Promise

「面白かったねー」

 30分後。

 青年と少女は施設内の通路に設置されているベンチに並んで腰掛けていた。

「言うな」

 楽しそうに笑う少女に対し青年は多少不機嫌な表情だ。

「だって、みんなせんせのこと、ぽかんとした顔して見てたよ」

「……あまりに私らしくなかったせいだろう」

 7階の廊下、エレベータホール、1階の廊下、玄関とすれ違う人間──主に同僚や上司──が呆気にとられた顔で自分達を見ていた。シュタインの奴がいなかったのが救いだが噂好きのヤツのことだ、あとで話を聞きつけて絡んでくるに違いない。

 軽く息を吐いて──空を仰ぐ。

「……雨は降らないという話だったが、晴天ともいかなかったな」

 曇天と言うほどひどくはないが、薄い雲が空の大部分の面積を覆っている。

「ううん、綺麗よ。部屋の硝子越しより全然」

 少女はベンチから離れ、花壇の花に近づく。

「それに、地面。毎回冬が終わった後、緑のなかに白がいっぱい見えてた──これ、花だったのね」

 施設の敷地には規則正しく花が植えられている。今は鈴蘭の季節だ。

「小さいけど、たくさんあるから上から見ると雪みたいね」

 そっとその小さな花に触れる。その姿勢のまま、少女は続けた。

「せんせ、イーリヤの担当になる前に言ったね。『兵器をつくる』って」

「ああ」

「『一億人を殺すけど、十億人を救える』って」

「──言ったな」

「イーリヤが何て言ったか覚えてる?」

「いや」

 少女はくすっと笑う。

「せんせ、忘れんぼね」

「覚えておく必要がないものは覚えない」

 せんせ。本当に嘘吐くの、下手ね。

 今のでイーリヤ、分かっちゃったよ。せんせが、イーリヤの言葉覚えてたって。

 少女はくすっと微笑って、独り言のように話し出す。

「イーリヤ、だいぶ前から、大事な人ができるといいなと思ったの」

「……」

「きっと大人になって、おばあちゃんになるまでこの建物の中にいるんだって考えてね。

 最初は『ここに居る人とは絶対に仲良しにはならない』って考えてたけど、でもずっと一人でいるのかなって思ったら、そのうち怖くなったの。

 だから、一人でいいから大事な人を作ろうと思った。『おわりよければすべてよし』よね? 自分が終わるときに大事な人がいてくれたら、大事な人がいたということを覚えていたら、たぶんイーリヤはここにいてよかったって思って──終われると思った」

 少女はすっくと立ち上がる。青年に背中を向けたまま。

「でもほんとに大事な人ができたら──終わるのが嫌なの」


 どっちがよかったんだろう。

 こんなに早く終わると知っていたなら──


 鳥の鳴き声が響く。風が髪をなぶる。

「私は忘れない」

 少女は振り返る。

 青年はまっすぐ少女をみつめていた。

「お前のような我儘で言いたい放題の験体、忘れようがない。記憶から消すことのほうが困難だ」

「せんせ……」

「私は自分の願いを叶える。お前の力を借りて──私が生きている間はお前は私の心の中にある。死んだあとも、私の願いが叶ったならばお前が生きた意味はある」

 青年が立ち上がった。そのまま少女に向かって、手を差し出す。

「……ずるいな、せんせは」

 少女は微笑んだ。涙をにじませながら。

「ね、せんせ。イーリヤは、いてよかったのね?」

「だめだと誰か言ったのか」

「ううん」

 少女は青年の差し出した手に腕を伸ばした。

 指先が触れようとした瞬間、少女の腕が落ちた。

 崩れかけた身体を、青年が支える。

 ──少女の意識はなかった。


 少女は数日間眠り続けた。

 再び青年と顔を会わせた時、少女からは既に言葉が失われていた。

 自分に向けられていた笑顔を見ることもだんだん減り、ある日を境に再び昏睡状態に陥った。

 彼女はそのまま眠り続け──次の冬を迎えることなく事切れた。

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