アカオニの契約者

秋桜ヒロロ / 桜川ヒロ

第一部 契約

第1話:赤い瞳

気が付くと真っ暗だった。不自由な視界に目を擦ろうとして、はたと気づく。腕が縛られている。

身体をよじると膝や肘が何かに当たり、ギシリと撓(しな)った。


斉藤梓さいとうあずさ17歳。彼女は今腕を縛られ、折りたたまれるようにして木の箱の中に入っていた。


「んんんーっ!」

状況が呑み込めないまま助けを呼ぼうと声を出すが、咥えさせられているタオルがそれを邪魔する。

思いっきり箱を蹴ってもびくともしない。それどころか

「こらぁ! うるせぇぞ!!!」

とドスの効いた声と共に、蹴られたような衝撃があった。

その衝撃で息をのんだ彼女の頭は、冷静さを取り戻すと共にだんだん状況を理解していく。

(もしかして、もしかしなくても、誘拐された? 目的はお金? それとも人身売買?)

そこまで考えて恐怖で体がぶるりと震える。

ブレザーの制服に、肩より少し長めの亜麻色の髪の毛。身長は平均より低めなのがコンプレックスだ。

親はしがない町医者で、身代金などを要求しても出せる金額などたかが知れている。というか、人の良い父親が診療代をまともに受け取らない為にどちらかと言えば貧乏の部類だ。

母親を早くに亡くしている為に梓が家計管理をしているのだが、父親とはいつもこの事で喧嘩になってしまう。喧嘩といっても梓が一方的に怒って父親はのらりくらりとかわすばかりなのだが。

金持ちでもなければ容姿も平凡。甘いものと可愛いものに目が無くて、家事と節約と剣道が得意な普通の女子高生の自分を誘拐する理由がまったくもってわからないが、これは状況的に誘拐だ。たぶん。

規則的に伝わる振動は車に乗せられているからだろう。

耳をすませば男たちの会話が聞こえてきた。人数は恐らく2、3人。

誘拐された時の事は覚えてなかった。学校から部活を終えて帰る途中で記憶が途切れている。

何らかの方法で眠らされたのだろうか。衣服に乱れはないので抵抗したわけではないのだろう。怪我もしていない。

何時間意識を失っていたかはわからないが、恐らく今は夜だ。隙間からたまに差し込む街灯の明かりがそう教えてくれる。

状況を的確に判断するように努めるのが今の彼女にできる精一杯の抵抗だった。

もし、脱出のチャンスが巡ってきたときにそれを最大限生かせるように。


その時だった。金属同士が激しくぶつかるような轟音に、急に体が前に押し出されるような感覚。そして強い衝撃。

車が何かにぶつかったのだろう。事故だ。

車の戸が開く音。自分を運んでいただろう男たちの怒号に負けじと、梓も声にならない声を張る。

箱を蹴り、身をよじった。助かる道はここしかない。

(誰か気づいて! お願いっ!)

「ん―――!!!」

必死で箱を蹴り続け、助けを呼ぶ。

「あ、この木箱だな? コウ! 見つけたぞー!」

先ほどのヤクザの様な男たちとは別の若い男の声がした。

そして、紙の箱を破るかのごとく簡単な仕草でその男は素手で箱を開ける。木が千切れた。力が強いどころの騒ぎではない。

しかし、今の梓にそんなことを気にしている余裕などなかった。助かったのだと体中から力が抜ける。

「お嬢さん大丈夫?」

そう言って顔を覗かせたのは猫目の人懐っこい笑顔を浮かべた青年。ふわふわの髪をワックスで綺麗に纏めている。スーツも相まってか、見た目だけなら完全にどこぞのホストだ。

「立てるかな? 痛いところはある?」

優しい口調で腕を支えて立たせてくれる。噛ませられていたタオルと腕のロープを外してもらい、梓はその青年と共にゆっくりと車から降りた。

その前に気づくべきだったのだ。

男たちの怒号が止んでいることに。隣で優しく微笑んでいる青年の手が真っ赤に染まっていることに。


男たちの死体の中、血だまりの中にもう一人の彼は居た。

踝まであるだろう黒いコート、ふわりとなびいた黒髪の隙間から見えたルビーのような赤い瞳。

まるでこの世のものではないような光景に吸い寄せられるように一歩踏み出した足が、ぐにゃりと何か踏んだ。それが人の耳だと気付いた時にはもう彼女の意識は落ちていた。


==========


男は吸っていた煙草を車の灰皿に押し込む。

今日は煙草の減りが遅い。苛々してない良い傾向だ。

車の運転席に座りながら仲間が木箱を運んでくるのをバックミラー越しに眺める。

「今日の仕事は簡単だし、実りが良い。こういう仕事がもっと欲しいもんだぜ」

ワンボックスカーの後ろにその箱を詰め込んで、仲間が一人助手席に座りながらそう笑った。

「兄貴に言ってみたらどうだ? もしかして組に掛け合ってくれるかもしれないぞ」

「お前たまに怖いこと言うなぁ。俺たちみたいな下っ端が仕事に文句付けてちゃぁ、殺されて中身売られちまうぞ」

「そりゃそうだ」

くつくつと喉を鳴らしながら笑い、エンジンをかける。

「おい! 早くいかねぇと! 待ち合わせに間に合わなくなったりしたら、それこそバラされちまうぞ!」

後ろに乗ったスキンヘッドの男はそう言って、イライラしたように運転席のシートを蹴った。

「はい。はい。25時に木佐々きさざ港だろ? 余裕だ。余裕」

そう言いながらエンジンを吹かせ、車を走らせた。


彼らはこの辺で幅を利かせている黄龍会の下っ端組員だった。

いつも与えられる仕事と言えば、違法な薬物の売りバイヤーだったり、闇金の過剰な取り立て、お祭りの屋台。危険が多く実りが少ない仕事だったり、危険が無い代わりに実りも殆ど無い仕事だったり、そんな仕事ばかりだった。

しかし、今回与えられた仕事は写真の少女を誘拐して決められた場所まで運ぶだけ。

意識を混濁させる薬も、彼女が必ず一人になる場所の情報も、誘拐に必要な道具も。

すべて用意してもらった上で、貰える金額がいつもの10倍以上なのだ。

「でも上手い話な気がするなぁ。とびっきりの」

助手席の男が少し不安そうにそう一人ごちるのを運転席の男は笑い飛ばした。

「大丈夫だろ! 俺たちにも運が回ってきたってことだよ!」

「まぁ、確かにここまで用意してるなら、俺たちに頼まなくても自分たちでやれはいいのに。とは俺も思ったけどな」

後ろでスキンヘッドも少し訝しげな声を出す。

「疑う事が得意な奴らだなぁー! まぁ、組のお得意様なんだろ? 汚れ役は出来ない仕事に就いてらっしゃるとかじゃないのか? 政治家とか?」

「まぁ、そうなのかもな」

助手席の男はそれで満足したようだ。腕を組んでシートに深く腰掛けた。

バックミラー越しにスキンヘッドも確認すると反論は無いようだ。


ドンッ!


その時、木箱が動いた。かすかに声も聞こえてくる。

「こらぁ! うるせぇぞ!!!」

すかさずスキンヘッドの男が木箱を蹴りあげた。どうやらお目覚めらしい。

状況を飲み込んで悲観した箱の中の彼女が何をするかわからない。自殺とか自傷とか試みられると恐らく彼女の商品価値は下がる。

「こうなったら早く運び終えるぞー! めんどくせぇ!」

運転手の男はアクセルを踏む。

車のまばらな深夜の高速道路を銀のワンボックスカーは、先ほどよりもスピードを上げて駆けて行った。


30分も走っただろうか人のいない港が見えてきた。安堵の為か運転手の男もふー、と息を吐く。

その時だった。

目の前に黒いシルエット。前を見ていたはずの彼の目の前に突然それは現れた。

それを人だと認識する前に車とそのシルエットはぶつかる。とても人を轢いたとは思えないような轟音を響かせて。

それはさながら車同士の事故だった。

シートベルトをしていなかった運転手の男はガラスを破り車から転げ出る。全身を強く打ちつけてまともに空気が吸えない。腕もあり得ない方向に曲がっている。

目の前には車を素手で、しかも片手で止めている黒いコートの男が立っていた。

その眼は人の物とは思えないほど赤い。本能ではわかっていた。この男は人ではない。化け物だ。

ちらりとこちらを一瞥したその赤い目の男はゆっくりと歩み寄ってくる。恐怖で声も出ない。全身が逃げろと警告しているのに立ち上がれもしない。

その時、怒号が聞こえた。目の端に映ったのは仲間の二人が、片方はナイフ、もう片方は金属バットを持って、その男に向かって行く姿だった。

「やめろぉ!!!」

咄嗟に叫んだのはどちらに対してなのかわからない。化け物に向かって行く仲間たちに対してなのか、その二人を殺さんと腕を上げた赤い目の男に対してなのか。

事は一瞬で決まった。赤い目の男が腕を横に薙ぐと同時に仲間の首と胴体は離ればなれになる。それがたった二回繰り返されただけだった。

仲間の肉を切り裂いた右手から血が滴るのが見える。

「おい! コウ! 1人忘れてる!」

頭上で声がした。

見上げると茶色い髪の優男。猫目が特徴的な彼が拳を振り上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る