第16話 翠色の光

 建設途中のビル内で行われている、オニごっこ。

 オニとして逃げているのは、神さまと菩薩ぼさつさま。追いかけているのは、亡者と霊魂。

 なにやらおかしげな展開になっていた。


「ただいまお二階で、逃走中でーす」


 一階から上がってくると、広々としたフロアが広がっていた。そのまま三階へ上がれるのだが、オニごっこをしているのなら、このフロアを走り抜けてフロアの反対側にある階段を使わなければならない。サクラはそう決めているようだ。

 息切れすることもなく、スキップするように走っている。

 胸元のリボン、スカートの裾がリズムをとるように揺れていた。


 二階ではフロアには積まれた建材等が見当たらなくなり、打ちっぱなしのコンクリートの床、壁、柱、天井だけが視界に入る。

 神の使い犬であるジンタもすっかり諦めたのか、サクラの横で舌を出したまま、四肢を一生懸命に動かしている。


「神よ、あなたといると、こちらまで楽しい気分になってくるよ」


 エンマは鼻唄まじりで声をかけた。


「わーい、そう言ってもらえると、わたしも嬉しいーなー」


 まったく緊迫感の無い二人であった。


「ところで、いったいどこまで逃げたらゴールなんだい?」


 エンマの問いに、サクラは駆けながら、うーんとうなる。


「どうしよっかなあ。遠い昔にやった時は、女の子が途中で疲れちゃって動けなくなるまでだったのよね。

 でも、いま追いかけてきているヒトと緑のおにいさんは、疲れないみたいだからなあ」


 眉間にしわを寄せている表情を垣間見て、エンマは言った。


「捕まったら、喰われちまうかもしれねえしさ。

 つーか、マジでヤバイから、とにかく逃げまくろうぜいっ」


「はーい!」


 サクラは元気よく手を上げる。


 湿った音をたてながら、階段をすべるように亡者が上ってきた。

 亡者は強烈な飢餓感を、その腐り果てた本能が抱いていたのだ。

 地獄から、天草の導きによって地上まで逃げ出し、そして人肉に貪りついた。

 生きた人間の皮膚を噛み破り、温かい血をすすり、肉を咀嚼した。

 生前の記憶、三途の川さんずのかわを渡る前の覚えなどとうにない。あるのは地獄で味わった想像を絶する痛み、苦しみ、悲しみであった。

 その苦悶が、ヒトを喰らうことによって消えたのである。

 思考する脳みそなどは焼かれてしまってないのだが、本能が残っていた。

 人肉を吸収することにより、眠っていた本能が覚醒したのだ。

 一度味わってしまうと、もうそれなしではいられない。ヒトの血肉は麻薬であった。


 しかも、わずかながら本能以外に知能が甦ろうとしている。

 これが天草あまくさの実験その一であったのだ。

 亡者は骸骨のような口元を大きく開き、サクラたちを追いかける。

 その後ろから、笑いを堪えるかのような顔つきで天草も走ってきた。


「逃げればいいさ。どこまでも亡者は追いかけるよ。私がついていれば、たとえ閻魔えんまであろうと邪魔はできぬはず。

 すでにここの内部は、常夜とこよの世界を模したからね。

 疑似空間といえど、そんなに簡単には破れないさ。クックックッ」


 壁にそって四角く切り取られただけの窓用の間口から、防音幕を通して周囲の明かりがフロアに入ってくる。

 その光の中で、ひときわ強い輝きがあった。


 奇怪にまたたく、緑色。

 夜空に張り付いた満月が、ドロリとした膿を流したような翠色すいしょくの光を地上にふりそそいでいた。


つづく

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