龍と人が催す、終わらぬ贄食の宴

トファナ水

第1章 薬売りの女

第1話

 ここは街道から分岐した脇道の終端に位置している、総勢五十戸程の小さな農村である。

 元は農地を継げない冷や飯食いが開拓に入って興した集落なのだが、水源を人工の溜池に頼っている為に田畑を広げる余地が乏しく、現状の規模に留まっている。

 ここより先は、誰一人住んでいない未開の土地だ。

 百姓達が畦に腰掛けながらの粗末な昼食を終え、野良仕事に戻ろうと立ち上がり始めた頃。遠くから、車輪らしきガタゴトという音が響いて来た。


「牛車かのう、どこぞの商人かね」

「それにしちゃ、随分と音が早い様な…」


 自給自足の農村ではあるが、自給出来ない生活必需品は外部から購う必要がある。

 そういった需要を満たす為、この様な村にも、月に一、二度は商人が訪れる。

 代価は、副業として百姓の女房達が織った布や、編んだ草鞋といった工芸品との物々交換が主だったが、最近は貨幣を介した取引に置き換わりつつある。

 また、商人は他の地域の風説を伝える情報源でもあり、村にとって歓迎すべき来訪者であった。

 百姓達が音の方向に目をやると、徐々に荷車の姿が見えて来た。

 荷車は箱形で、貴人の乗る牛車に近いが、装飾の類は全くない。また、荷車を引いているのは、牛ではなかった。


「うへっ、ありゃ馬か? 随分とでっけえ!」

「馬に牛車を牽かせるなんて、聞いた事ねえ!」


 この時代の和国において、荷車の牽引は専ら牛が行っていた。馬は主に武士階級が使う騎乗用の家畜である。

 荷役に使う場合もあるが、荷は直接馬の背にくくり、荷車を牽かせる事はない。

 荷車を牽いている馬は巨大で、牛並の大きさだった。馬としては鈍重そうで早馬にはとても使えそうになかったが、それでも牛よりは遙かに歩みが早い。


「馬方がいねえな?」

「よく見れ。荷車の前に腰掛けとるのがそうじゃろ」


 荷車の前に乗った人物が、手綱を取っているのがわかる。

 通常、荷車を家畜に牽かせる場合、手綱を取る御者は先導して歩くのだが、この荷車は前部に腰掛けがしつらえてあり、御者はそこに座っている。


「ありゃ、戦に使う様なもんかいのう」

「もしかして、野盗の襲撃でねえのか?」

「庄屋様を呼んで来る!」


 百姓達に不安が広がる中、その内の一人が、高台にある庄屋の屋敷に駆けていった。

 程なくして、この村の庄屋を務める初老の男が、百姓に連れられて来た。万一の事を考えて、庄屋は腰に刀を携えている。数名の百姓も、武器代わりに鍬や鋤を手に構え、彼等は村の入り口で荷車を待ち構えた。

 荷車に乗っていたのは、御者の若い女一人だった。

 市女笠を被った壺装束という出で立ちで、武家の女の旅姿に近い上等な身なりだ。体格は細身でやや長身。

 青白い肌の色は屍の様だが、肌の艶や張りはしっかりしているので、生来の体色と思われる。肌の色とは対照的に血の様に紅い唇も、女の健康ぶりを示していた。細長く鋭い切れ目が、隙のなさを伺わせる。


「何かあったのかい?」


 女は待ち構える百姓達の前で荷車を止めると、不思議そうに首を傾げながら問いかけて来た。


「最近は何かと物騒でな。お前さん、一人かね?」

「そうだよ。見ての通りさ」

「荷は何かのう?」


 庄屋が荷車の中身に目をやると、幾つもの樽や木箱が積まれている。


「商品さ。後、あたしと馬の食い物だね」

「商品という事は、荷役ではなく行商人かのう。ともかく、馬なんて、専ら戦に使う物とばかり思っておったでな。てっきり、野盗の類かと思ったんじゃよ」

「ふふ、女一人じゃ何も出来やしないよ」

「その女一人で旅とは、肝が据わっておるのう」


 女の言い分は矛盾していた。

 抵抗力のない女一人で旅をすれば、たちまち野盗の餌食になりかねない。しかも、女は全くの丸腰に見えた。


「それにしても、守り刀の一振りも持っておらんとは。剛胆を通り越して無謀じゃな」

「無駄な物は持ちたくなくってね。それに、きっちり筋は通してるんだ。あたしの様な稼業の者を襲ったら、地の果てまで追いかけられて始末されるって事は、無頼者でもみんな知ってるからねえ」

「もしかしてお前さん、伊勢の薬売りかね?」

「解るなら話が早いね。こいつが鑑札だよ」


 女は庄屋に、懐から取り出した鑑札を見せた。庄屋はそれを手にとって改める。


「…本物じゃな」


 伊勢は、村のある尾州の隣州で、勢州とも呼ばれる。

 和国中の神社を総括し、皇家とも関係の深い伊勢の神宮の社領で、薬種商の拠点の一つとしても知られている。

 各地を行商して巡る薬種商は、伊勢の業界組織である”薬座”の鑑札さえあれば、州境の関所は容易に通行出来、通行税も取られない。

 医薬品の流通は死活問題に直結する為、薬種商は特に保護されていたのである。

 領内で薬種商が殺されれば、草の根を分けても下手人を捕らえて罰しなければ、薬種商が来なくなって、統治にも支障を来しかねない。

 女の自信はそこから来ているのだろうと庄屋は納得し、怪しい者ではなさそうだからと、警戒する百姓達に仕事へ戻る様に促した。


「失礼したのう。儂はこの村の庄屋を務めておる者じゃ。まずは屋敷においで下さらんか」

「それじゃ、商売やらの話はそちらでしようかね」


 女は庄屋の先導で、彼の屋敷まで荷車を走らせた。

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