抗う術を知らないということ



 結局のところ

 僕はケイミラー先生に救われる形で


 お咎めなしになった。



 何か難しい話でよくわからなかったけれど


 今回のことは

 単なる事故であり

 学院側にも責任がある、と


 ローバー学長が結論付けた。



 訊問の結果

 学院議会での僕らの審査は必要ないとのことだったが


 学院の

 初等部教育については

 引き続き先生方の会議が行われるらしい。



 僕とマーキスは退室を命じられ

 そのまま部屋をあとにした。


 こんな大事(おおごと)になった発端が僕だなんて

 何だか申し訳ない。



 廊下を

 無言のマーキスが行く


 僕はただあとをついてくしかなくて

 何だか嫌だった。



 来た道を帰らないと確実に迷子になるから仕方ない。



 辺りはもう誰の姿もなくて僕らの靴音が響く。



 せめて

 マーキスから何か言ってくればいいのに。



 今謝るなら

 僕だってちゃんともう一度謝る気にもなるのに。



 他に人気(ひとけ)もない

 こんな廊下をふたりで歩いてると、


 少しは素直に


 もしかしたら今ならずっと


 言いたい言葉が言えるのかもしれない。



 だけど

 マーキスの背中はまるでそうは思ってないみたいで


 足早に


 冷たく心を閉ざして見えた。



 だから僕も声をかけられない。



 そんな僕のギザギザした気持ちは

 次の瞬間さらわれていった。



 どこからともなく重低音が轟いて


 最初は地鳴りだと思った。



 僕もマーキスも

 そのあまりの異様な気配に狼狽して


 今来た道を振り返り


 信じられない思いで目を見開いた。



 薄暗い廊下の果てから

 津波が押し寄せてきたんだ。


 ありえない、

 それはわかっている。


 だけど

 現実に目の前にそれが迫る恐怖、


 僕らは逃げる間もなく大量の水に叩かれた。


 上から落ちてきた水の天井は重く痛く


 意識すら

 一瞬で奪いそうな勢いで。



 そのまま

 僕らの身体は


 ランドリーの

 ガラス張り扉の向こうで

 ひっかきまわされる洗濯物みたいに


 あらがうなんて微塵も出来ずに


 脳裏ではふと死というものを感じていた。



 水の中はうるさかった。


 水流の勢いで

 壁や床を弾きながら


 ぐるぐると押し合う。



 そんなものに翻弄された僕らは

 どれほどちっぽけか


 藁さえ掴めるほどの

 自由になる手足もなかった。



 僕は

 心の中で家族を思い浮かべた。


 短い人生だったけど幸せだったと思うんだ。




 そんな僕の思考に割り込み大きな声が突然響いた。



 いや、

 何も聞こえない。


 水の轟音しかない。


 でも

 頭の中に

 のぶとい声がはっきり浮かぶ。



『お前らなにやってんよ!』



 非難されたみたいだけど僕らは何もしてはいない。



『早く魔法を! イアガー! イアガー! 空気をまとうんよ』



 あぁ、なんだ


 何もしないことを非難されたのか。


 だけど空気をまとう、なんて僕は知らない。



『何で魔法を使わない!? 早くエアートで飛んで逃げろや!』




 声の感じからして相手はオジサンだ。


 たぶん

 このオジサンは地団駄を踏みながら

 僕らをどこかで見ている。



 どうやら

 魔法を使って自力で脱出をしなくちゃならないみたいだ。



 ……無理なんだけど。



 僕ら初等部の生徒、

 それも入学してまもない一年生に


 使いこなせる魔法なんて実験道具があってこそ、だ。



 でももしかしたら


 マーキスなら何か使える魔法があるのかな。


 廊下で溺れて死ぬなんて前代未聞なマヌケは僕だけかな。




 朦朧とした意識が言ったんだ。



“それも悪くないね”って。



 マーキスのいない世界に僕は旅立つよ。



 ごめんね、

 父さん、母さん。


 さよなら、

 フェア――…。




「だけども俺よ、うっかりしてたらよ」



 誰かが頭もとで話していた。


 さっき

 頭の中に聞こえた声だ。


 冷たい硬い床が目の前にある。



 普段

 床に寝転がるなんてしないから


 それはなんだか新鮮な景色で。


 同時に

 どうしようもなく

 惨めな姿の自分が想像出来た。



 僕は

 床に倒れている。


 たぶん気を失っていたと思う。



 それが

 どれほどの長さかはまるでわからない。



 10秒かもしれないし

 10分かもしれない。



 とにかく無様だ。



 オジサンの話は続いてる。


 たぶんマーキスにでも話してるんだろう。



 マーキスにまた

 マヌケな僕を見られてるに違いない。




 頭がガンガンして僕はうめいた。



「気がついたんか?」



 身体が

 すごく重たくて

 ちっとも力が入らない。


 身を起こそうと

 手をついたけれど

 すぐには起きられなかった。



「まっさか初等部のチビッコどもがいるとは、思ってなかった。悪かったなぁ」



 ようやく

 少しだけ顔を上げて両腕で上半身を支える。


 僕を覗き込んでいたのは

 大人にしては背が低い、


 ずんぐりもんぐりな体型の

 顎髭あごひげをはやしたオジサン。


 ごわごわの短い金髪を

 頭のてっぺんで一つに縛っていて


 まるで

 ヘタのついた野菜みたいだった。



 魔法使いのローブは着ていない。


 着古した感じの質素な服は長袖の先がほつれている。



 オジサンの

 差し出した手を


 僕はボンヤリ見ていた。



「ホレ、立ち上がれるか」



 オジサンが

 急かすように言ってやっと意味がわかった。


 ゴツゴツした手を掴むと

 僕は一気に引っ張られて


 フラフラ目眩がしながらも立ち上がった。



「あれ……?」



 マーキスがいない。


 僕は辺りを見回す。



 あれだけの水が今は一滴たりとも見当たらない、


 そしてマーキスは

 だいぶ離れた場所に今も倒れていた。



「……。オジサン、誰と話してたの?」



 マーキスが倒れている他には僕とオジサンしかいない。


 僕が意識を取り戻す前から

 誰かと話していたようだったけど。



「俺よ、モーガンだ。ここの雑用に雇われてんだ」


「モーガン…さん。さっき津波が……」



 片手で頭を押さえながら

 僕は混乱してる記憶を整理しようと言葉を並べた。



「掃除だ。ここは広いから、いつもああやって掃除してるんが。時々お前らみたく生徒を巻き込むな。……魔法も使えない初等部のやつらを溺れさせたは初めてだ」



 モーガンさんは

 申し訳なさそうに頭をガシガシとかいていた。



「掃除……」



 スケールの大きな

 大自然を満喫した気分の僕は


 まさかそんな

 日常的なものが答えだとは思いもよらず


 にわかには信じがたい顔で

 話を聞いていた。



「モーガンさんはすごい魔法使いなんですね」


「俺が!」



 途端にモーガンさんは吹き出して


 豪快に笑った。



「初めて言われたな!」



 大笑いして仰け反ると

 さっきよりも背が高くなり


 モーガンさんが酷い猫背だと気付いた。


 だから

 背が低く感じたんだな。




 見た目がぜんぜん魔法使いらしくなくて、


 山で熊とか

 仕留めてそうなモーガンさんが


 あんな津波をおこして学院の掃除をする、


 そのイメージのギャップから

 僕はすっかり感心してしまっていた。



「俺よ、いつもうっかり失敗するからよ、学院の恥って長年言われてな。だから学院の中でしか仕事しないのも、駄目魔法使いを隠すためな!」



 再び背中を丸くしながら

 そう言ったモーガンさんはすごくいい笑顔で、


 僕は不思議だった。


 そんな

 落ちこぼれみたいに評価をされていたら


 僕なら落ち込むよ。



 モーガンさんは

 マーキスを振り返り首をかしげた。



「水はちゃんと俺が『リスウォルト』で消したから、肺には残ってもないはずだがな。打ち所でも悪かっただか?」


「魔法の名前?」


「そうだ、まだ習わんか」



 僕は頷いた。



 あと

 独特な喋り方で

 モーガンさんがどこの出身か気になったけれど、


 モーガンさんは

 マーキスがいつまでも起きないことにソワソワしていた。



 僕がマーキスを気絶させた時に似ている。



 モーガンさんに同情は出来るけど

 だけど


 だからって僕がマーキスに声をかけたりはしない。



「……」



 僕らが

 じっと黙り込んでマーキスを見ていると


 マーキスは無言でむくりと起き上がった。



「お、大丈夫だか!」



 モーガンさんが安堵して笑うと


 こっちに背中を向けたままマーキスは冷たく言った。



「話は聞かせてもらった。今回の事故については学院に通報しておくことにする」



 びっくりする僕らを置いてマーキスは行ってしまった。



 なんて奴だ!

 気絶したままの振りで黙って盗み聞きなんて。



 僕が憤慨する横で

 モーガンさんはしょんぼり肩を落とすと


「また給料減らされるが……」と

 嘆いていた。



「……僕らがいたせいで。ごめんなさい」



 本当なら

 初等部の生徒がこんな場所まで来たりはしない。


 責任を感じて僕は謝った。



「なぁに、いつものことだが。失敗するは慣れてるだぞ」



 モーガンさんは

 僕の背中をバシバシ叩いて

 逆に僕を励ましてくれた。



 モーガンさんとは

 友達になれそうな気がする。


 それはやっぱり

 僕がモーガンさんと同じ

 落ちこぼれだからなのだろうか。





 僕の

 まだ慣れない魔法学院チェンバー生活ライフ


 こうして未知の体験を少しずつ繰り返し


 そのたびに

 人より多くの大事な何かを学んでいった。



 だけど


 マーキスがいなければ

 僕の日常は

 人並みに平穏で


 もっとずっと

 たくさんの仲間に囲まれ充実しただろう――なんて



 そんなふうに思わずにはいられなかったんだ。



 いつか


 僕が、僕らが大人になれば


 嫌だった思い出は

 笑い話になるのかな。



 この時の僕にはまだ

 モーガンさんみたいに笑うことは出来なかった。




                           《第一章》完  





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