第4話 人質

 数十分後。私服に着替えた新田たちはアセスのバーのようすをうかがっていた。

 廃墟街にポツンと取り残されたようにたたずんでいたバー。ここには様々な背景を背負った人間のオアシスと化していた。傭兵、ジャーナリスト、逃亡者……。ここでは争いをおこさないのが暗黙のルールだ。

「傭兵二人にラチさんの三人だな」店のなかを覗いていた佐藤が告げる。佐藤の多機能眼鏡はズーム機能と赤外線機能もついており、薄暗い室内のようすも手にとるように判別できた。

 よかった。とりあえず、生きてはいた。けれど、野獣二匹に美女ひとりだ。早くラチを助けてあげないと、この先、なにをされるかわからない。いや。もしかしたら、もうすでに……。新田は脳裏によぎった考えをふりはらった。いまはそんなことを考えている場合じゃない。ラチを救うには、まず、彼女の命を助けることだ。救出の邪魔になると基地に置いてきたアセスさんを安心させたい。

「行くぞ」鼓動の言葉をきいた新田たちは作戦にとりかかった。

 

 ドンドン。

 あたりにドアのノック音が響き渡る。

 しかし、なかからの反応はない。

 ドドン。……ドドン!

 ノック音より、さらに大きな音が響き渡る。

「な、なにをしているんだ?」

 赤ら顔の男があわてて店から顔をだした。軽い装備品に迷彩服。あきらかに鍛えられた体の男は、どこからどう見ても傭兵だった。

「……しゃ、しぇけぇ……」ドアの前に立っていた山下が呂律の回らない声をだす。

 ノックの反応がないことに不満を覚えた山下が、体当たりをしていたのだ。

「なんだお前は?」赤ら顔が怒鳴る。

「……しゃ、しゃけ、くれぇ」巨漢の山下が赤ら顔にうなだれる。

「お、お、おい!」赤ら顔が山下を避けると、山下は倒れてしまった。

「す、すみません! 酒を買いにきただけなんですけど」

 新田が倒れた山下にあわてて駆け寄る。

「なんだ、客か」店内から声がきこえてきた。……奥に、もうひとり……。

「まだ開店してないですよね。近くに酒屋がなくて、バーで譲ってもらえないかと思って……」

 膨れた財布をとりだした新田は、赤ら顔がチラリと札束に目をやったのを見逃さなかった。

「なにがほしいんだ」

「えーっとっ、鬼殺しとか、小野小町とかありますかね」

 赤ら顔が首を傾げる。「なんだそれは?」

「日本酒(サケ)です」

「サケ。あったかな。悪いが、自分で選んでくれないか」赤ら顔が新田を店内へ促す。

 新田が山下を抱えながら入ると、金髪の男がテーブルで酒を呑んでいた。

 傍らには下着姿のラチが立っていた。露出された肌には、ところどころナイフで切られたあとがある。

 新田は思わず息を呑んだ。酒のつまみに彼らがラチを切ったのだろう。下着を脱いでいないことから考えると、まだラチの体は男に奪われていないようだった。

 ラチが苦痛に満ちた表情で新田を見つめてきた。

 新田があわてて目を逸らす。

「あっ」ラチが声をもらした。

 黙っていてくれ。新田は祈った。ここでラチが自分たちの正体をバラしたら、ラチを救出する作戦がすべておじゃんになる。

「しゃべるんじゃねぇよ!」

 金髪がラチを殴り飛ばした。

 倒れ込んだラチが血を吐く。

 駆け寄りたい衝動を新田が必死にこらえる。「だ、大丈夫なんですか?」

「あぁ」赤ら顔が笑みを浮かべる。「大丈夫だ。俺たちの金を盗もうとしたから、お仕置きしてるのさ」

「そうですか」新田が怒りを抑えながら赤ら顔のあとに続いた。ここで怒りを抑えきれなかったら、計画がすべて無駄になってしまう。

「立て」

 金髪の命令に従い、ラチがふらふらと立ち上がる。

「どれを持ってってもいいぞ」赤ら顔は顎でカウンターに入るよう促した。

 早くラチを解放してあげたい。佐藤が赤外線で確認した通り、敵は二人に間違いない。カウンターに入った新田は棚に並んでいる酒瓶から探していた酒の場所を確認した。

「見つかったか?」

 新田が振り返ると、ドアの前にタバコを加えた鼓動が立っていた。その傍らには佐藤の姿もある。

「勝手に入ってくるんじゃねぇよ!」金髪が鼓動に銃を向ける。

「悪いわるい」鼓動が手をあげる。「そいつらの連れだよ。酒を買ってくるっていったきり、戻ってこなくてな。心配になって追いかけてきたんだよ」

 新田が鼓動を見る。「おい。見つかったか?」

 新田はゆっくりとうなずいた。「……ええ」

 ラチが息を呑んだ。

「なんだ?」金髪がラチの異変に気づいた。

「い、いいえ……」

 黙っていてくれ。新田がラチに視線を送る。おそらく、ラチは僕たちが自分を助けにきたことに気づいたのだろう。けれど、ここでラチがおかしな行動をとったら、助けづらくなる。不審な素振りはみせてほしくない。

 金髪がふたたび口を開こうとしたとき、鼓動がテーブルに札束を置いた。

 金髪が怪訝そうに鼓動を見つめる。

「酒代だ」 

「へへ」金髪が下卑た笑いを浮かべながら札束を手にとる。「ずいぶん、はぶりがいいじゃねぇか」

「おい」

 鼓動の呼びかけに応じて新田がテーブルに酒を持っていく。

「何日も酒を求めてさまよってたんだ。一杯ぐらい奢らせてくれ」

 グラスに注いだ酒を鼓動が金髪に渡す。

 いぶかしげな表情を浮かべながらも金髪はグラスを手にとった。

 鼓動がグラスをかかげる。「乾杯」 

「乾杯」金髪がそういった瞬間、鼓動はグラスの酒を金髪にかけた。

「な」一瞬、呆気にとられていた金髪が怒鳴る。「なにをするんだ!」

 新田が山下に視線を送る。

 しかし、山下はイビキをかいて寝ていた。

 しまった。作戦では乾杯の言葉とともに山下が赤ら顔をとり押さえるはずだったのに……。

 山下に酔っ払ったふりをさせるため、鼓動がむりやり酒を呑ませたのがいけなかった。酒臭いほうがリアリティがでると、むりやり鼓動が呑ませたのだが、酒に弱い山下は本当に泥酔してしまったらしい……。

「なにをするんだ!」

 銃を向けて鼓動に歩み寄った赤ら顔の腕を佐藤が掴む。

 その瞬間、赤ら顔の体が宙を舞った。

 金髪の表情が固まる。なにが起こったかわかっていないのだ。

 新田は笑みをこぼした。……合気道だ。佐藤は赤ら顔が駆け寄るために前足へ移動した体重を利用して、赤ら顔を投げ飛ばしたのだ。

 投げ飛ばされた赤ら顔は気絶していた。

 落ちた銃を佐藤が拾う。武器を持つことを禁じられているとはいえ、いつ目を覚ますかわからない敵に銃を与えておくほどバカではない。

 ガチャン。

 酒瓶が割れる音が響いた。

 新田が視線を送る。金髪に向かって鼓動が酒瓶を投げたのだ。しかし、酒瓶は金髪に当たらず、背後の柱に当たって砕けたようだった。

 鼓動に銃を向けた金髪が笑う。「下手くそ」

 鼓動が笑みをこぼす。

「なにがおかしいんだ!」

 鼓動がタバコの煙を吐く。「外してねぇよ」

 金髪が怪訝な顔をした。

「来い」鼓動がラチを呼ぶ。

「う、動いたら撃つぞ!」金髪が銃口をラチに向ける。

「撃てるかな」

「は?」金髪が笑みを浮かべる。「なにいってるんだ。お前。この銃が脅しだというのか? 俺はな、戦場で何人も殺してるんだよ!」

「いま撃ったらお前も死ぬぞ」

「なんでだよ!」反射的に叫んだ金髪がはっとした。自分の体が酒まみれになっていることに気づいたのだ。金髪が割れたビンに視線を向ける。ビンのラベルにはウォッカと書かれていた。

 ウォッカ、アルコール度数が非常に高く、引火性も高い酒。

 新田が金髪の背後の柱に向かって酒瓶を投げる。

 割れたビンの酒がかかった金髪は全身、酒びたしになった。これで金髪は銃を撃てないはずだ……。新田がほくそ笑む。「お前が銃の引き金を引いたら、その火花でお前まで巻き添えになるぞ!」

 その瞬間、ラチが駆けだした。

「おい!」金髪はラチを捕まえようと手を伸ばしたが、すでにラチは鼓動のもとへたどり着いていた。

 なんとかラチを救出することができた。ほっとした新田の耳に金髪の笑い声がきこえてきた。

「お前、バカだな。火花が散るなんて、いつの時代の銃だよ。銃ってのはな、日々、進化してるんだよ。これだから、武器を持つことを禁じられているCOREはダメなんだよ」

 ……金髪の持っている銃は火花が散らないのか? 銃に詳しくない新田には判断がつかなかった。金髪のいっていることが本当だとしたら、作戦が台無しだ。五対一でも、傭兵の持つ一丁の銃には適わないのか……。新田がそう思っていたとき、鼓動が口を開いた。

「バカはお前だよ」

 金髪が怪訝な顔をする。

「なんだってな、頭を使えば武器になるんだよ。もっと頭を使わないと戦場では生き残れないぜ」

 そういうと、鼓動は咥えていたタバコを指で弾いた。

 タバコが金髪の体にぶつかる。その瞬間、いきおいよく金髪の体が燃えだした。

 金髪の悲鳴が響く。

 金髪が炎にまみれながらも、銃を鼓動に向けた。鼓動を道連れにするつもりなのだ。

「し、死ねーーー!」

 炎のなかから金髪が叫ぶ。

 金髪が引き金を引こうとした瞬間、背後に衝撃を受けて倒れた。

 新田が椅子で金髪を叩いたのだ。

 金髪の体がゆっくりと焼けこげていく……。

「ありがとうよ」

「……べ、別に鼓動さんを助けたわけじゃありません。ラチさんが巻き添えになるのを防いだだけです」

「そうか」鼓動は笑みをこぼした。

 ガチャン。

 音がした方へ新田が視線を向けると、ラチが酒瓶を金髪に向けて投げていた。

 ガチャン。

 ガチャン。

 ラチが投げた酒瓶が割れるたびに、金髪を燃やす炎が勢いを増す。

「ラチさん! もう大丈夫ですよ!」

 新田はラチをなだめたが、新田の言葉などきこえていないかのように、ラチは酒瓶を手にとる。 

 幸い、ラチの体が男たちに奪われることはなかったが、屈強な男二人に、脅かされ続けたラチの恐怖はそうとうのものだったのだろう。

 新田はなにもいえないまま、金髪に酒瓶を投げ続けるラチを見つめていた。

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