8.突入!

「邪魔するぜ」

 ノックもなしに応接室のドアを開けると、中年の男と妙齢の女が、立ち上がり互いに右手を差し出し合っているところだった。突然の来訪者にぎょっとした様子を見せながらも、二人は瞬時に離れた。

 ふうむ、中年の方がマリカの親父さんだろう。状況を見るに、握手をする寸前だったってとこか。

「な、なんだね君は……っ、茉莉香!?」

 苛立たしげにこちらに目を向けた親父さんは、俺の背後からひょこっと顔を覗かせた娘の姿に動揺を隠し切れない様子だ。

「ど、どうしてここに」

「あら、私が入社プレートを持っているのはパパも知っているでしょう?」

 それとも、とまるで唄うように続けながらマリカは俺の前に出た。

「“どうしてこのタイミングでここに来てしまったんだ”、という意味かしら?」

「なっ……!」

 親父さんは言葉が出ないようだ。俺たちも、親父さんたちも口を開かないまま、暫しの沈黙が流れる。

 俺はその隙に、部屋にいた二人をざっと観察する。

 親父さんの方は、仕立ての良い背広に引き締まった身体、しっかりと固められた髪と、いかにもデキるビジネスマンって感じだ。男の俺から見てもなかなかイカした歳のとり方をしている。浮気を疑われるのも無理はないかもしれない。

 一方女の方はというと、前に立ったマリカには目もくれず、俺をまるで品定めするように凝視していた。整った顔立ちだがどこか冷たい印象を受ける。居心地の悪さを覚えた俺は顔から視線を外し、服装チェックをすることにした。といっても決して扇情的な格好ではない。スラリとした身体に黒のパンツスーツ。靭やかな筋肉が布地の上からも見て取れる。

 立ち姿といい落ち着いた態度といい、妙に素人離れしている。試しに俺のダンディな微笑みを向けてみたが、眉一つ動かさねえときた。こいつぁ要注意だ。

 数秒間の観察を終えた俺はマリカの横に並ぶと、一向に口を開かない親父に向かい両手を拡げた。

「まあ、わかるぜ? “”にいきなり娘が現れて、いきなり皮肉を言われるなんて訳が分からないよな。思考が追いつかないのも無理はねえ。同情するぜ」

 俺の言葉で金縛りが解けたのか、一瞬はっとした表情を見せた親父さんはわざとらしく大きな咳払いをした。そしてきっ、と俺を睨む。

「君が娘を誑かしてこんなところまで連れてきたんだな? だいたい君は誰なんだね!」

 地位も実力もある男の威圧的な態度は、流石にそれなりの迫力があった。大音声というわけではないが、それだけに圧し殺した怒りを感じる。だがやはりそれなりはそれなりだ。

「俺はただの付き添いさ」

 努めて飄々とした態度を崩さず、俺は言った。

「……なあ、親父さん、こいつが何をしに来たか分かるか?」

「分かるわけがないし今はそんな状況じゃない! 大事な商談の最中なんだ、出て行ってくれ!」

「……大事な商談、ねえ」

 その言葉が出た瞬間、俺は肚の中で思わずほくそ笑んだ。やーこうも上手く引き出せるとはね、日頃の行いが良いからだな。

「なあ、っていったよな?」

 俺は親父さんの言葉にわざとらしく含み笑いをしながら、隣のマリカに目配せをする。

「ええ、言ったわね」

 マリカも同じく含み笑いの表情を作り、応じる。親父さんは戸惑いつつも大根役者たちのやり取りを見守っている。

 俺は白々しくもマリカに訊いた。

「もしかしてその商談で扱う商品ってのは……?」

「ええっ? なにかしら?」

 思わずおいおいと素が出そうになった。打ち合わせじゃここでトドメのはずだったんだが、こいつ、悪ノリしてやがるな。

 横目で見れば、うーん、なんて考え込む素振りまでしてやがる。そのまま数秒間腕組みした後、あっ、と小さく声を上げながらマリカは顔を上げた。そこに満面の笑みが貼り付いていて、思わず背筋に冷たいものを感じた。

「もしかして……だったりして!」

「なっ……!?」

 血の気が引くってのはこういう顔を言うのだろう。ドS娘に弄ばれた親父さんの顔は、写真に撮って百科事典に載せたいくらい青ざめている。

「なあるほど! つまり、商談っていうのは、いわゆるヘッドハンティングってやつか!」

 俺の合いの手に、奥の女もさすがに眉を顰めていた。気分が良いぜ、ざまあみろ。

 俺は上機嫌で口を開く。

「悪いな、ネタはもう上がってるんだよ」

「……目的は何だ」

 内臓を握り締められているような声で親父さんが言った。

「なあ、俺はさっき聞いたよな? “こいつが何をしに来たか分かるか?”って」

 言いながら、隣に視線を遣る。つられて親父さんも、奥の女もマリカを見た。

 もうその顔に、おちゃらけた雰囲気は欠片も残っていない。

 三人の視線を受け止め、マリカはゆっくりと口を開く。

「守りに来たの」

 少女の小さく、しかしこの上なく力強い呟きが、静まり返った一室に響き渡った。

 誰も、何も言わない。

 親父さんの、ゴクリと喉を鳴らす音が響いた。

 緩慢な動作で口を開いたマリカは、再び宣告する。

「家族を、守りに来たのよ……!」

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