第6話

 彼女の悪態をあざ笑うかのように、またしても灌木の枝が通りすぎざまにピシリと千歳の太股を強く打った。

「イテーッ! ちきしょーっ!」

 千歳は怒りにまかせて枝を掴むとおもいきり引きちぎった。

 するとその切り口から巨大のミミズ状の虫が勢いよく飛び出してきた。

「ギャーッ!」

 千歳はのけぞって尻餅をつく。

 虫のほうはさらに驚いて落ち葉の中にすばやく身を隠した。

「何よ今のーっ!」

 近づいてきた効太郎と鐘馬は、湿った腐食土の地面を見回し、

「ただの虫だろ。もう逃げたよ」

「千歳さん、大丈夫ですか」鐘馬が手を差しのべる。

 その手を邪険に払った千歳はゆっくり立ち上がると尻をパンパン払い、効太郎に、

「あんた温泉が近くにあったら鼻が知らせてくれるんでしょ確か。そのように聞いてるぞ湯浴温泉の二代目さんよお? この近くにないの?」

「何それ? 僕はそんなことができるの?」

「匂いで温泉を嗅ぎ当てられる能力を持ってんのよあんたは。なんといっても王族の末裔だからね」

「僕が王族の末裔? そんなこと今はじめて聞いたよ」

「あんたのお父さんは湯浴一族の王様だったのよ」

 千歳はふたたびふたりに背を向けて歩き出した。そのすぐうしろをむしろこちらのほうが従僕であるかのように効太郎と鐘馬がついていく。

「いったでしょ。あたしたちはみんな、もともと地底の温泉族だったって」

「それは聞いたけど……」効太郎が答える。

「その中でも、あたしたち湯浴一族と煉獄一族はすごく仲が悪かったってわけ」

「はあ……」

「地底人ぜんたいを束ねていた湯浴一族の長で、あんたのお父さんでもある御影山瞬太郎のことを煉獄一族の連中は心よく思わなかったの。争いが嫌いなあんたのお父さんは従卒を引き連れて王の地位を捨ててこの地上に逃れてきたんだ。鐘馬、あんたとあたしの両親も、もともとは御影山瞬太郎の従卒なんだよ」

「……そうだったんですか」鐘馬が感心したようにうなずいた。

「あんたは王の息子なんだよ効太郎。瞬太郎を追い出した煉獄一族の連中は地底の王国をほしいままにして、とうとう武力を持って地上に侵攻しようとしはじめてる。それが今」

「……」ふたりの男はなんともいいようのない表情だ。

「争いのきらいなあんたのお父さんもこればかりは許せなかった。でも、後継者のあんた」と効太郎を指さし「の頼りないところが心配でしかたがない。だからあえてあんたに託したんだよ、究極の勇者になれる七つの秘湯の地図をね。あんたに地上の平和がかかってるんだよ。さあ、これでもまだ何も思い出せない? こんな説明すんのこれで二回目なんだけど!」

 最後の一言は振り返ってふたりをにらみつけながらいった。「そのうち地上の世界はたいへんなことになるよ。煉獄一族が地上に攻めてきて戦争がはじまるんだよ!」

「いやあ」効太郎は笑いながら頭をかいた。「まったく思い出せないや」

「申し訳ありませんが私も。もう少し時間があればそのうち思い出せそうな気もするんですが……」

 千歳は失望したようにおおきくため息をつくと、前に向きなおってずんずん歩きはじめた。

「思い出した!」

 効太郎が突然大声をあげた。

「えっ」

 驚いて千歳が振り返る。

 三人はその場にピタリと立ち止まった。

「おにぎり持ってきたんだ」

「はあ?」

 目つきの悪い千歳の表情がさらに険しくなる。

「確かそうだよ。リュックの中に入ってた。途中で何度も確認した」

「効太郎さん、そのリュックを落としたんですよ」

「……そうだったな。落としたんだ」効太郎はがっくりと肩を落とした。「だから腹がへってるんだ。だから思い出したんだ」

「……」

 千歳は無言で前に向き直ると、またしてもズンズンと山の斜面を登り出した。

「確かにおなかがすくと元気も出なくなりますよね」

 だんだん千歳とふたりの距離がおおきく開いてきた。

「もうダメだ。空腹で死にそうだ」

「千歳さん、そろそろ休憩しませんか」鐘馬が大声で千歳のうしろ姿に呼びかける。

 千歳は立ち止まると振り返り、

「ダメよ。敵に見つけられる前に早く地図を探さないと」

「ねえ千歳、こんな秘境の中で地図がみつかるなんて本気で思ってんの」

「だったら見つからなくても問題ないようにその温泉鼻をきかせて。王子様」

「無茶いうなって。温泉なんか嗅ぎわけられないよ。それに僕は湯浴一族の王子さまなんだろ。もっと……その……何ていうか……」

「もっと何よ。あたしがあんたにヘーコラしなきゃいけない理由なんかないんだよ」

「いや、そうじゃなくて、もう少しやさしくできないもんかなあって」

「千歳さんは元気ですね。私たちはふたりとも、もうヘトヘトですよ」

「こんなところで立ち止まりたくないの。ほら行くよ」

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