名人三無

筑前助広

第一回 犬塚の戦い

 久し振りの晴れになった。ここ五日は降ったり止んだりを繰り返していたのだ。

 春の温かい陽気。合戦日和というものだろう。路傍には、名も知らぬ花が、可憐な彩りを魅せている。だがそれは、風流を解せぬ雑兵によって、無残にも踏みつぶされた。


(これが、世の倣いというものか)


 力が全てである。美しいだけでは生きてはいけない。二朝が並ぶ今は、そうした時代である。

 一色宮内大夫いっしき くないたいふは、大宰府への軍旅の最中にあった。率いるのは、足利将軍家の旗を掲げた、二万の軍勢である。


(齢四十を前にして、初の晴れ舞台か)


 鞍上の宮内大夫は、路傍から顔を上げると苦笑した。今まで、このような大軍を率いた事はない。

 大軍だが、決して安心は出来ない。この二万は、九州探題きゅうしゅうたんだいの為に馳せ参じた寄せ集めなのだ。中核は関東から率いた武士団だが、その数は二千にも満たない。対する敵は、南都帝なんとていの皇子。〔宮様〕と呼ばれる男が率いる、一寸の乱れもない征西府せいせいふ軍三万である。


「殿」


 ゆるりと進む宮内大夫の許に、斥候せっこうが駆け戻って来た。


「敵軍が水城みずきを進発した模様」


 その報告に、宮内大夫は頷いて応え、傍にいた近習の一人に顔を向けた。


「犬塚辺りかのう」


 すると、近習は宮内大夫の呟きに首肯した。犬塚は、大宰府の城壁・水城の手前に広がる原野である。陣形を組み、大軍が雌雄を決するには申し分ない場所だ。

 九州は、長く乱れに乱れていた。北都帝ほくとていと足利将軍家を奉ずる探題方と、南都帝を奉ずる宮方とで二分されているのだ。それが昨年、先代の九州探題だった父が、宮方との戦いで敗れて以来、探題方の勢力は衰微する一方である。一時は支え切れず、京都まで逃げ帰ったほどだ。探題職を継いで何とか博多を取り戻したが、九州の大部分を制し、大宰府に本拠を置いたこの軍勢を駆逐しない限りは、探題方の展望は暗い。


(此度は負けられぬな)


 いや、今の探題方に負けていい戦など無いが、今回ばかりは益々猶予が無い。九州に向かう前に、足利将軍にこう言われたのだ。


「万が一お前が敗れれば、次は儂が自ら征伐する」


 ――と。

 それは暗に、武士としてお前の将来は無い、と言われたような気がした。何せ、武家の棟梁の手を煩わせるのである。

 そうならない為に、最大限の努力はした。寄せ集めの二万の軍勢に過酷な調練を課し、一応の組織化はした。それでも不安は残る。その種を洗い出しては、ひたすら潰した。戦の準備とは、不安との戦いでもあると言ってよい。不安は、迷いを生むのだ。それは父を見ていて学んだ事である。

 犬塚の原野が見えてきた。後方には、薄らと水城の城壁もある。

 宮方の三万が、既に布陣していた。鶴翼。漲るような闘気で溢れている。


「総大将の人柄が出ておるわ」


 宮方を率いるのは、驍勇で名高い菊地肥後守きくち ひごのかみ。その傍には、知恵者の烏丸公知からすま きんともが軍師として付いている。総大将の宮様は、大宰府の御座所で控えているという報告を受けている。


「だが、我々の軍も負けてはおらぬ」


 魚鱗を組ませた自軍を、宮内大夫は近習達の前で敢えて褒めてみせた。

 贔屓目でなくても、意気軒昂である。それもそのはず、探題方の殆どは宮方に参じた武将と敵対する勢力なのだ。親兄弟を殺された者もいて、宮方憎しと燃え上がっている。


「始めよ」


 宮内大夫の号令で法螺貝が鳴り、軍が一斉に動き出した。

 戦は平凡な押し合いから始まった。先鋒は、異母弟の一色兵庫いっしき ひょうご。まだ若いが、一色党きっての猛将である。相手は城備後じょう びんごという報告が入った。城備後は、肥後守の次に名の出る荒武者。この男には、何人もの武将が討たれている。序盤の山は、この男をどう攻略するかであろう。

 次々に注進が入る。それを宮内大夫は、床几に座したまま聞いていた。一進一退の攻防。今はまだ、四ツで組み合っている状態だろう。

 単純で能の無い、押し合いは続いた。正面では兵庫が、両翼の敵には九州の御家人が奮戦している。関東武士を主体にした騎馬隊を投入すべし、と近習が進言したが、宮内大夫は無視をして待った。まだだ、と何かが囁くのだ。必ず、ここぞという潮合いはやってくる。


「城備後勢が後退。兵庫殿が追撃中」


 その一報を受けた時、宮内大夫は立ち上がっていた。


「両翼の戦況はどうじゃ?」

「お味方有利。一枚ずつその羽を毟っている模様」


 伝令は洒落た表現で応えると、宮内大夫は口許を綻ばせた。


「一色の旗を起てよ。儂自ら関東武士を率いて、敵正面に突貫する」


 宮内大夫は鞍上に移り、太刀を抜き払った。


「仕上げじゃ」


 そう低く言い、馬腹を蹴った。

 一千八百の騎馬が、一斉に動き出した。押されながら堅陣を敷いた敵を、鏃のように貫いていく。騎馬の突撃で生まれた空隙を、供回りの雑兵が広げていく。敵は堪らず、乱れだした。


「各々、武功の挙げどきぞ」


 宮内大夫は叫び、馬上で太刀を大いに奮った。徒歩で逃げる武士を、背後から斬り下げる。返り血を、全身に浴びた。原野で、関東武士の敵はいない。血飛沫の中で、父の言葉を思い出した。


「原野であれば、負けは無い」


 そうも言っていた。

 肥後守を探した。この男の首さえ取れば、勝てる。宮方の総大将は宮様であるが、実質はこの男の軍なのだ。

 敵の中央を突破すると、本陣が見えてきた。薙刀を構えた、薄い雑兵の防壁。馬腹を蹴り、騎馬の突撃で蹴散らす。

 本陣。床几は空だった。棄てられた、征西府と〔並び鷹の羽〕の軍旗。宮内大夫は舌打ちをして、馬首を返した。


「反転。抗う者を掃討する。犬塚を血で染めるのじゃ」


 結局、夕暮れ前には宮方は完全に瓦解し、水城の内側へと潰走した。

 その夜は、本陣に主立った諸将を招いての祝宴となった。思わぬ快勝に、皆が気を良くしている。宮内大夫自身、そうだった。勿論、負けるつもりはなかった。しかし、ここまで勝つとは思わなかったのだ。

 斥候の報告では、肥後守ら主力は水城へ撤退したものの、他は無様に離散したという。損害についての報告はまだだが、痛撃を与えたのは確かだ。村野左近むらの さこん恩地久兵衛おんち きゅうべえなど、菊池家老臣の兜首を幾つか挙げている。


(宮方も一枚岩と思ったが、存外脆いものだ)


 と、白拍子の舞いを眺めながら、宮内太夫は盃を口に運んだ。


(だが、決定的な勝利は得ていない)


 我々の勝利は、大宰府の奪還にあるのだ。故に気を抜いてはいけない。そうはわかっていても、舞い上がってしまう。それほど嬉しい、初めての大勝だった。

 振り返れば、足利将軍から父と共に九州に残されてからというものの、苦難の連続だった。慣れぬ土地で、服従せぬ九州御家人との戦いの日々。塗炭の苦しみが止む事は一刻たりとて無く、一度は九州から追い出されたほどだ。そして父は、探題職を解かれて隠遁。それは、事実上の追放だった。故に、これは父の仇討ちでもある。

 白拍子の舞いが終わり、関東の御家人が歌いだした。故郷を思う、武士の歌だ。望郷の念があるのだろう。


(親父殿……)


 宮内大夫は夜空を仰ぐと、父の顔が浮かんだ。思い出は、常に敗走である。勝ち戦もあるが、それは余り覚えてはいない。


(親子揃って逃げ足が速ようございましたな)


 その時、法螺貝が、闇を切り裂くように響き渡った。

 鯨波。宮内大夫は盃を投げ捨て、立ち上がった。


「夜襲でござる」


 息を切らした武士が、転がりながら報告した。


「水城から討って出た模様。数は不明」

「何と言う事じゃ」


 宮内大夫は、床几を蹴り上げた。


「迎撃せよ。苦し紛れの一手に過ぎぬわ」


 諸将が散り、宮内大夫は近習に命じて具足を纏っていると、血塗れの一色兵庫が駈け込んで来た。


「兵庫、どうじゃ」

「どうもこうもございませぬ、兄上。相手は大軍でございます」

「大軍じゃと? 戯言はよせ」

「戯言ではございませぬ。宮方の敗走は偽り。我々は峻烈な攻撃に晒されているのです」


 更に兵庫は宮内大夫の肩を掴み、


「兄上はお逃げ下され。殿しんがりは、それがしが務めます故」

「逃げるだと? 我々は勝ったのだぞ」

「それは我々を油断させる為の、偽りの勝利でございますぞ」

「……また儂は逃げるのか」

「命あっての物種と申します。さ、お早く」

「何を申す。儂は九州探」


 そう言いかけた時、強い衝撃が頬に伝わった。殴られたのだ。巨躯から繰り出された拳に、思わず膝を付いていた。


「申し訳ございませぬ。しかし、兄上は生き延びるべきでございます。生きてこそ、再戦の機会もあるというもの」


 そこまで言われ、宮内大夫の迷いは消えた。いや、弟の拳で払拭されたのだ。


「よし、儂は逃げる。お前が殿を務めよ」


 兵庫が深く頷くのを見て、宮内大夫は近習に馬を曳かせ、その背に飛び乗った。


「上手く落ち延びよ。よいか」

「出来得るならば」

「いや、必ずじゃ。一色武者は逃げ足の速さが売りである。その誇りを死んで穢すな」

「……去らば、でござる」


 兵庫に馬の尻を叩かれ、駆け出した馬に宮内大夫は身を任せた。

 闇を駆ける。付いてくるのは、どれほどであろうか。確認する暇もなく、宮内大夫は馬に鞭をくれた。


「伏兵」


 近習が叫んだ。左右から、衝撃が次々に襲う。それでも構わず、宮内大夫は駆けた。今は、逃げ延びる事が第一である。


(これが烏丸の智謀か)


 駆けながら、策の全貌を察した宮内大夫は、声を挙げて笑っていた。逃散したと思っていた宮方は、実は伏兵として纏まっていたのだ。思い切った埋伏。十面埋伏であろう。

 黎明。何とか伏兵から逃げ果せた宮内大夫の目の前に、軍勢が展開していた。


「宮方か?」


 宮内大夫は近習に訊くと、


「あの旗印、〔三つ引両〕と〔寄り掛目結〕は探題方です」


 と、嬉々として答えた。

 後詰を命じていた、原田右近将監はらだ うこんのしょうげん筑紫主水ちくし もんどである。二名は九州の御家人で、父の代からの探題方である。両軍の出現に周囲の武士は口々に喜んだが、宮内大夫はそれを手で制した。


「いや、待て。様子が変だ」


 軍が、陣形を組み迎撃する体制を取ったのだ。数は、おおよそ千。だが、近習の一人が、堪え切れず駆け出した。

 味方である事、宮内大夫がいると叫びながらである。その近習が、不意に馬上から消えた。射倒されたのだ。矢が首に突き刺さっている。


「裏切ったか……」


 不思議と驚かなかった。武士は生き延び、家名を残す事が第一。裏切られた方が悪いというもので、彼らは武士の原理に従っただけである。

 宮内大夫は、付き従う兵に顔を向けた。雑兵を合わせ、三百。希望を含めて、そう見えた。


「目の前の軍勢を打ち破らねば、我々は根城に帰れぬ。各々、死力を尽くし突破せよ」


 宮内大夫は太刀を振り上げると、腹の底から咆哮した。

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