第21話 夏だ!海だ!仕事だ…

例のごとく怪異調査の依頼が舞い込んできて、磯部衛の運転する車で現場へと向かう最中、再三繰り返されたやり取りがまたもぶり返していた。

「いや本当にお前は運がいいって。若返りだぞ?世の中の金持ち連中に知られたら、お前の血を啜ってまであやかろうってのが現れるかもな。」

「もうそれは何度も聞いたよ。大体いきなり10歳以上も若返ったら面倒なことばかりだぞ。」

若干からかうような口調の磯部衛のそんな言葉に、もう何度も言い返してきた俺としてはこのやり取りに飽きており、ぞんざいな口調もなる。


結局仙桃で若返った俺の体は若いままで、あれから何度か紅葉の恨みがましい小言を聞き続けるという苦行をようやく終えて日常生活に戻れたと思ったが、若返ったことによる弊害が徐々に浮き彫りになっていった。


商店街の住民は俺がこうなったのを知っているのだが、他の人はそうはいかない。

この前も仕入れ先に顔を出した時も、俺を見て不思議そうな顔をしていた人になんと言ったらいいのか困ってしまったこともあったし、今一番困っているのは免許証と顔が一致していないことだ。

写真写りで老けて見えるというのはよくあるが、俺の場合はそんなレベルを超えて年齢が違うのが分かってしまうくらい違いがあるのではないだろうか。

なので、最近は職質をされないかとビクビクしている俺の姿が逆に職質を受ける要因になっているのじゃないかというループ状態のなんだかよくわからない恐怖に駆られている。


「まだそんなこと言ってるの?なっちゃったものはしょうがないんだから受け入れなさいよ。」

後部座席から聞こえてくる若干呆れが混じった声の主は圭奈だ。

「そうよねぇ、大角君だって言ったじゃない。歳をとるよりはましだって。」

「それを言ったのは俺じゃなくて佳乃さんでしょうが。」

同調するような声の主は佳乃で、なぜか今回の仕事にはこの2人が同行している。

本来はここにもう一人、ハナまでもが加わる予定だったのだが、急な仕事が舞い込んできたせいで来れなくなったらしい。









そもそもの始まりはいつものように店の営業中にかかって来た電話からだった。

『―てわけで、調査に行くことになってるんだが、事前の情報があまり無くてよ。場所が海だけに関連する妖怪が多すぎて絞り切れなくてな。あとは現地で地道に調べるってことにしようぜ。』

「了解、んじゃいつもの感じで待ってる。」

通話を終えて視線を店内に戻すと、商品を物色中の圭奈と目が合い、音も無く近付いてくる姿に嫌な予感を覚えた。


「ちょっと、聞こえたわよ大角。海に行くのね。」

確かに電話の向こうでは磯部衛が行き先が海であることを話していたが、それをあたかも偶然聞こえたと匂わせる言い方は正確ではないな。

圭奈が電話越しの会話を聞き取るために集中していたのは俺にも分かっていたし、レジ横に置いてあるおもちゃコーナーを吟味する姿は違和感ありまくりだ。


「まあそうだけど…。言っとくが仕事で行くんだからな。」

「わかってるわよ。けど、男2人だけで夏の海に行くのって不健全だと思わない?思うわよね?」

圭奈のこの言い方には確かに思うものはあったが、こいつがこういう風な言い方をする時というのは、既に自分の中で決めたことを何が何でも相手に納得させようとしている時の特徴だ。

大方連れてけってことなんだろうが、仕事で行くのであって遊びに行くのではないのだ。


「何を言いたいのかわかるけどな、遊びに行くんじゃ―」

「あらいいじゃない。私達は勝手にするから仕事の邪魔はしないわよ?」

「おわっ!びっくりした~…なんですか、佳乃さん。なんで居間から出てくるんですか。」

圭奈と話していると唐突に後ろから佳乃が会話に加わりながら現れたものだから驚いてしまい、少々情けない声が出てしまった。

「なんでってお土産のお裾分けに来たんだけど、ついでにお茶を淹れてあげようかと思って。」

佳乃の手には急須と湯呑み3つにお土産と思われる最中が載せられたお盆があった。

しっかりと圭奈の分も用意しているところから、店内の人数は把握していたのだろう。


「…まあ別にいいんですけど、次からは一声掛けてからにしてくださいよ。」

「善処しましょう。はいどうぞ。」

「あ、手伝うわよ。大角、ちょっと脇にどいて。」

カウンターをテーブル代わりに、圭奈が湯呑みと皿を並べていき、佳乃がお茶を淹れて少し早めのおやつの時間となった。


一口お茶を啜ってから佳乃が持って来た最中を手に取る。

見た目は単純な円形をした普通の最中で、特に何か変わった点は見えない。

齧り付いてみると口の中に広がる甘さは期待通りなのだが、なぜか酸味も感じる。

普通、最中に酸味があるのはおかしくないか?


「…ジャム?まずくはないけど…これなんですか?」

齧った分だけ中身が見えるようになった最中の断面を見ると、あんことは違う赤黒いゼリーのような物体が垣間見え、視覚と味覚の両方の擦り合わせから一番近いと思われるジャムという答えに辿り着く。


「面白いでしょう?コケモモのジャムが入った最中なんだけど、東北の親戚がコケモモの栽培をしてて、少し前から最中にして売り出してるのよ。それを送ってきてくれたの。」

そういえばそんな親戚がいると聞いたことがあったが、正直これは失敗作だと俺は思うな。

最中という日本茶に合う菓子の中身がジャムでは、意外性を通り越して騙し討ちになりそうだ。


「ング…はぁ~…、面白いかどうかは別にして、俺はもう結構です。」

食べかけのものをなんとかお茶で流し込み、残りの分を佳乃の方へと皿ごと押し返す。

「えぇ~?折角持って来たのに…はぁー、本当に男の子って甘いものを食べないわねぇ。じゃああとは圭奈ちゃんにあげちゃう!」

「えぇっ!?いやぁ~…私もこれはあんまりいらないかなぁ~って…。」

圭奈も既に一つ食べており、もう一つと手が伸びないところをみると、俺と同じように口に合わなかったようだ。

その場にあった最中がすべて圭奈の皿に移されると控えめだが拒絶の言葉を吐かれ、それを受けた佳乃も強くは勧めることが出来ず、仕方なく一人で食べ始めた。


一つ食べたところで動きが止まった佳乃がお茶で口の中のものを流し込むのを見て、ああやっぱりなという気持ちになった。

「…うん、私もこれ以上はいらないわね。」

どうやら佳乃も俺達と同じ結論に至ったようで、最中の乗った皿をソッとカウンターの隅へと移動させた。

「煎餅ありますけど、出しましょうか?」

「そうね、頂けるかしら。」

居間の戸棚から煎餅入りの缶箱を持ってきてカウンターの上に置くと、口直しと言わんばかりにその場の全員が手を伸ばしていく。

何とも言えない空気の中でお茶の時間はゆっくりと過ぎていった。


「それで海へはいつ行くの?私も準備とかあるから早めに予定を聞かせて欲しいけど。」

「いや、いつ連れて行くって言ったよ?」

バリバリと煎餅を噛み砕きながら、さも海に行くのが決定したかのように話す圭奈につい反射でツッコむが、こうなった圭奈は何が何でも着いてくるだろうから半ば同行を認め始めているので、取りあえず磯部衛にこのことを聞いてみることにする。


「―てわけなんだけど、何人まで一緒に行けそうだ?」

『おいおい、遊びじゃねーんだぞ。大体そんなこと言うのはハナちゃんか圭奈ちゃんだろ?お前がそれを止めなくて誰が止めるんだよ。』

磯部衛にはとりあえず同行者の存在が許容できるかどうかを確認するための電話をしたのだが、当然のことながら仕事をしに行くのに遊び目的の人物が混じるのはあまりいい気はしないようで、渋る磯部衛の反応は予想できることだった。

吸血鬼である圭奈には携帯から漏れる音が拾えているようで、自分をハナと同列に扱う磯部衛の言葉に少し不機嫌そうな顔をしている。


「それって俺の役目なのか?けどまあ今回は「はいちょっと貸してねー。」―あ、ちょっと佳乃さん!」

電話越しに言い合う俺達に割り込むように携帯を佳乃に奪われ、スピーカー出力に切り替えられて3人の輪の中心に置かれる。

「もしもし磯部さん、佳乃です。」

『よよよ佳乃さんっ!?お久しぶりです!こちらは磯部英一であります!』

「知ってるわよ。」

「しっ、圭奈は少し黙ってろ。佳乃さんが説得するから。」

様子のおかしくなった磯部衛に圭奈がツッコむが、それを黙らせて佳乃に説得を続けてもらう。


「お仕事の邪魔はしないし、手伝えることならなんでもするから、一緒に連れて行ってもらえないかしら?」

『そんな、お手伝いなんて!どうせ俺達だけだったんですから、1人や2人増えた所で何も問題ありませんよ。それに仕事のことなんて気になさらず、どうぞ海を満喫してください。』

「さっき遊びじゃないって「圭奈、いいから静かに。」…むぅ。」

180度態度の変わった磯部衛に圭奈から鋭い言葉が飛び出そうとするのを何とか止めて、不機嫌そうな圭奈に棒付きキャンディーを手渡して黙らせる。

少し子ども扱いが過ぎるかと思ったが、素直に飴を舐めている圭奈は特に気にしていないようで安心した。


俺の意思がほとんど反映されないままに決まった佳乃たちの海への同行だったが、ハナは急な仕事で来れなくなったために、佳乃と圭奈の2人だけが同行者に追加されたのだった。








「見えてきたぞ。今回の目的地、『唄呼び海岸』だ。」

磯部衛の言葉に走行中の車の左側にある海岸線を見ると、かなりの長さの砂浜が伸びており、暑さに追われてきたかのような大勢の人でごった返していた。

そのまま進んでいき、臨時駐車場に車を停めて荷物を下ろしながら今回の仕事のおさらいをする。

「夜な夜な現れる巨大生物の調査と正体の看破、ってことでいいんだったな、磯部衛?」

「ああ。どれだけの日数かかるかわからないが、調査の間はボスが用意した旅館を使う。」

パラソルを担いだ磯部衛とクーラーボックスを持った俺が砂浜に降りていく。


世間は夏休み真っ最中で、イモ洗い状態とはこのことだろうというぐらいに人、人、人の群れに飲み込まれそうだ。

開いているスペースを見つけてパラソルを設置し、ベースポイントを作った所で佳乃と圭奈を待つ。

海についてすぐに2人は水着に着替えるために更衣室のある方へと向かったため、2人が来るまでは俺達が荷物の番をして、来たら交代で今度は俺達が着替えに行くという形になる。


「そういや俺達がどこにいるかってどうやって知らせるよ?」

磯部衛の呟きに俺もそう言えばと思い、どうしたもんかとお互いに顔を見合わせた。

「まあ大丈夫だろ。俺達を探しながら歩いて来ればこっちから見つけれるって。」

「あん?そりゃどういう意味だよ。」

俺の言葉の意味が分からない磯部衛は疑問符を浮かべたままだが、説明するよりもその時が来れば分かるとだけ言って待機する。


そうしているうちに遠くから男たちが上げるどよめく声が近付いてくるようだ。

「なんか騒ぎ声が近付いてきてねーか?」

「佳乃さん達がこっち来てんだろ。あぁほれ、あそこ。」

俺が指さした先では佳乃と圭奈が浜辺にいる男達から遠巻きに見られながら歩いている。

キョロキョロと周りを見ながら歩いている所を見ると俺達を探しているようだ。

後ろから着いてきている男たちはナンパ目的だろうか。

実際2人の水着姿はこの場にいる他の女性たちと比べてもとても魅力的に見える。


佳乃は白いビキニ姿で腰にトロピカルカラーのパレオを巻いていて、均整な体型にアップにした髪形から覗くうなじが色っぽさを引きたてている。

圭奈は黒いスポーツタイプ、セパレートの水着なのだが、元々胸の大きい圭奈は胸元が強調されて男の視線が集中していた。


「おーい!こっちこっち!」

手を振って俺達の存在をアピールすると、圭奈が俺の動きに気付き、隣を歩く佳乃に伝えると、佳乃が笑顔で手を振りながら近付いてくる。

それと同時に2人を遠巻きに見ていた男達からは嫉妬の籠った視線が飛んできた。

その視線の殆どは俺に向けられており、恐らく磯部衛よりも俺の方が年齢体格的に侮って見られているからだろうな。


「ちょっと大角、随分離れたとこに場所取ったじゃない。」

圭奈は自分たちが結構歩かされたのが気に入らなかったようで文句を言うが、こればかりは仕方ない事だろう。

「他に空いてるとこが無かったんだよ。」

「まあまあ、圭奈ちゃんったら。いくら大角君に早く水着姿を見せたかったからってそんなに怒らないの。」

「はぁ!?ちがっ…!別に大角なんかっ…!私はただ無駄に歩かされたのが嫌だっただけでっ…。」

不機嫌そうな圭奈の肩に手を置いた佳乃の口から飛び出した言葉に、突然しどろもどろになる圭奈の姿を訝しげな眼で見てしまう。


その視線に気づいたのか、急に俺の視線から逃れるように後ろを向いた圭奈の背中越しに僅かに見える頬が真っ赤になっている。

「あらあら、圭奈ちゃんったらかわいい~。どうかしら、水着の感想をもらいたいのだけど。」

「え?ああ、はい。そうで「素晴らしいです、佳乃さん!!」ぶぷぇ」

感想を求める佳乃に何かを言おうとしたところで、突然磯部衛が俺を弾き飛ばして佳乃に接近し、普段の磯部衛からは飛び出しそうにない褒め言葉を並べ立てるのを聞きながら、着替えの準備をする。

「おい磯部衛。とっとと着替えるぞ。」

「―真珠すら恥じて…あん?チッうるせぇな。わぁったよ。それじゃあ佳乃さんは少しの間ここで待っていて下さい。すぐに戻ってきますからね。」

「ええ、急がなくてもゆっくりでもいいのよ。」

笑顔の佳乃と、まだ俺と目を合わせない圭奈を残して更衣室へ行く。


男の着替えなんて時間のかかるものでもなし、早々に水着になった俺は磯部衛に声を掛けるが、何故か磯部衛はまだかかるらしく、俺だけ先に戻ることにした。

更衣室からベースポイントまでの距離は実際に歩いてみると中々遠く、これは確かに圭奈が不機嫌になるのも仕方ないかと思い、周りを観察しながら進む。


佳乃たちと違って俺と磯部衛は仕事で来ているので、あくまでも水着に着替えたのは周りに溶け込んで調べるために過ぎない。

こうして移動している間も何か得られる情報が無いかアンテナを張りながら歩いて行く。


そう簡単に怪異関連の情報が手に入るはずも無く、佳乃たちの所へついてみると、パラソルの下で休んでいる2人にしきりに声をかけている3人の男の姿が目についた。

どいつもチャラそうな見た目をしており、なれなれしく2人に話しかけているが、悉く無視されていることに苛立っている様子がありありと伝わって来た。


今この状況で2人に声を掛けるとあの3人に絡まれて面倒なことになりそうだと思って踵を返そうとしたところで圭奈が声を上げた。

「あ!大角、遅い!あんまり遅いから変なのが居座ってるのよ。追っ払って。」

俺の姿を見つけたことで声をかけてきたのだろうが、その内容がまた男たちの神経を逆なでするようなもので、俺の方へと振り向いた男たちの顔は不機嫌そのものといった感じだ。


「なんだお前、あそこにいる女達の連れか?なら丁度いいや。お前からあいつらに俺達のことを優しく説明してやってくれや。一緒に来た方が楽しめるってよ。」

近付いて来たリーダー格と思われる日に焼けた金髪のいかにも遊んでますといった男が俺の肩を組みながらそういうが、肩に回されている手にはかなりの力がこもっており、半ば脅しのような頼み方だなと思った。


チラリと元凶である圭奈の方を見ると、ニヤニヤしながら俺達のやり取りを見ており、その隣の佳乃も特に心配している様子はなく、興味ないと言わんばかりに自分の脚に日焼け止めを塗る手を止めていなかった。


―俺に押し付けたな

―そっちでなんとかしてちょうだい


視線だけで会話を交わして、俺に全てを押し付けて自分は高みの見物と言いう圭奈の態度に思う所はあるが、なるべく穏便に済ませたい俺としては取りあえず説得から入ることにした。

「あー君たちの気持ちは分かるが、あまり気のりしていない女性にしつこく迫るのは男らしくないぞ?他の落としやすいターゲットを狙った方がいいかもよ?」

「あ?俺はあそこの女を持ち帰るのを手伝えって言ってんだよ。上からもの言ってんじゃねー…ぞ!」

理性的な話し合いを心がけて言葉を選んだつもりだったが、何が気に入らなかったのか金髪の男が突然俺の顔面を殴り付けてきた。


暴力沙汰を起こしても不思議はないような人物だったが、思ったよりも沸点が低いのは既に圭奈たちによってイライラの蓄積が相当あったからだろうか。

殴られた俺がその場から数歩たたらを踏むように後退る姿を見て、残りの男たちのニヤついた顔がより深くなったが、次の瞬間にはその顔も困惑に変わる。

俺を殴った男がその場で膝を付いてそのまま倒れ込んでしまったからだ。


「…は?おい、どうしたんだよ。おいって、おい…うわっ!」

「なんだこりゃ!?歯がっ…!」

倒れた仲間を心配して仰向けにしたら、前歯が何本か折れている上に白目をむいて気絶しているとなっては動揺するのも仕方ないだろうな。


何があったかと言うと、俺が殴られた瞬間、手に持っていた小物入れの中から鎖の端が高速で飛び出して金髪男の顎を打ち抜いたのだ。

鎖が飛び出したのは、調査に際して身の危険を考慮して鎖自体に条件付けを行っていたからだ。

持ち主に危害が加えられた場合、攻撃を行った相手に鎖が巻き付いて拘束するのを設定したのだ。


今回は飛び出す勢いがつきすぎたのと、拘束する動きをする際の軌道に金髪男の顎があったのが悲劇の一端だった。

すぐに気付いて鎖を戻したので誰にも見られていないと思うが、少し鎖の動きの設定を修正する必要があるなと思わされた。


ちなみにこの設定の仕方だが、鎖をパソコンのUSBポートに差し込むようにすると接続され、パソコン内で自動的に立ち上がったソフトで行う。

神秘の道具の癖に現代機器との親和性が高いのに少し妙な気持ちになるが、便利なので文句はない。

…まじでこの鎖は何なのだろうか?


それはともかく、殴られた側の人間が普通に立っていて、殴った側が気絶するという訳の分からない現象に混乱しているが、やったのが誰なのかは明確なため、敵意を持って俺を睨んでくるのは自然な流れか。

さっきはつい体が動いてしまったが、今度は流石に怪我をさせるのはまずいかと思っていると、対峙した2人の様子が少しおかしい事に気付く。

どうにも俺の後ろを見て躊躇しているように感じられ、視線を辿ってみるとそこには海パン姿の磯部衛が立っていた。


「大角お前何してんだよ?そんな奴らほっといてとっとと佳乃さんたちの所に行くぞ。」

ちらりと気絶している男を見ても特に思う所はないようで、俺の背中を押して佳乃たちの所へと向かう。

ナンパ男たちは突然現れた大男が親し気に声をかける相手に殴りかかるほどの度胸は持ち合わせていないようで、気絶している男を担いで足早に立ち去っていった。


「佳乃さんお待たせしました!よろしければその…ひ、日焼け止めをお塗りしましょうか!」

「あ、たった今塗り終わったから大丈夫よ。」

興奮した様子で下心が透けて見える磯部衛の言葉を佳乃がバッサリと切り捨てる。

目論みが外れた磯部衛はあからさまに肩を落としている。

「あ、だったら俺の背中に塗ってくれよ。」

「うるせぇ!テメェなんかサラダ油でも塗ってろ!」

分かりやすい奴だな。


ちょっとしたアクシデントもあったが、荷物置き場に佳乃と磯部衛が残り、俺と圭奈が海へと向かう。

本当は俺と磯部衛が残って仕事の打ち合わせでもしようと思ったんだが、何故か佳乃が俺と圭奈を送り出そうとするのと、佳乃と2人きりになりたい磯部衛の思惑が重なり、こんな事態になっている。


「ちょっとー、あんまり揺らさないでよね。」

「波があるんだよ、少しの揺れは仕方ないだろ。」

何故か浮き輪に乗る形の圭奈を牽いて水深が深い所を泳がされている俺は、どうしてこうなったという気持ちが抑えられない。

「大体なんで俺が牽かなきゃなんねーんだ?泳げよ。」

「うるさいわね。私は無駄な労力を使わない主義なの!」


やけに力強く言い切る圭奈に、もしやと言う考えが浮かび、振り返って表情を窺うと、顔を赤くして不機嫌そうにしている様子から思っていたことが口をついて出た。

「…お前、さてはかなづちか?」

ビクッと肩を跳ね上げ、次いで肩をプルプルと震わせている姿は、恥辱に耐えているかのようだった。


吸血鬼の弱点に流れのある水を渡れないと言うのがあるのだが、それを考えると泳げないことは納得できる理由だし、普通に海に入れているのだから完全に伝承通りの弱点と言うわけではなさそうだ。

「…このことをハナにバラしたらあんたを殺すわ。」

「ははっ大袈裟な。いいじゃねぇか、泳げない位でそんな…え、マジで?」

俺を睨む圭奈の目は酷く冷たいもので、脅しが本気であることがわかり、冷や汗が噴出してくる。

有無を言わさない圭奈の威圧感に押され、命の危機を感じていると、不意に一際大きな波が起こり、浮き輪がひっくり返ってしまった。


「きゃああああぷは!っぱぁは!ぐぇへ死ぬっ…あっぷ!」

突然海に放り出された形になった圭奈は、パニックになって滅茶苦茶に暴れてしまっている。

普段の凛とした姿は影も形も無い。

「落ち着け!暴れるな!」

声を掛けるがバニック状態の圭奈には届かず、手脚を滅茶苦茶に動かしているおかげで正面から近づくのは難しい。


救助の基本に則って圭奈の後ろから近づき、脇の下から手を通して引っ張る様に泳ぐ。

すぐ近くに漂っていた浮き輪に近付き、圭奈をそこに掴まらせるとようやく落ち着けたのだが、よっぽど恐ろしかったのか圭奈は半泣き状態で浮き輪にしがみ付いて二度と離すまいといった様子だ。


そのまま浮き輪を引っ張って陸に向かい、足が付くくらいの水深になるとようやく安心したのか、圭奈が浮き輪から離れて浜辺へと上がって波打ち際までたどり着いたところで腰が抜けたようで、その場にへたり込んでしまった。


「圭奈、立てないか?背負って「うぇえええええん!あーぁあああぁあああ!」ちょ、いきなり泣くなよ!」

浜辺で大泣きする女のそばに男が立っていると、自然と非難の矛先は決まるもので、俺達を遠巻きに見ながら囁き合っている声が耳に届く。


―なにあれ、女泣かせて。

―サイテー。もげればいいのに。

―あれだけ可愛いのに何が不満なんだよ。


「違っ、…くっ、ほら圭奈行くぞ。」

「何事ですか!…んん?」

ひそひそ声が徐々に輪唱の様に広がっていき、居心地の悪さにその場を離れようとすると、別の女性の声が掛けられる。

声の主を見ると、どうやらライフセーバーの女性の様で、浜辺で騒ぎが起きていると思って駆けつけたようだった。


泣いている圭奈とその傍で立つ俺、この構図は駆けつけた女性からするとどちらに非があるのかを判断するのには十分だったようで、険しい顔をして俺の腕をつかんできた。

「少し話を聞きたいのであちらの方へ来てもらえますか?」

「いやいや!違うんですって!俺達は知り合いで―」

「それも含めて向こうで聞きますから。」

思いの外強い力で腕を引かれて連れて行かれそうになるのをなんとか食い止めようと圭奈に助けを求めようとする。


「圭奈!お前からも言ってくれよ!」

焦りから少し強い口調になってしまったのだが、それを聞いて更にかを険しくした女性が圭奈に優しく声を掛ける。

「あなた、大丈夫?酷い事されたの?」

俺が逃げないように手首をしっかりと掴んだまま地面に膝を付いて圭奈と目線を合わせると、目が合った圭奈が女性にしがみ付いて大泣きを始めてしまった。

「うぁあああんっ怖かったっ、怖かったよぉお。うぇえええええん!」

あかーん!!

誤解を10倍以上に増幅するその言い方はこの場では何よりの凶器ぞ!

あぁ…周りの視線が更にきつくなったのを感じる…。


「よしよし、大丈夫よ。もう大丈夫だから。」

抱き着く圭奈の頭を撫でながら俺に鋭い目を向ける女性の中では、恐らく有罪が決まったことだろう。

あまりの恐怖に幼児退行を起こしている圭奈に証言を期待するのも無理そうなので、ここは大人しく連行されようじゃないか。

俺も男だ、逃げも隠れもせん。

だからもう少し俺の手首を握る力を緩めて欲しい…。


女性が俺と圭奈を連れて監視員の詰め所らしき場所へと向かう間、あちこちから向けられる視線の冷たさと非難の囁きに晒されて、今すぐ死んでしまいたい気分になった。

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