第3話 強さを知る者

 くして少年は相撲最強説を抱くようになったのである。


 ただ前述の相撲ブームの時とは違い、あからさまな行動の変化が直ぐに現れ出ることはなかった。かと言って、彼がこつこつ相撲の情報を収集したり、技術体系に関心を深めたりし始めたかと言えば、そういうこともない。ブーム後の彼は、相撲の放送を見ることすら基本的にしなかった。もう彼は誰でも知っているような番付上位の力士の名前くらいしか知らなかった。つまり、彼は相撲そのものへの関心を、ほぼ完全に失っていたのである。


 それでも、相撲最強説は彼の心の中に確かに存在していた。


 彼の相撲最強説は、論理や理屈に裏打ちされたものではなかった。それは彼にとって、ある種の神話だった。いや、神話と言えるような中身も何ら含有がんゆうしてはいなかった。いやいや、彼はそもそも中身など必要としていなかったのである。彼に必要だったのは「最強相撲」――ただこの一念だった。


 これこそが彼の相撲最強説の唯一の教義にして、絶対の真理だった。これを念じるだけで、少年は幸せな気持ちになった。口に出すようなことになると、もう彼は止まらなかった。アンストッパブルなのである。


 もっとも、ここでもブームの時とは違い、どこでもかしこでも自説を口に出すことはしなかった。と言うのも、彼はこのように考えていたのである。


――本物を見極められる人間だけが知っていればいい。真の強さを知る者だけが享受すればいい。相撲最強、この無駄のない教理。相撲最強、この甘美かんびな響き・・・


 これは一種の神秘主義である。しかし初めからこうしたスタイルを進んで選び取ったわけではなかった。むしろこの啓示を天下にあまねく告げ知らせたいという気持ちも、彼の中には存在していた。ただ現実問題として、同級生たちの間で相撲は大して人気がなかった。必然的に話題に上がることも少なかった。そういう時に勇んで話しても、周囲の反応は良くなかった。それどころかしばしば馬鹿にされることすらあった。


 そしてまたこの内向うちむきな姿勢は、他の格闘技と相撲との関係性にも由来していた。彼が最強説を抱いた時点では、相撲はまだ他の格闘技のように異種格闘技の舞台に上がってはいなかったのである。


 彼も無邪気な少年だったので、是非とも出場して相撲の強さを世界に証明して欲しい、アホどもに相撲の強さを知らしめて欲しいと夢想することはあった。しかし同時に出ない方が良いとの気持ちも彼の心の中にはわだかまっていた。決して相撲の強さを疑ったからではない。そうした場に上がらないことが、相撲の神秘性を高めてくれていることを、彼も直感していたのである。

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