第33話:「毛沢東、バカじゃなかった」

お前は今まであいつらと同じラインに立ったことなんかない。ただ孤立した高い地位からあいつらを管理しているに過ぎない。この事は、周恩来に対するお前の態度からも分かることさ。彼らはお前のことは友達とか、仲間だなんて思っちゃいない。ただのお前の道具ってだけだ。孫中山がお前に残した悪夢の名残を叶えさせるための、道具ってわけだ」

 蒋中正は「悪夢」という言葉を耳にすると、顔色を曇らせた。

 「中山女史の救国の夢が、いつから悪夢になったっていうんだ?」

 「私は別に中山女史の救国の夢が悪夢だなんて言ってるわけじゃないよ。お前が彼女の夢を誤解してるせいで、救国の夢を変質させ、その夢を追う連中までも変質させてしまっているって言ってるだけさ。今の国民党は孫中山が生きていた頃の国民党じゃない。各省の軍閥や北洋軍閥と同じように変わってしまっているんだ。ただその中の一頭が中原というこの大草原の中で、競争において覇権を握っている野獣だというだけでね」

 「私は中山女史の傍に長い間着き従っていたんだぞ。その私がどうして彼女の理想をはき違えるなんてことがあるんだ? 国民党は孫中山女史の指導される『三萌主義』に則り、国民に対して同一属だという認識を起こさせる『萌族』、新時代において各個人がその権利と義務を行使する『萌権』、それら条件の下で創造される新しい生活秩序である『萌生』を信奉し、それらはまた私自身の理想でもある。毛、私のどこが孫中山女史の夢想を誤解しているというんだ?」

 「だったら、お前は孫中山女史が推進していた『聯露容共』の「容共」という言葉の意味は分かっているのか?」

 蒋中正は毛沢東にそう問いかけられると、即座に、孫中山に対して「聯露容共」という思想に反対意見を出した当時のことを思い起こすことになった。

 孫中山が党内討論の中で「聯露容共」を推進するべきかどうかの是非を問うた際、蒋中正は反対する人間の列へと加わっていた。普段なら公然と孫中山の思想に反対することのなかった彼女にとって、これは唯一の例外だった。が、最終的に孫中山の独断という形で、「聯露容共」が推進されることが決定され、蒋中正も関連する政策を執行する他なくなっていたのだった。

 孫中山がこの世を去ってからも、彼女は孫中山女史の遺した遺産とも呼ぶべき政策を保護するため、公然とこの思想を翻すことはなかった。

 しかし、それは彼女が共産主義小組を認めたということを意味するものではなかったのである。

 「北伐には大量の金銭と、軍備、人間が必要になる。中山女史は戦争には多額の費用が必要になることをご存じだったんだ。彼女は革命の時代において、あちこちに対して支持者や賛同者を獲得するために奔走されている。『聯露容共』も、そういった中で生まれた方針の一つに過ぎん」

 「ふん」毛沢東は失望したようにそう溜息を漏らした。「お前がそんなに皮相な人間だとは思ってもみなかったよ」

 「無駄に挑発的な言葉遣いなどするな。言いたいことがあれば、直接言え」

 「私たち共産主義小組の抱える人間の数は確かに多い」毛沢東はそういって肩をすくめてみせた。「だけど本当に、中山女史が私たちを招き入れたのはそれだけが原因か? もし兵士を掻き集めるのが目的なら、彼女は血気盛んな連中を呼び込めばいいはずだ。どうして『聯露容共』なんて政策を声高に発布する必要があるんだ?」

 それらの疑問は、蒋中正が個人的に孫中山に対して問いかけていた疑問だった。孫中山もまた彼女にその考え方を答えていたが、蒋中正は沈黙を守ることによって、毛沢東が彼女の見解を示すのを待った。

 毛沢東は鼻を擦りながら、こういった……「中山女史は遥か遠くまで見通していたんだ。北伐に関してもそうだし、戦後の事についても計画を練っていた。北伐が成功すれば、国民党はいきおい、中国唯一の執政党となってしまう。統一を果たした時点で、もし国内政党が国民党一つだけになってしまえば、この一党専制の国家はどうなってしまうと思う? 中山女史は清帝の時代の苦しさから、絶対的な権力は絶対的な腐敗をもたらすことを学んでいたのさ。だから五権憲法を作った。監察院と立法院を設けて、政府を監察し、総統が独裁的な皇帝となってしまうことを防ごうとしたんだ。だけど、もしこれらの機構が国民党の手中に落ちてしまえば、これらが政府を監察するという機能は失われてしまうことになる。

 だから中山女史は私たちを選んだんだ。私たちを将来の新しい中国における野党になるように扶植した。そして西洋国家においてすでに両党制度が確立しているように、国民党による執政を監察し、国民党の腐敗を防止させるためにね。中山女史は『容共』によって私たちの存在を認めたけど、私たちに国民党へ『溶入』するようにとは求めなかった。これこそが『聯露容共』における『容共』の核心ってわけだ。

 北伐が成功し、国民党が中国を統一するその日がくれば、それは私たち小組が国民党以外の一つの『党』となる日でもあるってことだな」

 (このガキ……)

 蒋中正は暗に舌打ちすることになった。

 毛沢東の話は、一字一句完全にその通りというわけではないにせよ、当時、孫中山が彼女に答えた内容とほとんど同じだった。この一件はこれまでずっと蒋中正の胸の内に引っ掛かっていたものだった。なぜなら、これは彼女が孫中山に同意できない数少ない考え方の一つであったからだ。エリート主義の信奉者である彼女にとって、群衆の上に立ち、彼らを率いる立場のエリート、その行いのどれをとっても群衆から指摘を受けるはずのないものだった。彼女の能力に疑いが差しはさまれるということ、それは彼女にとっては一種の侮辱なのだ。

 が、今彼女がこうして舌打ちしてしまった原因は、孫中山の考え方ではなく、毛沢東が孫中山の「聯露容共」の背後にある考え方を言い当てたことにあった。蒋中正が孫中山に問いかけを行った時、彼女以外誰にも、孫中山はこの考え方を口にしたことはないはずなのだ。そんなことをすれば、国民党の党員たちは芽が出始めたばかりの小組を潰そうとしてしまうだろう。

 つまり、毛沢東は彼女個人の洞察力だけを頼りに、孫中山の思考を正確に読み取った、ということなのだ。

 蒋中正はこれまで、目の前にいるこの少女は考えもなく行動に移るだけの、口さがないただのバカだと考えていたが、実際は彼女のそんな想像を遥かに超えた人物だったのである。

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