第46話

「うわ、大変だったんだね……毎日徹夜だったんじゃない?」

「そ、そこまでじゃ……色々なところを巡って、有意義に過ごせたよ」

「いいなー、私も海外行きたーい……」

「で、でも私も星野さんが羨ましいと思うよ。色々な生徒や先生と一緒に過ごせて……」

「いやいやー、大変だよ?会議中に居眠りするなとかスマホするなっていつも注意されてばかりでさー」

「そ、それは仕方ないよね……?」


 久しぶりに直に会っての会話という事もあり、私と星野さんは思う存分話を弾ませ続けた。残りの2人はまだ来ないという事もあり、今まで溜めていたものを発散するかのように様々な内容を出し合い、楽しい時間を共に過ごす事ができた。


 学生時代からの親友である星野さんは、なんと今は学校で校長先生をしている。翌日に控えている私の学生向けの講演会を行う、あの学校だ。不思議だけど楽しかった日々から長い月日が経ち、私もすっかり教授としてあちこちを巡ったり研究したりと忙しい日々を過ごしているけれど、同じように毎日忙しいはずの星野さんは昔とあまり変わらない、明るく綺麗な笑顔と外見をしていた。いや、昔以上に綺麗になっているようにも見える。

 会議など様々な仕事で忙しいけれど、でも毎日がとても楽しい、と言う彼女の姿勢に、きっとその秘密があるのかもしれない。ずっと苛めの対象だった頃の私を気にし続け、引っ込み思案だった私に積極的に話しかけてくれた、その気さくさやリーダーシップぶりは、今でも健在のようなのだから。


 ただ、そんな星野さんの方は、昔と変わらず私の事を羨ましい、と言ってくれた。自慢したり天狗になりたいというわけではないけれど、こうやって自分の事を無条件で認めてくれる親友がいると言う嬉しさを、私は改めて実感していた。


 そんな感じで会話を続けていると、慌てたようにこちらに向かってくる2つの足音が聞こえた。失礼ながら私と同じように年相応の外見になってしまったけれど、その口調や姿勢は、懐かしい昔と同じようだった。


「遅ーい!明日から挨拶当番だから!」

「えー、酷いぜ校長先生!」


 星野さんと昔からのやり取りを続ける三神君と――。


「ごめん、準備が遅れちゃって……」

「わ、私は大丈夫だよ……」


 ――外見に貫禄がついたような感じの、白柳君である。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 あの学校で同じクラスとなり、一緒に勉強したりさま座万行事をすごし、不思議な縁を結ぶ事が出来た私達4人が、まさかそれからずっとこのように良い付き合いを保ち続けるなんて、誰も思っていなかった。全員とも昔とは全く違う生活を送り、学生時代とは違う考えや想いを有しているかもしれないけれど、その奥底にある心は、星野さん同様に誰も変わっていなかったのである。

 

「「「「かんぱーい!」」」」


 でも、今の私たちは既に成人。何も気にする事無く、思いっきりお酒を飲むことができる年齢だ。とは言え私や星野さんは明日の事もあるのでそこまでたくさんは飲めないけれど。


 のんびりと町中を散歩した後、私たちは早めに予約していたバーにお邪魔し、皆で夕食がてら思う存分話をする事にした。とは言え、度々メールなどで話題を交換し合う事も多いので、今回もその延長線のような感じになった。プチ同窓会と言うよりは、まるで合コンみたいな感じだ、と三神君が言ったのはそういう理由かもしれない。

 三神君が相変わらず奥さんの尻に敷かれて喧嘩が連勝連敗な事、専業主夫になった白柳君がまた新しい掃除のコツを掴んだ事など、他愛も無い様々な話で盛り上がるうちに、次第に話題の中心は自分たちが初めて出会い、一緒に学んだ学生時代へと遡り始めた。


「俺たちの代の事務の先生って今も元気なのか?」

「うん……この前会ったけどまだ元気だよ」

 

 教師を引退した後も、昔通りの豪快な性格のまま田舎で元気にやっているそうだ、と私は皆に伝えた。勿論、私たちの担任――最初の先生ではなく、あの事件で代理にやって来てそのまま新担任となった先生の方も、今も変わらず元気である。

 あの人たちが歳を重ねながらも賑やかに日々を過ごしているのは簡単に想像できる、と皆で笑い合う中、白柳君からもう1『人』、自分たちの学生時代に欠かせない思い出の存在にして、私にとっては絶対に忘れる事のできない大事な存在の名前が挙がった。あの飼育小屋で飼われていた、ブタさんである。


「結局あのブタ、どうなったんだろう……」

「本当だね……」


 星野さんと同じように、私も疑問を投げかけた。



 私たちが最後にあのブタさんを見たのは、学校を卒業した後、自分の将来の夢に向かって歩むために故郷の町を去る前日であった。準備が忙しくなる中、時間を見つけてもう一度、今度こそ最後の挨拶をするために学校を訪れたと言う訳である。

 でもその時の私は一切涙を流さなかった。最後まで笑顔で、ブタさんに向けて様々な話をする事が出来たのである。残酷な事を考えていたわけではない、別れる悲しさ以上に、新しい段階へ進む事に対する勇気の方が上だったのである。そしてブタさんもまた、悲しそうな声を出す事無く、私を後押しするかのように元気な鳴き声を返してくれたのである。

 人間の言葉を使って話を盛り上げる事はあの日以降一切できなくなったけれど、私とブタさん――いや、イケメンさんは最後まで恋人として過ごす事ができた。それだけで、私はとても幸せだったのかもしれない。



 そして、私たちが卒業して数年の月日が流れ、星野さんが教師を目指すために教育実習で学校を訪れた際、そこには私達の知る事務の先生はおらず、ブタさんもまた姿を消していた。幸い転勤した元の事務の先生との連絡は取れたものの、ブタさんは事務の先生と最後まで共に学校に居続けていたようで、ブタさんがあの後どうなったのか、どこへ行ってしまったのかは現在も一切の情報が無いままである。


「どこに行っちまったんだろ、あのブタ……」

「忘れようとしても忘れられないよね」


 私以外の三人にとっても、飼育小屋での大変だけど楽しい掃除の時間を共に過ごしたブタはかなり印象深く記憶に刻まれていた。だからこそ、こうやってその話題で盛り上がり、その行方を各自で色々と考える事が出来るのかもしれない。


「流石に肉にされた訳は無いよなー」

「あの歳じゃ無理でしょ。多分牧場かどこかに貰われたんじゃないの?」

「私もブタさんは幸せに過ごしたって信じたいな……」


「そうだよね、丸斗さんにとっても大事な存在だったからね」


 一番扱いが慣れていたから、と言う白柳君の言葉に、私はお酒のせいではなく恥ずかしさから顔を真っ赤にしてしまった。秘密の初恋が絡む話題になると、相手にその気が無くとも私はつい慌ててしまう。でも、きっとブタさんはどこかの広い草原で走り回り、暖かい藁の上で静かに眠る、幸せな日々を過ごしたのだろう、と私はずっと信じている。



「……それにしても、随分俺たちの周りは変わったなぁ……皆は昔のままなのに」


 ジョッキでビールを飲み干しながら、三神君はこんな言葉を口から漏らした。

 確かに、こうやって会うと私達は昔に戻ったかのように様々な話で盛り上がり、色々な楽しみを一緒に共有する事ができる。でも、その共有する楽しみを提供してくれるものや、話の中で取り上げられた様々な事柄は、もう私たちが学生の頃とは様変わりしてしまっている。

 その私たちの学校は、今でも昔と変わらない場所に建ち続け、多くの生徒が通い多くの先生たちがそれを支えている。だけど、その雰囲気は私たちが通っていた頃とは全く違う、と星野さんは語った。校長になる遥か前、新人教師時代に教育実習で訪れた時に、もうあの場所は自分たちが学生気分で入ってなじめるような場所ではない、と察してしまったと言う。馴染みの先生も僅かしか残っておらず、学生たちから感じる視線やオーラのようなものも、既に全く違っていた、と。勿論、ブタさんの影も形も、今の学校からは消えうせている。


 バーで話を弾ませるこの四人を囲む環境は、確かに昔と大きく変わってしまった。

 でも、もしかしたら一番変わったのは――。



「ただあのままずっと俺たちがいた頃のままじゃ不気味だぜ」

「でも、やっぱり問題とかも多いのかな……僕たちの頃みたいに」

「そうだろうねー。どこの学校も、抱える問題はいつも似たような感じだし」



 ――三人の言葉に、ただ頷いてばかりの私自身の周りなのかもしれない。


 恥ずかしがり屋で引っ込み思案、教室の隅でただ勉強をする姿ばかりだった私――丸斗敦子が、まさか学術誌に名前が載るほどの存在になるとは、いくらそれに憧れていた昔の私でも思いもしなかった。今でもたまに、自分の状況が夢ではないかと疑ってしまう時もある。勿論そんなはずはなく、私の家の中には研究に用いた文献やこれから行う発表に向けて纏めた資料が置かれている訳なのだけど。


 ところが、そんな事を考えていると、突然三神君が私に近づいて言った。一番変わっていないのは、敦子なんじゃないか、と。すぐにそんな事は無い、と私は否定してしまったけれど、他の二人も同じような意見であった事に私は驚いた。


「いやさ、てっきり凄い教授になって、俺たちにはもう手の届かない場所に行っちまったんじゃないかって思ったんだよ。でも良かったぜ、会ったら全然昔のまんまだもんな!」

「あ、ありがとう……でも……」

「『でも』は言わないほうがいいよ。せっかく僕たち、こうやって昔に戻っているんだからさ」


 白柳君の忠告を聞いた途端、私は三神君の言葉の意味がはっきりと分かった。

 こうやってつい『でも』と消極的な考えに陥ってしまいがちな所は、昔の私となんら変わっていない悪い癖だ。今でこそ様々な研究を行うときにはそのような事を考えず、失敗しても次の手段を事前に考えるなどの対策を練ったりはしているけれど、やっぱりこうやって気兼ねなく話せる友達と会うと、そのような化けの皮のようなものはすぐに剥がれてしまうのかもしれない。ずっと昔、イケメンさんから何度も同じように注意されてしまった頃と同じように。

 それでも、ここで消極的で悲観的な考えになってしまうと、話から楽しさが失われてしまうし、お酒も美味しくなくなってしまう。私は素直に皆の考えを受け入れる事にした。



「……と言うか、敦子よりも私は随分変わったと思うけどなー。今の私は校長だよ、校長」

「え、そ、その……」

「でもお前どうせ肩書きだけ凄くて、普段は生徒に悪戯したり大事な会議で居眠りしたりしてんだろー」

「そ、そういうあんただって奥さんに……」

「だー!それは言うなー!」



 そういえば、星野さんと三神君が正直に思いをぶつけ合う口喧嘩も、久しぶりに聞いた気がする。

 急に賑やかになった中央の席を見つめながら、私は白柳君と苦笑いを交わした……。

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