ランペイジ!~国を跨いだ少女の騎士道物語~

杏仁みかん

プロローグ

#01:少女は敵に託された

 その日、墨をこぼしたような真っ黒な暗雲が一面の空をおおい、土は大雨でぬかるんでいた。晴れると見えるはずの南の霊峰れいほうも、今は拝むことができない。

 戦の焼けあとに、生き残った者はほとんどいなかった。土の中でくすぶった火種が今にも消えていくように、そこに残るほんの小さな生命も、消えゆく運命に従うしかないだろう。

 手を伸ばしても届かず、声に出しても誰もいない。例え聞き届けたからとしても、いずれ大地に還るだけの命を、誰が救うというのだろうか。


 その女性には使命があった。何としても死ぬ前に成さねばならない使命が。


 ――たった一度で構いません。どうか、奇跡をお与え下さい。


 そう願った時。わずかな瓦礫のすき間から白く輝く何かが目に映った。

 天使だ、と彼女は喜び、同時に、悔しさの余り、涙を流した。


 ――あぁ、お迎えに来るには早すぎます。もう少しだけ、私のわがままをお聞き届け下さいまし。



 † † † † † † †



 それは、見事なまでに白く輝く体毛を持ち、獅子にも似た体躯の大きな獣と、その背にまたがう一人の騎士だった。

 騎士は傷だらけの銀の甲冑に身を包み、頭には血で汚れた包帯が巻かれている。三十を半ばも超えた、長身の男だ。戦士としてはまだ若いが、その表情にはいくつもの戦を切り抜けたたくましさと、いくつもの生と死を見てきた、哀しみに満ちた目を持っていた。


「虚しいものだな、戦というのは」


 長身の騎士は獣に話しかけるように、その立派なたてがみをそっと撫でながら言った。


「もう、誰も……いないのか……?」


 彼は獣から飛び降り、まだ火が燻っている戦場を見渡した。少し前までは戦とは関係のない人たちが住んでいた村だったというのに、争いを終えた今は両軍共に撤退し、争いの傷痕だけがそこに残されていた。たった一夜にして滅んだ平和な村が、今は建物の残骸と家畜、人の死体が転がる地獄絵図と化している。


(彼らに罪はなかった。救いを求める声すらも、黙らせてしまったのだ。……我々の、このけがれた手で)


 騎士は獣の手綱を引きながら、一歩ずつ罪の重さを数えるように重々しい足どりで進んでいった。


 無事な家など、一つもなかった。時が経てば、この村は廃墟になり、誰の記憶からも失われてしまうだろう。人が死んでいったことさえも……。


 ふいに、獣が耳を立てて鋭く吼えた。


 騎士は何事か、と視線の先を見つめた。

 家の跡だろう。瓦礫となった場所に、わずかだが人の気配を察した。


「誰かいるのか!?」


 返事はない。そのかわりに、いくつも積み重なった瓦、柱、壁の破片といった瓦礫が、なんと一瞬にして空高く吹き飛んだではないか。

 一体、何が起こったのか。人の所業ではない。騎士は剣の柄を握りしめながら、注意深く瓦礫のあった場所を見つめた。


「……なっ!?」


 そこにいたのは怪物などではない。細い両手を空高く突き上げて立っている幼い少女と、血を流して倒れている女性の姿。

 少女は力尽きてくたりと倒れ。

 間もなくして、遠く離れた場所に浮き上がった瓦礫が次々と落下した。


「これは……何ということだ……!」


 不可思議な力には疑念を持ったが、まずはそれどころではない。騎士は急いで駆け寄り、二人の容体を確認した。


 子供の方は細かい擦り傷や切り傷、おまけに火傷による怪我まで負っていた。酷い怪我ではあるが、急いで治療をすれば助かるかもしれない。

 母親と思われる女性の方は、瓦礫の破片でも突き刺さったのか腹から大量に血を流していて、顔はすでに青ざめている。一目で見ても助かりそうになかった。


「ご婦人、しっかりするんだ!」


 女性は閉じていた瞳を開くと、虚ろな視線を宙に向け、乾いた声で尋ねた。


「誰か……そこにいるのですか……?」


 「ああ」と騎士は答えた。

 女性はほっとしたような息をもらし、そばに倒れている少女の手を握りしめると、騎士に差し出すように持ち上げた。


「どうか……この子を……お助け下さいませ」


 騎士は膝をつき、横向きに倒れた少女を背中から掬うようにして抱えた。

 思ったよりも軽く、やせ細っている。先程の光景が見間違いでなければ、どこにあのような力があったのだろうか。


「私はもう……長くありません……どうか、その子を……お願いします」


 騎士は口をかたく結び、困惑したた表情を宿した。

 か弱き命は助けるべきだ。しかし、その後のことはというと、約束するには難しいことだ。


 騎士は少女を傍らの冷たい土の上にゆっくりと寝かせると、胸に拳を当て、頭を垂れた。


「ご婦人。私はアルドレア国の騎士、サイラス・ウッドエンドと申します」


 彼は、こんな時でさえ礼節に則り、きちんと名乗ることを忘れなかった。


「その子を私に預けるということがどういうことか、貴女にはお分かりなのですか?」


 母親は微笑み、かろうじて頷いた。


「……子供に……罪はございません」


 彼女は絞り出すような、しかし、力強い声ではっきりと告げた。


「例え、敵国に魂を売ることに……なろうとも……、その子はきっと、正しい道を選択してくれると……信じております……」


 震える手がそっと差し出される。騎士は両手で包み込むようにして、その手を握った。堅くて荒れている。紛れもなく母親の手だ、と騎士は思った。寒さに耐え抜き、子を育ててきた証がそこにある。


「お優しい騎士様」


 母親の目には、既に光が失われていた。


「……最期に貴方にお会いできて……本当に良かった」


 その瞳から涙があふれ、乾いた瓦礫の上に落ちた。

 じゅっと音を立てて蒸発する涙に目を向け、騎士は下唇を強く噛んだ。


「ご息女は、私が必ず正しい道へ導きましょう。例え貴女の国とは敵同士であろうと、この子が自ら正しい道を切り拓けるよう、命を賭してお守りいたします。……ですから、どうか…………どうか、安らかにお眠りを」


 母親は柔らかい微笑みを見せ、眠るようにまぶたを閉じて息を引き取った。その手から、すっと力が失われる。

 騎士は手を組み、母親に祈りの言葉を捧げた。


「……どうしたものか」


 騎士は改めて少女の方を振り向いた。

 すっかり汚れ、乱れてしまったが、見事な金髪の少女だ。肌は白く、手も真っ白で柔らかい。それに、痩せた土地のとても貧しそうな村だというのに、着ている服はそれほど粗末でもないのが不思議だった。


(まるで、身分を隠しているようだな……)


 この子が目覚めれば、明らかになるだろうか。考えながら、少女を自分のマントで温かくくるむと、白い獣の背に乗り、少女を抱えるようにして前に乗せ、全速力で走らせた。


 ――故郷、アルドレアへと。

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