3

 気がついたら、すでに四時の鐘が鳴り終わるところだった。

「やばっ!」

 ウィルダムは跳起きすぐさま教室を目指して走り出した。

 今までウィルダムがいたのは、学院の屋上。すなわち、三階の真上だったが、教室のある棟とは別の所だった。目的の教室までは普通なら十分近くかかる。それでも、ウィルダムは階段を半分以上飛び下り、全速力で走った。走りながらふと気付いて苦笑を漏らす。

 そこまでしても、彼は足音を立てていなかったのだ。ここまでくると、少しおかしな感じだ。ウィルダムは、どうも音を立てることを忘れている気がして妙な気分になった。

 少しすると目的の扉が見えてきた。ここまでの時間、約五分。通常の半分の時間できてしまっていた。それでいて、息を乱しているわけでもない。

 そして、ウィルダムは教室の扉を一気に開けた。

 開けると、立ち上がったキルリアの姿が目に入った。次の瞬間、教室の景色が反転した。

「……!」

 ごめんと言うつもりでいたウィルダムだったが、それに驚いて声にならなかった。今まで、教室だったその空間は真っ暗な闇と化していたのだ。そこにはただ一人、キルリアがぽつんといるだけ。

 ……いや、もう一人、闇に紛れるように黒衣を纏った男が立っていた。

「御迎えに上がりました、姫さま」

 そう、男が言ったきり、辺りに沈黙が降りた。

「……キルリア?」

 ウィルダムはキルリアの様子がおかしい事に気付いた。なにか、いつもの余裕がないように見える。しかし、こちらの声は聞こえていないようでキルリアは反応しない。思わず、ウィルダムはその空間に足を踏み入れてしまった。

「!」

 入った瞬間、まわりの空気が変わった。ねっとりと纏わりつくような暗い力が満ちている。途端に、ウィルダムは何とも言えないような恐怖を感じた。気分が悪くなる。

 一方、キルリアはその変化に気付いた。いやな予感がして、もともと扉が在った方を振り返る。そして、ウィルダムの姿を見つけた。

「……どうして」

 キルリアの呟きに男も反応した。そして、男の目がウィルダムをとらえた。男の視線を感じたウィルダムは、漠然とした恐怖を感じ、鳥肌が立った。

 それがわかったのか、面白そうに低く嗤うとウィルダムから目を離し、もう一度キルリアに問い掛けた。

「魔王陛下のもとに、城にお戻りください、姫さま」

(魔王……?)

 ウィルダムは恐怖に竦み、動かない体で考える。魔王ということは、すなわち、≪闇≫の王。つまり、ライトル王国と世界を二分する闇の勢力の頂点にいる人物である。

(その姫がキルリア……?)

 考えるだけで吐き気がした。いや、それはこの闇の力のせいかもしれない。キルリアは少し考えて言った。

「嫌だ、と言ったら?」

 その問いに、男は意外そうに答えた。

「本当にそんなこと言えますかな」

 キルリアは意味が理解できず、探るように男を見たが、男がちらりとウィルダムを見る仕草に顔色を変えた。

「姫さまなら分かるでしょう。私もやりたいわけじゃないんですよ」

 それでもキルリアが黙っていると、男は困ったように言った。

「やはり、少し見せしめが必要ですかね」

 そして、ふっとウィルダムの方へ片手をあげた。ウィルダムは何かわからずにいると、次の瞬間、急に体に負荷がかかった。突然のことにバランスがとれず、膝をつく。息苦しくなって呼吸が速くなった。

 そんなウィルダムをみた男はうっすらと笑いながら言った。

「どうです? 姫さま。帰る気になられましたか?」

「やめて、彼は関係ない!」

 今まで、焦りを表に出さなかったキルリアの態度が急に変わったのを見ると、男は楽しそうに言った。

「まだうなずいてはもらえませんか。なら……」

 男がウィルダムに向けたてを握る。瞬間、ウィルダムにかかる負荷が一気に増えた。

(息が、出来ない……!)

 ウィルダムは焦った。それでも負荷は容赦なくウィルダムを押し潰そうとした。膝をつくだけでは耐えられなくなる。ウィルダムは手もついて必死に支えた。

「やめて!」

 それを見たキルリアが血相を変えて叫んだ。

「わかりました。私が、帰れば良いのでしょう! だから、もうやめて!」

「わかってくだされば良いのですよ」

 男は手を握るのをやめた。すると、ウィルダムにかかる負荷が消えた。ウィルダムは反動で倒れ、激しく咳込む。

 それを見たキルリアはウィルダムに駆け寄った。しかし、ウィルダムに触れようと伸ばした手を、触れる寸前でビクリと動きを止めた。

「……キル、リア?」

 まだ、息が上がっているウィルダムはキルリアの様子がおかしい事に気がついた。動きを止めたキルリアはゆっくりと手を引く。

「……ごめんね」

 小さく呟いたその言葉は少し震えていた。ウィルダムはそんなキルリアを見上げる。

「本当にごめんなさい……」

 見上げたキルリアの瞳からは涙があふれていた。

「キルリア……?」

 それが何か理解できず、ウィルダムは呼び掛ける。しかし、答えが返ってくる事はなく、ただ、キルリアの紅い瞳から涙があふれていた。

「さぁ、姫さま。行きましょう」

 男が言う。キルリアはただうなずいた。

「……さようなら」

 新たな涙がキルリアの頬を伝い流れ落ちる。次の瞬間、男とキルリアはそこから消えた。

 後にはウィルダムだけが残されていた。やがて、空間は通常の教室に戻っていった。

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