第9話

「……」

「……」


 図書館の近くにあるベンチの上に、私とイケメンさんは一言も話さないまま、静かに並んで座り続けた。傍目から見れば、どうしてこの二人が一緒にいるのか、不思議に思ってしまうかもしれない。片やテレビから飛び出したアイドルを思わせる、不思議なイケメンさん。片や学校でずっと悲観に暮れ続けていた、小太りで眼鏡な『ブタ子』。イケメンさんと仲良くなり、今までずっと話している中で消えていたはずの劣等感が、再び私の中に現れてしまっていた。


「あの……」


 最初に声を出したのは私のほうだった。でも口から出たのは、先程の涙を謝る言葉だった。

 今もまだ、私の大きな頬には大粒の涙の跡が残っていた。イケメンさんからは気にしないで欲しいと優しい言葉を告げられたけど、どうしても私のほうは申し訳ない気持ちが残ってしまっていた。突然道の真ん中で、声をかけた人が泣き出してしまっては、誰だって驚いて慌ててしまうに違いないだろう。

 でも、イケメンさんは優しく、そして暖かい口調で私に笑顔を見せてくれた。

 

「さっきも言っただろ?気にしなくても大丈夫だって」

「で、でも……」


 そんなに優しくしても、心の中では私の事を見損なってしまったんじゃないか、と私は心の中でだけ呟いた。こうやって二人っきりになれたのに、私はずっとネガティブな心を引きずり続けていた。どうせ私は『ブタ子』なんだから、と言う気分が、心の中を包み込んでいた。

 でも、イケメンさんの反応が他の人たちとは何かが違うことを、私は少しづつ気づき始めていた。


 お父さんやお母さん、先生と言った、私の事を守ってくれたりお世話をしてくれたりする人は、私が何か傷を負ったり泣き出しそうになると、いつもその理由を聞いてこようとしていた。お父さん、お母さん、先生たちには失礼な意見かもしれないけど、私が理由を言うことで私が安心すると言うことのほかに、きっと私が理由を告げることで自分だけが守ることが出来る、と言う自負や自慢のような気持ちを感じていたのかもしれない。だから執拗に理由を聞き、それでも話さなかったら根負けと言う感じで諦めていたのだろう。


 でも、私の隣にいるイケメンさんは、私の涙の理由を一切聞こうとはしなかった。まるで、私の自由にしても良いと優しく諭しているかのように。


「……」

「……」


 本当は、ここで私は堂々と学校での仕打ちをイケメンさんに打ち明けるべきだったのかもしれない。でも、どうしてもその勇気が湧かなかった。もしここで誰かに告げ口したのがばれたら、さらに学校で酷い事をされるのではないか、と。私は何も言い出せないまま、再び二人の間に沈黙の時間が流れた。


「……そういえばさ」

「……どうしましたか?」

 

 ふと、イケメンさんが何かを口走った。気になった私は、上手い具合にイケメンさんの話術に引き寄せられたのかもしれない。その一言がきっかけになって、少しづつ二人の間の会話が蘇り始めたからだ。主な話の内容は、イケメンさんの友達がかつて経験したと言う出来事だった。私の涙を見て、ふと思い出したのだと言う。


「確か、あいつも凄い色々努力をしてたっけな、夢を目指して……」

「どんな夢……だったんですか?」

「ま、君と同じような感じで……あ、あれ、何だったっけ……」


 忘れてしまった、ごめんと苦笑いする彼につられ、いつの間にか私も少しだけ笑っていた。

 でも、その後にイケメンさんから出た言葉は、そんな風に笑っていられなさそうな状況だった。その友達は、ある時自分の夢を諦めてしまおうと考えてしまったと言うのだ。


「ど、どうしてですか?」


 一体何が起きたのか、と聞いた私に、イケメンさんは一息ついた後にその理由を教えてくれた。友達の心に、相当のプレッシャーがかかっていたと言うのである。


「原因は色々さ。友達から色々ときつい事を言われたり、父さんや母さんからも難しいんじゃないかって……」

「そんな……」


 周りから絶対にその夢は無理だ、と言われ続けながらも、イケメンさんの友達は必死になって夢に向かって邁進し続けていた。夢を諦めたら絶対にいけない、と心の中で唱えているように。その結果が、ボロボロになり、イケメンさんの所に泣きついてきた友達の姿だったと言うのだ。

 私は、そのような状況を不思議と知っているような気がした。無性に続きを知りたがった私は、少し必死な口調でイケメンさんにその後の進展を問いただしてしまった。


「す、すいません……」

「いいっていいって。

 その様子を見て、俺はあいつに言ったんだ」


 そして、イケメンさんの口から出た言葉に、私は驚いてしまった。友達に向けて、一旦夢から離れてみないか、と告げたと言うのだ。当然、私には信じられない言葉だった。夢を諦めるなんて絶対にいけない事じゃないか、と勝手に決めていた身として、私には目指している夢から逸れた道に進ませようとしているように聞こえてしまった。

 だけど、イケメンさんはしっかりその言葉の意味を教えてくれた。


「そいつは凄い疲れていたんだ。自分の夢を追い回すあまりにさ、その自分がボロッボロになっていたのに気づかなかった訳だ」

「そ、そうなんですか……」

「まぁね。だから当然、そんな事は出来ないってあいつは叫んでいた」


 夢を諦めるという言葉ばかりではなく、自分の夢を妨げようとしていた周りの人々や両親の言いなりになってしまう事を恐れていたと言うのも、イケメンさんのアドバイスを素直に受け取れなかった要因かもしれない、とその本人は思い返すように私に教えてくれた。

 それでも、イケメンさんは大事な友達がボロボロになっていくのを見過ごすことは出来なかったと言う。私の目には、イケメンさんの体が優しさで輝いているように見えた。そして、友達に投げかけたのは意外な言葉だった。ずっと通っていた学校を、『ずる休み』してみないかと告げたのだ。一体何故そんな事をするのか、そんな事をやっちゃいけないんじゃないか、イケメンさんの友達と私の抱いた疑問は、全く同じものだった。


「うーん、まぁ確かに『ズル』はいけない事かも知れない。

 でもさ、あんまり真面目すぎてガッチガチになると、気づかない間に体が動けなくなっちまうんだぜ?」

「た、確かに……でも、ズルなんて……!」


 そんな事、出来るわけが無い。友達の話のはずなのに、何故か私は必死になってイケメンさんの言葉を否定しようとし続けていた。多分、気づかないうちに私はある事に気づいていたのかもしれない。どうして彼は、その『友達』の名前を言わないままなのか、そしてどうしてこのタイミングで、『友達』の思い出を私に告げたのか。

 そして、イケメンさんは私の頭をもう一度優しく撫でてくれた。その暖かい感触は、頭だけではなく私の心にも伝わってきた。


「心配するなよ。

 夢って言うのは、案外のんきに待ってくれるもんだぜ?」


 その言葉は、友達ではなく、私に投げかけられていた。


 辛い時はその夢から一旦逃げたっていい。もしそれでも夢に向かって歩みたいなら、落ち着いた後にもう一度進みなおせば良い。きっと『夢』は笑顔で待っていてくれる。イケメンさんのその言葉を受けて、私の心を包んでいた氷が溶け始めていた。少しぐらい甘えても、それは決して悪いことじゃない。むしろこういう時にこそ、助けてくれる存在を頼るのが大事なのかもしれない。そして、それはイケメンさんばかりじゃない、お父さんやお母さん、そして学校にいる動物、ブタさんたちもそうである。


「ありがとうございます」

「どういたしまして。

 いやー、『友達』のことを言っただけなのにお礼言われちゃうなんてなー」


 そういいながら照れ笑いしているイケメンさんだけど、本当はその『友達』が隣にいる『ブタ子』……いや、一人の女の子の事かもしれない、いや絶対にそうだ。私は心の中で、そう確信していた。『友達』がどうなったのかと言う私の質問に、それは分からないとイケメンさんが返したのもそういう理由だったのかもしれない。これから一体どうなるか、それを決めるのは私自身だから。


 そして、改めて図書館の中で本を読もうと私がベンチから立ち上がろうとしたときだった。イケメンさんが、私に一冊の本を渡してくれた。その裏表紙には、この図書館の本であることを示すバーコードが貼られている。


「悪いけど、ちょっと俺の代わりに返してきてくれないか?」


 これから用事があるので、と謝るイケメンさんに、私は謝らなくても大丈夫だ、と返した。今までとは逆の立場になったと言うわけである。

 そして、表紙を改めて見直した私は、元の本棚に戻り次第この本を借りて、家でじっくり読んでみようと決めた。この本の中身は、私の大事な存在の一つである、学校にいる一頭の大きな動物についての専門書だったからである。




 正直、今振り返ると、私はここでも名前も知らない不思議なイケメンさんの正体について感づけたかもしれない。でも、この時はまだ、私は彼の言葉に違和感を覚えることは無かった。どうして私が夢を諦めようとしていたのを知っていたのだろうか、どうして私の学校生活を、ここまで詳しく知っていたのだろうか……。

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