを考えていたら、まるで狙ったかのようなタイミングで戦闘シーンのBGMがコンポから流れ始める。

 重厚感のあるゆっくりとしたリズムの低音をかき鳴らすチューバやコントラバス。そこに少しずつ顔を覗かせるバスドラム。バスドラムが刻むビートが四分から八分へと変わり、高音部をかき鳴らすストリングス隊とブラス隊が一気に盛り上がり始める。ところどころにあしらわれるシンバルがさらに音楽に勢いを与え……。

 ……って、そんなことはどうでもよかった。僕は勉強中なのだ。もうすぐで僕はボスと戦う主人公に成りきるところだった。あれ?でもどちらかと言うと、今のままだと指揮者に……。

 そんな感じで集中できないまま時間だけが過ぎて行った。もう勉強止めてゆっくりラノベでも読もうかなあ……。あ、昨日の撮り置きアニメでもいいな。

 何て、思っていると急激に睡魔が僕を襲う。視界が揺らぎ、はっきりとした意識が保てなくなる。


「あれ、おかしいな……。こんなに急に眠くなることなんて、今まで、無かった、の、に……」


 僕はそんな独り言をつぶやきながらゆっくりと瞼を閉じ、机に自らの体重を預けた。握力が無くなった手から零れ落ちたシャープペンシルが机の上を転がり、机の上から落下したのをなんとなく感じていたが、それが地面に落ちる音を聞くことは無かった。

 僕は夢の世界へと沈むように落ちて行った。




『あなたは、この世界を救う冒険者として選ばれました。この世界を救うためあなたは異世界より、召喚されたのです。全ては神の赴くままに……』




 飛び起きるように僕は勢いよく瞼を開いた。さっき寝たばかりのはずなのに、もう目が覚めたのか……。よっぽど熟睡していたのかな?僕、気が付かないうちに相当疲労を溜め込んでいたのかも。などと、寝起きにしては全然眠たさを感じない頭で、そんなことを考えていた。

 しかし、眠たさを感じなかったからこそ、僕は目の前の光景をすぐに受け入れることはできなかった。

 僕は、確か机の上に突っ伏して眠ってしまったはずだった。しかし、僕の目の前に広がるのは、連なる山々に、木が止めどなく生い茂っている森。平地を歩く見たことも無い生き物に、空を飛び交う見たことも無い鳥。鳥のさえずりや獣の鳴き声が、この開けた平地に響き渡る。

 少し離れたところにはかなり背の高い塔や、存在感を放っている巨大な神殿などがある。まるでRPGの世界にでも迷い込んだのか、というような景色が僕の視界を埋め尽くしていた。

 何か圧迫感のようなものを感じて恐る恐る後ろを振り返ると、そこにはそびえたつような城壁が立っていた。何から護るためにこれだけ高い城壁を築いているのかはわからないが、その高さの城壁をさらに超える、赤い三角頭屋根の建物が見える。まるでファンタジーに出てくるお城のような……。


「あれ、もしかして僕、まだ夢の中なのかな?」


 僕はとりあえず、ありきたりに頬をつねってみる。……痛い。

 次に確認したのは自分の格好だ。下半身は動きやすそうな七分のカーキ色の綿パンに、上半身は青を基調としたこれまた綿のシャツ。

 さらに、胸部には何かしらの金属でできたプレートが装備されている。手の甲にはどちらにも籠手がはめられており、まるで始まったばかりの微妙に防具が装備されている冒険者みたいな格好をしていた。

 少なくとも先程までの服装ではないことは明らかだ。僕はいつの間に着替えたのだろう……。

 やっぱりこれは夢なのだろうか……。あれ?でもそれなら武器が無いとおかしいんじゃ……。僕の夢にしては中途半端だなあ。などと自分の夢を過大評価していると、目の前に光の球体が現れ、まるでシャボン玉のように弾けた。

 僕がびっくりして瞑ってしまった目を恐る恐る開くと、そこには背中から翼の生えた小さな妖精(?) が目の前にフワフワと浮かんでいた。


「うわっ、何だこれ、小っちゃくて、可愛い……」


 僕は目の前のそれを、思わずツンツンと愛でるように指で触れる。感触は人の肌と何一つ変わらず柔らかく弾力があり、きっと女子高生の生肌を触るとこんな感じなのだろうと僕は思った。いや、触ったことないけど……。

 僕が呆けた顔で妖精をツンツンし続けていると、ブチッ、という何かが切れる音がしたかと思ったら、妖精は僕の目と鼻の先まで近づき、そして顔面に思い切りローキックをかまされた。

 身体は小さい癖に力は案外強かった。何しろローキックをもろに喰らった僕は、勢いで尻餅をついてしまったくらいなのだ。まあ、体重は軽い方だとは思うけど……。

そして僕は現在、正座をしてその妖精から説教を受けている最中だった。


「大体ねえ、あんた初対面の相手に向かって馴れ馴れし過ぎるのよ。何言葉一つ交わす前に、人のことツンツンしてんのよ。大体あんた、自分の顔見たことある?そんな、冴えない顔してるやつに急に触られて、気分悪くならない女なんていないわよ」


 目の前の妖精は胸の前で腕を組みながら、あんまりない胸を精一杯誇張するように張って僕に説教をしている。萌えキャラとかあんまり興味ないけど、目の前で実際こういうのがいると案外可愛いものだな……、と僕の新たな性癖が目覚めようとしていた。ちなみに、僕の表情は相変わらず呆けたままである。

 目の前の妖精は、ハラハラと肩にかかるような綺麗な黒髪で、少しだけふっくらとした幼い顔つきをしている。目は大きめで、鼻と口は体に合った小さなものだ。顔は少しふっくらしているものの、太っているという印象は一切ない。

 純白のワンピースのような服を着ており、翼の周りには小さな光の粒がチラチラと舞っている。ちなみに先程も言ったが、胸はあまりない……。


「私さっきから怒ってるんだけど……。いつまでそんなだらしない顔してるつもりよ。もう少しシャキッとしなさい。シャキッと」


 お前はお母さんか……、と突っ込みたかったが、この手の女の子は下手に突っ込みを入れるとさらに激情して余計ややこしくなることを僕は過去の記憶から掘り返していた。

 そういえば、僕にも幼馴染とかいたな……。今ではすっかり疎遠になっちゃったけど。などと、これまたどうでもいいことを思い出す。

 それにしても、今日の夢はどうもおかしい。夢を見ているという感覚が全くない。起きているときと全くと言って良い程、同じように感じる。もしかすると、これは夢じゃないのかもしれない。


「ごめん、ごめん。ちょっと珍しかったから、つい……。それにしても、ここってどこなのかな。どうも、僕がいた場所とは違うみたいなんだけど……」


 僕が質問すると、妖精は自慢気な表情をしながら答える。


「まあ、そうでしょうね。あなたはこの世界を救う冒険者として、神様によってこの世界に召喚されたの。この世界の名はヴァルハラ。そして、あなたたち冒険者は、この世界にいずれ訪れると言われている神々の黄昏、ラグナロクに立ち向か合うために戦わなければならないの」


 妖精の説明を一通り聞き終えると、僕は一旦記憶の引き出しを漁る。

 『ヴァルハラ』『ラグナロク』これらの単語はサブカルに通ずる者ならば一度は聞いたことがある。ヴァルハラと言えば北欧神話に出てくる主神オーディンの宮殿で、確か戦士の魂が集まる場所。そう魂が集まる……。魂……!?


「えっ、ちょっと待って。僕死んだの。どういうこと?僕まだ見てないアニメとか、積みっぱなしのラノベとかいっぱい残したままなんだけど……」


 急激に焦りだして、捲し立てる僕の勢いに気圧されて、妖精は若干というか結構引いていた。いや、死んだとか急に言われたら誰だって焦るって……。


「いや、どう見てもあんた生きてるじゃない。ほら、この場に立って、息して、動いてる。これで死んでるって言うなら、この世の全ての人間が死んでるわよ」


 妖精はさっきまでのお母さんキャラが急に消えて、なんか面倒くさいおっさんに絡まれた女子高生みたいに引き気味で会話を続ける。


「いや、そりゃそうなんだけど。現実世界の僕って言うか……。この世界とは、違う世界で生きていた僕って言うか……」


 はっきりとした表現ができないことにもやもやしながら、なんとか伝えたいことを言葉にして妖精に尋ねるが、あちらも僕が何を言いたいのか理解できていない様子だった。そもそも、自分が理解できていないものを相手に理解してもらうというのが無理な話だよな……。


「あんたが言いたいことはよくわかんないけど、こうやって生きて、何かを感じて、私みたいに他人と繋がっているんだから、ここが現実なんじゃないの。別に場所なんて、どこでもいいじゃない。あんたが生きている場所が現実なのよ。あんたは神様によって、この世界に召喚された。それまで他の世界にいたのかもしれない。でもあんたは今ここにいる。ならあんたの現実はここなのよ……」


 焦っていた気持ちが彼女の言葉を聞いて少しずつ落ち着いていく。現実とか非現実とか、そんなのは自分がどう感じているかだけの違いでしかない。この世界に自分が立っているのなら、この世界が現実。

 今更焦ったところでどうしようもない。どうしようもないなら、僕はこの世界を、この現実を受け入れて、与えられた使命を果たすべきなのだろう。

 ……んっ、でも待てよ。これってまだ僕の夢の中って可能性もあるよな。現実逃避したいがために僕が作り出した、夢の中の世界って可能性もまだ残っているよな。

 でももしそうなら、目覚めたときに全てがはっきりする。なら、目覚めるまではこの世界を存分に楽しもう。だって、この世界は僕が散々夢見てきたファンタジーの世界なのだから。

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